火焔(3)
やけに揺れていると思ったら、本当にふらりとその場にうずくまりかけてしまっていたらしい。
もちろん原因が足首のケガだけではないのは自覚している。
後ろからとっさに支えてくれた龍のおかげでなんとか転倒は免れたものの…………いろいろな意味でもう限界だった。
(親父が――――親父じゃ……ない?)
突然こんな衝撃的な事実を聞かされたというのに、なぜこうもすんなりと信じてしまっているのだろうか?
彼らが嘘をついている可能性だって、決してないとは言いきれないのに……。
だが。
不思議と疑う気にはなれなかった。
「大丈夫か……?」
気遣わしげな龍の声は耳に届いていたが、実際大丈夫なわけはないので答えない。
そんな重大事をひた隠しにされたあげく、今ごろようやく知らされたのだ。このくらいは許してほしい。
結局がくりと膝は折れ、龍の手を借りたままその場にゆっくりと座り込む。
見開かれた目は、しかし虚ろなまま。何も映さず焦点さえ合っていない。
いやに少年を案じ守っているような様子の龍に、背後では緋架が密かに眉を寄せていたのだが、当然そんなことに気付く余裕すらなかった。
(……そうだ。そういえば……)
「稽古」「修行」のあまりの厳しさと特異性に、「本当は赤の他人なのでは?」という疑いがかすめたこともあった。
それが――
赤の他人……まではいかなかったが、本当に父娘ではなかったとは……。
そんなこと、思いもよらなかった。
(親父が……叔父? 『長』の弟……?)
と、いうことは――
「じゃ……え?」
こんな状態でもよく声を出せたものだ、と我ながら驚いた。もうほとんど他人事だが。
「え……オレを殺せ、とか言ってんのって……実の父親ってこと? ……だよな?」
「……」
別段答えを求めているわけではないと察したのか、二人は答えない。
わざわざ顔を見上げて確かめてやろうという気も起こらなかった。
(そりゃ……いくら訊いても答えないわな、あの親父も)
どんだけ怒ってもハンストしてもひた隠しにされたワケだ……と納得した。
寝起きのぼうっとした横顔や凛とした後姿を思い返すと、少しだけ笑いがこみ上げてくる。
気遣いに対する感謝がないわけではないが、なぜかと問いただしたい気持ちや虚しさのほうが断然大きい。
渦巻く感情に便乗して涙まで滲んできた。
でも――
ぐっと堪えて、今度こそあえて龍を振り仰ぐ。真っすぐに。
「じゃ、なんで? 血縁ならなおさら……なんでオレが敵? 別に『放っといた責任とれやあ!』とかって乗り込むつもりも……襲いかかるつもりもないけど?」
「……睦月のせいではない」
「だよな? オレなーんも悪くねえよな?」
それでも死ねと? そう言うのだろうか?
続きはありそうなのに、やはり何やら言いあぐねているらしい龍をじっと見上げて待つ。
「我々の地に、古い言い伝えがある」
代わりに言葉を継いだのは緋架。
「……言い伝え?」
昔話とか民話のような類いだろうか、と思いながら彼女を振り仰ぐ。
「一族を滅ぼす敵が現れる――と。そして、そなたがそうと見定められた。それだけのこと」
「それだけ、って……」
言い伝えだろうが何だろうが、こちらにはまったくそんな気がないのに?
しかもそれでなぜ、会ったこともない……どころか今まで何も知らされずにいた自分が、その敵だと認定されなければ――――
(あ……)
「もしかして……銀色がどうとか、関係あったりする? その言い伝えとやらに」
返事こそなかったものの、美しい切れ長の目が真っすぐに挑むように睦月に落とされた。
肯定、という意味なのだろう。
今は黒に染まっている銀髪をぐしゃりとかき上げ、カラコンの下に隠された本来の色の瞳に意識を向ける。
この銀色が――手段や方法などは知るべくもないが、やはり彼らには感知されるらしい。どこか遠く離れた地にいても、顔を合わせたことがなくても。
気配をたどられた先の三兄弟も、大げさに言っていたとかまぐれ当たりだったというわけではなかったのだ。おそらく。
けれど――
(そんな……)
コンクリートに落とした視線と指先がかすかに震えた。
「……そんだけで? そんなことで、オレに死ねって?」
それで、刺客を放った?
土着の昔話か何かのために、実の子に……?
「そう、それだけのことだ。だから兄上たちにも殺させはしない。そんなことで犠牲にはしない」
「龍……!?」
何を言うの?とばかりに頭上で緋架が金切り声をあげた。
「滅びの種は消さなければ……!」
「予言を違えただけかもしれない」
「真であれば?」
「……」
「一族皆に災いをもたらすと言われた者よ? ……それがたまたま『長』の御子であり龍の弟君だったのは不運だったけれど。いずれにせよ命が下された以上はその者を討たなければ! ――我々皆が生き残るためよ。…………悪く思わないで」
最後の「悪く思うな」は、未だへたり込んで項垂れたままの自分に向けられたのだろう。
不運な星の元に生まれた少年をどこか哀れに思っているのも本当なのかもしれない。金切り声がかなり抑えられていたものになっていた。
男だと思われているのは無理もないし、実際別にたいした問題ではない。
……が。
そうか。
自分も『長』の子、ということは。
今さらながら思い至った事実に、緩やかに目は見開かれていく。顔はしっかり伏せたまま。
あの黒ずくめ三人が……そして龍が……兄……。
なぜかあの三人は知らなかったらしいが。
(兄……妹――)
震え出しそうな唇をきゅっと引き結び、膝の上で握り込んだこぶしにも力がこもる。
なぜ、自分がこんな状態になっているのか……はわからない、が。
「……冗……談じゃねえ」
堪えた甲斐なく震える唇が、ぽつりとつぶやいていた。
「……『悪く思うな』って何だよ……。どこの山奥の村長だか一族だか知んねーけど、そいつらのために? 今どき言い伝え……だか何だかのせいで犠牲になって喜んで死ね、って?」
身体の中でどうしようもなく渦巻いているのは、苛立ちだ。そして衝撃。
それはわかる。
でも、なぜ急に……?
出自が明らかになった瞬間は、むしろただ茫然と受け入れただけだったのに――
「殺させない。必ず守る」
スッとすぐ横に膝をつく龍を愕然とする思いで振り仰ぐ。
少しだけ翳りのある、けれど静かで真っすぐな瞳。
一つに束ねられた長い黒髪が風に吹かれて微かに舞っていた。
この青年が兄だとあらためて思い知らされたから――?
まさか、そんなことで?
(オレ……どうして……)
自分が何か……感じたことのない奇妙な感情に支配されているという自覚はある。
認めてしまうのが怖くて、どこかで必死に言い訳を探しているという自覚も。
……そう、怖いのだ。
未だよく掴めてはいないが、これはきっと……認めてしまってはいけないもの。
「……何言ってやがる……? 龍だってそれ全部知っててオレを消しにきてたんだろ、最初? とっとと抹殺して『長』とやらになる気満々だったんだろーが。なんで気が変わったのか知らねえけどよ」
「……」
……違う。
自分で吐き出した毒にすかさず心の声が反論する。
思えば最初からどこか本気ではないような、迷っているような様子だった。
彼だけは刺客ではないのでは?とどこかで信じ続けたいような気がしていたほど。
結局はただ単に、あの三人と違って血縁だと知っていたから……に過ぎないのかもしれないが。
だから……。
「やっぱ兄貴としては『殺せません』ってか? 全部承知で向かって来てたクセに、正義の味方ぶって途中で助けになんか入ってんじゃねーよ」
だから、これは八つ当たり以外の何ものでもない。何言ってんだオレ、とすら思う。
それはわかっているのに――
(何だよ……兄って……)
わかっているのに止まらない。
「オレがケガしたからか? 情けでもかけたつもりか?」
……そうじゃない。そのタイミングでもない。
痛みでうずくまった時にはまだ鼻先に刃を突きつけられていた。おぼえている。はっきりと焼き付いている。
「それともアレか。…………女、って――わかったから?」
「女……?」
後ろでは緋架が息をのんで、小さく訝しげな声を上げていた。
龍は一向に押し黙ったまま……。
「女相手じゃやる気が出ません、ってか? 気が削がれて急に哀れに思ったか? ナメてんじゃねーぞ!」
それも違うと、本当はわかっている。
性別がバレた時にはもう完全に殺意は消えていた。
胸ぐらを解放して刀もおろしていたし。
おそらくその前に、彼自身の中で何かが――意思を固めることに至らせる何かが……あったのだ。
でも……。
ひときわ強くこぶしを握り締めて、ふらりと立ち上がる。
あえて目線はずらしたまま。
「睦月」
支えようと差し伸べてくれた龍の手を、思わず払っていた。
「助けなんて……いらねえ」
「兄」としての優しさも気遣いもいらない。
こんなにイライラさせられるなら、下手に助けたりなんてしないでほしかった。
……虫のいい罰当たりなことを考えているとわかっている。だからなおさら顔なんて上げられない。
毒づいて必死に抑えている何かに気付くわけにもいかないし、こんなわけのわからない状態に陥っている自分をこれ以上見せたくもなかった。
「守ってくれなくていい」
こうして期待を打ち砕かれるくらいなら、最初から――
(期待って……何の――? オレ……)
心の内を大きく揺さぶられる衝撃と疑問にあえて蓋をして、足取り重く睦月は屋上を後にする。
引きとめようとする声は、かからなかった。




