巧言令色 ~T中Y樹の小説によく出てくる言葉~
突然だが巧言令色という言葉について語りたいと思う。
これは所謂「はい、論破」という会話の流れに対する反証でもあるので、暴言に近い論理展開も多々ある。もしお目を通す機会があるならばその点を注意していただきたい。
何しろ私は言葉というものを飾り物程度にしか考えていない軽薄な人間なのだ。
話を読んだ後に不快だと感じた場合は即刻、運営に訴ったえるなり私に感想を寄越して欲しい。
これが道化たる私のせめってもの償いだ。
巧言令色とはウィキで調べた方が早いだろうが、「言葉を取り繕い、表情を装う事」という意味らしい。
要するにその場しのぎの誤魔化しだ。一見して、これの何がいけないのか判別する事は難しいだろう。
嘘をついたわけではない。
相手に損をさせたわけでもない。
良い方に考えれば、相手の事を気遣っての取り計らいなのかもしれない。
これはあくまで最大限の譲歩としての話になるが。しかし巧言令色を用いて、相手を納得させても問題の解決にはならない。むしろ提起された問題は本筋から逸れて深刻化する一方だ。
そうはならないと断ずる方もおられるとは思うが、多くの場合は言葉の責任の所在が分からず仕舞いになって議論が打ち切られてしまうだろう。
「はい、論破」も同様だ。
議論は、提起された問題について質疑は続いているというのに途中で議論の輪から、或いは議論そのものを放棄するような行為を第三者はどう思うか、という疑問に尽きる。
そもそも人間の忍耐の度合いはそれほど懐深くはない。我慢にも限度というものがある。
仮に無責任や放埓な態度を取り続ければ、その当事者の発言を誰が信じられようか。
それでも信じると強弁を振るうのであれば、それも良い。いや私限定ならば大いに結構な話だ。
世の中が嘘塗れなら、嘘をつく事に罪悪感を覚える必要はない。大歓迎だ。
だがご清聴しておられる読者諸兄はどうだろうか?
真実という真実が一切、消失して嘘しかない世界で心の底から笑う事が出来るのだろうか?
私は道化を自らに任ずる男である。
嘘だらけの世界でも笑って見せよう。だが読者諸兄は、本当にそれでいいのか。
答えを焦る必要は無い。
心の中でじっくりと考えればいい。
こういう話は安易に結論を出したり、口外すべきではない。
あくまで私は世界の道化として巧言令色が憚る世相という物を窺っているだけなのだ。
言葉の誤魔化しは、やがて人の縁を腐らせて絆という絆を根こそぎ彼は手させてしまうだろう。
その時、何を信じるかは読者諸兄自身しか知り得ない。
万事が「それ個人の感想。ハイ論破。乙」でいいか、どうか今読者諸兄の見識が試されているのだ。
仮に今のような放言を繰り返す者に正義を見出すような世の中ならば、滅ぶしかないのだろう。
道化の私は面白おかしく街中で語り継ごう。
嘘まみれの世界の為れの果てを。
ところでみんな、ところてんには酢醤油だよな?
黒蜜って食べてみたけどスィーツ感が半端無くてご飯のおかずになりそうもない。
いやそもそもところてんって食べるタイミング自体が難しいと思う。実際にあれを白飯の上に乗せて食べる人っていないよね?もしいるなら感想欄で教えてね。
俺も前に気温が二十度超えた時に晩御飯にところてんを出したんだけどさ、ご飯の上に乗せて食べたわけよ。
…。
春雨的な食感を期待したわけなんだけど微妙だったな。
結局、一口食べてから残りは普通に食べました。
ところてんはご飯に乗っけても美味しくない。
さっきのつまんない話よりこっちの方が数倍、面白いよね。
じゃあ次回は、ご飯と一緒に食べたらアウトなおかずについて話そうと思う。
みんな何か思いついたらメッセージでも、感想でも書いてくれよ。反応によってはタイトルが「ふじわらしのぶの夜ご飯」に変わるかもしれないからね。
――と、これが巧言令色だ。わかったか?




