3楽章。月下狂人。4
同じ日。12月28日。夜。
ミツキは、いつものように公園へ足を運んだ。
普段なら一人で歌い出すが、今日は誰かを待っている。
『まだかな。玄さん』
ベンチに座って足を振りながらそう考えた。
頭には真っ白な帽子とそれと同様に真っ白なケープを巻いている。
中はいつも着ていた白いワンピースの上に着たのが少し傷だが、首には群青色のマフラーを巻き、ベージュ色のアグブーツを履いてブーツを履く自分の足を見るように、足を振る。
素足のほうが楽だと言っていた彼女だが、もらって嬉しいのとはまた別のようだ。
「変だったりしないでしょう? 多分。うむ」
普段、白いワンピースばかり着ていた彼女とはずいぶん違う姿。
年頃の少女らしい身なり。
だがこれは彼女なりの武将。
彼女なりの勝負服だった。
『今日は絶対に玄さんに私の本当の名前を──』
今日のみつきは身なりだけではなく、覚悟からして違う。
玄が昨日くれたお土産をすぐ着てきたのはみつきなりの覚悟。
「ちゃんと…言えるかな…? 私」
「何をぐずぐず言ってる?”
「キャアア!」
突然の声に、ミツキは悲鳴をあげた。
その悲鳴は公園全体を埋めるのに十分だった。
「声でかいな」
耳が痛いらしく、こめかみを押さえつけながら、黒い喪服の男。玄がそう言うと立ち上がって「ごめんなさい。ごめんなさい」と言って頭を強く振るミツキ。
うつむく速度がとても速くて帽子が飛ばされそうだ。
「まあ、突然驚かせた私のせいだが」
そう言いながら玄はさっきミツキが座っていたベンチに座ってミツキを眺める。
『どうすればいいでしょう。まだ怒っているようです』
そのように彼の機嫌を伺っていたミツキとは違って──
『ちゃんと着ている。それでもケープの中にいつもの薄いワンピースなのはちょっと… まあ、似合うけど』
ミツキが昨日、自分がくれたプレゼントを着て来たことをそれなりに喜んでいた。
しかし、それがあまり率直に出てくることができない玄はどんな言葉を出すか悩む。
「その···似合ってるな」
「そうですか。ありがとうございます」
その褒め言葉に感謝の意を表するミツキは、静かに玄を眺める。
恥ずかしそうに、自分の頬を掻く玄だが、光希はそれに気づかない。
いや、そんな余裕がないという方に近かった。
「そういえば、あの時玄さん。私にいいましたよね? なぜ泣いているのか。…と」
「……ああ」
正確にいつだったかは聞かない。
彼もよく知っているし、ほんの数日前のことだ。
お互いの名前を交した25日の夜。
そこからだった。
あの日、目の前に、彼に自分の本当の名前ではなく、『ミツキ』というもうひとつの自分を作った。 だからミツキはあの日の話を出したのだ。
「実は私。歌を歌いたいときはほとんどありません。大底が泣きたいときです」
ミツキはそう言いながら、両腕を広げる。
あの空の月まで届くかな? というような手ぶり。
ミツキはそのまま夜空を見上げながら両手を広げて言う。
「ここは誰も訪れない公園だから。だから。泣く代わりに、ここで歌を歌う場合がより多いです」
「……それでは『あの日』はなぜ泣きたかった?」
玄が静かにそう聞いてみると、ミツキはそっと笑ってみせながら言う。
「その前日に玄さんを傷つけたから」
「そんな事のせいで?」
「私にはそんな事ではありません。私のせいでもうこの公園を探さなければどうしましょう。──という気持ちもありました」
「そっか」
「……変ですよね? 私、誰にも会いたくないから、こんなところで一人で歌っているのに。いざ来なければ急に悲しくなります」
「変じゃない」
「!!」
そんな玄の言葉に驚いたミツキだったが、さらに驚いたのは玄本人だった。
いや、一瞬──
『俺と同じだ』
そう思った。
彼も同じだから。
彼も、この公園を訪れた時に願ったのは静寂。
人と接せず,殺戮の怪物カダルーソを演じる必要のない自分自身をさらけ出す場所を心の片隅に望んでいた。
しかし、目の前の彼女に会って変わった。
彼女がいないと何か寂しい。
最初はもっと話したいと思っていた感情から、もっとそばにいたいと思うようになった。
「フフッ。本当に玄さんは優しいですね」
「違う。私、いや、オレは──」
何か単に玄を『いい人』と考えるみつきの言葉を否定するために、玄は口を開いた。
自分の醜さを露呈すべきではないかと思った。
それを現してもあんな風に笑って今のような関係を維持できれば、きっと本当の──
『私を…殺して…』
瞬間、耳元から聞こえてきた空の幻聴が彼を躊躇させる。
それ以上考えることを、思考することをやめさせる。
本能が考えることを止める。
「……」
玄はそこで考えることをまたやめた。
それ以上前進することを、近づくのをやめる。
『化け物が何のざれ言か。このように見守ることで満足。それ以上は望むな』
そう自分を戒めた。
せっかく自分に似ている少女を、自分と同じ怪物で染める心積もりか?
確かにそうすれば心は楽だろう。
しかし、その安らかさが自分の人間らしさを殺すだろう。
彼はそれを知っている。
だから自分に染まらないようにそれ以上ミツキに近づくのをやめる。
「以前、私の歌がきれいだと言いましたよね? 今回も聞いてくれますか」
「……ああ」
彼は静かにそうつぶやいた。
まだミツキはどうでもいいという表情を浮かべる彼の変化に気づかないまま歌う。
悲しくて泣きそうになる歌ではなく、ただ歌いたくて歌う歌。
彼に会って、いつも泣きそうな歌ではなく、自分の好きなように歌えた。
一瞬、自分が歌ったような気持ちいい歌を感じた。
『今言わなければ!』
歌がほぼ終わりに近づいた頃、ミツキの頭の中で、そんな思いが響いた。
良い歌を歌ったからこそテンションが上がったからかも知れない。
正直な心情を打ち明ければ……こわい。
彼に嘘をついた事実を告白しなければならないこともあるが、彼に軽蔑されるのではないかという恐れ。
『いや、玄さんはそんなことしない!』
会ったのはわずか数日だがそれだけははっきり分かった.
彼は優しい人だ。嘘で自分を表に出さないミツキと違って、最初から自分を表に出してミツキと向き合ってくれた。
だからこそ、自分も自分を表すのが道理だ。
──そう思っだ。
「玄さん──」
ミツキは、──いや、彼女は玄を眺めながら言う。
率直に言って言いたくない。というのが本音。
他の人ならかまわない。
目の前の彼にだけはばれたくない。
彼にだけは自分の全てをさらけ出したくない。
化け物である自分の一面を──
自分の本当の名前を──
このまま『ミツキ』のまま彼と接したい。
ここは『ミツキ』と『玄』だけのための場所。
決して化け物である自分がこんなに暖かく、それにこんなにまぶしい人と接しても良いはずがない。
だとしても──
『対等になりたい!』
そう思った。
いつも彼の好意には一歩下がった。
他人の好意に一歩下がること。
それが自分の悪い癖であることは自覚している。
──だから今回は一歩前進する。
そうすればきっと自分に堂々となるかもしれない。
変わるかもしれない。
他人の好意を素直に受けられるようになるかもしれない。
人間みたいに。
これは自分に対する挑戦。
自分に行う誓いだ!
「私の本当の名前は──」
「笑わせるね」
「「!?」」
突然の声にミツキはもちろん、玄も声の聞こえた方に顔を向けた。
「いや、笑えない。吐き気がする。化け物同士お互いの傷を舐め合うなんてさ!」
「お前は…?」
玄は突然姿を現した人影を眺めながら言った。
知っている。知らないはずない。
長髪で垂らした金髪、黄昏を連想させる夕焼け色の瞳を浮かべる貴族。
「ペプ……アルセナル」
「ちゃんと最後に工作をつけろ。道具のくせに」
──ペプ‧アルセナル公爵が敵意を現わして二人の前に立っていた。




