諸人よ、もっと悩め
悩める者よ、貴方は正しい。
何かの問題に突き当たった時に人は己の指針を問われる。
どうあるべきか、何をなすべきか、と他でもない自分自身に問われれる。
その時、人は図らずも過つな過つなと自らに言い聞かせてしまう。
正しい道など通って見なければ誰にもわからぬというのに。しかしこれは決して無駄な行為ではない。
確かに悩んで踏み止まれば雄飛の機会を失う事もあるだろう。
何も考えなかった方が良かったという場合も決して少なくはない。
決断するのは貴方の自由だ。だが悩む事をすれば、別の誰かが悩んでいる時に助けてあげる事も出来る。
むしろ悩みの無い人間は道すがら悩んでいる人間を見ても気にかける事は無いだろう。
強さとは良くも悪くも他者との隔絶を意味するのだから仕方のない事なのだ。
しかし悩める者は同じ悩みを共有する事は出来ないが、悩みを持つ者の辛さを知っている。
誰かの相談に乗る事も出来るし、心情を慮って放っておくことも出来るだろう。
仮に悩みを知らぬ者と悩みを知る者の一生が終わったとしてどちらがより多くの経験を積んできたかと問われれば悩みを知る者に軍配が上がると思う。
あくまで私個人の意見に過ぎないが。
翻って現代社会の社会の情操教育というものに照らし合わせれば生育過程におけるモラトリアムという時期を軽視しがちではないかと私は考察する。
これも愚痴っぽくなるが戦後日本特有の権力者にだけ都合の良い年功序列の作り出した悪しき風習だと私は断ずる。
連中、即ち私の小学校と中学校の教師だった世代のゴミカスどもはとかく目下の者を軽んじて隷属化させてきた。
胸を張って言おうか。
彼ら団塊世代の人間が欲していたのは配偶者、家族という名前の欲望のはけ口だったのだ。
平穏な家庭というものを維持する為に個人がどれほどの努力を積み重ねなければならないかを身に染みてわかっている今の私は特にそう考える。
だから我々は負の遺産を、我々自身と我々の後の世代が背負うのは間違いだとも考えている。
絵空事を現実に変える努力をしなければならない時期がやってきたのだ。
煩悶を伴う悩みの経験とはその上で必須の物となろう。
「うんうん、わかっている」ではもう駄目なのだ。
ではどうするか?
その先を考えられなければ家族という偶像は脆くも崩れ去る。
家族などいつなくなってもいい、ないし奔放な自由恋愛を謳うなら私は止めはしない。
価値観の相違というものだ。
だが古代から調和を疎かにして無秩序に家族を増やし続けた名家が後継者争いで滅びた例などやはり珍しくはない。
多くの戦国時代の発生とはそういうものだ。
これはかなり突飛な考え方になってしまうが世界の無用な混乱を避ける為にも”悩み”は大切にした方がいいと思う。
勿論悩み事は少ない方がいいが、それでも確たる悩みを持って生き急がない方が今の時代は賢明というものだろう。
重要なのは広い視野を持って意固地にならない事くらいか。我々は生涯を通してついて回る悩みという影のようなものともっとうまく付き合うべきだ。
そのやり方は千差万別で、正攻法などありはしない。
迷え。
悩め。
心の苦しみを甘受せよ。
そして周囲を見渡せば同じような境遇の人間が少なくないという事を悟る。
仮に”真の仲間”とやらがいるとすれば、それは上等な燕尾服で着飾った紳士ではなく、不潔で不景気な面をした悩み多き人間ではないのか?
おっと口が過ぎたな。
だが、これが大人の世界というものだ。
はい。
ここからはふじわあらしのぶさんの悩みコーナーになります。
みんんばいっぱい同情してきいてあげてね。
はい、一個目は…「月のお小遣いが二万円から一万円になりました」。
うえええええええええええん‼なんてかわいそうなんだああああああ!
はい、二個目のお悩みは…「一番くじが全然当たりません。店が意地悪しているとしか思えません」
うほおおおおおおおおおおお‼
ふじわらしのぶさん、貴方は何て可哀想な人なんだああああああ‼こんな可哀想な人がケ根気に頑張っているのだからみんな、ポイントとブクマといいね、PVも一人一日につき100回くらい閲覧してね‼




