15.謎の力
不意に訪れた静寂。尊大に顎をあげ腕を組み、その様を見据えていたのは、黒髪の彼だ。微動だにせず、視線だけで手を焼いたようだった。
焼かれた巨人の手が消し炭となり、空中で黒い塵の余韻を残し流れていった。
二人の男性とも、あの手が見えていなかった。ただ何かがいるのを察知して連携で倒していた。
そして黙したままの黒髪の男が、ファズーンを底光りのする目で見据える。
「次は、どの手で来るつもりだ? それとも終わりか」
戦士風の男が前へいざり寄る。ファズーンとリディアの目の前に立ち、彼らの姿を隠す。
それでもリディアはファズーンを押しのけて彼らの姿を視界に収めようとした。
武装の男は簡易だが装具をつけ、熊のような体躯だ。
謎の術を使うファズーン、そして剣に手をかける戦士風の男、王宮の外は兵士に包囲されている。彼らにはあまりにも分が悪い。
「ヘンシュ、下がっていろ」
ファズーンは自分を守るように、前に出ていた髭の男を下がらせる。
枯草色の髪の彼も痛めた肩から手を外し、前かがみで態勢を整える。
「少しは、やるようだ」
ファズーンが彼らに目を固定しながらも、前に出たリディアの手首をつかみ引き寄せる。
足でたたらを踏んで振り向きざまに睨み上げると、まるで舞踏のように腰に手を巻き付けてきた。
「細い腰だな」
こんな時にそんなことを言う。空いている手でひっぱたこうとすると、低い声が響いた。
「――死ね」
枯草色の髪の彼が、呪いをかけるように悪態をつくと、ファズーンの背後の柱にひびが走る。ピシ、という音と共に、天井にも亀裂が走る。
さらに黒髪の男の足もとからファズーンの前まで、一直線に床に亀裂が走った。
ジャイフがいつのまにかいざり寄り、両手を掲げ手のひらを広げる。まるで何かの術のように、柱も、床の亀裂もファズーンの直前で止まる。
奇妙な光景だった。二人の彼らは動。ジャイフは静。ごり押しをしても、かき消されてしまう。
二人が苛立っているのが感じられた。リディアにもわかるのだから、ファズーン達もそうだろう。
「ファズーン・ヴァハラ。将軍。庇われていないで自分も闘ったらどうだ」
(ジェネラル?)
黒髪の男性が冷ややかに言えば、ファズーンは口元に挑戦的な笑みを浮かべた。
「極上の女を目の前に、闘いを選ぶ馬鹿がいるか」
挑発的に応じたファズーンの言葉が空気に溶け、その場が凍った。
黒髪と枯れ葉色の髪の彼は挑発にムッとしたようだし、ファズーンはそれに満足している。
極上の女は自分のことだとわかった、でもただの引き合いだ。リディア自身も褒められたわけでないとわかるから、腹が立つ。褒められたとしても、好きでもない相手からでは嬉しくない。そもそも、そんなことを言う相手は好きにならない、と思う。
冷え切った空気に、案外素直にファズーンがリディアの手首を離した。ちらりと見た手は赤くなっていたが、それを彼らに見せたくなくて、リディアは背後に隠した。
「確か、探している者がいる、と言ったな。違うと証明しよう」
黙り込む二人が睨むまま、彼は手首の代わりにリディアの腰に手をまわしかきよせ、横髪に顔を埋める。さらに殺気が強くなる。
「我が妃が、貴様らに聞きたいことがあるようだ」
黒髪の彼は、顎をあげただけ、枯草色の髪の彼は拳を握り締める。二人の前腕と肩の筋肉が動いた。
彼らの動きから次の攻撃に転じようとしているのかわかる。こんなに遠いのにそれを察することができる。
でも、彼ら自身がわからない。
「リディア、質問しないのか」
ファズーンが耳朶を食むような近さで笑みを含んで問う。彼らにこんな姿を見られているのが嫌だ。
でも、彼らを見ていたい、なにかを思い出したくてファズーンの近さを忘れ、リディアは食い入るように彼らに目を凝らす。
黒髪の彼だけではなく、枯草色の髪の彼も知り合いなのだろうか。
でも、記憶の片隅にも――かすらない。『リディア』と二人は呼ぶ、その声は切実で必死なのに。
ファズーンのように、知りもしない幻想の自分を呼ぶ声と違うのに。二人とも自分を知っているのに。なのに、わからない。
ファズーンをおしのけると、意外にも彼はリディアを離した。
二人を見据える。聞きたいことは沢山ある、自分は誰で、何をしていたのか。彼らとはどういう関係か。
――でも、質問を一つだけに絞るなら。自分のことよりも――知りたい。
「――名前を教えてください。二人とも」
言えば、彼らの目がまた見開かれる。驚き、そして愕然としている。「……嘘、だろ」と枯草色の髪の彼が呟く。
黒髪の彼は、昨晩の衝撃から立ち直ったのか、何も言わずにリディアをみつめるだけだった。まるで思い出せ、と尊大に言い放っているかのようだった。
「ディアン・マクウェル。お前の――」
それでも黒髪の彼の口が開くと柱が一つ崩れ音をかき消す。
これまでの闘いで部屋が壊れたわけではない。
横目で見ればジャイフが頭を下げたまま、あざ笑う気配を感じた。
ディアンの大きな舌打ちが響く中、もう一人の男性が前のめりにリディアに詰め寄る。
「――ディック・リトラ。なあ、嘘だろ、リディア。お前とは子供の頃から一緒だったんだぞ」
素早く言ったせいか、内容がさほど重要じゃないと思われたのか、何も起きなかった。
「私は――」
息せききって、リディアは胸に手を当てて声を発する。何を言いたいのかわからない、でも何かを言いたい。
「そこまでだ、リディア。で、思い出したか?」
それを遮るファズーンの呼びかけ。それには答えずにひたすら熱い視線を向ける彼らを見つめるのに、何もでてこない。
そんな名前は知らない。考えるほどの頭の中から零れ落ちていくようだ。奇妙なものに感じてきてしまう。首元でファズーンが笑う。
「碧妃は俺のものだな。帰れ」
ファズーンが手を彼らに向かい、一振りする。けれど凝視はやめられない、ディアンという男性から目が離せない。
「……ディアン」
口先で転がすように呟くと彼が目を見開いた、リディア、と彼の口が動いた気がした。
立ち上がったファズーンが背後に立ち、腰をリディアに触れさせる。横から顎に手を回される、まだディアンを見ていたのに顔が無理やり回されて、唇が彼の口で塞がれた。
思わず、振り上げた手は自分と彼の身体に挟まれて動かせなくなった。
「んっ…は」
離して、と言いかけた口には舌が差し込まれる。離そうともがいた腕は厚い胸で塞がれている。蹴ろうとした足も、挟み込まれている。
どうしようもなくされるがままだったのは、わずか。
身をすくませるような熱いエネルギーが通っていく、ヘンシュと呼ばれた男が剣を抜き、見えない力を切り裂くような動きをした。
その見えざる力はリディアの頭上で爆発して、焦げ臭い音と共に、くすぶった灰となり宮殿の壁をぶち抜ぬいていた。
ファズーンのこめかみからは血が滴っていた。それがリディアの衣装に垂れて、胸元に赤い染みを作る。
「外したようだな」
「――まだまだだ」
ディアンの身体が揺らぐ、それは熱なのか。彼の姿が蜃気楼の中にいるようだった。そしてディックの腕には透き通る蒼い剣が握られている。
長剣を構えるヘンシュが二人の前に立ちはだかる。すっかり戦闘態勢になった彼らの中、ファズーンだけがリディアを抱き余裕の笑みを浮かべているだけ。
ファズーンを押しのけようとしたが、彼の腕からは逃れられない。いつも思う、彼は相当な力で拘束してくる。
「離してっ!!」
「――碧妃には、魔神の呪いがかかっている」
抱きしめられたまま、半身をねじりディアンとディックを振り返り見れば、彼らはその言葉に動きを止めた。
「メルクリッサ神から遣わされた妃。それを妬み魔神が日々彼女をさいなむ。この結界の中では生きられない」
「そんなことでひるむと思うのか」
ディック、と呼ばれた彼が鼻の頭にしわを寄せて吐き捨てる。
「そんな呪い、こっちで解いてやる」
そう言って向けた瞳がリディアを見て、揺れた。リディアは強張った顔を隠せなかった。
「碧妃。夜のことを言えばいい。どのようなものか、奴らに伝えて、訴えればいい」
彼らがリディアをまた凝視している。探り、そして見透かされるようで、逸らしたくなる。ディアンが言った。
「言え。リディア」
リディアは、わずかに首を振った。口にできない、そんなこと言いたくもない。
あの痛み――。
その痛みに耐える間にファズーンの身体に、手に支えられ救われている。
ここから離れられない。薬がなければ――耐えられない。
「碧妃はもう、そちらでは生きられない。諦めることだ」
「おい、リディア、何があった!?」
後ずさると、ファズーンの胸に背中がふれた。抱きしめられても振り払えなかった。
もう一度彼らを見る。ディアンの瞳、それからディックの声。――全く思い出せない。欠片さえもない。
「奴らを思い出せないのならば、話は終わりだ」
肩を抱かれて出口へと追いやられる。未練がましく何度も振り返るとジャイフが彼らの間に立ち塞がるようにしていた。
「ジャイフ、後は任せる」
「お任せ下さい、陛下」
二人のやり取りは、別世界への仕切りのようだった。そちらにはもういけない。
「リディア! ……キーファは重傷だ。まだ起き上がれない」
ディックの叫びにリディアは振り返る。
「お前の大事な生徒だ。お前を庇って下敷きになった、それさえも覚えてないのか!」
非難の響きに、足が止まる。
――生徒? 立ちすくむとファズーンの色違いの目が見下ろし怒りを宿す。
「二度目は言わせるな、終わりだと」
「このっ」
腕をねじられて連れ出される。そちらを見ようとしても、後ろのヘンシュの身で視界は隠されてもう姿は見られなかった。




