第38話「発覚」
西暦256年11月16日の昼。
視点は変わって——グライ視点。
マナグアの薄暗い路地裏で起きた、あの背筋が凍るような誘拐未遂事件から、約一ヶ月の月日が経とうとしていた。
僕たちは今、駅馬車の揺れに身を任せ、パーティーの頼れる仲間たちとともに、この過酷な冒険の旅の、次なる巨大な目的地へと向かってひたすらに南下している最中だった。
その次の目的地とは——「ヴィルヘルム帝国の巨大都市、ヴィルヘルム」だ。
工業都市マナグアを擁するニカニスタンの、さらに南の国境を越えた先に位置する強大な軍事帝国。その名を冠する首都であり、世界中の人々からは畏怖を込めて通称「帝都」と呼ばれている。
そのため僕たちは、マナグアの駅馬車の発着所で、新しく手配した別の長距離路線である「ヴィルヘルム線 ヴィルヘルム行き」の重厚な馬車に乗り換えて、国境を越える移動を行うこととなった。
今回僕たちが乗る駅馬車の運賃は、一人につき「75000S」。
それをパーティーのメンバー六人分で、計「450000S」だ。
僕と一緒に旅することになった小さな仲間のサラさんについては、駅の受付で「この子は僕の大切なペットの兎です」と堂々と言い訳をしたら、監視員のあっさりとした支払い判定が通り、運賃は「0S」で乗車することができた。
この金額は、僕たちが故郷の村の近くからマナグア行きの長距離駅馬車に乗った時の乗車料金の、ちょうど二分の一だ。
さらに移動する距離自体も、前回の旅程の約二分の一になっているため、距離の分だけ料金が前よりも安いということが、六歳児の頭でもはっきりと計算してわかった。
僕たちは、このマナグアを出発してからの約1ヶ月間。
季節が本格的な冬へと向かっている影響で、街道に飢えて出没する色々な魔獣と戦う回数は前回よりもさらに増えていたが、それらを仲間との連携で確実に倒しながら、南へどんどん移動を続けた。
マナグア行きの時のように、僕が気絶して迷惑をかけたり誘拐されたりすることもなく、今回は誰も危険に晒されることなく、驚くほどスムーズに移動が上手くいった。
そして今日。僕たちはヴィルヘルムの巨大な城壁の門をくぐり、帝都の活気ある街中へと足を踏み入れたのだ。
「よっしゃ、このデカい町で、今日は一日ゆっくり休むで。宿はワイが先に行って人数の分押さえといたる。
ここから帝国の奥地まで、あと1週間くらいで着くっちゅーても、戦い続きで疲労も溜まっとるし、しっかりとした休養は絶対に必要やからな」
馬車から降りたギーガさんが、大きな伸びをしながらリーダーらしく指示を出した。
「……それは、私が言うセリフなのです。無粋な獣は黙っていればいいのです」
僕の肩の上から、サラさんが長い垂れ耳を揺らしながら、ギーガさんに向かって冷たく言い放った。
「なんやて!!? 急にワイらの仲間に加わりくさった、ちんちくりんの兎が、ワイに向かって何ぬかしとんねん!!?
ワイがこの『ハイスピード』の誇り高きパーティーリーダーやぞ!!? ワイの決定に文句あるんか!!?」
ギーガさんが、目を吊り上げて白い牙を剥き出しにし、サラさんに向かって吠えた。
すると、サラさんも全く引くことなく、小さな胸を張って言い返した。
「何でなのです? 私の方が、このパーティーの中で一番年上で長生きなんだから、私が仕切ったって構わないはずなのです。年上を敬うのです!」
「そういう問題ちゃうやろ!!? 年齢じゃなくて、実力と経験や!
調子乗っとったらあかんど、この毛玉が!!?」
「まぁまぁ、落ち着いてください! サラさんも、師匠も!」
僕は慌てて、火花を散らす一人と一匹の間に入り、両手を広げて喧嘩を止めた。
このまま放っておけば、ただの言い合いどころじゃない、本気の魔法と剣の喧嘩を始めかねない二人をさせないためだ。
「グライ。自分が勝手に連れてきた得体の知れん兎が、ホンマにやかましいわ。
ワイは、まだこいつのこと、正式な『仲間』やなんてこれっぽっちも思てへんからな。
……まぁ、出会った経緯とか聞いたら、グライが悪いんちゃうのは分かっとるけど……こっからは、ワイに相談もなく勝手に仲間増やすんはあかんで?」
ギーガさんは、ため息をつきながら僕に苦言を呈した。
「……お前こそ、吠え声がやかましいのです。野蛮な狼なのです」
「サラさんも、これ以上挑発しないで!
……じゃあ、こうしましょう。今日一日は、僕とサラさんの二人だけで、街の中を自由行動します。
サラさんと師匠が顔合わせをして喧嘩をしないためです……これで、いいですか?」
僕が妥協案を出すと、ギーガさんは少し考えた後、肩をすくめた。
「グライがそこまで言うんやったら、ワイは別に構わへんで。
せやから、お前がその兎の親代わりとして、ちゃんと面倒見ろよ。迷子になるなよ」
「何なのです!!? 私を子ども扱いしないでほしいのです!!」
「はいはい、行きますよ、サラさん。この帝都にどんな珍しい物があるのか、二人で見に行きましょうね」
「だから、グライも私を子ども扱いして……いい加減にするです!!!!」
僕は、プンプン怒っているサラさんを両手でしっかりと持った状態で、これ以上ギーガさんを刺激しないように、全力疾走しながら帝都の賑やかな町中へと入っていった。
今日一日は、サラさんと二人きりの自由行動。
サラさんとギーガさんをなるべく顔合わせしないように気をつけながら、この広い街を行動しなくてはいけない。
* * *
しばらくして、帝都の入り組んだ町中に入った僕は、人通りの少ない路地裏の壁際で、両手を膝について立ち止まった。
六歳の身体で全力疾走した僕は、激しく息切れを起こし、肩で大きく息をしていた。
マナグアの路地裏を走った時にも、全く同じことがあった。完全にデジャヴだった。
「ゼーハー、ゼーハー、ゼーハー、ゼーハー……」
すると、僕の肩にちょこんと乗ったサラさんが、涼しい顔で言った。
「何をそんなに疲れているのです。早く立つのです。時間がもったいないのです」
「う、うるさいです……。そんなに言うなら、僕の肩に乗ってないで、自分で歩いてくださいよ」
「私が自分の足で歩くと、足が短くて、グライが歩く速度より遅くなるのです。だから乗っているのです」
「……はいはい、わかりましたよ。僕が歩く足場になればいいんですよね」
息切れを起こしながらも、僕は深く深呼吸をしてすぐに立ち上がり、再びゆっくりと歩き出した。
しばらく歩くと、心拍数が落ち着き、疲れが少し和らぎ、息切れもなくなった。
「この町では、特に買い物の用事はないんですが……どこへ行きましょうか」
「何を言っているのです? グライが、私と二人で自由行動するとか勝手に言ったからなのです。責任を取って案内するのです」
「言いましたけど!!! ……でも、ああするしかなかったんですよ、あの険悪な状況じゃ……」
僕は、サラさんにそう言い返した。
あの状況で、一度でもお互いが別々に行動して頭を冷やさなければいけないと決断したのは、僕だ。
いくら彼女に文句を言われ、反対されたとしても、あそこで言い争いがヒートアップして、パーティーが対立して決裂してしまうよりは、かなりマシな選択だと思ったからだ。
そんなことを、街の活気を眺めながら考えていると……。
「おい!!! お前、今日の新聞、もう読んだか!!?」
「んっ? 『ヴィル新聞』なら読んだけど? いつもの帝国のニュースだろ。急にどうしたんだ?」
「違う!!? そっちの御用新聞じゃなくて!!! 大陸全土に配られてるやつだ! とにかく行くぞ!!!」
「なんだって!? あの『神聖新聞』に、そんなとんでもないことが書かれたのか!!? それ、本当なのか!!?」
「間違いない!! あれが嘘でなければ……世界を揺るがす、緊急事態だぞ!!」
すると急に、平和に買い物を楽しんでいた街のほとんどの人々が、血相を変えて、大通りの西の方へと向かって一斉に走り出したのだ。
「……何か、大きな事件でもあったんですかね……?」
僕が首を傾げていると。
「……グライ。これは……『悪い匂い』なのです!! 私の鼻が、今までで一番、強烈な危険を感じるのです!!」
サラさんが、僕の首元にしがみつき、震える声で叫んだ。
「えっ!!? 悪い匂い!!? マナグアの路地裏で嗅いだ、あの時と同じ匂いですか!!?」
「とにかく、みんなが走っている方へ行くのです!! 早く!!」
僕は、サラさんの言葉に急かされ、嫌な予感を抱きながら、群衆の後を追って西の方へ全力で走り出した。
そしてすぐに、広場のような場所で、大勢の大人たちが何かを必死に争うようにして群がっているのを目にした。
「おい!!! 俺が先に手に入れたんだ! 勝手に奪うんじゃねぇ!!」
「俺にも見せろよ!!! 嘘だろ、こんなの!」
「これは……本当なのか!!? こんな恐ろしいことが……あっていいのか!!?」
……新聞だ。
号外として配られたのか、人々は数少ない新聞の紙面を奪い合うようにして争っていたのだ。
(この世界にもあったんだ。活版印刷のような技術で、「情報を知る方法」が。)
嫌々!!! そんな前世との文化の比較に感心している場合じゃない。
そんなことより、早くあの新聞を読みたい。僕の心臓が、嫌な予感でバクバクと鳴り、かなり気になっているんだ。
こんなにも、新聞を読みたいと群がる人々が大勢いるということは、世界を揺るがすような、途方もなく大きな出来事があったということで、間違いないだろう。
(でも……この大人たちの人混みの中で、六歳の僕がどうやって新聞を手に入れれば……)
僕が立ち止まって途方に暮れていると。
争いの中で破れ、宙を舞った新聞の一面が、ひらひらと僕の足元に落ちてきた。
とてもラッキーだった。
すべての記事が全部落ちてきたとは限らないが、僕は震える手で、その落ちてきた新聞の切れ端を拾い上げた。
「いったい、どんな恐ろしい記事なのですか」
「どれかな? これかな? ……いや、違うな、これは広告だ……あっ!! これだ!!」
僕は、紙面の最も大きな見出しで書かれた、その記事だと確信した。
僕は、唾を飲み込み、それを読もうとした。
しかし。
そこに書かれていた内容は、六歳の僕の理解と想像を絶する、地獄のような記事だった。
『ラスロ王国 テオロ州を中心に隕石衝突か』
神聖大陸の中央地域に位置する、平和な国として知られていた「ラスロ王国」を、未曾有の災厄が襲ってから、およそ半年の月日が流れた。
西暦256年4月中旬。突如として王国の空を覆った、原因不明の異常な現象の後、ラスロ王国・テオロ州を中心とする広大な地域に、「巨大な隕石が衝突したのではないか」という観測が、各国の魔導学者や天文学者たちの間で有力視されている。
衝突の数日前から、上空の異変を察知し、ただならぬ恐怖を感じた一部の領民たちは、家や財産をすべて捨てて、国境を接する隣国である「西ガルバン王国」や、絶対平和を掲げる「ラブ連邦」へと、命からがら避難を開始していた。
しかし、何が起こるか理解できず逃げ遅れた者、あるいは代々受け継いできた故郷の土地を離れることを拒み、避難せずに自国、とりわけ直撃を受けたとされるテオロ州周辺に残った者たちは——天から降り注いだ災厄によって、大地ごと消滅し、全員が死亡したと見られている。
かつて緑豊かで栄えていたテオロ州は、現在、すり鉢状の巨大なクレーターと化し、一切の生命反応が途絶えているという。
だが、真の悲劇は、命からがら国境を越えた「避難者たち」にも降りかかっていた。
西ガルバン王国やラブ連邦の国境地帯へ逃げ込んだ難民たちを待っていたのは、安住の地ではなかったのだ。
混乱に乗じた隣国の国境警備兵や、悪徳商人たちに不法に捕らえられた避難者たちの多くが、非人道的な「奴隷市場」へと送られ、生きた商品として裏社会で高値で売買されたという、悲痛な報告が相次いでいる。
さらに、西ガルバン王国に逃げ込んだ者の中には、ラスロ王国からの『スパイ』であるという冤罪をかけられ、凄惨な拷問を受けた末に、広場で公開処刑として無惨に殺された者も多数確認されているという。
天災から逃れた民を待っていたのは、人間の悪意が作り出した、もう一つの地獄であった。
各国の対応が遅れる中、この難民問題と国土の消滅は、神聖大陸全土に暗い影を落としている。
『ラスロ王国国王「ジュル・インパ・アーゲルト」死亡 死因公表されず』
テオロ州消滅の傷跡も癒えぬラスロ王国に、さらなる激震が走った。
先月、西暦256年10月16日の夜。王都のラスロ王宮にて開かれていた絢爛豪華なパーティーの最中、絶対的な権力者であったラスロ王国国王「ジュル・インパ・アーゲルト」陛下が急死した。
王宮からの公式発表では、「突然の体調不良による崩御」とされているのみで、具体的な死因は一切公表されていない。
二つの記事を読み終えた僕は……全身の血の気が引き、何を言えばいいのかわからなかった。
ラスロ王国国王が、先月の王宮でのパーティー最中に急死した。
しかし、ここで不自然なのが、一国の王の死であるにもかかわらず、死因が一切公表されていないことだ。
急死とか言っているのに、死因が不明なのは、あまりにも矛盾点でしかない。
暗殺か、呪いか。何か、とてつもなく深い裏の事情があるとしか思えなかった。
しかし、僕にとって、そんな王の死の記事を完全に忘れるくらい、頭の中が真っ白になるほど絶望する記事があったのだ。
テオロ州を中心に、隕石衝突。
西暦256年4月中旬ということは、僕が六歳を迎え、冒険のために故郷のレストリア村を出発した直後のことだ。
残った者たちは、大地ごと消滅し、全員死亡。
運良く隣国に避難した者も、奴隷にされるか、公開処刑。
逃げても残っても、何をしても地獄だったらしい。
(……ちょ、ちょっと待てよ……。
テオロ州……僕の故郷の村がある州だ。
そしたら、あの村に残っていた、父さんが!! 母さんが!!アーシャさんが!!
……やめてくれ……嘘だろ。やめてくれよ。
あの優しかった家族が、あんな残酷な死に方をするなんて……そんなこと……あり得ないよな……?)
僕は、僕を愛してくれた三人のことを心配し、顔を蒼白にした。
いや、ただ心配しているどころの騒ぎじゃない。記事の内容が事実なら、寧ろ、もう完全に手遅れかもしれない。
今から助けに行くしか……いや、半年も前の出来事だ。僕はいったい、どうすればいいんだ……。
僕は、足の震えが止まらず、ただその場で絶望するしかなかった。
あの日、僕が冒険に出るという一度の選択で。僕の人生だけでなく、残された他人の人生、大切な家族の運命も、こんなに無惨に、大きく変わってしまうなんて。
僕は、力なく無意識に、手の中にあった新聞の紙片を地面に落とした。
視界が暗くなりそうで、身体の芯から這い上がってくる恐怖しかなかった。
(……まずい……僕は、絶対に失いたくない物を……
もう、永久に失ってしまったのかもしれない……)
To be continued
次回第39話 7月8日(水) 午後8時投稿予定




