29.蒼妃の思い
「話を遮りますが、ジャイフについて蒼妃様はご存じですか?」
「ジャイフ……ああ、星読みの神官ですね」
「ええ。陛下のお傍につねにいるから。侍従長よりも発言力がありそうで」
蒼妃はいきなりリディアが話を変えたことに驚き、ジャイフの名にはため息をついた。
「星読みの予言を大事になさるのも当然ですわ。ただ陛下は政治には口をださせないようですが」
(でも力を与えるという眉唾物の妃に関しては丸ごと信じるわけ、なの?)
それに、蒼妃のため息も気になる。
「ジャイフはそこまで発言力があるのかしら?」
蒼妃は細い指をそっと立ててあまり口を開かないようにと遮る。
「確かにジャイフの力添えで陛下が王位についたとも言われています。そのジャイフに後押しされているから碧妃様は優位とも言えますが――」
そう言って、蒼妃は首を振る。そこから先を話そうとしない。
「最後に、もう一つ聞かせてください」
彼女の返事を待つ前に、質問を続ける。
「行為のために日を選ぶことがありますか?」
どうしても、わからない。具合が悪くても発作が治まったリディアを抱くことはできるだろう。ジャイフはリディアが神託の乙女だと仕立て上げ、全てをファズーンに助言している。だから彼の仕業かもしれないと思った。
「初めて来た妃を抱くときに、星や神託で日にちを選ぶことです」
目を瞬いた後、口を押え淑女らしく顔を赤らめる蒼妃に畳みかける。ここでそのようなこと、と口を濁されたら、あきらめるしかない。
「いいえ、あの……何を聞いてらっしゃるの?」
やっぱり、そんなことはわからないのか。というよりも質問自体が通じなかったのか。けれど彼女は付け加える。
「……黄妃のように時を待っている時はありますが、ジャイフに良き日を予言させるというのは聞いたことはありません。勿論、私の知っている範囲で、実は神託を得ているというのもあるかもしれませんが」
蒼妃は、リディアの意図を理解していた。そしてまだ幼い黄妃は、行為をしていないということも。
「あの……陛下は、激しいですけれど、怖くはないので身を任せてね、碧妃」
そして、蒼妃に不意に両手を励ますように握られて、リディアは絶句した。そんなの聞いていない。や、激しいとか……あの。
それに対して、これまで寂しげに笑っていた蒼妃は、励ますようなお姉さんの顔で気合を入れてリディアに頷き返している。
「今回は、まだ深いお話はできないけれど、これから私のことは姉だと思って頼ってね。そういうのは、お泊りしてまたお話しましょう――って」
また話しましょう!? そんなお泊り会? え、妃同士で? 仰天していたためリディアは不意に寄ってきたアキが身をかがめて蒼妃に囁き、何かあったのかと察するのに反応が遅れた。
蒼妃はまあ、と顔を蒼白にさせながらも顔を険しくさせ、リディアから手を離した。
「陛下が紅妃の宮殿から出て、碧佳宮からこちらに向かっているそうよ」
紅妃の宮殿からファズーンは出てきてしまったというのか。
「誕生日でしょ、なんで?」
蒼妃の困った顔にリディアも顔を引きつらせる。また紅妃の恨みを買いそうだ。
「どうして、こちらに?」
ファズーンは赤花宮から出て碧佳宮に寄ったら、リディアがいなくて探しているといるという。
全てが裏目にでている。せめてリディアが碧佳宮にたどり着いていればマシだった。
図書館都市からファズーンがいる紅妃の宮殿を避けて大回りをしたせいで、青花宮で見つかり、ここで遭遇することになった。
「今、あなたの侍女達が探しに来たと触れがあったの。たぶん、全部の宮殿で捜索されているわ。こちらにいると伝えたから向かっているのよ」
慌てて逃げようと立ち上がる。まだ月は中天に差し掛かっていない、夜の十時前。こんなになっても、発作が来ない――。
と、突然始まった痛みに、リディアは腹を手で押さえ、九の字に身体を曲げた。
ひざを折り、円卓に手をつく。
「碧妃様!?」
「へいき、です。申し訳ありません、陛下には――」
「わかっております。私が招待したことにしておきます、アキ」
リディアが逃亡を図っていたと誤解している蒼妃は、それを庇おうとしてくれている。話を合わせるべく侍女のアキを呼ぶ。その隙にリディアは、先ほど魔法師団のディアンから渡された、黒い丸薬を一つ飲み込んだ。
袋の中にはそれ一錠のみ、その袋はもういらない。けれど物を残したら、どこで怪しまれるかわからない。腰帯の間にその小袋を入れて、リディアは床の絨毯の上で膝を折った。
アキに支えられながら、ソファに移るが、もう耐えられる気がしない。叫び声は出せない、呻いて耐える。
「碧妃様!?」
「なんでもないの、です」
痛みはまだ始まり。声は何とか出せる。それでも息が絶え絶えになる。浅い息の中、冷や汗が出てくる、吐き気をこらえる。少しは丸薬が効いているのか、叫びはまだ堪えられる。
『“痛み”と“意識”は切り離せ』
手が半分もげそうになり、胴体も何かの牙に引きちぎられ、臓器が無くなるすれすれで大けがを負っていたあの人の声が響く。
なぜ意識を保っていられるのかを聞いた時に、苦し気に息を漏らし答えていた。
ディアンは強く、どんな時でも戦闘中に意識を失うことのない人だった。幾人かの治癒魔法師がいるなか、最も魔力の相性がいい自分は彼専用の治癒を行っていたが、その驚異的な意思と強さにむしろいら立ちと悲しみを覚えていた。
けして弱さを漏らさない。自分の前でも。
そんな記憶がよぎったが、すぐに消える。真白の中で残ったのは彼の言葉だけ。
リディアはその断片を思い出し、己の中の痛みをさぐる。腹が一番痛い。そこから波及するように、痛みが全身に及ぶ。どのような痛みかと分析する。
ぐるぐると身体をかき回す、その痛みを客観的に探る。
「――招待した、とはどういうことですかな、蒼妃殿に碧妃殿」
扉から入ってきた男性に侍女たちが非難の叫び声をあげる。
「なんですか、こちらは青花宮ですよ、ヘンシュ様!!」
「無礼は承知。陛下が後に参られる、それよりもなぜ碧妃殿がここに」
わざとらしい、たぶんファズーンは既にリディアがディアンに会いに抜けたのだとわかっている。
リディアは伝い落ちる汗をぬぐって顔をあげた。
ファズーンの側近は、ジャイフとヘンシュ。
ジャイフは不可思議な力で、ヘンシュは武力を持ってファズーンに仕えている。
どちらかと言えば、ヘンシュの方がだましやすい。武芸のみに頼る腹芸のできない男、そう思ってたが、眼光鋭くいざとなれば女でもその剣で切る迫力があった。
後宮なので男の彼はここには来られない、そう思っていたがそれを侮っていた。
「他の宮を訪ねることは、禁止、されてない……はず」
「ですが、碧妃殿は持病があり、無理されるのは感心いたしませんな」
のぞき込んでくる顔を睨む。
そった髭が青々と浮かぶその顔は、歴戦の強者という様子だ。
感心しないと眉を顰め、案じる顔はリディアに忠告をしている。逃げるな、企むな、と。
ファズーンを代弁をする顔に痛みと腹立ちも堪える。いけしゃあしゃあ、というのはこういうことをいうのか。彼もまた痛みは自分たちの仕業だと知っているのか。
「――碧妃様!! 陛下がいらっしゃいました」
蒼妃が手巾で汗をぬぐってくれる。シーリの声がする。心配して駆け寄り顔をのぞき込んでくる。
「――退け」
声を聞かなくても、その存在感でわかった。熊のようなヘンシュが黙って下がる。その代わりにヘンシュよりも小柄だが、大いなる覇気を放つ存在がリディアにのしかかるように屈みこむ。
「――碧妃!」
「陛下、私がお誘いしたのです」
「お前は口を出すな!」
怒声が、蒼妃に浴びせられ、蒼白になった彼女が立ち尽くす。屈みこみながらリディアは、伸ばされた逞しく大きなファズーンの手を振り払う。
彼の手は、ディアンより大きい。肌の色は黄金色だが、今はくすんで見える。
「どなら、ないで――蒼妃は、無関係、よ」
「そんなことは、どうでもいい。帰るぞ」
有無を言わさず、リディアは抱き上げられる。肩に担がれ逞しい肩に腹部が当たり、小さな叫びをこらえると、「難しい女だ」と横抱きにされる。その手つきは丁寧だった。
入口に控える侍従長が蒼妃に頭を下げる。
毎晩、ファズーンを待っている彼女が――哀れだ。ただ立ち尽くし、呆然としている、握り締めた手巾に力が入っている。
「まって……、蒼妃に、なにかを……」
言って、と漏らせば、ようやくファズーンは振り返る。そして蒼妃を見て、頷く。
「ご苦労だった。今夜のことは、何もなかった、いいな」
彼女は軽く足を折り、ファズーンを見あげた。
「お見送りします、陛下」
すがるような眼差しに、彼は全く頓着せず足早に出口をくぐった。列の最後はヘンシュが務める。
「陛下。確かに、碧妃殿と蒼妃殿は楽しく会話を楽しまれていたご様子。慣れぬ後宮に不安を感じていた碧妃殿のいいご友人になられたのではないでしょうか」
ヘンシュが不意にファズーンに向かい声をかける。その低いながらもよく通る声に、ファズーンが振り返る。そして蒼妃を見て頷く。
「ならば、今後もよい話し相手になってくれ、蒼妃」
青ざめていた蒼妃の顔に血の気が戻り、慌てて頷く。その顔は声をかけられて涙ぐんでいるかのよう。一心にファズーンを見ている蒼妃を、ヘンシュはちらりと見て満足げに笑った。
その光景を見て、リディアもヘンシュから蒼妃への想いの断片が見えてしまった。




