パンケーキ
「あなた異常よ」美沙にストレートに言われ(そうかもしれない)と健太は思った。健太は彼女と暮らし始めてからパンケーキを食べ続けている。健太は朝、昼、晩の食事はもちろん、15時のおやつ、22時の夜食に、必ずパンケーキを食べた。健太は時間になると自らパンケーキを焼いた。パンケーキには、しっかりバターを塗りこみ、たっぷりのホイップクリームを載せ、一度に4枚、多いときは6枚を平らげた。最初は「本当にパンケーキが好きなのね」と笑っていた美沙も1週間もすると健太の異常な行動に戸惑いを隠さなかった。彼女は、しばらくすると「過食症じゃない?」と真顔で健太に病院に行くよう勧めた。
それでも健太は病院に行かず、もう3カ月以上、パンケーキを食べ続けている。ほっそりとした健太の体重は80キロを超え立派な肥満体になった。
健太が初めてパンケーキを食べたのは東京の大学に進学した春だった。原宿のパンケーキ専門店の軒先でパンケーキを食べるカップルと目があった。そして、キャミソールを着た女が健太にウインクをした。健太は引き寄せられるようにパンケーキ屋に入ると、カップルと同じパンケーキを注文した。注文したパンケーキは一人で食べるには少し量が多かった。それでも健太は大き目のパンケーキをあっという間に完食した。
健太はそれまで甘いものを食べたことはなかった。医者の両親は砂糖がいかに脳に毒なのかを健太に説明し、ケーキもクッキーもシュークリームも砂糖の入ったお菓子はひとつも与えなかった。「甘いものは脳の毒なのだ」健太はずっとそう信じていた。
東京に来て、パンケーキ専門店でパンケーキを食べた時、脳が溶けていくような気がした。もう医者にはなれないという罪悪感と「これでよかったんだ」という安堵感が同時に健太を支配した。そして健太は堕落することに決めた。大学で出会った美沙はあの時のキャミソールの女のように誘惑的だったが、健太はパンケーキの魅力に勝てる気はしなかった。
健太はそれで十分だと思った。