↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
42/51

第三十九話 止まらないもの


熱は下がらなかった。


「四十を超えた」


医師が患者の瞼を持ち上げる。


呼びかけへの反応は鈍い。


額から首筋へ、絶えず汗が流れている。


「エルヴェ」


「はい」


「考えるのはいいが、こっちは待ってくれない」


医師は患者を示した。


「解熱薬を使う。水枕も入れたい」


ルーエルは顔を上げた。


「魔力に作用する薬ですか」


「しない。熱を下げるだけだ」


「お願いします」


「水分も足りない。これだけ汗をかいてる」


「意識が落ちています」


「だから口からは入れない」


医師はすでに次の指示を出していた。


職員が動く。


薬。


冷却。


水分。


原因はまだ分からない。


それでも、今できることはある。


ルーエルはもう一度患者の手首へ触れた。


自分が考えている間にも、患者の身体は消耗している。


なら。


急がなければならない。


*


机の上には二つの記録が並んでいた。


魔力量――低下。


魔力反応――亢進。


エリオがそれを見ている。


「どちらかが間違っているんでしょうか」


「僕も最初はそう思った」


「違うんですか」


「分からない。でも、量は二度測った」


ルーエルは患者を見る。


「反応のほうも、間違いとは思えない」


高熱。


震え。


速い脈。


そして、全身で激しく動いている魔力流路。


「じゃあ」


エリオが言った。


「どっちも合ってる?」


「そのほうが困るね」


「困るんですか」


「考えることが増えるから」


横から医師の声が飛んだ。


「楽しそうに言うな」


「楽しんではいませんよ」


「知ってる」


短く返される。


ルーエルは紙へ目を戻した。


魔力が多い。


だから流路が激しく動く。


今までなら、その二つは同じ方向を向いていた。


けれど。


もし。


量と流れが、別のものなら。


*


患者の職場から人が来たのは、それから間もなくだった。


同じ工房で働いている男だった。


作業着のまま走ってきたらしい。


袖口に細かな石の粉が残っている。


「親方は?」


「まだ意識が戻っていません」


医師が答えた。


男の顔が強張る。


ルーエルは椅子を勧めた。


「扱っている魔石について聞かせてください」


「魔石?」


「最近、種類が変わりましたか」


男は少し考えた。


「ああ」


「いつ?」


「ひと月くらい前です」


ルーエルの鉛筆が止まった。


患者が疲れや寒気を訴え始めた時期と重なる。


「どんなものです?」


「東から入ってきたやつです。安いんですよ」


「以前のものとは違う?」


「質が悪いわけじゃないです。ただ、妙に扱いやすい」


「扱いやすい?」


「魔力を通したときの癖が少ないっていうか」


男は言葉を探した。


「馴染むんです」


「魔力が?」


「たぶん。俺も使いましたけど、前の石よりずっと楽で」


「あなたに体調の変化は?」


「ないです」


「他の人は?」


「聞いてません」


一人だけ。


なら、単純に石そのものが有害という話ではなさそうだった。


「同じ魔石はありますか」


「持ってきました」


男が腰の袋を外す。


布の上へ、小さな石が転がった。


淡い灰色。


磨けば綺麗なのかもしれないが、見た目には特別なところはない。


ルーエルは触れずに眺めた。


「エリオ。魔力を入れずに見て」


「はい」


エリオが石へ手をかざす。


しばらくして、首を傾げた。


「弱いですね」


「どのくらい?」


「ほとんど残っていません」


工房の男が頷く。


「そういう石なんです。加工しやすくて」


「少しだけ流してみて」


「僕が?」


「うん。少しだけ」


エリオが魔力を送る。


石が淡く反応した。


「……あれ」


「何?」


エリオが手を離す。


「変な感じがしない」


「変?」


「普通は、もう少しありますよね。押し返されるとか、散るとか」


ルーエルも見ていた。


魔石には、それぞれ癖がある。


魔力を留めやすいもの。


散らしやすいもの。


特定の性質と馴染みやすいもの。


けれど、この石は。


入ってきた魔力を、ほとんど妨げない。


「馴染む」


ルーエルが呟く。


工房の男が頷いた。


「そう。それです」


*


「石に吸われていた?」


エリオが言った。


救急室へ戻る途中だった。


「可能性はある」


「だから魔力が減った?」


「それなら、寒気や疲労は説明できる」


魔力を失った。


だから身体が冷える。


疲れる。


震える。


患者がひと月ほど前から訴えていた症状とは合う。


「でも」


エリオが言う。


「今の状態は説明できない」


「うん」


ただ魔力が減っただけなら。


魔力欠乏になる。


流路の働きも弱くなる。


ところが患者は逆だった。


「それに他の職人は平気です」


「それも分からない」


同じ石を扱っている。


同じ工房で働いている。


なのに、この患者だけ。


「前にも魔力過多になってるんですよね」


エリオが言った。


ルーエルは足を止めた。


「三回」


「関係あります?」


分からない。


だが。


ルーエルはそれも紙へ書き加えた。


今は捨てない。


*


救急室へ戻ると、医師が患者の脈を取っていた。


「熱は?」


「少し下がった」


「薬が効いた?」


「たぶんな。まだ高いが、さっきよりはいい」


水枕も交換されている。


「水分は」


「入れてる。そっちはどうだ」


「魔石が変わった時期と、症状が出始めた時期が一致します」


「原因か?」


「まだ分かりません」


「そうか」


医師はそれ以上聞かなかった。


ルーエルは患者の腕へ触れる。


熱はわずかに下がっている。


けれど。


魔力流路は。


「変わってない」


「熱が下がっても?」


エリオが尋ねる。


「うん」


ルーエルはもう少し深く見る。


全身。


胸。


腹部。


四肢。


どこも激しく動いている。


そこで、ようやく違和感の形が見えた。


魔力が多いから騒いでいる。


そう思っていた。


違う。


「……流れてる」


「え?」


「ずっと」


患者の腕から胸へ。


胸から腹部へ。


腹部から脚へ。


わずかな魔力が、休みなく巡っている。


量は少ない。


なのに。


流れだけが速い。


「魔力過多だと、こうならないんですか」


「なる。でも」


ルーエルは自分の手を見た。


「余っているから流れる」


それが普通だ。


今は違う。


「この人は、流すものがないのに流してる」


エリオも患者へ手をかざした。


しばらく黙る。


「……本当だ」


流れている。


少ない魔力を。


何度も。


何度も。


全身へ送り続けている。


「だから減る?」


「かもしれない」


「減るから、もっと流す?」


ルーエルは首を振った。


「逆かも」


「逆?」


「減ったから流れてるんじゃない」


患者の流路を追う。


止まらない。


「流れ続けてるから、減ってる」


エリオが黙った。


それなら。


熱も説明できる。


全身の魔力流路が休まず働いている。


身体が消耗する。


魔力も消費する。


なのに。


止まらない。


「どうして止まらないんです?」


「それが分からない」


でも。


少なくとも。


見るべきものは変わった。


量ではない。


流れだ。


*


ルーエルは、もう一度魔石を持ってきてもらった。


今度は自分で触れる。


ほんの少しだけ魔力を流す。


抵抗がない。


驚くほど滑らかに入っていく。


手を離す。


そこで終わる。


自分の身体には何も起こらない。


「先生は平気ですね」


「うん」


エリオも平気だった。


工房の他の人間も。


なら。


石だけが原因ではない。


石と。


この患者の何か。


「前に三回」


ルーエルが呟いた。


「何です?」


「魔力過多」


患者は以前にも三度、魔力過多を起こしている。


そのたびに。


余分な魔力を外へ出した。


身体は何度も。


大量の魔力を流した経験がある。


そこへ。


抵抗のほとんどない魔石を、毎日扱った。


「……癖?」


「癖?」


「流路に」


そんなことが起こるのか。


知らない。


聞いたこともない。


でも。


人の身体には、繰り返せば変わるものがある。


筋肉。


呼吸。


姿勢。


魔力流路だけが、絶対に変わらない理由もない。


「何度も同じ流れを作ったから」


エリオが患者を見る。


「戻らなくなった?」


「まだ仮説」


ルーエルはすぐに言った。


決めつけない。


でも。


試すことはできる。


*


「魔力を少し入れたい」


医師が眉を寄せた。


「さっきは入れないと言ってなかったか」


「全身には入れません」


「どのくらい」


「ほんの少し。腕だけ」


「目的は?」


「流れを見る」


医師は患者を確認した。


「危険は」


「あります」


「どんな」


「入れた魔力まで一気に流し始めたら、反応が強くなるかもしれません」


「止められる?」


「すぐなら」


医師は少し考えた。


「量は最小限」


「はい」


「脈が上がったら即中止」


「はい」


「やれ」


ルーエルは患者の腕に触れた。


「エリオ、見てて」


「はい」


指先から。


ほんの少し。


健康な人間なら気にも留めないほどの魔力を流す。


患者の腕へ入る。


一瞬。


何も起こらない。


次の瞬間。


「……!」


エリオが息を呑んだ。


腕の流路が跳ねた。


入れた魔力を留めない。


一気に先へ送る。


肩へ。


胸へ。


そして。


全身の流路が、それを追うように反応した。


「止めます」


ルーエルはすぐに手を離した。


「脈、上がった」


医師が言う。


「もう入れるな」


「はい」


ほんのわずかな魔力だった。


それすら。


身体は留められなかった。


ルーエルは患者の腕を見る。


「……そういうことか」


「分かったんですか」


「うん。少し」


魔力が足りない。


それは結果だ。


この患者に起きていることは。


その前。


「流すことを」


ルーエルは呟いた。


「やめられないんだ」


エリオが患者を見る。


「じゃあ、魔力過多じゃない」


「うん」


「魔力欠乏でもない」


「それも結果としては起きてる」


でも。


病気そのものではない。


ルーエルは新しい紙を出した。


魔力量――低下。


魔力反応――亢進。


その下へ。


三つ目を書く。


魔力流路――持続亢進。


しばらく、その文字を見る。


北では。


流れないものを、どう通すか考えた。


今度は。


逆だ。


流れ続けるものを。


どう止めるか。


ルーエルは患者を見た。


「止められれば」


エリオが顔を上げる。


「治せますか」


「まだ分からない」


ルーエルは答えた。


それから、もう一度紙を見る。


「でも、やることは見えてきた」


今度は。


流れを作るのではない。


流れ出ていくものを。


留める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。