75.廃宮の地下室
その時、床の染みが唐突に途切れている場所に気が付いた。天上を見上げれば雨水が垂れて床に溜まっている、けれど一定の線で切れているのだ。
その意味は――。
リディアは、まっすぐ歩いて行き、そこを覗いた。
床に微かな途切れがあり、その下に流れ込んでいるのだろう。
「床下に何かあったの、知ってる?」
ファズーンが来て立ったままリディアを見下ろす。
「覚えてないな」
ファズーンの合図で、兵たちが床の切り目に剣を差し込む。そこには扉があるようだ。
ファズーンと共にリディアは十分に距離を取らされ、更に彼はリディアに自分のマントを被せる。虫や魔獣などが飛び出てくる可能性があるからだ。王なのに、自分を守らせるわけではなくリディアを優先させるのはどうなのだろう。
王としてふるまうくせに、大胆過ぎる。開けなくていい、と言いかけるのをやめた。この機会を逃すとまた見せてくれるまでは時間がかかる。今彼は心を開いて情報をくれている。
ミシミシと音を立てて、十センチ程度の厚みがある床板が外される。幅は大人が入れる程度で、抜け穴かと思う。しばらく待つが何も出てこない。
兵が、剣に布を巻き、火をつけて降りていく。明かりがついているから、酸素はあるようだ。
「陛下。虫や死体はありません。非常に綺麗な――」
上がってきた兵士が報告をする。ただ困惑しているようだ。
「池というか、地底湖の様相です。その中央に大きな木があります」
「そんなものは知らなかった。恐らくここにいた誰も知らないだろう」
ファズーンは視線で尋ねるリディアに答える。
子供達は、食べ物を求め、あちこちをさまよったという。その彼らが見つけられなかったのならば、初めての場所だ。
「危険だ。一度調べさせてからだ」
「いいえ。今、いきたい」
リディアが足を踏み出すとファズーンは腕を掴んでくる。それを振り払いはせず、半身を振り返して、見上げる。彼からのマントを押し付けて返す。
「何事もタイミングがある。今見つけたという事は、今がそのとき」
ファズーンは手をゆっくり離す。お前は引かないからな、と呟く。
先に兵士一人を行かせて、一人には危険がないか見張れと言い残す。
その次に自分が行き、リディアは最後だ。
階下に降りるのは木の梯子だった。
上からの水は、梯子の途中で途切れている。さほどの量がなかったのか乾いているみたいだ。
誰も見つけていないということは、何十年も昔ということ。腐っている可能性もあったが、兵やファズーンが歩いてもきしむ音もない。それどころか、本当に木なのか、というほど足場はしっかりしていた。まるで硬化しているよう。
その足裏の感覚にリディアは記憶を想起させられる。まるで、ディアノブルの塔の取っ手と同じようだ。
(まさか、ね)
塔の材質と、打ち捨てられた廃宮の地下が同じわけがない。そう思いながら進めば、広い空間に息を呑んだ。
あと数段、というところで足を止めたリディアにファズーンが手を差し伸べる。
「危ないから、早く降りて来い」
「ええ」
たまに、災害などに備えて地下水を貯蔵している建造物が遥か昔からあると知識で知っていた。ここは砂漠の地だ。そのために作られたのだろうか。
ただ、それにしては人工的な形式がない。周囲の壁や床は石のようだが、凹凸は規則性がない。ぽかりと空いた空気の吹き溜まりに水がたまったのだろうか。
でもそれなら、鍾乳洞的な水のしたたりがあるはず。けれど、中央には大きな水たまり――地底湖のようなものがあった。水源はわからない。
代わりに、大きな木がある。池の中に太い根を張り、上の部分は細い根が皿のように張り巡らされ、そこからまた水を細い滝のように落としている。
幻想的な光景だった。上からは水音も何も聞こえなかったのに、シャワーのように木の皿からシャワーのように地底湖へ水を降り注いでいる。葉はない、バオバブの木は見たことがないけれど、それの一種なのだろうか。
でも幹は銀色でスラリと長い、美しいとしか言いようがない。
「吸った水をまた上から降らせているのかしら」
何のために?
リディアが近づくと、ファズーンが腕で遮る。「近づくだけ」と言い残してリディアはもう一歩近づきかけて足を止めた。
確かに水中に化け物がいる可能性もあるし、植物のように美しい擬態で近くの獲物を捕らえる生物、または魔獣もいる。
兵が近づいて水の中を覗き込んで振り返り、木を振り仰ぎ「何もいません」と告げる。
リディアとファズーンはゆっくり足を運ばせた。
水は清浄で何もいない、そのほうが怖い。生物が住めないほどの毒素を含んでいる可能性がある。
「触るなよ」
「ええ」
けれど、木から流れ落ちる水の音は心地よくて、ここの空気も綺麗で、とても有害なものとは思えない。この木は悪いモノとは思えないし、ひんやりとした空気も心地よい。
見上げれば、天井は凹凸のある石造りのまま。これほど水があるのに上の雑草が根を伸ばしてこないのはおかしい。
ファズーンに庇われながら水の中をのぞき込むと、浅い岩底が見えた。触って、手をいれて、と言われているようで、その誘惑に負けそうになる。
「調べさせる。問題がなければここにまた来てもいいし、水に触れてもいい、それでいいか?」
「――ありがとう」
ファズーンの親切に感謝して、水底をのぞき込んでいた顔をあげたら真横にファズーンの顔があり驚く。間もなく、彼がいきなり唇を重ねてきた。つき飛ばそうとした腕を取られる、引き寄せられて彼の胸の中にしまわれる。
暴れて足で彼のお腹を蹴り、二人でもつれる。
そして気がつけば岸から落ちて水の中に落ちていた。
水は青かった。
最初は美しく着飾る女性達がたくさんいた。慕う声、笑う声。けれど腕を組み仲良くしていた姿から、一人が取り残される。背を向けられる。笑いさざめく侮る声。
思い出す。どこかで見たこの光景はまるで――子供の頃にいた学校だ。女の子たちが一人を外す、その後ろで俯くのは自分だ。
ここは子供の学校じゃない。綺麗な衣装をきて装う大人なのに、なんでこんなことをこの人たちはするのだろう。
次に光景が変わる。女の子が泣いている。
『まま、まま』『――ぱぱ、ままを たすけて』『ぱぱ!』
たくさんの声が響いている。
――ここの子達の声。無念の響き?
『ぱぱ、どうして どうして きて くれないの』
『まま しんじゃう』
あまりにも悲痛で、その子を探す。水の中で必死に泳ぐ。長い金髪の女の子が沈んでいく。その子に手を伸ばすのに届かない。助けなきゃいけないのに。助けてって言ってるのに。叫んでるのに。泣いてるのに。
――助けなきゃいけないのに!!
無情にも、水はその子を捉えるように連れて行ってしまう。
「だめ」
リディアは叫んだ。
「その子を連れていくなら、私を。私を連れて行って!!」




