第一章 9
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一小節目が響いた直後、私たちは臨戦態勢を取っていた。私はどこから敵が来ようと迎撃できるように、テレサはあらゆる魔術的手段を妨害できるように。だが、二小節目が終わったかどうかというタイミングで、純白の何らかの鳥の羽が舞い始め、街並みから人々が消失した。
そして、最後まで歌われたとき、意識が消失した。
いや、実際本当に意識が飛んだのかは分からないが、確実に意識に間隙が生じたことは確かだ。しかし、敵はその間隙を付いて攻撃を仕掛けることはなかったようだ。もしかしたら、間隙を作り出すのが目的だったのかもしれない。
私は周囲を見渡し、答えを見出す。正解は後者のようだ。
「テレサが……いない……?」
街並みは変わらず、違いと家えば人がいなくなったことだが、それは先に認知している。だが、意識に隙間ができる瞬間までは、テレサが隣にいたことは覚えている。そのテレサがいない。一瞬の隙を付いた敵の攻撃によって分断させられた、とみて間違いないだろう。方法までは想像もつかないが。テレサが移動させられたのか、私が街並みを完全に模したどこかにいるのか、というところで考察は終わる。
ここまで思考を回せたのも、肝心の敵がいないからだ。私より先にテレサを狙ったのか、この状況に落とし込んだことが王手だったのか。
「考えても仕方がないか」
ここが現実世界かも怪しいなら、まずはそこから確かめる。
私は路傍の石ころを拾い上げると、二、三度中に放り上げ感覚を確かめると、大きく振り被る。あまりフォームとかは分からないため、雑なものとなってしまっている。
しかし、投射された石ころは、プロの選手など遥かに凌駕するエネルギーを伴って、空を駆けた。手元から離れた瞬間に衝撃波を発生させると、空の彼方まで飛んでいく。そのまま行けば、大気圏を突き抜けるまで行くかもしれないが、その前に石が空気との摩擦で燃え尽きるだろう。ここが現実の世界ならば、だが。もし結界などで隔離された空間ならばそこまで広くないはず。先に空間の端に到達して、そこで止まる。そういう考えだった。
だがそうはならなかった。何かが音速を遥かに凌ぐ速度で飛翔する石を迎撃したのだ。辛うじて、地上からの何らかの攻撃であることは視認できたが、どこからどうやったのかは見えなかった。
全神経を張り巡らせて、最大の警戒をする。どこから今の攻撃が飛んでくるか分からない。その最大の警戒網に、一瞬、何かが引っかかった。直後。
ドッガッッッッァァァァ!!!!
通りの前方の、左右にある建物が吹き飛んだ。同時にではなく、左からの衝撃がその建物を破壊するだけでは飽き足らずに、通りを挟んで反対側にまで抜けたようだ。私からの距離は二百メートルもない。その破壊の元凶らしき人影が、舞い上がる砂塵の中に影を映した。
私と敵との間にあるのは二百メートルに近い空間だけ。近接戦闘なら十分を通り越して、臆病なほどに遠い。一瞬、敵の得意な攻撃は遠距離なのでは?そして、その考えが功を奏した。
砂塵の影が揺らめいたかと思うと、何かが高速で飛翔してきたのだ。咄嗟に左に跳躍し、建物を破壊しながら方向転換をして、飛翔体を確認する。
飛んできたのは……人間だった。その場から跳躍してきたのだ。二百メートルの距離を一瞬で。絶対に人間業ではない。代理人なはず――――、
「――――っな……どう、して……」
驚愕で呼吸をすることを忘れる。同時に心臓が早鐘を打つのを止められなかった。
先ほどまで、私が立っていた位置で停止した人間の正体は――――、
「―――なぜあなたがここにいるのよ!!!マリア!!!!」
同じ肌の色を持ち、目鼻口とパーツパーツには幼いころの私の面影があり……、しかし服装はひどいものだ。襤褸きれを上に纏っているだけの状態で、それも膝丈になっている。動く度にきわどく揺れるが、色気などは微塵も感じられない。
全てを失ってでも救おうとし、守ろうとした存在。
妹、マリア・モンドラーネの姿があった。
なぜここに?
そんなありきたりな疑問が脳裏を廻る。ここが現実なのかは分からないが、少なくとも相手の術中であることは確かだ。そんな場所に、何も関係ない人間が出て来るわけがない。
彼女は……妹は、代理人だ。頭が素直にそう判断する。
私は妹と向き合ったまま、動かない。動けない。妹の方は分からないが、私は動けなかった。
「……お姉ちゃ……」
妹が口を動かしたが、発音された言葉は私に届かなった。妹も届けるつもりはなかったのか、その言葉をかき消すように首を振って、真っ直ぐな瞳を向ける。
「アドゥラ」
静かに、私の名前を呼んだ。こちらも消え入りそうなほどに儚かったのだが、この言葉は明瞭に耳に突き刺さった。直後、マリアは私に向かって飛び出していた。
マリアの拳が私の腹にめり込む。
ゴッッッッバァァァァァッッッッッッ
音と衝撃が遅れてやってきた。私はダンプカーに跳ね飛ばされた様に吹き飛ぶと、隣の通りの反対側の建物を破壊することで止まった。
―――――妹は私のことを基本的に名前で呼ばない。しかし、例外もあった。
私はダメージの残る体を奮い立たせ、何とか立ち上がる。そんな私にマリアは追撃を加えようと駆け出している。その左手にはさっきまで存在しなかった長剣が握られている。その剣をマリアは私の同を両断する勢いで、横薙ぎに切り裂く。咄嗟に私も神葬を持ち出し、逆手にもってそれを受け、刃が届くことを阻止する。しかし、衝撃を逃がしきれずに足を地面に付けたままで、真横に飛ばされる。
連なる建物の壁を何枚もぶち抜いたところで、ようやく足がブレーキとして機能し止まる。
――――妹は……マリアは本当に優しい妹だ。自らの境遇も既に最底辺なのに、周りに困っている人がいると、放っておかない質の人間だ。それは身内である私にも適応され、私の帰りが深夜や朝になり、疲労困憊で帰ると、その姿を見たマリアはすぐにご飯の支度をしてくれる。だが、
それを一通り食べ終わると、決まってこう言うのだ。
「アドゥラ、そこに直って」
マリアは長剣の切っ先で自分の目の前の地面を指し示す。
―――――『アドゥラ、そこに直って』
そこから始まるのは、一時間の説教コースだ。しかも、内容の七割が私をずっと心配していた、という内容だ。私が激昂して喧嘩になることはまずない。心配してくれる家族がそこにいるだけで満たされていた。そして、後の三割は、
『アドゥラの人生なんだから、好きなように生きて良いんだよ。私なんかの為に身を削ってまで生きるのは勿体なさすぎる。もっと自由になっても良いんだよ』
と、自己犠牲を否定するものだった。もう、どっちが姉なのか分からなくなるくらいには出来た妹だ。だが、否定する割に、自らは放っておくと不特定多数の誰かの為に、マリアはその身を塵まで使い切る、そんな妹だ。私はそう思っているから、マリアに何も相談せずに勝手に家を出た。相談すれば、『私がなる』と言って聞かず、その力でもしかしたら本当に全てを救ってのけるかもしれない。しかし、私は……それが許せなかった。
私が動かないのを否定と取ったのか、マリアは力任せに剣を縦に振り抜いた。そこから発せられた斬撃は、私たちの間にある瓦礫を切り裂きながら、私に牙を剥く。その斬撃は、自らの右手に持つ剣を、全力で横一文字に振り相殺させる。
――――絶大な力を持ち、地球上にいる生物を隈なく救う。
貧困で苦しむ人々を救う。
飢餓で苦しむ人々を救う。
災害で苦しむ人々を救う。
果ては、陸海空のその他の動物をも救うだろう。
剣を振り切り、体勢の崩れた私にマリアは接近すると、再度剣を振り下ろす。私の体を両断する凶刃の軌道に、無理矢理神葬を滑り込ませ受ける。
――――マリアなら神に祈らなくとも、代理人の力だけで成し遂げるかもしれない。後に神格化され、伝えられていくかもしれない。
無理な体勢がたたり、刃は受けきれても、衝撃までは受けきれなかった。今度は地面との板挟みで、衝撃を後方に逃がすことも出来ない。
地面が十数センチ陥没しあ、足元の周囲には亀裂が走った。
――――その救済はマリアの周囲のものを例外なく拾い上げる。その身を代償にして。
そんなもの……許容できるわけがない!!!
全身の骨が筋肉が悲鳴を上げている。しかし、全霊の力でそれを押し返すと、流れて蹴りを放つ。その蹴りをマリアは後方に飛ぶことで難なく躱す。
――――私には、世界中の救済なんて興味ない!ただ、一人。最愛の妹が幸せになってくれるなら!!
ついさっきも同じことで悩んでいたが、答えは単純だった。
蹴りを出してから、膝を付いた私に声が響く。
「アドゥラ!」
再度、今度は鋭く私の名を呼ぶマリア。その声には悲痛さが滲み出ており、気迫が籠っていない。
――――マリアが……妹が望んでいるかは関係ない!
私は地面に神葬を差し、支えにして立ち上がる。
――――傲慢だろうが自己満足だろうが、知ったことではない!
「そこに直って!!!」
マリアが咆哮し、距離を詰め、剣を振り下ろす。
「――――断るわ!!」
私たちの剣が交錯する。
私は、全てを救うマリアを――――救ってみせる!!!




