カエルのおばあちゃん(著:imokenpi
『カエルのおばあちゃん』
「君が僕に相談するなんて、珍しいこともあったもんだね」
誰もいない病院の屋上。そんなところに私を連れてきた彼は、にこやかにそう微笑んだ。
つぶらな大きな瞳、華奢な身体つきに、普通の日本人に比べて色素の薄いやわらかそうな髪。そして、チャームポイントなのか一房のアホ毛が跳ねている。クラスメイトの神木聖歩だ。一見だと女の子に見間違えそうだが、私と同じ学校の男物の学生服を着ているあたり男で間違いないだろう。
「こんなこと、信じたくはないんだけど……ほかに相談できる人もいなくて」
「うんうん、話してみて」
普段彼の事をないがしろにしている私にとって、やりにくいことこの上ないのだが、
それを知ってか知らずか、彼は微笑んで見せた。
クラスの女子たちが可愛いとちやほやする彼の笑みを前に、ようやく私は悩みを打ち明けた。
まるで鉛のような色をした重たい雲から、バケツをひっくり返したような雨が降っている。大きな雨粒がバチバチと音を立てながらベランダに植えられた朝顔の葉を叩いていた。また、マンションの5階から下に視線を動かすと、人がせわしなく動きまわり、時折華やかな傘が花開いていた。
「……最悪」
私はそう呟くとベランダから部屋に戻って窓を閉じた。雨音が遠くなる。だけど部屋に戻った私を追うように雨は閉じた窓に叩きつけられていた。箪笥からタオルを取り出すと、湿った髪を拭く。
これからデートなのに。あーあ。
ぴろんと場違いに明るい音が鳴ったかと思うと、私はスマートフォンに飛びついた。
『今日のデートどうする?』
『雨だから、今日は映画を見に行きたいな!』
『OK!』
小さなデバイスの画面を指でなぞりながらやり取りをする。雨ごときで大事なデートを台無しにされてたまるもんですか。グッと親指を突き出すスタンプを見た私は口元を緩ませる。そしてスマートフォンを机の上に置き、Tシャツを脱いで今日着る服を探す。
その時だった。
プルルルルルル、プルルルルルル
無機質な電話の音が部屋の扉の向こうから聞こえる。
「佐和子―! 電話にでて頂戴!」
「はーい」
面倒だなと思いつつ返事をすると、私は二の腕を露わにしたキャミソールのまま部屋を出た。全くタイミングの悪い。
「もしもし」
「もしもし、ああ、佐和子かい? 元気にしているかい?」
受話器越しに聞こえたのはゆっくりと話すしわがれた声。掠れながら、一音一音絞り出すように話すから、時間がかかってしょうがない。じれったい私は受話器のコードをくるくると指でもてあそぶ。
「何? おばあちゃん、なんか用事?」
「今日は一緒に出掛ける約束だっただろう?」
その一言に私はドキッとしてカレンダーを見た。げ、そうだっけ?
遠目でよく見えないが、確かに今日の日付に丸がしてある。日付の管理などスマートフォンでしているからうっかり忘れていた。
「ごめん、今日は……」
「ああ、酷い雨だもんね。今日は仕方ないね」
「そうだね。びしょびしょになっちゃう」
「次は、一緒にいってくれるかい?」
「うん」
「そうかい、じゃあお小遣いをあげなきゃね」
そう返事をして電話を切ると、私はすぐに身支度に取り掛かる。
「お義母さんから?」
「うん」
「佐和子に出てもらって良かった」
「私にばっかり相手させないでよね」
ダイニングで雑誌を読みながらコーヒーを飲んでいた母さんは、その返答にほっと溜息をついた。母さんとおばあちゃんは仲がそんなに良くはない。お母さん曰く、「面倒くさい」とのことだった。確かに息子の嫁なんて血のつながりはない。お父さんも単身赴任でずっと家におらず、大して話題のタネもないのである。そしておじいちゃんも亡くなった今、一人で暮らすおばあちゃんは時折こうして私を誘うのだ。だけど、私だって面倒くさい。あのぼってりとしたかえるみたいな印象をうけるおばあちゃんにじいっと見つめられながら、ゆっくり、ゆっくり会話をするのだ。
同じような話を何度も何度も。――正直飽きる。
でも、行くと必ずお小遣いをくれるから、私は時折おばあちゃんに会っていた。
私は身支度を済ませると、お気に入りの赤い傘を差してデートに出かけたのだった。この傘もおばあちゃんが買ってくれたブランド物だ。正直買ってもらえるとは思ってなかったのだけれど。どうやらお年寄りというものは、随分孫に甘いらしい。雨でもこの傘があるから全然平気。それにこの傘を差していれば、他の雨で沈む人よりも自分がかわいくなった気がするから。
そして楽しいデートを終えて帰宅すると、黒いスーツに身を包んだ母親が家をせわしなく動きまわっていた。傘を畳んだ私は異様な光景に戸惑う。
「ただいま。どうしたの!?」
「佐和子!! お義母さんが、亡くなったって――」
あまりにも突然の死だった。心臓発作らしい。
その日から奇妙なことが起こり始めたのだった。
お年玉を下ろそうとしたら、いきなり数十万円が祖母の亡くなった日に振り込まれていた。
そして、いつでもどこでもカエルが私につきまとう。
緑色の3センチくらいのカエルだ。
学校に行くとき、自転車のそばにカエルがいる。
教室の壁にカエルがいる。
5階建てのマンションの窓にカエルが張り付いている。
そしてしまいには、お風呂に入ろうとした時にカエルの死体がそこにあった。
なぜそう感じたのかわからないけど、でもこれはもしかしたら、
死んだおばあちゃんなんじゃないかって……
げこげこと鳴きながら一心につぶらな瞳を向けるカエルに、わたしは申し訳なさでいっぱいになった。最期に会うことができなかった。だからおばあちゃんが未練を残しているんじゃないかって。
「……それで僕に相談したんだね」
「そう、心霊写真を撮ってみんなを怖がらせて、あたかも幽霊が見えるなんて言って回る、あなたに」
首からニコンの一眼レフカメラを提げた彼は、まだ彼の霊感とやらを信じられないでいる私に苦笑して見せる。
「学級委員長さんは手厳しいなぁ」
「で、どうなの。実際になんとかできるの?」
話を終えた頃にはすっかりと陽が落ちて、空がオレンジ色に染まっていた。
夕日を背にしている彼の姿がよく見えない。
「僕は除霊することはできない。だけど、霊を僕に憑りつかせて君とおばあちゃんを会わせてあげることはできる」
「うそ……でしょ」
「本当。君は僕がおばあちゃんの言葉を伝えても信じてくれないから、こっちの方が早そう」
そう言って彼が微笑むと、足元から一匹のカエルが現れる。彼がしゃがんで手のひらを差し出すと、その上にちょこんと乗った。彼はそのまま立ち上がって目を閉じた。
そしてしばらくするとカエルが手から飛び降りてどこかへと去ってしまった。
次に彼が目を開けて私を見ると、
「佐和子かい?」
と、ゆっくりと私の名前を呼んだ。彼の顔、彼の声それなのにさっきまでと全然ちがう。
表情、声の出し方、テンポ、曲げられた背中そして、愛おしむかのような目つき。
彼は私のおばあちゃんなど知らないはずだし、いきなり演技でこんなことが出来るはずがない。
「おばあちゃん!?」
思わず私は彼の――いや、おばあちゃんの手を取った。
「最後に私に会いたかったんだよね。約束破ってごめん、おばあちゃん!」
「佐和子……」
おばあちゃんは涙が流れる私の両頬に手を伸ばす。
「佐和子、佐和子はおばあちゃんと一緒にいってくれるんだろ?」
「……え?」
おばあちゃんはあっけにとられる私の首に手を回す。そして、思いっきり力を込めたのだった。私は勢いのまま屋上のフェンスに押し付けられる。
どんどんと酸素が吸えなくなり、苦しくなってくる。
「お、おばあ……ちゃん」
「おばあちゃんにはね……佐和子しかいないんだよ。一人は……寂しい……」
「や、やめっ……」
「佐和子を欲しいものはなんでも買ってあげただろう。ね、そうしないと佐和子は来てくれなかった。ちゃんともうお小遣いはあげたから、今度は、今度は佐和子がおばあちゃんの願いを聞いとくれ」
「それは……ぐっ……無理……」
「なんでだい……こんなに可愛がったのに、こんなに大切にしたのに……ああ、佐和子……お前も私が嫌なのかい……私を一人にしないどくれ……もう……一人は、嫌なんだっ!!」
「あっ……うっ……」
泣きわめきながら、おばあちゃんは私の首を絞め続ける。
身体に力が入らない。頭が真っ白になる。もう、だめだ……
そう思った時、がつんとなにか硬いものがぶつかった音がした。
すると、首から手が離れる。私は地面に崩れ落ちながらも必死で酸素を求める。
「はっ! はぁ!はぁ! げほっごほっ」
私は無我夢中で地べたを這うようにおばあちゃんから距離を置く。
見上げると、頭から一筋の血を流した彼も息を荒くしていた。
どうやら、自分でフェンスの柱に頭をぶつけたらしい。
「……」
私を見る目つきがさっきと違う事から、どうやらおばあちゃんの霊はもういないようだ。地面をずりずりと這って後ずさる私を見ながら、口元をゆがめて見せた。
「お前、ひでー奴だね」
そう言って私を嘲笑した。
クラスでは一度も見たことのない彼の歪んだ笑みに呆然とする。
「おばあちゃんに会えて、気分はどう?」
「気分は、どうって……!」
わからない。彼に怒るべきなのか、おばあちゃんが怖かったのか、初めて本性を見せた彼が怖いのか、悲しかったのか。ただ、ガタガタと震える私は言葉を紡ぐことすらままならなかった。彼は血を流した額を拭い、長い前髪をうっとおしそうにかきあげる。
「ふっ、ははっ!……最期の再会になるといいね」
そう言って笑いながら、彼は屋上を後にしたのだった。
そしてその後、カエルは私の周りに現れなかった。
決して後味のいい思い出ではないかもしれないけど、おばあちゃんも諦めたのかもしれない。その点では、あの神木聖歩に感謝すべきなのだろうか……
一週間後、また雨が降ってきた。私はいつもの癖でお気に入りの赤い傘に手を伸ばす。
玄関を出て傘をさすと、ボトリと何かが肩にあたって地面に落ちた。
「わっ!」
びくっと肩をすくませた私は、恐る恐る肩に当たった何かを探す。
地面をみるとそこには一匹のカエルが私の顔をじいっと見つめていたのだった。
『カエルのおばあちゃん』終




