8.着飾ること
「ご挨拶?」
はい、とシーリがリディアの髪を整えながら頷く。いつもならばどうしますか? と尋ね、適当にと言えば、なるべく緩く結んでくれるのに。
「現在、皇后様はいらっしゃいませんけれど。紅妃様がそれを担って、毎朝妃嬪の方々は、赤花宮に参られるのです。碧妃様は来たばかりと免除されていましたが、お招きが来まして――」
「ああ――」
そいうことなのか。すっごく面倒で、行きたくない。
(でも、仕事と思えば――割り切れるかな)
毎朝の朝礼、または定例会議みたいなもの。通常送るであろう日常生活や道具の名称は覚えているのに、自分のことは全く覚えていない。
けれど、時々何かがよぎる。以前はこんな生活をしていなかったのに、とか。なのに、それはパッと消えてしまう。
「碧妃様?」
「――いつかは、行かなきゃいけないのよね」
「――はい」
たおやかなシーリが申し訳なさそうに眦を下げた。いつかこんなところから逃げ出すから、顔見知りは少ないほうが良かったけれど。
「なるべく、簡素な格好にして頂戴ね」
張り切ったのはペトラだった。それなりの格好をしなくては失礼だと言うのはわかる。
でも招いた主人よりも華美になってはいけないとのシーリの助言に同意見だ。
「紅妃様は碧妃様と格は同じだから、もっと飾り立ててもいいのに!」
「ペトラ!」
シーリが小声で窘める。ペトラは明るくて元気だけど、思ったことを軽々しく口にしてしまう性格だ。いつか、これで痛い目をみそうだ。
その時には、主である自分が責任をとることになる、既にそれは読めていた。
(でも自分のほうが頼っている日々だから、注意できないし……)
そもそも、この子って本当に“無邪気”なのだろうか?
「だって、碧妃様のほうが、ご寵愛が深いのよ!
(ちょっとヤバいな……)
それにはシーリも気づいているようで、リディアに目を伏せて謝罪をする。
「ちょ、待って。ペトラ、簪多いから」
普通だったら、髪飾りは一つで十分。なのに、二十個ぐらい出すから選ぶのかと思えば、全部挿す気らしい。誕生日ケーキの蝋燭じゃないんだから!
「陛下から毎日届く贈り物ですもの、全部飾り立てないと」
すでに、部屋の一つは衣裳部屋。棚にはたくさんの首飾りや、耳飾りに腕輪、簪。
「碧妃様はまだ髪が短くて、結い上げることもできないし、とても珍しいお色だから付け髪もないし残念です……」
肩より少し長めの髪を、まだ短いと言うペトラ。一体どのくらい伸ばせばいいのだろう。
そもそも伸びるまでここにいる気もない。
本当は何もつけたくない。並べられた飾りは見事な細工物だと思う。一番ファズーンが送ってくるのは翠玉のアクセサリーだ。
髪飾りも耳飾りも首飾りも、揃えたようなものもあれば、単体でつけるものもある。
名前も知らない煌めく石を連ねたペンダントもあるし、翠玉を花びらにして重ね、中央には黄色の花芯を飾った見事な細工もある。
見惚れてしまうものばかりだけど、あの人からのものだと思えば手にする気にもなれない。
それ以上に、飾り立てる自分がイメージできない。
たぶん、そんな身分の女性ではなかったのだろう。もしくは、そんな階級がある世界にいなかった。
「何もつけなくていいから」
「とんでもない!……飾らないなんて笑われてしまいます」
「笑われてもいいの。そんなものだと言われて、見下されるくらいのほうがいいのよ」
後宮というものは嫉妬渦巻く伏魔殿だと想像できる。見たことも入ったこともないし、記憶さえもないくせに、リディアにはわかっていた。
ならば、侮られているくらいが丁度いい。
「碧妃さまは、一番溺愛されているのに」
リディアはまだわからないペトラに内心ため息をついた。ここでは、常にマウントを他人にも自分にも見せて競う場所。でも、そんなことに興味はない。
「確かに着飾るのは大事だわ。品位を保つため」
身だしなみも、お洒落もそれらしい自分を保つため。楽をするのも気を抜くのもありだが、その先はだらしなさにつながる危険がある。
「それに自分のテンションをあげるため。そして相手に敬意を示すため」
レセプションやパーティは招待してくれた相手に敬意をしめす格好をする必要がある。だから今回は紅妃に敬意をしめすために、ある程度の格好は必要だろうけど。
「その簪と、首飾りでいいわ。相手に見せつけるために着飾る必要はないのよ」
行動が、後の自分の首を絞めることになってしまうから。




