16.ジャイフ
立ち塞がるジャイフと呼ばれた男を、ディアンとディックは見つめていた。ジャイフは顔に梳ける面紗と肩掛けを羽織っているが、垣間見える長い銀髪と銀の目から隠していてもかなりの美形と思われた。
纏う衣装で身体の線は見えないが、物腰は優雅にも見え、体格からも明らかに二人より武力は劣る。
――だが、纏う雰囲気が妙に人間離れしている。覇気というよりも、得体のしれない忍び寄る影のような感じで、不気味だった。
「ジャイフ・メクダシ。陛下の星読みをしております」
「随分奇妙な技だな。魔神使いはお前か?」
ディアンが問いかけても顔を伏せて、それには答えない。そのヴェールの下で、何を考えているかなど予測しなくてもわかる。微かな笑いの空気の揺れを感じた。
ただここで笑うのは優位性からか、何に対して愉悦に浸るのかがわからない。
ジャイフは、“魔神”の言葉には何も答えない。所詮こちらもはったりだ。まだそれについては何も掴めていない。見えない何かがいた、それ以上がわからない。
――魔法も思うようには展開できなかった。あまりにも探りにくい。こいつらの正体も、リディアの置かれた状況も。
リディアの拒絶は、予想以上に辛かった。そのせいで冷静さを失った、戦闘に私情を挟まぬように訓練を積んできたにも関わらず、全く正気を保てていなかった。
(クソったれは、自分も同じだ)
苦さと嫉妬、こいつらへの憎しみ。こめかみが引きつると、それに感づいたようにジャイフが立ち上がり目を向ける。
「それでもお見事でしたよ」
「お前に言われたくない」
魔法が効かなかったことを、含み笑いで揶揄される。称賛ではなく冷笑を含んだ上からの目線に何度殺してやっても足りない。だが、その“殺してやる”魔法が通じない。
(それとも何度か死んでも生き返っているのか?)
そういう奴もいる。だが、コイツからは死の匂いがしない。
――リディアを奪還するのは造作もないはずだった。
だが見えない鎖でリディアが囚われていた。しかも檻の中にいるという二重の拘束。そこを無理に破れば、本人が壊れる。
リディア自身がその気になれば中と外から拘束を破るという荒業も可能かもしれないが、彼女は記憶を失っていた。演技じゃない、他人を見る視線だった。
舌打ちの代わりに、目の前の男を睨む。
リディアのすがる眼差しはディアン自身ではなく、誰でもいいから助けてくれ、と言っていた。これまでのリディアじゃない、自信なげで、頼りない少女。それにこちらも混乱した。
ディックも守りが精いっぱいで、攻撃に転じることができていなかった。
けれど、そういう時こそ、傍にいてやりたいのに。引き寄せ、お前はどうしたんだと言い聞かせるのがこれまでのやり方。
だが、あまりにも弱っているから、落ち着かせたかった。
(こんな時に、アイツと引き離されて俺は何をしているんだ?)
「“魔人の呪い”だと? 魔神使いのくせに、白々しい茶番に付き合わせるな」
陽炎のように巨大な手が微かに見えた。アレが何かはわからないが、対魔獣戦闘部隊の長としてわかるのは、魔獣ではないということだけ。
辻褄が合うのは、魔人だの神だのと言いながら、魔神を呼び出している元凶の癖に、呪いから守るという矛盾でこちらを躍らしているマッチポンプだ。
ただ、リディアの怯えは本当だった。何をされているのか。あの不気味な手で襲われているのか。あれぐらいの戦闘には怯える女じゃない。
事実、戦闘を見届けていた。ただ、言葉に怯えを見せた。
「何を、している。――リディアに」
それに、今度こそはっきり笑みを見せて、ジャイフは告げた。
「碧妃には、黄金の秘密用いさせてもらいました」
「なっ……」
「この……」
ディアンとディックが声をあげたのは同時だった。クソも野郎との言葉も出てこない、それより先に身体が動いた。
壁に押さえつけて、胸を掴み上げ腹を蹴る。
ディックが一瞬の放心から抜け出して拳を握り締めたのを、背後で感じた。奴の顔を殴り、骨を折ろうとした時に、ジャイフは痛みなどなさそうに、不気味に笑う。
「――お忘れですか? あの毒は双翼のものだということを」
ディアンは一度その胸から手を離し、それから手掌で喉を掴んだ。
「言って、みろ」
もちろん知っている。知っているからこそ、恐ろしいものだとそのおぞましさに怒りで身体が震えた。
まだ首は絞めていない、息ができる程度には力を抜いていた。だが即座に喉を潰すと、全身で、目で伝える。
「黄金の秘密と黄金の鍵。碧妃にはそれを毎夜二週間。劇薬に侵された身体はもう手遅れですよ」
ディアンはその身体を放りなげ、肩を踏みつける。痛みつけられても笑うその顔には、どんな魔法をかけても通用しない気がした。
(こいつは、痛覚がないのか?)
怒りで頭が沸騰する、上半身が熱くなり、手足が冷たくなる。
“黄金の秘密”と“黄金の鍵”は一対の劇薬だ。“黄金の秘密”は一滴で激痛を伴う、しかし中毒性があり激痛を伴うとわかりながらも服薬を止められない。
そして、“黄金の鍵”は唯一の鎮痛剤。“黄金の秘密”は二十四時間で中毒症状がでるため、激痛を伴うとわかりながらも乞うようになる、その激痛の中では、今度は痛みを消してほしいと“黄金の鍵”をねだるのだ。
激痛を与え続けながらも禁断症状で乞う、人を操りむしばむ災厄の劇薬。
魔法師団は毒にも精通している。が、その解毒剤の解明はできていない。さらに何ミリ単位でも扱いを間違えば死につながる恐ろしい薬、それをこの男は扱ったというのか。
「リディアに、使ったのか……」
歯が鳴る。殺してやる、と喉の奥か、もしくは本当に呟いたのかはわからない。ミシミシと宮殿が鳴る。壁が軋み、家具が浮かび上がる。ぐしゃり、と音をたて机や
椅子がディアンを中心に放射状につぶれ、陶器が弾ける。
踏みつけた男の肩がつぶれる音がした。頭上に、大きな手を持つ何かの気配を感じたが、それが即座にはじける。
「――私を、殺せばあの娘は死にますよ」
「ならば解毒剤を出せ」
「――ありません。知っているでしょう」
「なら死ね」
ディアンは手のひらに剣を出現させた。ディックだけではなく、己も剣を持っている。それを翳したとき、ジャイフは笑った。
「何をしようと、あの娘がここであれを飲み続けなければいけないのは事実。それを認めたらどうですか」
「連れ戻して、こっちで治療する」
「一日やそこらで、解毒できると? 私がいなければ彼女に薬を調合する者がいなくなりますが」
ディアンの手をディックが掴む。
「止めるなよ、ディック。コイツを殺してリディアを連れ戻す」
ディックは顔をあげなかった、ただ全身が震えていた。押し殺し、震え低く絞り出したような声は己にも言い聞かせるようなものだった。
「今は、こいつの手を潰すな。後で、全身を砕けばいい」




