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十八歳の新米女領主ですが、毒舌なイケオジ執事が甘やかしてくれません~元諜報員の教育係と始める辺境領地改革~  作者: 明石竜


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第四話 毒舌執事の裏の顔

 翌朝、リディアが応接室に入ると、テーブルの上には二冊の領務録が並んでいた。

 一冊は昨日まで読んでいたエルヴァルト家の領務録。もう一冊は、薄く表紙が傷んだ別の冊子だった。グレイアスがすでに椅子に座り、その二冊を並べて見比べていた。

「おはようございます」

「おはようございます、お嬢様。七時ちょうどです」

「今日は遅れませんでした」

「ご記録として」

 リディアは席に着き、新しい冊子を手に取った。

「これが、ラナさんの記録ですか」

「昨夜のうちに写しを届けていただきました。ラナ殿は几帳面な方で、日付と量と品種が整然と記録されていました。そちらと、こちらのケッセル商会との取引記録を照らし合わせてみてください」

 グレイアスからそう言われると、リディアは二冊を並べた。日付を合わせて、数字を追う。最初は問題がないように見えた。納品量が一致している。一致している。一致している。

 止まった。

「……この日」

「どの日でしょうか」

「先月の十七日。ラナさんの記録では、ヴェルタ草が十二束と記録されています。でも商会の領務録では、十七束になっています」

「五束の差です」

「これだけなら記録の誤りかもしれません。でも」

リディアはページを繰った。

「三週間前も。ここでは商会の方が八束多い。その前の月も……」

 数字を追うにつれ、差が積み重なっていった。

「全部、商会の方が多い」

「さようです。ラナ殿の記録と照合すると、この八か月で、領務録上の数字の方が実際の納品量より合計で百四十束ほど多くなっています」

「百四十束……それだけの薬草が、どこから来たのですか」

「それが問題でございます」

 グレイアスは椅子から立ち上がり、窓の外に目を向けた。

「昨日、ロロが反応した荷馬車のことを覚えていらっしゃいますか」

「はい」

「ケッセル商会は、エルヴァルト産の薬草を正規品として各地に売っています。しかし、エルヴァルト産は品質が高い分、価格も高い。もし商会が別の産地の安い薬草を仕入れ、領務録の上ではエルヴァルト産として出荷しているとすれば」

「品質の悪い薬草が、エルヴァルト産の名前で売られている?」

「可能性の話ですが。薬草の品質が落ちれば、薬の効きが変わります。最悪の場合、害が出ます。商会はエルヴァルト産の高値で売りながら、安い薬草の差額を懐に入れている。領務録の数字を多く見せることで、その差を正当化している」

 リディアは二冊の領務録を見つめた。

「これは、証拠になりますか」

「状況証拠にはなります。ただし、これだけでは足りません」

グレイアスは振り返った。

「商会は記録の誤りだと言えばそれで終わりです。実際に別産地の薬草が混入している物的証拠が必要です」

「昨日の荷馬車の中身を確認できれば」

「領主の権限があれば、商会の荷を調べることは可能です。ただし」

「ただし?」

「今動けば、相手に気づかれます。商会が荷を隠すか、証拠を処分するかもしれません。それに」

グレイアスは少し間を置いた。

「ケッセル商会の背後に、別の者がいる可能性があります」

 リディアは顔を上げた。

「別の者、とは」

「まだ確認中です。今日のところは、ここまでにしましょう」

 グレイアスは領務録を閉じた。話を終わらせるような、静かな動作だった。

 リディアはそれ以上聞かなかった。聞いても、今すぐ答えは出ないと分かっていたからだ。


 午後、リディアが廊下を歩いていると、声が聞こえた。

 中庭の方から。低い男の声が二つ、言い合っている。

 一つはグレイアスの声だと分かった。もう一つは、聞いたことがなかった。

 リディアは廊下の窓から中庭をのぞいた。

 グレイアスと、大柄な男が向き合っていた。年は五十を超えているだろう。がっしりとした体格で、古い革鎧を着けている。顔には深いしわがあり、顎には無精ひげが混じっていた。

「グレイ。お前が動いているのは分かっている。だが、それで何が変わる。領務録を読んだところで、冬は越せない」

「変えることを試みなければ、変わらないでしょう、オルド」

グレイアスが穏やかに返した。

「試みる? お前は王都仕込みの頭でいろいろ考えるのは得意だろうが、実際に兵を動かすのは俺だ。俺の部下には家族がいる。失敗したときに困るのは、俺の下の連中だ」

「それは分かっています」

「だったら、あのお嬢が領務録を眺めたところで冬は越せないと、正直に言え」

 リディアは窓から離れなかった。

 オルド、という名前には聞き覚えがあった。領務録に領兵隊長として名が出てきた男だ。

「お嬢様は領務録を眺めているのではありません。読んでいます。違いは申し上げました通りです」

「同じことだ。どうせ王都のお嬢様は、現実を見たらすぐに嫌になって帰る。先代のときもそうだった。中央から視察に来た連中は、みんなそうだった」

「先代のご息女は、先代ではありません」

「見た目は分からんがな」

 グレイアスは答えなかった。短い沈黙があった。

「……見ておいてください」

グレイアスはそれだけ言った。

「眺めるだけでは終わらせない、とおっしゃっています」

「そういうことを言うのは、誰でもできる」

「さようです。ですから、言葉ではなく、ご覧いただくしかありません」

 オルドは鼻を鳴らした。それ以上は言わず、中庭を横切って建物の裏へ歩いていった。

 グレイアスはしばらく中庭に立っていた。

 リディアは廊下を離れた。


 夕方、リディアは応接室でグレイアスと向き合っていた。

 今日一日で分かったことを整理するための時間だった。グレイアスが昨夜どう動いたか。何を調べたか。どこまで証拠が集まりそうか。

 話が一段落したところで、リディアは言った。

「グレイさんは、昨夜のうちにラナさんへ連絡を取って、記録の写しを手配した。それ以外にも、何か動いていましたか」

「多少」

「多少、というのは」

「商人宿の者に、ケッセル商会の荷の動きを確認してもらいました。屋敷の使用人のうち、信頼できる者を通じて、商会の出入り口を見ている者もいます。また、近隣の村に知り合いの老人がおりまして、そちら経由で、商会が使っている荷馬車の数と動きを少し確認中でございます」

 リディアは少しの間、グレイアスを見た。

「それは……どういうことですか。商人宿の者に頼むとか、村の老人を通じてとか。そういう、つながりがあるのですか」

「多少」

「多少」

 グレイアスはリディアの繰り返しを特に気にした様子もなく、紅茶のカップを持ち上げた。

「昔の、仕事の名残でございます」

「昔の仕事というのは」

「諜報でございます」

 さらりと言った。リディアは少し呼吸が止まった。

「……執事になる前のお仕事としては、ずいぶん飛躍がありませんか」

「人の秘密を探ることと、主人の隠した菓子を見つけることに、大きな違いはございません」 

「私は隠していません」

「では、机の二段目にある包みは何でしょう」

 リディアは黙った。

グレイアスはカップをソーサーに戻した。

「お嬢様がお気になるようであれば、やめることもできます。ただし、やめれば今集めている情報は入ってこなくなります」

 リディアは考えた。

「やめなくていいです」

「承知いたしました」

「ただ、何をしているかは教えてください。私が知らないところで物事が進んでいると、判断できません」

「……さようですね」


グレイアスは少し間を置いた。

「以後、報告いたします」

 それから、リディアは聞いた。

「人を疑うことから始めるのですか」

「と、おっしゃいますと」

「今の動き方の話です。商人宿の人、使用人、村の老人。そういう人たちを使って情報を集めるのは、誰かを疑っているからですよね」

「さようです」

「それは……苦しくないですか」

 グレイアスは少しだけリディアを見た。

「信じるために、疑うのです」

「どういうことですか」

「何も確かめずに信じるのは、ただの怠慢でございます。相手を調べ、確認し、根拠を持って信じる。それが、本当に誰かを信じることだと私は思っております。逆に言えば、調べた上で信じられると分かった相手は、本当に信頼できる。その確信は、何も確かめずに信じた場合よりも、ずっと強い」

「でも」

リディアは冷静に問いかけた。

「それは、最初から相手を疑いの目で見るということでは?」

「見ます。疑いの目で見ます。それが習い性になっています。長くそういう仕事をしておりましたから」

「それは……つらくなかったのですか」

 グレイアスはしばらく答えなかった。

 窓の外に目を向けた。夕暮れの光が窓枠に細く落ちていた。

「慣れました」

 それだけ言った。それ以上は言わなかった。

 リディアも、それ以上は聞かなかった。


 夕食のあと、リディアが廊下を歩いていると、中庭の方から声が聞こえた。

 今度は一人だった。

 窓からのぞくと、オルドが柱にもたれて立っていた。腕を組み、空を見ている。特に何かをしているわけではない。ただ、そこにいた。

 リディアは廊下を折れ、中庭に出た。

 足音に気づいたオルドが振り返った。リディアを見て、顎を少し引いた。

「……お嬢か」

「オルド隊長」

「夜に外に出るもんじゃない。グレイに怒られるぞ」

「グレイさんには報告しません」

 オルドは短く鼻を鳴らした。怒っているのか、笑っているのか分からない顔だった。

 リディアはまっすぐに立った。

「今日、廊下から聞こえていました。オルド隊長がグレイさんに言っていたこと」

「……盗み聞きか」

「通りかかっただけです。でも、聞こえました。領務録を眺めたところで冬は越せない、と」

 オルドは黙った。


「間違ったことはおっしゃっていない。眺めるだけでは、冬は越せません。そこは隊長のおっしゃる通りです」

「だったら」

「だから、決めて、動きます。私がどういう領主かは、そのあとで判断してください」

 オルドはしばらくリディアを見た。

「……まあ、見ていてやる」

 そう言って、背を向けた。

 しばらくして、オルドが足を止めた。

「先代は……」

 そしてぽつりと言った。

「失敗も多かったが、この領地が好きだった。そういう奴だったから、俺はついていた」

 リディアは何も言わなかった。

「お嬢が、どういう奴かは、まだ分からん」

 オルドはそう言い残して、中庭を歩いていった。武骨な背中が、暗い中に消えた。 


 部屋に戻ると、ドアの前にロロがいた。

「ろろっ」

「部屋の前で待っていたのですか」

「ろっ」

 リディアはドアを開けた。ロロが先に入って、ベッドの足元に丸くなった。

「グレイさんの部屋に行かなくていいのですか」

「ろろ……」

 不満そうな声だった。追い出されたのかもしれない。

 リディアは机に向かい、今日の領務録の要点をまとめた紙を広げた。

 明日、グレイアスは何か動くだろう。商会の背後にいる者の話も、まだ続きがある。今日見えたことは、まだ「見えてきた」段階だとグレイアスは言っていた。

 分かったことと、証明できることは違う。

 その言葉を、リディアは紙の端に書いた。

 ロロが「ろろっ」と一声鳴いて、また黙った。


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