赤いさいごの彼と(著:ふーきっ
それは、アジサイが枯れかけたある雨の日のことだ。紺の大きな雨傘を肩にかけ靴音を響かせる男を見かけた。そいつは背が高く、中型で、所々銀の刺繍があしらわれたヒラヒラとした服をまとい、片手を白い手袋で隠していた。その怪しい恰好は細い山道を歩くことに向いていなかったようで、革靴は泥だらけ、服は水滴を落とし、傘には小枝が刺さっている。こんなの、声をかけてくださいと言っているようなものだ。だから親切心で声をかけてやった。
「ねぇねぇ、そこのお兄ちゃん。なんでそんな恰好でこんな辺鄙な場所にいるの?ひょっとして知らないの?この辺にはコワーイ山賊がいて、お兄ちゃんのようなお金持ちの身ぐるみを剥いじゃうんだよ!」
そいつは振り向いて、イエアメガエルのような朴訥とした顔で、その高い身長で見下しながら、こう言った。
「君こそどこの子かな?こんな時間にこんなところにいたら、狼に食べられるかもしれないよ?」
声をかけたことを後悔した。質問を質問で返すなんて、背が高いくせに会話の基本もなっちゃいない。たとえ辺鄙な場所で暮らしていたとしても、人の話ぐらいちゃんと答えろよ。知らない人に家を教えてはいけないと教えられていた俺は、目の前に見えていた小屋を指して会話のお手本をみせてやった。
「あの小屋の子だよ。夕食用のカエルを捕まえていたんだ」
「……僕に弟なんていないと思うけど、君がそう言うのなら、帰ろうか。」
えっ?
固まっている間に素手で手を引かれて、気づけば小屋が見えなくなるぐらい歩いていた。
穴あき傘は依然男が独り占めしていて、繋いだ手からは冷たさしか伝わらない。
「ねぇ、お兄ちゃん。小屋からどんどん遠ざかってるよ」
「あれは作業場だよ。ベッドも布団もお風呂場もないから、住むには適さないはずだけど、弟君はあの小屋に住んでいるの?」
「ふぅーん、じゃあ作業場なんかに住んでないよ。おうちまでどれぐらい歩くの?」
「どれぐらい?うーん、しばらくは歩くよ?」
「しばらくってどれくらいさ!ほら、何分ぐらいとか、何キロぐらいとか、あるでしょ!」
「それなら、多めに見積もって1.44kmぐらいだね」
「うっわめっちゃ細かいね。しかも結構遠いね。作業場って近くに作るもんじゃないの?」
「そうなの?あの作業場は木を部品に加工するためのものでね。材料のままだと運びづらいし、時間がかかってしまうから」
「部品?なるほど、ミニカーとか飛行機とか作るんだね。さっすが!」
「えっと、ミニカーやヒコーキは知らないよ。作るものは木製の置物や人形が多いかな。食器とか家具とかも注文が入れば作るけど」
「えっ、あんなカッケー乗り物知らないの!?」
予想以上の物知らずだった。ちゃんと学校に行ったのだろうか。金持ち様は学校に行く必要がないのだろうか。
「お兄ちゃん、店からの帰りだよね」
「そうだよ。○○町にある木陰堂ってお店。弟君は連れていったことないみたいだね」
その言葉と共に、ヒラヒラした袖から木の物体が腕に飛び乗ってきた。よく見ると、こぶし大のそれは丸くデフォルメされた鳥の形をしていて、くちばしに木札を咥えている。
『木工品店 木陰堂 職人:角倉』
と書かれたそれは、枠に細かな装飾が施されていて、素人目でも職人技が光って見えた。水滴の滴る片手をベタベタなレインコートで拭いてから、できうる限り丁寧に受け取る。小鳥は落ちないし、防水加工済みらしい。突っ込むべきことが多すぎて迷ったが、とりあえず。
「何この鳥!何に反応して動いたの!?どうやってオレの腕に乗ってるの!?」
「それは秘密にしろって店長に言われているから」
「違う!オレの常識では、この大きさで木製の物体はこの精度で動かないの!!」
「錬金術としては簡易な仕掛けだよ?」
「錬金術」の単語でオレは直感的に状況を把握した。ゲーム大好きでいてよかった。
「いやいやいや、納得しちゃだめだよオレ!何、錬金術って!
科学の前身となった古臭い学問の名前だろそれは!」
「僕もカガクを知らないよ。でも、うん。言語は一緒だし、弟君の住んでいた世界とここは結構似ているんじゃないかな。僕も種族としては人間だし。」
だから、当面は心配しなくていいよ。
そう言った『お兄ちゃん』の声は終始変わらず落ち着いていた。あからさまに動揺して見せたオレを落ち着かせようとしているのか、慣れているのか、気にしていないのか。どれであったとしても、敵意や害意が無いことは分かったし、常識の違いを受け入れられる奴に出会えたことはラッキーだ。それに、帰る場所がないオレに断るという選択肢は最初から存在しないのだった。
「それは朗報だね。なら言わせてもらうけど、オレ角倉兄ちゃんの弟じゃないから。サイって名前がちゃんとあるから!」
「なら、サイ君はどうして僕のことを兄と呼ぶの?」
「それはね、オレの亡くなった兄にあんまり似ていたから、つい呼んじゃったのさ。
なんてね。ただの敬称だよ、言わない?」
「言うのかもね。山に籠っているから知らないだけで」
こうして、敵意はないけれど頼りがいもない、むしろ引っ張る必要がありそうな男、角倉とオレは出会った。
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「ふわぁー」
真っ白なシーツから這い出して、フカフカなカエルスリッパをひっかける。簡素なピンク色のパジャマからマダラヤドクガエルの柄を銀糸であしらったモノクロな服に着替える。普段着であり、礼服であり、戦闘着であるこの服は、オレの意識も切り替えてくれるお気に入りだ。最初は着心地がよすぎて違和感のあった衣類も、1週間もすれば慣れる。人間の適応能力は素晴らしいとつらつら考えながら、顔を洗って歯を磨いて髪を整えて。キッチンに一歩近づくごとに大きくなる、ベーコンと卵の白身が焼ける音、トーストの香ばしい香りにお腹が鳴る。やっとたどり着いて席に座ると、1m程のメイド服を着た人形が、牛乳と共にそれを運んでくる。手を合わせて齧り付く。口いっぱいに広がる黄身のコクと豚の油と塩気が、噛むたびに混ざり合う。和食もシリアルも菓子パンも試してみたしどれもまずくはなかったけれど、やはり朝はベーコンエッグトーストに限るね!
完璧な朝食を堪能した後は、この家の作業室に向かう。一軒家と呼んで差し支えない大きさのこの『おうち』は、部屋にも廊下にも芸術性の高そうな家具が所狭しと並んでいる。初日はあまりの緊張にツボを4つ割ったけど、謝罪の一つも要求されなかった。俺は土下座して謝り倒したっていうのにヤツは「気にしないでいいよ」の一点張りだった。店の売れ残り品や試作品で、だから価値が無いんだそうだ。なんだそれ。
作業室の戸をそっと開けると、やはりというか、角倉兄ちゃんが作業台に突っ伏して寝ていた。傍らには昨日オレの話をもとに設計図を作っていた『ひこうき』が、木材で滑らかに形作られていた。搭乗口や車輪も丁寧に作られている。壊さないように隣の棚に移してから、ヤツに勢いよく飛びついた。
「寝落ち兄ちゃん!夜だよ!お日様が沈んだよ!」
肩を揺するとパチッと目を開ける。ここで油断してはならない。ヤツはまだ8割夢の中だ。
「また作業室で寝てたでしょ!ベッド行けって何回言えばわかるのさ!馬鹿なの!?」
「設計は昨日までで話し込んだから、今日は試作品飛ばしてみて問題点を探そうって」
「それでそんな頑張ってたの?それでこの出来?すごすぎて若干怖いよ!」
「作っている間、サイ君が暇になるから。」
「うんうん、オレ退屈が大嫌いだからね。角倉兄ちゃんがオレのこと大好きってことはよーく分かったから、兄ちゃんはベッドで寝ようね。いっぱい遊んで文句を考えておくからさ」
「うん。じゃあ、おやすみ。」
大きなあくびを一つ落として、兄ちゃんは作業室を出ていった。雨が降り続いてはいるが、もう朝と呼べる時間だと気づいているのだろうか。どうでもいいな。俺はタコ糸を出してそれの先に結び、長い廊下に出て走った。ふわりと舞い上がった『ひこうき』の姿は、オレが最期に見た炎の赤さを連想させるほど、飛行機にそっくりだった。




