雨の日の訪問者(著:帽子屋
その日の昼下がり私は雨天特有の湿り気を帯びた生温い空気を全身に纏いながら、ぼんやりとニュースを観ていた。
今日も一日このまま出掛けずに過ごすか……あぁでも食料を買いに行かないと……でもこの雨の中買いにいくのは面倒だな。誰か買ってきてくれないかなと怠惰な思考を巡らせていたその時、不意にチャイムの音が室内に響く。
誰も来る予定は無かった筈、と思いつつも数度繰り返し鳴るチャイムに急かされるようにして玄関へ進むとゆっくりと扉を開いた。
「こんにちは!あの時助けていただいたカエルです!」
そこにはカエルそっくりな顔の青年がいた。私はすぐに玄関を閉め鍵をかけた。
「やだなぁ忘れちゃったんですか、昔助けてくれたじゃないですか!ねぇってば恩返しにきたんです!あのカエルですよ!!思い出してくださいよ!!」
ドンドンと拳で扉を叩く音がする。あの時ってどの時だこんな奴に出会ってたなんて私の記憶には残っていないぞ……!
これはもう警察に電話するしかないと三桁の数字を入力し、今まさに発信ボタンを押そうとしたその瞬間に放たれた自称カエル男の一言に私の行動は阻まれた。
「ほら……!心無い少年たちに真っ赤に塗られちゃったあのカエルですよー!」
真っ赤に塗られたカエル……私の脳内に鮮やかに蘇った記憶には子供の手のひらに乗るくらいの小さなカエルを水道水でごしごしと洗う自分の姿があった。
さて、子供とはとは得てして残酷である。緑のカエルは良く見るけど赤いカエルはいないよな!じゃあ赤く塗ればいいんじゃない?その一言である雨の降る日の放課後、子供の手のひらにすっぽり収まる程の大きさの憐れなそのカエルは捕らえられ絵の具の筆で目に優しくない赤色に塗りたくられ放置されぐったりとしていたのである。
幼い私はそれを可哀相……嫌、違う。私自身の嫌いな色である赤に染められたカエルに憤りやや乱暴に水道で洗ったのだ。
「信じてくれたんですか!じゃあ早速お邪魔しまーす!」
ゆっくりと扉を開くとカエル男は嬉々として室内へと足を踏みいれてきた。
「お久しぶりです!お元気でしたか?いやいやあの小さな女の子がこんなに綺麗になってたなんて驚きです!あ、十年とちょっとでやっと人間に化けられるようになったんですよ!えっへん!」
誇らしげに胸を張る自称カエル男には悪いのだが私の目に写るのは人間の体にカエルの頭がついた、化け物と形容するしかない謎の生物。カエルが嫌いな人間が見たら失神するんじゃないだろうか。
「結構いい男でしょう?ここに来るまでに女の子達にきゃあきゃあ言われちゃったんですよ」
はぁ?思わず信じられないというように漏れた私の息を勘違いしたのかカエル男は照れくさそうに自分の頭を掻いている。
「いい男だからって惚れちゃ駄目ですよ、貴方にはもっといい人間の男がいますから」
何度見ても両生類にしか見えないその顔で何をぬかす……思わず吹き出すとどこか嬉しそうにカエル男は手をパンッと鳴らした。
「やっと笑ってくれましたね、良かった。これで恩返しが出来そうです」
恩返し?首をかしげる私にカエル男はこう語る。
「ああ、ほら。暇潰しのお相手になりに来たんです。だって雨の日は人間はひまなんでしょう?ですから、雨がやむまではお世話になります」
なんだそれは、それって恩返しなの?笑いながら聞く私に、「それくらいしか思い付かなかったので」としれっと答えたその顔がまた笑いを誘う。それからは他愛もない話をし続けた。私は何故かその時間がずっと続けばいいとそう思った。
気がつくと雨も上がっていて、陽もとっぷりとくれ、辺りはオレンジ色に染まっていた。
カエル男はおもむろに立ち上がり、私に一礼するとそそくさと玄関へと足を進める。
「お世話になりました。では、またいつか」
来た時とは違い、静かに扉が閉まる。それを私は何故か寂しいと感じた。
そして夜が明けて、雨が止み爽やかな夏晴れとなった翌朝にまたチャイムの音が響いた。
今度は誰だろうか、あぁそういえばそろそろ新聞の集金が来る頃だったな……そう思いながら扉を開く。するとそこには……
「えっと……元に戻れなくなってしまって……もう少しここに居させてもらえませんか?」
照れくさそうに頭をかきながら笑うカエル男の姿があった。




