ホットミルクティー
彼女は温かいミルクティーが好きだった。彼女といた頃、僕の家の食卓はベルガモットの香りに満たされていた。北の国の冬はうっかりすると寒さと悲しみと憎しみに支配される。とくに雪の降る朝は体の芯から冷えて、心まで凍り付く。そんな雪の朝は、彼女は決まって甘くて温かいミルクティーを僕のティーカップに注いでくれた。
30代の中頃、事業に失敗した僕は、借金取りから逃れるために北陸の港街に来た。失意の僕はここに来てから、何もする気になれず、雪国の暗くて垂れこめた雲をずっと見ていた。
漁港の水産会社の住み込みの仕事を見つけ、少し落ち着いた頃に、妻から離婚届けが送られてきた。同封の手紙には一人娘の「養育費5万円を毎月送金するように」と口座番号が書かれていた。
水産会社の手取りは20万円。銀行への月々の返済が10万円。養育費を払うと手元には5万円ほどが残ったが、細々とした生活費や寂しさを紛らわすための酒代であっという間に金は消えた。海に面した水産会社の二階建ての社宅は、夜になると海風でガラス窓がガタガタと音をたてた。窓の外に見える暗い海を見ながら、僕は毎日をただ生きていた。
彼女と出会ったのはそんな荒んだ生活を送っていた頃、漁港にあるキャバレーだった。齢は40代の中頃だろうか、猫背の小さな女だった。お世辞にも「きれいだ」とは言えない彼女を僕は酔った勢いで家に連れて帰った。海風に揺れる窓の音を気にしながら、僕は彼女を抱いた。何度か体を合わせた頃「一緒に暮らそうか」となんとなく口に出した。彼女は僕の胸の上で小さく頷いた。
同棲を始めても彼女は港街のキャバレーで働いた。彼女は稼いだ少しのお金で僕の服を買った。毎日、彼女は僕のために手作りの料理を作った。彼女の作る料理はどれも抜群に美味かった。そして寒い冬の朝には甘いミルクティーを入れて「体を冷やさないでね」とかわいい笑顔で僕を送り出してくれた。
その頃の僕は、それが幸せだと気づいてもいなかった。そう、彼女を失うまで気づきもしなかった。




