転生したら石牢にいた
よろしくお願いします!
────ねえ、どうよこれ。
ぐおんぐおんと耳の奥で響くような頭痛を堪え、莉央は鼻で笑った。
見張りらしき男が、剣の柄でカツンと格子を叩いたが、今はそんなことどうでもいい。
自身の身体や周囲の状況をゆっくりと確かめて、彼女は努めて長い息を吐いた。
冷たい石床は、たぶん牢。格子もあるから、間違いないはず。
なぜここにいるかはわからないが、長い髪が汚れきっているので、ある程度の期間は牢にいるのだろう。
おーけいおーけい。いや、ちっともよくなんかないが、うん。なんとなく理解した。
これはあれだ。異世界転生ってやつだ。
だらけた部屋着のままコンビニへ出かけた先、急接近するハイライトが直近の記憶なので、たぶんそのまま死んだのだろう。
転生直後に牢とは、ついていない。
手足は自由だが、牢の中には何もない。椅子も、ベッドも、机も。およそ人が生きられる環境ではなかった。
「ねえ」
格子の向こう、少し離れた場所に直立する鎧姿の見張りに声をかけると、あまりの掠れっぷりに呆れた。
咳払いすると、肺が少し痛む。水が足りないな。
「騎士さん? それとも、兵隊さん?」
「…………」
あ。しゃべっちゃいけないのかな。仕事中だもんね。
一人納得し、喉に手をやる。骨が浮きそうなほど華奢な手首は、容易く折れてしまいそうだ。
「水とかもらえるの? それとも、このまま餓死した方がいい?」
「…………」
わずかに身動いだ見張りの鎧が、小さく擦れた音を立てる。
顔まで覆うプレートアーマーのせいで、表情などはまったくわからない。とにかく重そうだ。
「差し支えないなら、水がほしい。あと、あなたと話す許可も」
「…………」
少しの間の後、見張りはもう一人に合図を送ってから、その場を離れた。
その間に、莉央は今一度自分の身体を見下ろした。
莉央の生きていた現代ではあまり見ない、重くて布地の多い襟元まで詰まった清楚なドレス姿だ。ただ、あちこち破れているし、汚い。
足元は裸足。擦れた傷が多く、寒すぎて感覚がない。吐く息は白いが、ここには寒さを凌ぐための物資が一つもなかった。
────死ねと言われるのと同じだな。
格子に背中を預けているから身体を起こしていられているが、とても立てる気がしない。いったいいつから食べていないのか。
こんな仕打ちを受けるほどのことを、身体の主は仕出かしたのだろうか。
「……水だ」
格子越しに、木のカップのようなものが石床に置かれる。
手を伸ばすと、かじかんだ手にうまく力が入らず、小刻みに震えた。見かねた見張りに手助けされながら、水を飲む。
「何か話す気になったのか」
何をだろうか。
「……あー」
何度か咳をこぼしてから、莉央は思考を巡らせる。
どれだけ探っても、身体の持ち主の記憶は見当たらない。普通、転生なら身体の記憶は残るものじゃないのか。
中身だけがそっくり入れ替わったのだとしたら、転生じゃなく憑依なのだろうか。
「正直なことを言うと」
「ああ」
「この身体が誰か、ここがどこか、あなたが誰か、わかんないんだよね」
「…………」
情報が一つもない牢の中にいる身としては、正直に曝け出す以外の手が見つからない。
さっぱりと言い切った莉央に、見張りが黙りこくる。
背中側にいる彼の様子はわからないが、まあ普通に考えて怪しさ満点だろうなとおかしくなった。
「何の罪でここにいるの? この子。思い出せるかもしんないし、教えてくれると助かるんだけど」
「…………聖女候補の令嬢を、殺めようとした疑いがある」
「聖女」
ああうん、異世界あるあるではある。聖女、聖女候補、殺そうとした。
あれ。
「ん? 疑い? 容疑の段階なの」
「証人がいる。だが、あなたは否と答えた以外は黙秘している」
ああ、だから『話す気になったか』という質問だったのか。
というか、容疑だけでこんな環境に閉じ込められるとは、なかなか過酷な世界である。
「へえ……動機がありそうな最有力候補ってことか」
「何も覚えていないと?」
「最初に伝えたけど?」
同じことを繰り返すつもりはない、と言外に含めると、イラッとした気配がした。
全身鎧のくせに、なんだかわかりやすい人だ。
「まあ、疑いだけでここにいるんなら、どのみち死ねってことでしょ。オーケー、わかった。ありがとう」
「…………それだけか?」
「他にどうしろってんのよ」
よくわからないが、聖女なんてものは王族とかと結婚したりするのがセオリーだ。
それくらい強い権力が後ろ盾にあって、なおかつ容疑者を劣悪な場所に閉じ込めたなら、罪状の正否は関係ないんじゃないだろうか。
この身体の持ち主が、罪人でなければならない。
本当に罪人かもしれないし、そうでないかもしれないが、現状を見る限り断定されたと見ていい。
転生したてだが、莉央はこのまま身体と共に朽ちるのだろう。
あるいは、また意識だけ抜け出して、別の人間として目覚めるのか。
不思議と悲壮感も不安もなく、非現実的な状況を面白くすら感じていた。
なんというか、物語の中に入り込んで体験しているような、状況にそぐわないわくわく感がある。
会話を切り上げた莉央は、唯一の窓に視線を投げた。
おそらく立って手を伸ばしても届かないほど高い位置に、ほんの小さな窓がある。
光が入らないのは、今が夜だからなのか、はたまた牢が地下などの場所にあるのか。
時間が経過すればわかるだろうと、ゆったりと瞼を閉じる。
生前の莉央は、多忙な生活だった。フルタイムの仕事と、身体が不自由な両親の介護。
趣味の時間はおろか、食事や睡眠もゆっくりとれたのはずいぶん前だ。
だからなのか、割と鬼畜な現状にも、ひどく凪いだ心地だった。
一人になれるのも、他人に気を遣わなくていいのも、久しぶりだ。なんならちょっと落ち着く。
音もなく、灯りは小さな蝋燭だけ。聞こえるのは一人分の呼吸だけ。
義務もなく、罪悪感もない。
────ああ。なんて心地いい。
疲れきっていた心が、じんわりと解けていくような。
身体は寒さに凍えているものの、その感覚すら薄いものだから、特に気にならなかった。
「……ミシェル嬢」
ふと、声が落ちてきた。少しくぐもった、高くも低すぎもしない、静謐な。
眠りに誘われかけていた瞼を開けると、格子の隙間から毛布のようなものが差し出されていた。
手を辿って見ると、鎧姿の見張りがいる。
「それ、この子の名前? もう一回言って」
うまく聞き取れなかった。
毛布を受け取りながら頼むと、一瞬の間の後、もう一度名前が声に乗る。
ミシェル。この子の名前は、ミシェル。
たった一人きり、寒々しい場所で死ねと言われた、華奢な子供。
ああそうか。思わず、口の端が上がった。
莉央はきっと、罪人かもしれないこの子が、それでも孤独に逝くことがないようここに来たのだ。
孤独と静謐こそを希っていた、莉央だから。
毛布に包まった冷たい身体を丸め、莉央は再び目を閉じた。
────ミシェル。もう一人じゃない。わたしも一緒だ。
ミシェルの身体としてここにいる莉央には、この子の孤独さがわかる。
必死に隠してきたのであろう秘密も、ほんの少しだけ。
ゆっくり休んで、もしかしたらそのまま永遠に目覚めないかもしれないが、来世ではきっと一緒に生きよう。




