第7話 追手
とある寂れた酒場。
安酒と饐えた体臭が充満する店内で、無頼漢たちが声を潜めていた。
「おい。聞いたかよ、あの話」
「あぁ、最近ここの酒場を利用してるって噂の、あの筋肉の男だろ?」
「それそれっ! 同じ城壁の建築現場で働いてる奴から聞いたんだが、凄まじい腕っぷしらしくてよ。現場監督のオッサンにえらく気に入られてるらしい。ただ、酒を飲ませるとあの巨体に似合わず、めちゃくちゃ泣くらしいぞ」
「嘘こけっ! 俺が聞いた噂だと、酒は一滴も飲まずに、異常な程の量を平らげる大食いだって聞いたぞ!」
「それこそ嘘だろ! そんな大食いだったら店が干上がっちまう。本当はめちゃくちゃ少食だって聞いたぞ」
「――少し。お話を伺っても?」
下品な泥酔者たちの論争を割り込んだのは、深くフードを被り人相の分からない人物だった。
この汚い酒場には到底似合わない、フードの隙間からでも一目で分かる上質な仕立ての服。だが、その声は凍りつくように冷徹だった。
「かっ! 嫌だね。情報が欲しけりゃ、俺たちの酒代を肩代わりしてもらわねえとなぁ?」
「ギャハハハっ! ちげぇーねーよっ! おいあんちゃん、金はあるのか?」
ゴトッ。
テーブルに無造作に置かれたのは、重みのある皮布に包まれた物。
このクズどもが今月使った酒代をすべて合わせても、まだお釣りがくるほどの塊。
「これで、足りるかな?」
「お、おぅ。……あんちゃん、いや、旦那。こっちの席でじっくり話そうじゃねえか」
目の前に差し出された金額に気圧されつつも、傭兵たちは最近街に流れている噂を小声で話し始めた。フードの男は、その言葉のすべてを冷徹に脳内で照合していく。
「まずだな……。
①彼には絶対に接触するな。
理由は俺たちも知らん。噂の出処は例の建築現場だが、中央軍の調査隊がわざわざ来たのに、現場監督と何やら話をしたと思った直後……軍の連中が脱兎のごとく逃げ出したらしい」
(……我が軍の敵である、中央軍の調査隊が接触を諦めて即座に撤退したか。それほど手出し無用なバケモノということか……)
フードの男の脳裏に、自軍の第2番隊が『たった1合』で肉片に変えられた凄惨な戦場の光景がよぎる。
「②彼の背後に立つな。
これは傭兵寄合所からの噂だが、背後から声を掛けようとしたベテランが、一瞬で裏拳で吹き飛ばされて壁に張り付いたらしい」
(不意打ち、奇襲の類は一切通用せぬ……か。戦場の生存者が言っていた『消えた』という超速の身のこなし……あの裏拳の破壊力、我が軍を屠った『悪魔』の特性と一致するな……)
「③強引なスカウトをするな。
これも理由は分からんが、強引にスカウトしようとした中堅の傭兵団が、たった一人に半殺しにされたって噂だ」
(正規の軍だけでなく、民間の武力組織すら容易く返り討ちか。やはり、単身で一軍を崩壊させるあの男に相違ない……)
「④さっき俺たちが話してた、よく食べるとか酒を飲むとかの話だが、いかんせん目撃情報が少なすぎて、どれが真実か分からねえんだ。
すまんっ!俺たちが知ってる噂は、本当にこれだけなんだ」
「……彼の、現在の居場所は知らないよな?」
「えぇっ! もちろん知っていたら真っ先に旦那にお教えしていますがな……」
刹那、酒場全体の空気が一瞬で氷結した。
フードを被った男の肩が、激しい怒りと恐怖で小さく震えていた。
我が宗教軍の尊い精鋭たちをゴミのように屠ったあの死神が、まさかこんな街で………あまりの不条理。
その奥から溢れ出た殺気に、普段現場で汗を流しているだけの彼らは息を呑んで硬直する。
「そうか……」
有力な情報など何も持っていぬクズどもだと判断した瞬間、男の目は完全に冷え切った。
フードの男はテーブルに置かれていた皮布をひょいっと無慈悲に回収すると、彼らたちが呆然とするなか、そのまま音もなく街の闇へと去っていった。
我が軍を壊滅させた『死神』の正体を暴き、必ずや神の鉄槌を下す――その執念だけを胸に秘めて次の現場へと潜行していく。
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