第三話 遭ウ
第三話 遭ウ
2055年8月1日
都内某所。一軒の古いラーメン屋。
カウンターの一番奥に客が一人。中華そばの汁を啜りながら頭上のテレビを見上げている。
「よっこらしょっと」
店主は、うだる汗を手拭いで拭い、出たお腹をカウンター越しに覗かせて客と同じテレビに目をやっている。
昼下がりで立ち込める熱気。蝉の声が鳴り響く。
「うるさいなぁ、聞こえやしねー」
テレビのボリュームを上げる店主。テレビから、アナウンサーの神妙な声が漂う。
「本日未明、東京都台東区のマンションの住人から異臭がすると110当番通報を受けた警察がそのマンションの異臭がすると思われる部屋を捜索したところ、成人女性と思われる遺体が発見されました。その遺体は頭部が切断されており、警察は、遺体の状況から、今年に入って3件起きている都内連続死体遺棄事件との関連を視野に慎重に捜査を進めているということです」
「なーんだ、またぁ」
読み始めていたスポーツ新聞をめくる手を止め、再度テレビに目をやりながら常連客がぼやく。
「物騒だね~。ったく」
「都内だからここも安全じゃないね~?」
「大将はだいじょうぶでしょー」
「ちげぇーねぇ、あっはっはっはぁ」
大将の笑声と蝉の合唱が混じる合う。
東京都台東区 死体遺棄事件現場 午後1時
どこにでもある1LDKのマンションの一室。現場となったその部屋にはすでに多くの捜査員、鑑識が犯人の痕跡を探している。
遺体発見時、玄関と窓の鍵は閉まり、俗にいう“密室”であった。遺体は頭部と胴体の2つに切断されている以外に目立った外傷は無い。奇異な事にその遺体には血液が無く、周囲に流血した形跡もなかった。遺体の状況から、別の場所で殺害後に移動させたとは考えにくく、犯人が何らかの意図を持って体内から血液を抜きとり持ち去った可能性を示唆していた。また、衣服に乱れは無く、貴重品も手着かずであることから、猟奇的な嗜好のある愉快犯であるとその場にいる殆どの捜査関係者が推測していた。
一人の新米捜査員が、遺体の傍らに立ち、これまでに入手した情報を読み上げる。
「被害者は都内の私立高校に通う 桜井里穂 16歳でここに独居です。死亡推定時刻は今日の午前3時。死因は現在不明です」
新米捜査官は苦笑いを浮べる。
「第一発見者は近所に住む叔母で、今、任意で事情を聴いています。該者の家族は岡山に母親が1名のみ。父親は数年前に病死とのことです」
中腰で遺体を観察していたベテラン捜査員が質問を投げかけた。
「学校以外の交友関係は?」
「学校関係者によると、部活は何もしておらず、アルバイトする様子もなかったと。同級生からの話だと派手に遊ぶ訳でもない大人しい子だったらしいです。交際相手なども無かったと数名から証言取れています。真面目な大人しい子だったと、皆、口をそろえて言っていましたね」
「学校以外の線をもっと洗ってくれ。あと、近隣で変質者の情報がないかあたってくれ」
「わかりました」
そう返事をして新人捜査員は即座に現場を去って行った。ベテラン捜査員はしゃがみこんだまま、訝しげに遺体の切断面を覗き込む。
「しっかし、これ、切られてねぇーよなー、どう見ても……」
「はい、切られたというより、ちぎられた? ほら、首と胴体の断片が、皮がこう、断裂したような……。で、またあるんですよ。例の傷が……。見てください。背中に一太刀でついた斬り傷」
ベテランと思しき鑑識員が状況を分析する。
「同一犯で間違いは無いな」
「ええ……まるっきり同様の手口で、今年に入ってこれで7件目になりますね。これで。首をねじ切るほどの腕力が出せる人間はまずいないでしょうし、やっぱりあれ(B-SABot)の使用が濃厚ですか……」
ベテラン捜査員は鑑識員の推理を否定できない。しかし……
「しかしこのご時世、B-SABotは登録ナンバーと一緒に流通経路も完全に抑えられてるしなぁ……。裏ルートってことになるなぁ」
少しの沈黙がその場を支配する。っと、その時、現場の捜査員をかき分けながら入ってくる1人の男がいた。
「特課の後藤です。失礼します!」
後藤は、警視庁、特殊犯罪捜査課の捜査官である。
ベテラン捜査員は所轄の刑事であるため、後藤の姿を見て少しびっくりしたように問う。
「後藤、随分と早いおでましじゃないか?!一応、同一犯とうい線で本店には報告はするつもりだったんだがな……」
後藤には、ベテラン捜査員に伝えなければならない情報があった。
「それが、牧さん、タレこみがありまして……。ちょっといいですか?」
そういうと、ベテラン捜査員の牧の耳元に忙しく情報を流し込んだ。
「今夜、殺人が起こった現場、つまりこの現場から近い4丁目のあたりで、新たにもう1件、一連の被害者と同じ“名前”の女性が狙われるという内容なんです……」
「えっ?!」
牧は、驚きを隠そうとせず、後藤に質問を返した。
「んー、そのネタの出どころは?お前さんも知っての通り、この同じ手口の犯行が始まったのは半年だったな。で、これで6件目だ」
「はい」
後藤の歯切れのいい返事が響く。
「その被害者全員に共通するのが“名前”だ。その情報は、捜査関係者以外は知らないしマスコミにも流してない」
「そうなです。局内の端末に匿名で直接私宛に掛かっていたんですが、男の声でした。信義は置いておいて、問題は捜査関係者しか知らない情報を知っていたという事なんです」
後藤の説明で、ベテランの勘を重んじる牧の心が動き出し、即座にその場にいた捜査員に指示を飛ばした。
「4丁目を中心に名前が“りほ”という16歳前後の女の所在を全て洗い出せ!見つけ次第、捜査員2名体制で配置し警護に当たれ!数が多ければ署で保護しろ!」
「あと、特課のB-SABotの出動も要請しとけ!」
牧の声が響き渡り、一斉にその場にいた捜査員が動き出した。
後藤は、腕に付けたウェアラブルフォンを軽くタップし、本部あてにB-SABot出動要請の一報をいれるのであった。
同日 午後7時過ぎ
陽が落ちてきた同区内4丁目の一画に後藤の姿があった。インナートランサーに手を当て1軒の住宅を見据えながら語気が早っている。
《特課の後藤です。私のB-SABotまだですか?緊急配備完了しています。いつでもいけます。ええ、そうです、保護対象者です。急いでください!》
後藤の目の前の一軒家から何かが割れるような音と、女性の悲鳴が聞こえた。
すり足で玄関に駆け寄った後藤は、施錠の無い扉を少し開け、隙間から中の様子をそっと伺う。程なく、玄関先には捜査員と特課のB-SABotが3体到着し、後藤はB-SABot操作車両へと急ぎ戻った。
操作者として現場に出ることの少なかった後藤は緊張した面持ちで操作車両内に飛び乗り、ゴーグルヘッドギアを装着すると、深く座り、動きを止め、思考に集中する。
——落ち着け……深呼吸……ふー
前頭葉に叫びをイメージする。
――ブレインインターフェイスオープン。認証キーA1184 エンラセイザー起動
ようやく薄暗くなり始めた空。日中の熱気と強ばった現場の空気が、額の汗となって滴り落ちる。
突如、インナートランサーを介し、取り囲む捜査員に指示が飛ばされた。
「正面玄関と裏口からそれぞれ1体、B-SABot突入させろ。後藤のB-SABotは、正面から後方支援しながら突入!居住者の安全を最優先だ」
緊迫した現場での操作に、今までに感じたことなない緊張と急がなければという焦りが混ざり、座っている後藤の手を硬く握らせる。
正面も裏口も施錠は無いようで、すんなりと屋内へ侵入を果たした後藤を含む3体の B-SABotは、ゆっくりと携帯したコヒーレンス小銃を構えながら1階を進む。
「リビングとキッチンで2名倒れています。画像送ります」
先行したB-SABotの視覚野カメラの映像が、捜査関係者の見守る司令部のモニターに投影される。映されるリビングとキッチンには照明がついていたため、その惨状がはっきりと捉えられており、その場から響めきが起きる。
「うっ……こりゃあひどい……」
一面血の海になったリビングの映像を見ていた捜査関係者の一人がつぶやきを漏らす。B-SABotは遺体の接写を試みる……白であろう衣服が赤黒くまだらに染まっている。明らかに背中から刃物で切り付けられたような裂かれた跡。生体モニターで生存を確認するB-SABotを残し、もう1体のB-SABotと後藤のB-SABotはさらに慎重さを増し、物音の聞こえた2階に急ぐ。
軋む階段をゆっくりと昇る。2階は2部屋ある作りになっており、そのうち奥の1部屋から異様な殺気がドロドロと流れ出ている。モニター越しだとはいえ、B-SABotを操作する後藤にとってもその殺気は、身震いを起こさせるに十分なほどだ。だが……歩みを進める。っと、先行していたB-SABotが躊躇いも無くその部屋に突入した。
——よっし、俺も!
1m後方に位置していた後藤が続き、突入しようと踏み込んだ足先が部屋の中に入る寸前……ほんの一瞬……何かがそれを阻むように後藤の前を横切った。
通常、B-SABotを操作する際、操作端末としてゴーグルヘッドギアを頭部と眼部を覆うようにして装着する。あとは、椅子などに腰かけたり、ベッドに横たわり、端末の操作に集中する。操作者のつけたヘッドギアの眼部に操作端末であるSABotの視覚野カメラから送られた映像が投影されている。それを見ながら操作者は“思考”するだけでその端末であるSABotを自由に動かすことができるのだ。当然、その操作には熟練を要するが、個人によって“適正値”が生まれながらに決まっており、その値が高い者ほどより高度な操作が可能となるのだ。日本の警察でも早くからB-SABotの導入が進んでいて、その操作に熟練した者を特殊犯罪捜査課に配属させ、危険度の高い前線へ実戦的に投用している。
先行した仲間のB-SABotが銃を構えて部屋に突入。後方よりそれに続こうと後藤の B-SABotが足を踏み入れた次の瞬間……。
扉の向こうからとてつもない勢いで吹き飛んできた“物”の圧風に押され、後藤のB-SABotはのけ反り、尻もちをつく。 すると、部屋の外に吹き飛ばされ廊下の壁に激突し機能停止したB-SABotの姿が後藤の眼に飛び込んできた。
——何が起きた?
後藤はすぐさま立ち上がり体制を整え、そして、ゆっくりと扉横に向かい突入体制を整える。
——何かが居る……得体の知れない何かが……はぁーー、ふぅーー、行くしかないぞ。覚悟を決めろ!
ひと呼吸整え迷いを振り切った後藤は、素早い動作で立ち上がり再度部屋に突入する。その瞬間、部屋にいた何かからの攻撃が微かに見え、反射的に両腕で防御姿勢を取らされてしまう後藤。一歩後退しながらも、その攻撃が刀によるものだとすぐに理解できた。それは、防御しようと構えた自己の左腕手首より先が鋭く切断されて既に無いのが見えていたからだ。VRによる遠隔操作とは言え、エンラセイザー(※4)により広範囲の脳領域を深部アクセス状態にしていることで“痛み”の錯覚現象が少なからず存在するB-SABot操作において“身体の損傷”は程度にもよるが操作者に相応の痛覚刺激をもたらす。椅子に座る後藤はとっさに切断された方の腕を抑え呻いた。
「ウッッウ……いっ痛い……」
(※4)エンラセイザー:脳波を解析し、思考パターンとしてB-SABotに動作命令を行う際、瞬時に正確で細かい信号伝達を行う為に開発されたナノユニット。量子集積回路により逆指向性処理、つまり脳の広範囲に送られた干渉波の解析が主たる機能となる。この時のエンラセイザーと脳との反応親和度がB-SABot操作における“適正値”であり、80%を下回ると一般的にB-SABotは動作しないとされている。
先ほどの攻撃で2mほど後ろに飛ばされるが体制は保っていた後藤は、左手首を押さえながら視界の先、前方を確認する。
——あれが……犯人か!?
マントを目深にかぶり全身ローブのようなボロ切れを纏った男?が、刀身が3尺ほどの長刀を片手に持ち仁王立ちする姿が後藤の眼前にあった。
硬直する後藤。
マントの下からこちらを見据える目は、感情も無く、無機質で冷たく、どこか機械的な赤黒い光を放っていた。恐ろしい……なぜだか分からないが……怖い。
一瞬、心に芽生えた“畏懼”をたちまち振り払った後藤はたじろいではいなかった。数年前の警察官になって間もない頃、毎年警察内部で行われたB-SABot剣技格闘競技大会で優勝し、そこから6連勝。適正値約85%。通常、操作可能な適正値の80%を超えるものは全人口の0・01%といわれており、警察組織としても後藤のような高適正で操作技術に優れた捜査員は重用していた。故に後藤はB-SABot操作に対して自信を持っていた。たじろがない理由はそこにある。が、実戦経験は……多くはない。
B-SABot越しだとはいえ様々な負の感情が彼を支配する今、躊躇などしている隙は無いと自分を奮い立たせる後藤。
——ん?!来る!
マントの男は振り下ろしていた長刀を再び振り上げ、再度、殺意の一撃を振り下ろす。
後藤は咄嗟に携帯していた強化警棒を手に取り、振り下ろされた長刀を必死の速度で受け止める。金属と金属のぶつかる鋭い音が静寂の家屋内に響き渡った。
《現時点をもって発砲を許可。早く1階のB-SABotを2階に突入させろ。SATが到着したら速やかに2階開口窓より制圧射撃を含めた突入行動に移行させろ》
指揮官が後藤のモニターを見ながら指示を飛ばす。
初撃を受け止められたマントの男に躊躇いは無い。追撃とばかり、後藤めがけて長刀を何度も振り下ろす。ッカンッカンッカンッカン……その連撃、一撃一撃が重い……凄まじく……しかも早い……。その太刀を受けるのが精一杯で後ずさりする。
——ダメだ!耐え切れない!
右ひざをついてしまった後藤。
――何て力だ。俺が押されてる……。このままじゃ……もう、リミット解除するしかない
これ以上は耐えきれないと悟った後藤は、警察用B-SABotに実装されていたリミット解除機能を発動させた。
――コード スプレシオン
後藤は思考の中でリミッター解除コードを叫んだ。
人の脳は平常時、同時に使われる領域はせいぜい40%ほどであるが、B-SABot操作時の脳は60%以上の活性化領域を保った状態となる。エンラセイザ—も当然その領域に干渉していくのだが、そこには、ブレインインターフェイス上で情報のやり取りに制限を掛けている。それは、大量の情報処理における熱の発生で脳細胞そのものに物理的熱傷を負わせないようにするためだ。その制限を解除することで、情報送受信量が飛躍的に多くなり脳活性化領域が増すと同時に大量伝達された情報によりB-SABotの身体能力は格段に高くなる緊急事回避用システムが“スプレシオン”である。しかし、反面、脳に掛かる負荷も増大。最悪の場合、脳破壊状態に陥り、死に至ることとなる。
——リミット解除……コード スプレシオン
B-SABot頭部と背部のブレインインターフェイスラインに赤い光が流れると同時に冷却ユニットからの蒸気が漏れ出る。手足関節部が蒸気とともに数cmイジェクトし鈍く鳴動……そして、眼部が赤く発光する……。
その途端、後藤は今まで打ち込まれていた長刀を一撃で弾き飛ばし、すぐさま状態を立て直し男に向かって警棒を振り下ろながら反撃に転じる。
——いけ、いけ、いけっ!
B-SABotの帯熱が空間を歪める。
相手のパワーが増し、数歩、後ずさりするマントの男。思わぬ防戦となってしまった。だが……微笑する。5秒ほど後、打込まれる警棒を大きく弾き返す。
「この程度か……」
弾かれた警棒は後藤の手から離れ、その勢いで壁に突き刺さってしまった。
――まずい
後藤はすぐさま3歩ほど後退。格闘姿勢を取り相手を睨みつける。
――退くか……いや、俺が負けるはずがない!まだ行ける。狭い空間で長刀を扱うのは難しいはずだ。相手の動きをよく見ろ!絶対隙がある。その隙をついて奴と組合えば……あとは押え込んで動けなくするだけだ
正義感が強く、小さな頃からの夢であった警察官になれた時から、後藤の使命は“悪を倒す”の一言だった。B-SABot適正があると分ってからは、それまで以上に精神的肉体的な鍛錬を重ね、そして、B-SABot操作者の名誉とプライドを胸に秘めた熱血漢としてどんな事件にも全力で立ち向かってきた。彼の眼から放たれるそういった想いが、男を威嚇する。
2体はお互いの攻撃の隙を突こうと、動かず、見合う。一瞬の長い睨みあいが続く……
突然、マントの男が握りしめる長刀を手から地面に落とし格闘ポーズを取る。後藤に向かい、「かかってこい」と言わんばかりの手招きを見せる。
――ふざけやがって!
頭に血が上る感覚……。須臾な怒りに身を任せ、切断されていない右拳を相手に向かって打ち込み突進する。しかし、マントの男はその動き待っていた。完全に見切られている。
後藤の右ストレートを左にかわしたマントの男は、同時に凄まじい速さの左の拳を後藤の左脇腹に打ち込んだ。
ドンッ……
周囲の空気が震え、一瞬静止する。
その力とスピードは後藤の予想を遥かに超えるも……。避けるどころか、見えない。
更に二激目……
ドッスン!
ヒットした拳の鈍い鳴動。
「……ッゲボ……」
後藤は操作車両で嗚咽する。
B-SABot胴体部はマントの男が振りぬいた拳の方向へと裂け目を生じ、ゆっくりと、脆く真っ二つに引きちぎれてしまった。
崩れ落ちたB-SABot上半身が床に落ち横たわる。腹を押さえ、苦痛に悶えながらも薄目を開ける後藤。横方向、視覚野カメラ越しにマントの男の足先が見ている。
――なっ、なんなんだあの動きは……B-SABotの動きじゃ……ない……完全に生身の人の動きだ。っし、しかもプロボクサー以上の速さ……。力はB-SABotのリミット解除時よりも数段上。っあ、ありえない……そんな、馬鹿な……
微笑を浮かべるかの如きマントの男。足下のB-SABotを蔑み見下ろしている。そして、躊躇うことなく、床に転がった後藤の頭部めがけて踵をハンマーのように振り下ろそうとしている……。
後藤は、自らの機体の惨状に混乱していた。B-SABot格闘において絶対の自信を持っていた自分が瞬殺されたのだ。しかも、リミット解除した状態であるにも関わらず……。思考が硬直状態に陥った後藤は目の前の状況が見えなくなってたい。
男は後藤のB-SABot頭部めがけ踵落としを繰り出そうと足を大きく振り上げる。モニター越しに捜査員達は息を呑んだ。
「後藤!早くゴーグルを外せ!」
頭部が破壊されるような痛みは想像すらできない。しかも、リミット解除しているという事は、受ける錯知覚も抑制されていないということになる。
「何やってんだ!後藤!ゴーグルを外せ!」
指揮官の怒号が後ろの操作車両で座っている後藤本人に向けられる。が、後藤は動けない。悪に対する揺るぎない信念と覚悟、これまでの鍛錬で築き上げた自分への絶対的な自信、そのすべてが儚く粉砕された現実を理解できなかった……。
「後藤さん!誰か彼のゴーグル外して!」
別の女性捜査員も叫ぶ。しかし、男の踵が容赦のない刃となって、今、振り落とされた……。
――あっ、俺、死ぬ……のか……
後藤は目を閉じた。
一間の静寂。誰もが固唾を飲み、目を背ける。
ゴロンッ…………
何かが床に転がる音。
ん、何の異変も感じない。後藤はそっと目を開けていく……。
モニターはまだ消えていない。
――んっ、どうなった?
後藤は、頭部に痛みが無いことも忘れ、なぜまだモニターは生きているのか、必死になってそこに映るものから状況を見出そうとする。同様に周囲の捜査員も目を凝らした。
ノイズで鮮明ではないモニター。横になった自分の前に立つマントの男が見える。
——あれは?片足?
男の振り下ろされた足の膝から先が無い。
——どうなった?
異様な惨状に後藤たちはモニターを更に注視する。
「あ、あれっ!」
捜査員の一人が思わず叫ぶその視線の先。モニター右奥。やや見切れてはいるが、男の足であろう物が転がっている。何が起こったのか……。
後藤はおろか他の誰にも今、そこで、何が起こっているのか解る者は居ない。っと、突如、その画面が揺らぎ、ノイズが走った。
画質が乱れたその一瞬の後、モニターいっぱいに映り込んだ灰色が角度を変え鋭い光りを反射させてきた。それは、日本刀のような……。
切先のような形状で刀である事は分かる。その日本刀のような刃が確認できたのはほんの一瞬で、その切先は一呼吸の間にマントの男に向かって斬撃を描く。
「班長、あれ……」
「ああ、分かってる……誰か後藤のゴーグルを外してやれ!」
「大丈夫です!エンラセイザーOFFにしてモニター操作だけやります!」
後藤が映すモニターからは全体を見ることはできないが、鋭い刀を持った何者かがマントの男に襲い掛かっている。
――誰だ?
後藤は少しでもその戦いを捉えようと頭部を必死に動かすが動揺からか上手く行かない。
——くそ、もうちょっと右だ。右!動いてくれ!!
雑念に満ちた思考では適正者であっても簡単ではない。
——ふーーーっ、ハァーーーー
後藤は、呼吸を整え、そして集中する。そして、ようやく、見やすい位置で映像が固定できた。
「SAT到着しました!一階のB-SABotが回線トラブルで操作できないそうです」
「よっし!SATを裏口から突入させろ!一階を確保した後、階段前で待機。指示があるまで二階へは行くな!」
「何なんですかあれ……仲間割れ、ですか……?」
「分からん……。俺が聞きたい……」
鮮明さを増した映像が捜査員たちの困惑は呼ぶ。それもそのはず……
先ほどまでその圧倒的な戦闘力で後藤を圧倒し、醜悪な殺意を向けていたマントの男が突如現れた何者かにすさまじい太刀筋で切り刻まれ遅疑な様を晒していたからだ。
圧倒的なスピードと力……。
細切れになっていくマントの布切れが部屋中に舞い散る。
マントの男は、必死に置いていた刀を拾いあげ攻勢に転じようとするが圧倒的な剣技の前になす術がない。
――す、すごい……すご過ぎる……
息を飲む後藤。
——つい一刻前に圧倒された相手が手も足も出せない……俺は夢でも見ているのか……
殺気や戦意すら微塵に切り刻まれ続けるマントの男。刀の雨を凌ぎながらジワジワと後退する。が狭い部屋では、さほど逃げ場はない。窓ガラスを背にしたマントの男は、そのまま背部の窓ガラスに体重をかけた。
加重で割れ散るガラス片。それにまぎれマントの男も屋根に転がり落ちるが、すぐさま体制を起こし屋根に足を着けると、屋根瓦とガラス片を軋ませながら残った片足で隣の屋根へと飛び移ってしまった。
住宅を包囲していた捜査員達はサーチライトで照らされたマントの男を追う。物陰に隠れていた狙撃手の銃口は、屋根伝いに3足歩行するマントを捉え切れない。
注意がマントの男へ逸れている最中、マントの男を襲撃した何者かが割れた窓枠に片足を掛け、逃げるマントの男の軌跡を確認するや、刀を鞘に納めながら自身もそれを追って屋根から屋根に飛び跳ねていく。そして、瞬く間に2名の姿は現場から跡形もなく消えてしまった。
室内に横たわった後藤のB-SABotは、その一部始終をその場に居た多くの捜査員に見せていた。しかし、あまりにも一瞬で、あまりにも早い展開に一同、茫然となるばかりだ。
――今のは、何だったんだ……
マントの男を撃退した何者かの姿を明確に捉えた者は誰一人いない。しかし、暗く砂嵐が混じるその映像の中に映り込む縹渺な面影が現場に戸惑いを撒いてた。それは、信じがたくもセーラー服を着た黒髪の少女のような姿であったからだ。
「今のは、何ですか?女の子?」
耐え切れず、捜査員の1人が静寂を打ち消すようにつぶやいた。
「俺が知るわけないだろ!」
指揮官は語気を荒げにそう答えるのが精一杯でだった。
それから、数分経過しただろうか。後藤だけはあの一瞬の出来事をフラッシュバックし続け、止まっている。
「後藤君!大丈夫!?」
操作車両で座ったままゴーグルヘッドギアを外そうとしない後藤に1人の女性捜査員が駆け寄った。
「こちらが、立て篭りのあった現場です。先ほど、警察からの発表によりますと、容疑者と思われる男は現場から逃走したとのことです。繰り返します。先ほど…………」
無数のフラッシュ光が夏夜を明るく照らし出す。野次馬の数は時間と共に多くなり、蝉の残声を掻き消すほどに輻輳する。
慌ただしく規制線内を動き回る捜査員達。
家屋2階、激しい戦闘で荒らされた部屋。その部屋のベッドの下に隠れていた少女が両脇を支えられ毛布に包まれ救出されている。憔悴はしているものの無傷であった。捜査員の問いかけに肩を震わせ答えている映像が全国に放映。すでに一帯は全国が注目する事件現場となっている。上空のヘリコプターの爆音と烏合の野次馬衆が更に夜の静けさを遠のけていった。
その現場の混乱の中、群衆に紛れ、事態の一部始終を冷淡に観察している鋭い視線があった。視線を発している者……車いすに乗った少年とそれを押す大柄の男。
車いすを押す男は着こなしたスーツを折りながら低い位置にある少年の耳元で何かを囁く。囁きの最中、小さくうなずく少年。そして、スッと消えるようにその場を去っていった……誰にも気づかれることなく。
逃げた男の追跡や遺体搬送、現場の捜索は続き、後藤のB-SABotの残骸も回収されていく。
操作車両にはゴーグルヘッドギアを着けたまま前傾姿勢で床に頭を垂れ座る後藤の姿があった。
そこにハイヒールを鳴らしながら歩み寄る者が居る。
「神谷さんですか?……ははっ、俺……生きてますか?」
後藤はそのまま天を仰ぎ、失笑気味に近づいてきた特課の先輩女性捜査員である神谷に質問を投げかける。
「ばっか。早くリンクアウト(B-SABotとリンクを解除する事)しなさい!ったく、筑波から駆けつけてみれば……。後で詳しく聞かせてもらうわね」
神谷の穏やかな口調が後藤の緊張を溶かしていく。