表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天使に願いを (仮)  作者: タロ
(仮)
52/105

番外編 それがハロウィン


 十月三十一日。

 その日、一人の男が静かに燃えていた。

――やってきました、ハロウィ~ン。俺がどんなにこの日を楽しみにしていたか

 楽しみに思う気持ちを抑えきれず、楸は、不気味な笑みを浮かべていた。

 目一杯口角がつり上がっているその顔は、いたずらに臨む少年のようだ。が、楸は少年ではなくどちらかと言うと青年に含まれる年頃の為、少年のような微笑ましさはなく、ただただ悪さだけを感じさせる顔をしている。

――ハロウィンは、何の日か?

 テンションの上がった楸は、心の中で語り始めた。

――ハロウィンとは別に仮装を楽しむ日ではない、と俺は思う。ハロウィンは、あの名台詞「トリック・オア・トリート」直訳して「お菓子をくれないとイタズラしちゃうよ」に現れているように、イタズラを楽しむ日なんだよ。「イタズラしちゃいますよ、やめさせたきゃお菓子よこしな」こんな横暴なことをするより、素直にイタズラを楽しむだけの日だと解釈した方が、よっぽど平和だと俺は思う

 楸は、心の中で熱弁した。

 そして、拳を固く握りしめ、楸は誓う。

――だから俺は、ハロウィンはイタズラに専念します!

 ここに一人、間違ったハロウィンに取り憑かれた男が誕生した。


     ミッション1


 早朝。楸はいつもより早く、高橋の部屋に来ていた。

 幸い、まだ誰も来ていないようだ。

 自分以外まだ誰も来ていない部屋で、楸は、着々と準備を進める。

 下準備は済ませていたため、高橋の部屋に来てからする事は、それほど多くない。十分もあれば準備は整った。

――あとは、ターゲット達が来るのを待つだけ

 そう思いながら楸は、堪え切れずに小さく笑っていた。声が出ないように注意するが、どうしても微かに洩れてしまう。

 このままではマズイ、そう思った楸は、何度か深呼吸して気持ちを落ち着ける。

 楸は、自分のデスクの椅子に座って、棒付きのアメの舐めながら、特に興味もない資料の本を読み始めた。なるべく平常心を保とうという演技だ。が、やはり期待は大きく、そわそわしてしまう。早く誰か来ないかな、そう思いながら、資料を読むフリを続ける。

 待つこと数十分、最初のターゲットが来た。

 柊だ。

「おはようございます……って、楸しかいないの?」

 挨拶とともに笑顔で入って来た柊だが、会いたい人に会えず、すぐに表情を曇らせて不満そうに言った。

「うん。高橋さんはまだみたい」

「……そっ」

 残念だという気持ちを隠しながら、柊は扉を閉め、入室した。

 資料を読むふりをしている楸は、横目で柊の同行を探る。

 柊は、自分のデスクにつくよりも先に冷蔵庫へと直行した。

――ははっ。やっぱり、食いしん坊が向かうところは冷蔵庫って決まっているもんなぁ

 予想通りの展開に、楸は、資料に顔をうずめながら密かに笑みを浮かべていた。

 そんな楸の思惑には気付かず、柊は冷蔵庫の中身をチェックする。

「ねぇ」柊は、楸に訊いた。「このプチシュー、高橋さんの?」

 冷蔵庫の中には、ご丁寧に皿に乗っけられた、一口サイズのシュークリームがいくつもあった。

「ううん」楸は、平常心を意識して答える。「この前スーパーで安かったから、俺が買ったヤツ。食べてもイイよ」

「ホント?」

 甘いお菓子を食べられるという事で、柊の声は少し弾んでいた。

 楸の許可も得たので、気兼ねなく、柊はプチシューに手を伸ばす。皿に盛りつけられたプチシューの中から無作為に一つを選び、それを摘まむ。そして、何の疑いも無く、それを口に運ぶ。

 中にカラシがたっぷり入っている、楸お手製のプチシューを。

 甘い物だと思っていた柊は、口の中に広がる刺激的な味、そして鼻をつくカラシ独特の攻撃的なにおいに、顔をしかめた。そして、飲み込む事も出来ず、耐え切れなくなり、急いでティッシュの中に吐き出した。

「あにほれ!」

 柊は戸惑いの声を上げた。うろたえながら、口の中に残る不快感を少しでも消そうと舌を出している。

 その姿を見て、イタズラ大成功だと楸は笑いだした。今度は堪える必要が無いので、声を上げて大笑いする。柊の悶え苦しむ姿によほど満足したのだろう、息もロクにできずに苦しみ出すほど、楸は笑い転げた。

 しかし、当然のように待っていたのは柊からの制裁だった。

「あにひゅんのよ、バカ楸!」

 そう言い、柊は、固く握った拳で楸の頭に拳骨を落とした。

「ったあ!」楸は、痛みで顔を歪めた。「殴ること無いじゃん!」

 楸が非難するのを、柊は、ペットボトルのお茶を飲みながら聞いていた。

「ハッ!」柊は、短く笑った。口のヒリヒリ感がお茶を飲むことで和らいできたので、いつもの調子に戻りつつある。「当然の報いよ、バーカ」

 そう言うと、柊はある事を思い付き、薄く笑った。そして、例のプチシューの乗った皿を持って、再び楸に歩み寄る。

「ちょっと、何する気?」

 柊の挙動を不気味に感じた楸は、引きつった顔になった。

「アンタ、コレ味見した?」

 楸の質問に答える代わりに、柊はそう言った。

「い、いや」と楸は首を横に振る。

「でしょ」柊は、笑って言った。が、眼は笑っていない。「でもさぁ、人に自分の作った物を食べさせるなら、ちゃぁんと味見しないと」

 危険だ、と楸は察した。

 が、逃げる事は出来なかった。柊にヘッドロックされる形で掴まったからだ。

「ほら!アンタが作ったんだ!美味しいから食べてみな!」

 と柊は、無理やり楸の口のカラシ入りプチシューをねじ込もうとした。

「やだ!食べない!」

 もちろん、楸は必死に抵抗する。

「ウダウダ言ってないで食べな!」

「やだ!」

「アタシをコケにした罪、簡単に消えると思うなよ!」

「ほら、それが本音じゃん!何が美味しいから食べてみな、だよ!嘘つきぃ!」

「黙りな!黙って口だけ開けな!」

「無理!そんなの絶対無理!」

「まずはそのアメ、引っこ抜いてやるよ!」

「無理!俺、アメが無いと息も出来ない!」

「いいじゃない、息なんか出来なくても」

「きゃーっ!殺される~!」

 楸と柊の攻防は少しの間 続いたが、そこに「くくっ」という聞き覚えのある笑い声が割って入った。

 二人がその声に反応して扉の方を見ると、そこには高橋がいた。

「朝っぱら何じゃれ合ってんだ?お前ら」

 高橋は「楽しそうだな」と言いながら、部屋に入って来た。

「違います!そんなんじゃないです」

 柊は、慌てて訂正するように、そう言った。それに楸も、うんうんと頷く。

 柊は、事の経緯を説明した。楸がくだらないイタズラを仕掛けて来たこと、それに自分が苦しまされ、逆襲しようと思ったこと。

 その説明を聞くと、高橋は「くくっ」と笑った。

「なあおい、楸」

「はい?」

「そのプチシュー、この後も使うのか?」

「……いいえ」

 高橋の質問の真意が掴みとれなかったが、楸は答えた。

「くくっ。だったらその残り、俺にくれないか?」

 高橋は、言った。その顔には、悪事を企む悪戯心が滲み出ていた。

「一応訊くけど、どうするんですか?」

 楸は、嫌な予感しかしないが、それでも訊いてみた。

「いやぁなに、普段世話になってるからな、たまにはあの腐れナースに甘い物の差し入れでもしようかと、少し思っただけだ」

 楸の悪い予感は当たっていた。高橋は、雛罌粟にイタズラしようとしている。

「いや、柊の話ちゃんと聞いてました?これ、カラシ入りですよ?」

 上司の暴走を止めようと、楸は念のために確認する。が、高橋は「くくっ。ほんの少しだけ刺激のあるプチシューなんだろ?ちゃんと聞いてたぜ」と言って聞かない。本気で、カラシ入りのプチシューで雛罌粟に攻撃しようとしている。

 何を言っても無駄だ、そう悟った楸は「俺が作ったって言わないでくださいよ」と釘を刺し、高橋に残りのカラシ入りプチシューを渡した。

「くくくっ。ありがとよ」

 高橋が不気味に笑う姿を見たら、楸と柊はもう争う気を失くしていた。今はただ、返り討ちにあってしまわないかと、上司の無事を祈るのみだ。


     ミッション2


 プチシューの件の後、高橋はすぐに動き出さなかった。どうやら、三時のおやつ時を狙うようである。

 三人は、それぞれのデスクにつく。

 高橋に会いに来ただけの柊は、本来ならこの場でやることなど無いのだが、一応自席に座る。高橋さんとお話ししたいな、でもお邪魔虫もいるしなぁ、そう悶々とした想いを抱きながら、資料や誰かが持ち込んだ週刊誌を読みながら、暇をつぶす。

 では、そのお邪魔虫こと楸は何をしているのかというと、特に何もしていない。また興味もない資料を読むフリをしている。

 楸は、柊の次にターゲットにしている高橋が、自分の仕掛けたイタズラにどういう反応を示すのか、それが気になって他のことに手が付かなくなっていた。

 楸が高橋に仕掛けたイタズラとは、何か。それは、ちょっとしたお色気系であった。

 いつも職場に来るとまず、高橋は、自分のデスクに置かれているB4サイズのファイルに目を通す。そのファイルは、バインダー式で様々な資料が挟みこめる物となっていて、前日までの報告書や日誌、支部長からの連絡事項や後日 自分がすることを記した自筆の連絡事項など、様々な資料が挟み込まれている。また、その為にそれなりの厚みもあり、頑丈な作りだ。それに目を通す事が、高橋が部屋に来て最初にすること、習慣となっていた。

 そこに、楸は目を付けた。

 そのファイルの中身をすっかり全部、きわどい水着の巨乳な女のコがいっぱいの、ちょっとエッチな写真集へとすり替えていたのだ。もちろん、表紙となるファイルの外観はそのままに。

――高橋さん、突然のエロドッキリにどういう反応するかな?

 楸は楽しみに思いながら、高橋の動向を観察していた。

 そんな楸の企みを知らぬまま、高橋は、いつも通りファイルに手を伸ばす。楸が中身をすり替えたファイルを手に取り、中身をチェックする。

 楸は、顔の眼から下を資料で隠しながら、横目で高橋の反応を見ていた。

 さあ、お楽しみの瞬間だ。

 しかし、そんな楸の期待とは裏腹に、高橋のリアクションは薄かった。少し眉を動かしただけで、何も言わない。それどころか、普通に読み始めた。

――えーっ!

 楸は驚愕し、心の中で叫んだ。

 その間も、高橋は無表情でページをめくり続け、写真集を読み進めて行く。いや、細かい文字には眼もくれず、写真ばかり見ているから、読んではいない。写真を眺めて行く。

――あのエロ親父、普通に見てるよ!

 そう思いながら、楸は、軽蔑する眼で高橋を見ていた。

 が、その時、突然 高橋と目があった。

 やべっ、と楸は慌てて目をそらす。

 高橋は例のファイルを持ったまま立ち上がり、無言で楸に近づいた。

「俺のファイルの中身、どこやった?腐れガキ」

 そう言うと、高橋は固いファイルの背の部分で、楸の頭を叩いた。

「いぎゃ」という短い悲鳴を上げた楸は、痛む頭を撫でながら、高橋のことを見上げる。

「何で俺だって決めつけるんですか?」

 いきなり頭を叩かれたことに腹を立てた楸は、謝ることなく逆切れし、高橋に言った。

「こんな下らないマネすんの、お前くらいだろうが」

 高橋は、薄く笑いながら答えた。

「どうしたんですか?」暇だった柊は、高橋と楸の口論に関心を示し、近付いて来た。そして、どうやら原因だと思われるファイルを高橋から借り、中身を確認した。そこには、自分と正反対と言っても良いようなスタイルの女性がいっぱいいた。すぐにバタンッとファイルを閉じ、柊は「サイテー」と楸を非難した。

「ヒドイ!柊まで」楸は、言った。「みんなして、俺が犯人だって決めつける。証拠なんてどこにもないのに」

 楸が悲しそうに不満を洩らしているが、高橋は全く動じない。「くくっ」と笑い「そんなに言うなら、引き出しの中、見せてみろよ」と言った。

 高橋に言われ、楸はギクッと身を強張らせた。

「昨日 俺が帰る時、あの時点ではファイルはそのままだった。楸は昨日 俺より早く帰ったから、すり替えたのは今日だろう。当日にやっても、ファイルはバインダー式だから、簡単にすり替えることは出来る。楸のイタズラの目的はおそらく『俺の反応を見て楽しむ』ことだから、ファイルの中身を見付かり難い場所、例えば室外に持っていくとは考えにくい。おそらく、反応を見たら笑って誤魔化しながらファイルの中身を返そうとしたはずだ。そうなると、中身はお前の手元にあると考えたんだが…違うか?」

 高橋の推理は、完璧だった。高橋の言う通り、「実はここにありました」と笑って返せるよう、ファイルの中身は自分のデスクの引き出しの中にしまってあった。

――やばい

 楸の額に、冷や汗が流れた。

――今のこの状況では、予定通りに笑って返してイタズラの罪を有耶無耶にする事は難しそうだ。高橋さんは柊と違って怒ることはないだろうけど、罰としてデコピンされるに違いない。あれ、デコが陥没するんじゃないかって位 超痛いから嫌なんだけどぉ!

 楸は、もう泣きそうだった。高橋をターゲットにした事よりも、もっと手の込んだバレないイタズラにすれば良かった、と後悔していた。

 確実に待っているデコピンの恐怖、これを何とか回避できないものかと考えた楸の取った行動は、「とんずら」だった。

「そんなに疑うなら、好きにしてください!」楸は立ち上がり、声を高くして言った。「俺、傷ついたんで、今日は…あの……もうダメです!」そう言いながら、部屋を出て行った。

「今日はもうダメって、何それ?」柊は、呆れていた。「逃げの言い訳、雑過ぎない?」

「くくっ。楸には後でデコピンだな」そう言って微笑しながら、高橋は楸のデスクの引き出しを開けた。その中の一番上に、予想通りファイルの中身はあった。それを取り出し、ファイルの中身を写真集と入れ換える。「楸の宝物だったら、捨てるのはさすがに可哀そうだからな」そう言って写真集を引き出しの中に入れてから、高橋は自席に戻った。

 自席についた高橋は、さっそく戻って来たファイルに目を通しているが、柊は少し思う所があり、席に戻れずにいた。

「た、高橋さん」意を決し、柊は言った。

「ん?」

「あ、あの…高橋さんも、ああいうの、好きなんですか?」

 どもった声で、柊は訊いた。

 柊は、高橋が写真集に載っていたスタイル抜群の女のコ達に興味があるのか、それが気になった。もしも巨乳以外認めないなどの答えが返って来たらショックで立ち直れないかもしれないが、それでも確認しなければならないことだと自分を奮い立たせ、柊は訊いた。

「ああ、嫌いじゃない」

 その高橋の返答は、立ち直れないほどではないが、ショックだった。

 自分は高橋の好みの女ではない、そう思ってしまったからだ。

 しかし、高橋の言葉には続きがあった。

「だが、くくっ。俺を相手にするにはまだまだ甘かったな、楸のやつ」

「えっ?楸?」柊は、写真集に載っていないどころか女ですらないヤツの名前が突然出て来て驚き、素っ頓狂な声を上げた。そして、もしかしたらと思い「あの、高橋さんは、『イタズラ』は嫌いじゃないんですね?」と自分の頭の中を整理して考えを確認するように、そう訊いた。

「ああ。ま、どっちかと言うと好きな方かな」

「あ~、そうですか」

 柊は、ホッとした。けど、ちょっと疲れた。


     ミッション3?


 高橋の部屋から逃げ出した楸は、まだ天使の館内をうろうろしていた。

「危なかったぁ~」

 と額の汗を拭い、楸は、館の出口を目指して廊下を歩いている。

「おっ、楸」楸の歩く先から、神崎が来た。特にイイ事が無くとも明るい、目尻に皺の入った笑みを浮かべた いつもの顔をして、手を上げて楸に声を掛けた。「偶然だな。今から仕事か?っと、その前におはよう」

 挨拶のタイミングが悪いことが気になるが、そこには触れず、楸は「おはようございます」と挨拶を返した。

「仕事に行くって言うより、高橋さんから逃げて来たんです」楸は、言った。「ほら、今日ハロウィンじゃないですか。それで高橋さんにイタズラしたら、バレちゃって」

「なるほどなぁ。それは災難だったな」

 神崎は、うんうんと頷いた。

「いや 看守さん、ハロウィン分かってないでしょ」

 神崎の相槌がテキトーに感じ、楸は言った。だが、神崎は「そんなことはないぞ」と言い返す。

「あれだろ、なんか変装しながら街を練り歩き、呪文を唱えてお菓子を貰う、あれだ」

「ああうん……まぁ、あながち間違ってもいないですね」

 もっと間違ったハロウィンをしている楸が、神崎の発言を肯定した。

「だろ?」誇らしそうに、神崎は言った。「それにほれ、ハロウィンのおこぼれにあずかれて、俺までお菓子を貰えた」

 そう言って掲げた神崎の右手には、布製の巾着が握られていた。

 その中から一粒、直径1センチほどの円盤型のお菓子を取り出した。「楸も食べるか?」と差し出されたそれを受け取り、見ると、どうやらラムネの類のようだ。

「ありがとうございます」

 楸は、礼を言うと、それを口に放り込んだ。

 相手が神崎だったから何の疑いも無く食べたのだが、それがアダとなった。口の中で噛み砕かれたラムネは、破裂したように中から液体が溢れ出た。イメージは中華料理の小籠包だが、それと違うところは、中から出て来たのが熱いスープではなく冷たいコーラであることと、出てくるコーラの量がラムネの大きさからは想像できないくらい多い、ということだ。炭酸飲料を振った直後に蓋を開けると勢いよく噴き出てくる、という現象が口の中で起こっている。感覚では、200CC位の量のコーラが口の中ではじけていた。

 耐え切れず、楸は口からコーラを噴き出した。

「ゲホッゲホッ……何ですか、これ?」むせ返りながら、責め立てる勢いで楸は訊いた。

「さあ?」神崎は、騙す風でもなく、平然とした面持ちで応えた。「俺も良く分からないんだが、五十嵐からもらった物だ。もしかしたらあいつの手作りかもな」

「五十嵐さんの?」

 その名前に、楸は顔をしかめる。目の前の神崎と違い、油断してはならない人物だからだ。特に、今日のようにイベントのある日は何かしらしでかすに違いない、要注意人物だ。

 その要注意人物が作った「ラムネ」だが、作った本人がいないので代わって説明させてもらうと、それは一種の爆弾だと思っていい、「ラムネ・ボム」だ。炭酸飲料にラムネを入れると噴水のように噴き出して大変なことになることは広く知られていると思うが、アレと同じことを五十嵐は、ラムネだけでしようと考えたのだ。噛んだ瞬間にコーラが噴き出る、そんなタチの悪いラムネの作り方は、爆弾をも作れる五十嵐の企業秘密らしい。

 五十嵐は、長い月日を掛けてとうとう完成にまでこぎつけた「ラムネ・ボム」を、誰かに食べてもらいたかった。そして、そこに都合よく通りかかった神崎にプレゼントし、神崎を伝って楸にまで渡ったということだ。

 神崎は、「ラムネ・ボム」を食べた結果 コーラを吐き出してむせ返っている楸に笑いかけた。

「俺も最初はそうだった。五十嵐にも笑われたしなぁ」

 神崎の口ぶりには、五十嵐への怒りが微塵も感じられなかった。昔のことをただ懐かしんでいるようでもある。

 しかし、実際にそれは過去のことであった。

 神崎は、「ラムネ・ボム」を一つ巾着から取り出すと、自分の口の中にヒョイと放った。そして、「いいか?」と前置きすると、「ラムネ・ボム」を食べた。口の動きは確かに噛んだようであったが、楸とは違い、口の中からコーラが溢れることはなかった。

 神崎は、「ラムネ・ボム」を綺麗に食べることに成功していた。

「コツはな、噛んだ瞬間に飲み込むことだ。そうすれば、シュワシュワ感を口から喉をかけて味わう事が出来る」

 そう誇らしげに説明する神崎だが、聞いている楸の顔は引きつっていた。

――この人、五十嵐さんのイタズラをモノともしてない

 楸は、尊敬や羨望というより、サッカーのペナルティーキック阻止率九割以上のゴールキーパーを前にしたような、そんな有り得ないモノへの驚きを神崎に対し強く感じていた。

「看守さん、何回目でそうやって食べれるようになったんですか?」楸は訊いた。

「ん?もう二回目には食べれたぞ」

「そうですか」五十嵐さん、さぞ悔しがっただろうな。五十嵐の悔しがる様が目に浮かび、楸は苦笑いした。「スゴイですね」

「そうかぁ、スゴイか。あっはっはっは」楸の驚きや呆れなどには全く気付かず、「スゴイ」というフレーズだけで、神崎は嬉しそうに笑った。「そうかそうか、あっはっはっは」と。そして、「じゃあ、またな。楸」と楸の肩をポンと軽くたたき、すれ違って行った。

 楸は、振り返って神崎の背中を見送った。

 神崎はまだ「あっはっはっは」と気持ちよさそうに笑っている。そして、気に入っているのだろう、「ラムネ・ボム」を食べた。が、今度は失敗して、コーラを盛大に吐き出した。「げほっげほっ」とむせ返っている。笑っていて、飲み込むタイミングを誤ったのだ。

「えー」

 力なく、楸は声を洩らした。

 ペナルティーキック阻止率九割以上のキーパーの、解けていたスパイクのひもを踏んで転び得点を許した、そんな凡ミスを見た気分だった。


     ミッション4


 天使の館を出た楸は、椿達の居る街に来ていた。

 そこで、次なるターゲットを探している。

「椿のバカは何処だ~?」

 本命のターゲットは椿だと決めている楸だが、その椿がみつからない。試しに椿の通う大学へも行ってみたが、ダメだった。講義中で何処かの教室に居るかもしれないという可能性もあったから、授業が終わるのを待ち、授業の合間の学生で溢れ返るキャンパス内をくまなく探して見たのだが、見付けられなかった。

 もしかしたら授業が入っておらず、大学に来ていないのかもしれない。

 そう思い至った楸は、キャンパスから出た。

 そして、今度は空から見渡して捜し始める。その結果、大学の方へ向かって歩いている、見知った男の姿を見つけた。

「おっ、カイ発見」

 楸は、悪戯っぽく微笑んだ。

 本命のターゲットではないが、カイへのイタズラも準備していないワケではない。

 楸は、浴衣の袖口に手を入れ、一枚の紙を取り出した。

「じゃららっじゃら~ん。持ってて良かった、柊の写真~」

 楸が取り出した紙は、柊の映った写真だった。今日この日、カイへのイタズラに使うように用意した写真は、本当ならば水着姿や普段とは違う服装のようないつもと違う姿のものが望ましかったのだが、それはさすがに調達できず、いつもの服の柊が高橋の部屋でソファーに脚を組んで座り、クッキーをかじっている姿のショットだった。

 では、その写真を使ってカイに何をするのかと言うと、ひどく手の込まない単純なイタズラだ。まず、姿を消してカイの前方に待機する。そして、カイの行く手、自分の足元に柊の写真を置く。その写真に気付いたカイは当然拾うだろうから、拾おうとする瞬間に写真を動かす。そうやって、必死に写真を拾おうとするだろうカイの姿を見て楽しもうというのだ。

 それでは早速、と楸はスタンバイする。

 カイは、大学へ行くところだった。カバンを肩から下げ、ポケットに手をつっこみ、本人としては普通の顔なのに不機嫌そうな顔で歩いている。猫背のカイは、意識しなくとも地面に視線が向きやすい。だから、写真が落ちている事には、すぐに気付いた。

 最初は、なんかあるな、程度の薄い関心だったカイだが、それが写真で、そこに写っている人物の姿がはっきりと認識できてくると、次第に顔色が変わった。

 顔が、赤くなっていく。

 カイにとってプライスレスな お宝が落ちている。

 携帯ゲームのRPGで、草原を歩いている時に何気なくAボタンを押していたら隠しアイテムを拾った。そんなものとは比べ物にならないほどのラッキーが、目の前にある。

 カイは、足元にある写真に写った人物がやっぱ柊さんだ、と確信すると、辺りをキョロキョロと見渡した。そして、誰もいないことを確認すると、素早く屈んで写真を拾おうとした。

 しかし、写真が逃げた。風が吹いたワケではなく、楸が動かしたのだ。

 今度は風で飛ばないようにと上から押さえつけようとしても、写真は逃げる。何度手の伸ばしても、写真は自分を嘲笑うように逃げて行く。

 楸は、カイの必死な姿に笑っていた。

 だが、楸も鬼ではない。イタズラの成功に満足すると、〝視覚防壁″を解いて姿を表し、ネタばらしをする。

 楸が現れると、カイは説明を受けずとも大体の事情を理解した。

「っだよ!楸のイタズラかよ」と、カイは顔をしかめた。

「そっ」楸は、笑顔で答える。「逃げる写真を必死で追うカイ、なかなかおもしろかったよ」

「ちっ」とカイは腹立たしげに舌打ちをした。が、すぐにカイの顔から怒りが引いて行く。また赤みが戻ってきて、照れているようだ。「あのよぉ楸」カイは、はにかみながら言った。「その写真、この後どうすんだ?」

「ん?別にどうも」楸は答えた。「この為に用意しただけだし、もう用済みだからとっとくつもりもないし処分するよ。……欲しい?」

「………欲しい」

 顔を真っ赤にしたカイが。小声で答えた。

 楸としても、要らない写真を処分できるしカイが穏便に済ませてくれるようだから、写真を渡すことに何ら躊躇ない。「はい」と簡単に了承して写真を手渡した。

 カイは、思いがけずゲットした宝物を『大切なもの』フォルダにしまった。


     ミッション5


 カイへのイタズラを成功に収めた楸は、カイと別れ、本命のターゲットである椿を再び空から探していた。

 が、ようとして椿は見付からない。

 しかし、その代わりと言ってはなんだが、別の人を見付けた。

「あの後ろ姿は、榎ちゃ~ん♪」

 楸は、バイト先へ行く途中の榎を見付けた。

 だが、楸は、榎へのイタズラの用意は何もしていない。榎をターゲットにイタズラしようなどという考えは、楸の中にはなかったからだ。

 しかし、だからといって見付けてしまった以上、何もしないワケにもいかない。

 何故なら、今日はハロウィンなのだから。

 榎には、榎の持つ特異な力から、いくら〝視覚防壁″で姿を隠していても見付けられてしまう。だから、楸は姿を隠しているだけでは慢心せず、こっそり慎重に榎に近付く。

 何とかバレることなく榎の背後まで来た楸は、榎の肩をポンポンと叩いた。

 振り返った榎の頬に、ぷにっと楸の人差し指が刺さった。

 イタズラ終了。

「やだ~楸さん」と榎は恥ずかしそうに笑った。

「ははっ」と笑い、楸はイタズラの件については有耶無耶にする。

「どうしたの?」

「うん。榎ちゃんさ、椿の居そうな場所知らない?心当たりある場所を教えてもらえると助かるんだけど」

「椿君の?」

「うん。ワケあって連絡とったりして知られることなく、椿に会いに行きたいんだ」

 楸に訊ねられ、榎は「う~ん」と考えた。「もしかしたら、十六夜君の所かなぁ」

「十六夜の?」

「うん。椿君、今日は午後から授業のはずだから、今の時間は大学に居ないと思うの。そういう時、お昼近くまで家にいるとお店の手伝いさせられるらしいんだけど、それが嫌で家から出ていることが多いみたいなんだよね。それで暇をつぶす為に椿君が行く所となるとゲームセンターか本屋なんだけど、昨日会った時、十六夜君に何かの修理を頼んでいてそれが出来たって嬉しそうに言ってたから、たぶんそれを受け取りに行ったと思うよ」

 榎は、自信なくではあるが、自分の推理を披露した。

「そう…」楸は、複雑な気分だった。そこまで行動を読まれている単細胞な相棒のバカさ加減に呆れていることもあるが、それ以上に、それだけ理解されていることが羨ましくもあった。「じゃあ、そっち方面で探してみるよ。ありがと、榎ちゃん」と笑顔で礼を言うと、楸は榎と別れた。

 椿へのイタズラプランを強化しようか、と少し考えたという。


     ミッション6


「ホントにいたよ」

 楸は、椿を見付けた。

 方向から見て十六夜の家からの帰りなのだろう。だが、榎の話では十六夜に会いに行くのを楽しみにしていたというのに、今の椿は不機嫌そうだ。

「あのヤロー、嘘つきやがった。修理出来てないどころか、まだとっかかってもなかった。つーか、外出しないヤツが居留守使おうだなんてバカじゃねぇの」

 椿の愚痴から、楸も大体の事情を察する。

 要するに、十六夜にからかわれたのだろう。それで椿は今 不機嫌だ、ということだ。

「これは、絶好のチャンスなんじゃないですかい?」

 楸は、呟いた。

 楸は今、空に浮いている。もちろん、姿を消した状態で。ターゲットも見付けたことだしと、早速イタズラに取りかかる。

 浴衣の袖口に手を入れると、そこから大きさ的に不自然だが出せるのだからしょうがない、巨大なカボチャを取り出した。カボチャの大きさは直径一メートル位、いわゆるおばけカボチャだ。

 そのカボチャは、中身が底からくり抜かれ、ハロウィンの頃に頻出してよく見かける三角の目とギザギザの口の顔が掘られていた。昨晩、楸が作ったのだ。

 では、そのカボチャをどうするのか?

 マスクのように、椿に被らせるのだ。

「んだこれ?」カボチャマスクを被せられた椿は、三角目の位置がずれていた為に突然視界がオレンジ色になって驚き、慌てふためいた。「つーか、くせぇ!カボチャくせぇ!」

 椿の前に降り立ち、楸は〝視覚防壁″を解いた。

「はははっ!イタズラ、大成功!」と楸は、嬉しそうに笑いながら言った。

「その声はクソ天使!」椿は、カボチャのマスクを取り、目の前の楸の姿を確認する。「何しやがんだ、コラぁ!」

「今日はハロウィンだからね、椿には特別プレゼントだよ」

 眉間のしわを濃くした怒りの形相の椿が詰め寄って来ても、楸は慌てない。

「ざけんな!何がハロウィンだ!」

 そう怒鳴り散らし、椿は楸に掴みかかった。だが、楸はひらりとかわし、空へと逃げる。

「ざ~んね~んでした」

「逃げんな、てめぇ!」

「ふふふっ。悔しかったら捕まえてごらんなさい」

 楸は、逃げた。

 椿は、追った。

「待てコラ!」


     ラストミッション


 楸は、逃げ続けた。

 椿は、追い続けた。

「逃げんなてめぇ!」

「そんなこと言われても~」

 椿は、楸のイタズラの本命のターゲットだった。したがって、それだけの手間も暇も掛けられている。まさか、カボチャ一個だけということはない。柊には「カラシ入りプチシュー」、高橋には「エッチな写真集」、カイには「柊の写真一枚」。どれもそれなりに準備に時間を掛けたが、それとは比べ物にならないほど、椿へのイタズラには力を注いでいた。

 つまり、こういうことだ。

 カボチャマスクは、ある場所へ椿を誘い出す為の布石に過ぎない。本命はこの後、予想通り追いかけて来た椿を「落とし穴」が待つ河原へと誘導し、落とし穴にはめる事だった。落とし穴の深さは3メートル強、落ちた時に怪我をしないように底にはマットと衝撃吸収用のスポンジが用意されている。表面は土と草でカムフラージュしてあり、パッと見、落とし穴の存在には気付けないだろう。

 椿の喜ぶ顔が見たい、それだけを原動力に楸が一生懸命掘った高品質の落とし穴だ。

「待てコラ!今日こそそのふざけた態度、ぶっ飛ばして反省させてやんよ」

 椿は、逃げる楸のことを追いかけ続けた。

 まさか、その先に落とし穴トラップがあるとも知らずに。

 そして、場面は落とし穴がセットされた河原へと移る。

 怒りの形相の椿とは対照的に、楽しみだと思う楸は、嬉しそうな笑顔だ。

 が、そんな対照的な二人の表情が、突如として同じものへと一変する。

 椿が落ちるはずの落とし穴に篝火が落ちているのを見て、二人は呆れ顔になった。

「何やってんの?篝火」

 と楸は、穴の中で寂しそうに体育座りしている篝火に声を掛けた。

「あら、楸君、椿君」並んで自分を見下ろす二人に気付き、篝火は言った。「実はね、落とし穴に落ちちゃったみたいなの」

「落ちちゃったみたいなのっつーか、落ちてるけどな」と椿は呆れて言った。

「ゴメン篝火。これ、俺が椿の為に掘った落とし穴だったんだ」

「俺の為にって、何掘ってんだよ、お前は」

 そう言い、椿は楸の頭をグーで殴った。

「ったぁ~」と楸は、殴られた部分をなでながら、椿を睨みつけた。が、「っせぇ」とだけ椿に言われてあしらわれ、相手にされない。

「ゴメンなさい、楸君」篝火は、言った。「この落とし穴、椿君の為のモノだったのね。それなのに私、知らずに落ちちゃって」

「いや、いいよ。てか、俺の方こそごめん」

「ううん」篝火は、首を横に振った。そして、非常に微かな笑みを浮かべて、言った。「落ちた時、あの瞬間に感じるもの、浮遊感? すごく心地よかったわ。お尻の穴がきゅっとしまるっていうか、そりゃあビックリしたけど、嫌なビックリじゃなかった」

「ああ、そう…」

 謝る必要が無いと知ると、落ちないでよという篝火を非難する気持ちが楸の中に湧いた。

「椿君」篝火は声を掛けた。

「あ?」

「せっかく楸君が掘ってくれたのだし、あなたも落ちてみない?」

「あ?何言ってんだ、お前?」と眉間の皺を濃くした椿は、バカにするような目付きで篝火を見下ろす。

「大丈夫。数メートル前から目を瞑って歩けば、ちゃんと楽しめるから」

「いや、それの何が大丈夫なんだよ?」

 篝火の気の遣い方が理解できず、椿は冷たく言い返した。

 この椿と篝火のやり取りの隙を見計らって、楸は行動を起こしていた。

 しかし、椿に気付かれないように背後に回り込んだつもりが、「つーか、お前は何押そうとしてんだ」と椿にばれてしまった。

「いいじゃん。篝火のああ言ってるし、落ちなよ」

「ざけんな!」

「どうでもいいけど、私のこと引き上げるの、忘れないでね」穴の底から篝火は言った。

 こうして尻すぼみ感を残したまま、楸のハロウィンは終了した。


落とし穴は危険なものなので、安全面に十分気を使って作ります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ