どうする?どうする?どうする?
それでいいのか?
君は今のままでいいのか?本当はやりたい事があったんじゃないか?
なのに無意識のうちに心の中でブレーキをかけて一生目を瞑っていようと思ってはいまいか?
あえてもう一度、問おうか。
君の人生は今がベストなのか?
分相応という言葉に甘んじて、全てを諦めて生きようとしてはいないか?
それが正しい選択だと考えるなら、私は止めない。
君は君の道を進むといい。私は否定はしない。むしろ君の生き方を応援する。
私自身はそういう生き物という自覚があるから。
私に人の意志を変える力があるなんて考えた事も無い。
それは身の程知らずというものだろう。
だが君は違うはずだ。
何かを決意して、この「小説家になろう」に来たはずなんだ。
動機はわからないし、根掘り葉掘り聞くのは礼儀に欠ける行為だと思う。
しかし今の一瞬だけでも考えて欲しい。
君は、君という存在を軽んじてはいまいか?
ごきげんよう、読者の皆様。
私は素手で戦ったら多分、地上で一番強い生き物と全世界で恐れられている存在、ふじわらしのぶ様だ。
こう言っては思い上がりと言われても仕方がないが私は強い。多分どの分野の格闘家が私と戦っても一分とまともに立ってはいられないだろう。
これは揺るぎ無い事実だから仕方がない。
私は素手で原子力潜水艦を破壊し、原子力空母を灰塵に帰すビームを発射出来るのだ。
しかもノーリスクで。
こんな事が出来るのだから私に勝てるのは神だけだろう。
まあ、神とやらがどれくらい強いかはわからないが私は未だに成長期にある発展途上人間でもある。
戦って一週間後くらいには神をも凌駕する超圧倒的な存在となっているはず。
ああ、恐い。
強すぎる自分が怖すぎる…。
そしてこんな謙虚な私にいいねとブックマークとポイントも忘れずに。君たちへの最高のご褒美、即ち私が喜ぶ。嬉ションするかもしれない。
(猛烈に反省中)
さて今回は自信についての話をしようか。
一般的二慢心は身を亡ぼすというが、見るからに自信の無い人間の側にいたいと考える人間はそう多くはないはずだ。
特に私のように家を出る前に五、六回くらいガスの元栓の確認をするような肝っ玉ミニマムの男は駄目だろう。
事実だから仕方ない。
私の座右の銘は、「石橋を叩いて砕こう」だからな。
(猛烈に反省中)
自信に満ち溢れた者は魅力的で、多くの人々を虜にする。
なぜならば他の多くの人間は自己の存在定義というものが曖昧だから。
その他大勢から脱し猛ればまず自己の定義を確立しよう。「お前は何者か?」と問われれなしっかりと「私は私」と答えられるくらいの自己定義があればいい。
個性を主張する者を集団リンチして殺してしまうのが我が国のお国柄というものだが、コロナアフターはそれではいけない。
自己の定義の確立は必要だ。
もうここまで国の信用というものが失墜してしまえば「みんながそう言っていたから」ではすまされないのだ。
ぶら下がり人生の陽キャ諸君、そろそろ下車の時間だ。
荷物をまとめておきたまえ。
強い個性とは出自で決まる物ではない。
第二次大戦以降の日本の迷走真っただ中の拝金的な民主主義が雄々しくにそれを物語っている。
より正しくは出自や経歴が正当な評価を得ていないから平安時代末期のような現代になってしまった。
失敗は失敗、見習う事などありはしない。
かつてのアテナイのように扇動政治家による衆愚政治が国を滅ぼそうとしている。
嘆く事は何も無い。
こんな国はくれてやればいい。確たる己を持て。
国は滅びても人が滅びるわけではない。
そして長年受け継がれてきた国に住まう人の魂は未来永劫に生きる。
自信を持って行動せよ。他者への思いやりを忘れるな。
失敗例なら今の日本に山ほど転がっている。あえて愚かな轍に足を踏み入れる必要は無い。
自らの足で、外の世界に踏み出せ。
そして世界を知れ。
自信を持つことは必ず君自身の在り方を変える。
勇気なんて泥臭い言葉は必要ない。
君自身の心の中に刻まれた魂からの言葉をこのサイトに書き綴るのだ。
それはきっと未来永劫語り継がれる礎となる言葉となるだろう。
そして私へのポイント、ブックマーク、いいね、感想とかも忘れずに。
わ・す・れ・ず・に




