1399年奇妙寺前史003(医療と看護の閃き:麻酔と消毒)
次に松戸彩円が始めたのは麻酔の研究だった。
「よし!やるぞ」と彩円。
フンス、フンス。
さっそく、そっち方面の妖しい植物を集めてきた。
ナス科の植物がほとんどである。
ヒヨス、ハシリドコロ、チョウセンアサガオ。
これらの植物毒(トロパンアルカロイド)が、人の神経に麻痺作用を起こす。
正確には副交感神経興奮遮断作用がある。
毒のあるアルカロイドは左の部分だ。
この部分を切り離せば良い。
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だが松戸彩円は研究を中止してしまった。
「どう考えても全然分からない……」と彩円。
局所麻酔も全身麻酔も「いっしょくた」だった。
作用機序も副作用もまだ何もわかっていない。
高分子化学の知識も無く、これらを闇雲に実験するのは危険が大きすぎた。
現在ではトロパン部(環状アミンの1種)が毒性を持ち、他の部分が麻酔作用がある事がわかっている。
古代からエゴノキ科アンソクコウノキから採れる樹脂にはいいニオイがした。
これは安息香酸をエステル化したものでニオイはバニラのような臭いがした。
これから安息香酸を発見し、それをベンゼン環を持つトルエンから合成する。
その合成経路から、局所麻酔薬のベンゾカインを作り出せる。
だがどうやって?
後世ではキシロカイン(リドカイン)のような優れた局所麻酔が誕生した。
だがそれにはベンゼン環のニトロ化andスルホン化等の基礎的な理解が必要だった。
硝酸と硫酸の混合物、混酸はなぜ硫酸の水素が離れてニトロニウムイオンが出来るのか?
そのなんちゃら反応のほにゃららな傾向はどうして起きるのか?
分子構造は見えないので、反応は推察によるが、その推察さえまだ知識が足りないのだ。
自然の麻酔薬はコカの葉から採取されるコカインの発見(1505)まで待つべきであった。
<1505年に奇妙寺は南米への航路を機帆船で発見する>
<往路:北太平洋の亜熱帯循環の東流>
<復路:北赤道海流の西流に乗ってフィリピン近海に到達し、黒潮に乗って日本に帰還>
これにより、南米の特産物が駿河甲斐に入ってくる事になる。
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松戸彩円は麻酔の研究室を閉鎖した。
松戸彩円の挑戦は続く。
次に目指したのは消毒の知識の習得だった。
当時の消毒は
1)真っ赤に焼けた鉄を押し付ける
2)グラグラに煮立った油を注ぐ
3)酢や塩を塗りつける
まあ、どれも身の毛もよだつ消毒法であった。
現在、私たちは化膿が起きる原因を知っている。
黄色ブドウ球菌を起炎菌とする組織損傷部の炎症の結果、粘液質の膿が生じるのだ。
黄色ブドウ球菌はヒフの常在菌である。どこにでも居るが、創傷がなければ害は無い。
つまり、組織損傷部を一刻も早く、曝露から密閉すれば良いだけの事なのだ。
松戸彩円は偶然にも、その事を野戦病院で発見した。
戦国時代の野戦病院は単なる野原であった。
そこに戦傷兵が寝かされている。
次々と傷付いた負傷兵が運び込まれてくる。
煮立った油に布が煮込まれて、次々と傷にあてがわれた。
「おぎゃああ~っ」
「やめおめうぎゃあああっ」
あっという間に煮えたぎる油はなくなった。
しかし戦傷兵は途切れず、次々と運び込まれてくる。
もう間に合わない!
やけくそで冷えた油で代用した。
「あれ、痛くない……」
「ほええー、気持ちいい」
この事が強く松戸彩円の心に残った。
負傷兵の創傷は化膿しなかったのだった。
創傷治癒過程は
①創傷
②炎症期:白血球が細菌と戦う
③増殖期:白血球が勝ち、細胞成長因子が増殖する
④成熟期:肉芽が形成される
⑤治癒
に過程が分かれる。
③の増殖期に傷を油膜で保護していたと考えられる。
少なくとも治療が原因で死に至った者はいなかった。
なお、治療(抗菌剤)については(1460-1470抗生物質)まで発見されない。
一刻も早く創傷部を曝露から隔離する事が唯一の治療だった。
こういった経験から松戸彩円は奇妙寺謹製の薬用オイルを造ろうとした。
しかし上手くいかない。素人のハーブ調合は毒と同じであった。
そんな時、例の商人が霊みたいに背後に立った。
「彩円様!」
「おぎゃわたーっ、ってなんだキミかぁ」
「堺港に明(現中国)の薬草の調合師がやってきたのです!」
「なんですとぅ」
「日本に最新のか……
バッシューンッダダダダダッ!
松戸彩円は猛スピードで走り去った。
弟子があわてて、師の旅支度を調えて出発した。
加えて、用心棒役の弟子も、まったりと出発した。
猛スピードで走りながら、彩円は独りごちた。
「渡りに船とはこのことだ!」
彩円の正面に白い傘状の空気層が見える。
あまりの速さに前方の空気が圧縮されているのだ!
彩円は飛ぶように堺港に疾走した。




