火焔(2)
女の手のひらの上で創りだされた炎は、今や人の頭ほどの大きさとなってゆらゆらとその頬を照らしている。
切れ長の目でじっと睦月を捉えたまま、女は顔色ひとつ変えない。
そんな無表情さとは対照的に、赤々と燃え盛る炎。
一瞬ゆらりと大きく震えたかと思うと、それが勢いよく睦月めがけて投げつけられた。
「!?」
間一髪で身をよじって躱せたものの……至近距離を弾丸のようにかすめた火の玉は、当然のことながらとんでもなく熱かった。
数瞬前まで自分が立っていた場所の、その背後を恐る恐る振り返ってみる。……と。
アレが着弾したと思われるあたりのコンクリートには、焼け焦げたようなどす黒い跡。
今さらながらぞわぞわとうすら寒い思いに駆られて、睦月は振り向きざま遠慮なく怒鳴っていた。
「熱……っ! 危ねえだろ、てめえっ! 何――」
「なぜ、避ける……?」
それまで無表情を保っていた女の目が、なぜか驚いたように見開かれていた。
「はあっ?! 何言ってんだ!?」
動くな。おとなしく的になっていろ、という意味だろうか。さすがに酷くないか?!
軽い火傷じゃ済まないだろう、あんなものに当たったら!
睦月のキレ具合をものともせず、ただ愕然と眺めてきていた女だったが――。
ふいに。
何かに思い至りでもしたのか切れ長の目がさらに細められ、赤い唇がゆったりと笑みを形作った。
そして再び、悠然と持ち上げられる片腕。
陽炎どころではなく、初めから大きく荒々しく燃え盛る炎が、突如としてその手のひらの上に形成される。
「ちょ……」
どんな手品か知らないがちょっと待て、本気か?
そう問いたかったが、一言も言葉にすることができない。後ずさることさえも……。
燃え方も規模も一度目とはまるで違う。
うねる炎をその瞳に映したまま、睦月はゴクリと唾をのみ込む。
先ほどの回避で足首はほぼ絶望的な状態になっていた。とっさに躱すという芸当ももう無理だろう。
逃げ道はない。
あれを……くらってしまうのだろうか。
おそらく先ほどの比ではない威力の炎の塊を、今度こそこの身に――。
妖艶な笑みを宿した女が、短く何かをつぶやいたようだった。
そして、勢いよく放たれる火焔。
「!!」
ごうと唸りを上げて迫りくる炎。
ひときわ威力を増した禍々しいそれに、なす術もなく全身が包まれる。
――――と思った瞬間。
竦んだ身体が、誰かに強く抱きしめられていた。
と同時に、ふつりと、熱風が一瞬で消え失せたような感覚。
(……え)
かたく閉じていたまぶたを持ち上げて、そろりと見上げる。
包み込むように抱きしめて守ってくれていたのは――
背の高い、黒装束の青年。
「龍……」
昨夜告げられた名を、呼んでみる。
こうして顔を合わせるのも三度目になる……が。
また、助けてくれた――?
「大丈夫か」
少しだけ身体を離して、昨夜の別れ際と同様、龍は静かな目と声をして高い位置から見おろしてくる。
どこから……いつの間に……?
そして、どうして――?
こんなケガ人の暗殺など、この機に乗じていくらでもできただろうに。
やはり、すっかり殺す気がなくなった……ということだろうか。
いや、それよりも今は――
いくら抱きしめて庇ってくれたとはいえ、どこも……まるで熱さを感じなかったのはおかしい。ありえない。
あれほどの炎に飲まれたのに。
盾となって明らかに炎にさらされたはずの彼自身も無傷らしい。
それどころか、着衣や頭髪にすら焼け焦げた跡が見当たらないのは……いったい?
どういう……ことだ?
何が、どうなっている?
訊ねたいことは山ほどあったが、混乱のあまり思考がうまくまとまらない。
目の前で繰り広げられた信じがたい事象をどう処理していいかわからず、見開いた目を泳がせ中途半端に開いた唇もふさげずにいる――――と。
「どういうつもりだ?」
低く静かに龍が問う。
見据える先は、龍の突然の出現と行動に驚愕の表情を浮かべている女。
「そもそも此度は見届け役のはずだろう」
「……甘んじて罰は受けるわ。でも、あなたのためになると思った」
「緋架……」
「『他家の者が長の御子を手にかけた』と後に極刑を言い渡されることになってもかまわない。我らの――あなたが束ねる一族の未来……。それを、邪魔する者を排除できるなら……!」
(え――)
叱られた子どもが開き直ってでもいるような物言いの女。
自らの選択を少しも悔いている様子がない。それどころか、その目にはどこか恍惚とした色さえ顕れていて……。
いや、そうじゃなく。
そんなことよりも何か、強く引っ掛かりをおぼえるようなことを、この女は口走らなかったか?
「……なに……長の――って、え……」
痛む足を引きずって、睦月がゆらりと女のもとへ向かおうとする。
未だに肩を掴んだままの龍の手がそうはさせてくれなかったが。
「睦月……いや、今は」
「なあ、何っつったんだよ今……あんた」
引きとめようと龍が名前を口にしたとたん、女の眉がぴくりと跳ね上がる。
が、当然今の睦月の目にはまるで映っていない。
女の言い放った一言に意識のすべてを持っていかれていた。
長の御子?
誰……が?
「頼む……もっかい、言ってくれ。なあ……」
「睦月!」
「――龍、何故……?」
女の訝しむような視線は、睦月を素通りして龍に向けられている。
「何故……そこまで庇うの? 葬るならせめて身内の手で、と橘様だって……」
橘……様? それが「長」とやらの名前だろうか。
だが、身内とは……?
「……あれが父上の本心とは思えない」
「本心でなければ何だと――? ……あなたが手を下さなければ兄様方が成し遂げてしまうわ……! 『長』の座をあきらめるの?」
縋るような憐れむような目で食い下がる女に、それでも龍は落ち着いた目線を返すのみ。
「急がないと……いずれ存在が知られるようになれば、他家の者だって容赦なく送り込まれてくるわ。――わかっているでしょう? そうなったらもう、いくら宗家といえど止められない。その者はもっと惨い死にざまを晒すことになるのよ?」
「むざと殺させはしない。それについてはもう話しただろう、緋架。俺の意思は変わらない」
「ち……ちょっ……!」
混乱がいよいよピークに達して、睦月が思わず声を張る。
わずかに頭痛もしてきたため、片手で強く額を押さえながら。
「待……っ! ちょっと、待って……くれよ。悪いけど」
頼むからこれ以上の置いてけぼりは勘弁してほしい。その一心だった。
緋架という女は現れた瞬間から龍しか目に入っていないようだし、その龍は龍で窮地を救ってくれた……まではよかったものの、よほど話を聞かせたくないのか、掴まえた肩と腕を一向に離してくれそうにない。
すでにじゅうぶんすぎるほど後れを取ってはいたが、内輪揉め(?)の主題はどう聞いても自分のこと。
しかもそれが当人完全シカトで繰り広げられているのだから頭にもくる。
ようやく二人の会話に割り込むことに成功し、ついでにどちらかと言えば話してくれそうな彼女の方へと向き直って、睦月は全神経を傾ける。
「あんたら、何……言ってんだ、さっきから……? 身内っていったい――」
そう思ったのも束の間。
あっという間に今度は両手首を捉えられてくるりと振り向かせられ、またもや龍と真正面から向き合う形になった。
高い位置から、真剣に……何かを言い聞かせるように見おろしてくる黒々とした瞳。
「知る必要はない。これまでどおり叔父上の元で――」
「叔父?」
すかさず訊き返すと、ハッとしたように龍が口をつぐむ。
やはりどうあっても知られたくない何かがあるらしい。
……だんだん腹が立ってきた。
勝手に巻き込んでおきながら今度はダンマリとか、非常識にも程があるだろう。
「柾様は――」
このままでは埒が明かないと思ったのか、元よりバラす気満々だったのか、はわからないが。
背後からぽつりと女の声。
「よせ。緋架……!」
「親父……が? 親父が何だよ?」
聞かせまいとばかりに龍が声を張り、肩に手をかけて引き止めようとする、が。
知ったことではない、と無理やり振り払って緋架へと向かう。
聞ける。今度こそ。
あの三人の黒ずくめたちが知らなかったことを、なぜかこの二人は知っている……!
「柾様は何故か、ある日唐突に我らの元を去られた。長の御子を身籠られた奥方様のお一人と共に」
(え……)
「あのお方は、『長』橘様のただ一人の弟君にあらせられる」
「緋架!」
「そして……そなたにとっても、叔父君にあたるお方」
「――え」
叔父にあたる?
「いい。聞くな睦月……!」
「は……。な……に、言っ……? え?」
「そなたも、龍や三人の兄様方同様――『長』の血を継ぐ者」
「――――」
ふいに、拠り所のない世界に放り込まれたような錯覚に襲われる。
目隠しをされ、耳もふさがれて。
触れようと手を伸ばしても何もかもがすり抜けて。
自分だけが現実から切り離されて、どこかへ落とされてしまったような――。
(……叔……父……? 親子じゃ――ない……?)
狂う平衡感覚。
目は見開かれたまま、己の呼吸音だけが耳障りなほど大きく脳内にこだまする。
震えながらもどうにか立っていられたその足元さえ、突如大きく揺らいだ気がした。
※誤字脱字ではありません。
「柾」が本名。こちらではあえて偽名にして「柾貴」と名乗っていたみたいです、柾様。(他人事……)
「橘」様。あちらで一番エライ人。…………なんか苗字みたいですが、お名前です。




