48.キーファとジャイフ
「……リディア」
痛みが強くなってきたのか、リディアは額に汗を浮かべ、目を閉じてこらえる。呼びかけたがすぐにやめた。辛い時に喋らせるものではない。彼女の伸ばした手が、腹部を押さえている。
「触れても、いいですか?」
そっと手を伸ばして、腹をゆっくり撫でる。無駄なぜい肉はないが、普通の女性より筋肉がついているその身体はまろやかな膨らみがあり、こんな時なのに愛しささえ覚えてくる。
同時に苦しみがぬぐえず悔しい。変わってあげられたらどんなにいいか。
「……腰」
小さく呟かれて、身を乗り出して腰をさする。やはり男のものとは違うあまりにも華奢だ、横になると彼女の腰の美しい曲線がわかり、驚く。
戦闘に参加する際に、彼女はボディスーツという体にフィットするものを着ていたため身体のラインは見えていたが、キーファは性的な視点で見ようとはしなかった。
けれど触れてみるとわかる、彼女は鍛えてはいても、プロポーションはよく、柔らかく女性そのものの体型なのだと。
黄金の秘密のもたらす叫び声はない。ディアンが渡した痛み止め薬が効いているのだろうか。いつもよりも、痛みが出始めるのが遅いのは、紅妃の香で麻痺していたせいだろうか。
苦しそうな浅い呼吸に合わせて腰をさすっていると、部屋に気配を感じる。床をこする衣擦れと共に、妙な気配が背後に佇んだ。
「陛下の命により、参りました」
「――お前がジャイフなのか?」
彼は丁寧に腰を折り、頭を下げる。被りものと下げた頭で表情は見えない。
銀の長い髪だけが紫と銀の布地の上を滑り落ちた。
「いかにも、海嬪様。以後お見知りおきを」
「……薬を、早く」
キーファがジャイフを見下ろしたまま告げると「承知しました」との声。平坦だが、どこか冷笑を含んでいる。
そして頭を下げたまま、絨毯の上をすべるように進んでいく。まるで老婆のように低い姿だが、薬棚に立つとすくりと背を伸ばし、意外にもその背の高さに驚く。
自分と同じくらいの高さだ。それでよくあそこまで腰を低くして移動ができるものだ。
身をひそめながら影でほくそ笑むことに慣れている。
こういう者の攻撃方法は正々堂々と真正面からではない。
彼が薬を用いているのは、間違いがない。が、それだけだろうか。さらに罠を仕掛けている気がする。
先ほど、ジャイフに対して妙な気配と思ったのは何か。それが今は感じ取れない。
屈みこみ、リディアに少し離れますと囁けば、彼女が頷く。行ってくれと以外にも目に強い光を宿し、ジャイフを睨んでいる。リディアの手一度を強く握った後、その手を離してジャイフの隣に立ちキーファは尋ねる。
「それは、何が入っているの?」
垣間見えたのは、銀の壺から注がれる液体。さり気なく手元で隠しているので、キーファは横に立ち直球で尋ねる。
彼はキーファよりも背が低いがのぞいても見えない。透明な液体というだけだ。
茶ではなさそうだ。杯は碧佳宮の物だ。注ぐだけでいいのならば、既に調合してきている。とすれば、彼の住居に黄金の秘密と黄金の鍵があるはずだ。
(液状か、固形か。それらを採取する元の何かがあるはず)
今飲ませているのが原液なのか、溶解した物かはわからない。粉であれば、溶解できるほどの粒子が細かいものが必要になる。液体でも脂溶性ならば、乳化剤が必要だが、ここまで濁りがないのであれば水溶性。
施設でもない個人の部屋で、ここまで無色透明な薬剤を調合するのは難しい。
(となれば、原液か?)
覗き込むキーファには見られても構わないと言った風情でジャイフは準備する。
「痛み止めですよ」
「その成分は?」
ローブの下でジャイフが鼻で笑った気配がした。
「海嬪様は、ずいぶん碧妃様と仲良くなられたご様子。ですが、成分を聞いてお判りになられますか?」
ファズーンの側近であるとはいえ、キーファのほうが身分が高い。成分など聞いてわかるのか、という返事は礼を逸する。
他の妃嬪であればこのような態度に対して無礼をとがめるかもしれない。でも慇懃無礼にジャイフは返すだろう。
――この男は痛みを見せないとディアン達から聞いていた。罰を与えられても平気なようだが、それだけでこのような態度をとるのか。
キーファが師団から送られた人間だと既に気付いているのだろう。だからこのような態度をとるのだと気づいた。挑発されている、これは何の意味もない会話。
ただそこから得られる情報があるかもしれない。
「――碧妃様との仲は、お前には関係ない。しかし何を服用されているか、心配するのは当然。ましてやいつまでも苦しまれて、効果が表れているのか怪しいもの」
「陛下は私のことを信頼しております故。それより早く飲ませるのが先決でしょう」
「私がやります」
キーファが銀盆から杯を取り上げて、リディアの枕元へと膝を折り屈む。上から注視しているジャイフの気配を感じる。禍々しい気配だ、そう感じた。
毎夜、この男がリディアの傍に来て薬を与える。王であるファズーンはなぜコイツを傍に置いているのか。
すべてを憎んでいる、リディアも、――世界も、そう感じた。
(――この男はなんだ?)
何か彼のものではない、気配がいる。強大な幽霊や怨念に憑かれているような気がする。例えれば、魔法師が強大な存在と契約しているのと似ている。
それが――魔神なのか。
リディアの口元へと杯を近づける。解毒剤である以上与えないわけにはいかない、ディアンからも“与えておけ”と、そう命じられていた。
「碧妃様、お口を開けてください」
そう促せば、苦痛にあえぐ身を起こして口に含むリディア。それを見たあと、キーファはリディアの口元を手巾で拭う。
頭を下げて退出するジャイフに、キーファは立ち上がり声をかける。
「お待ち、ジャイフ」
「――」
無言で背を向けたままの彼を見つめる。
「メルクリッサ神に私も挨拶がしたい。今度神殿に行ってもよいか?」
「――、いつでもお待ちしております。海嬪様」




