友だちの対価
いたい、痛い、足が痛い! 痛みで頭がいかれそうになる。痛い、こうした人間たちを許さない、これを強いた人間たちを許さない。こんなことを引き起こした世界を許さない。
「ミレディア!」
誰かの声で、ミレディアは飛び起きる。
「あし、足! 私の足!」
三人掛けのソファーで横たわっていた身体を勢いよく起こせば、自分の足が目の前に入る。きちんと足がついていて、一滴の血も出てない。
「千切れてない」
生白い両足がきちんとついている。
「大丈夫?」
薄暗い部屋の電気が点けられて、眩しさに瞳を細める。声をかけてくれたのはグリモワ先輩で、そういえば先輩の家に泊まっていたのだと思い出す。現実を認識すると同時に汗の冷たさを感じる。
「……起こしてすみません」
余りにも取り乱しすぎた。本当に心配そうにこちらを見る先輩にゆっくりと首を振る。
「少し夢見が悪くて」
「痛いってすごい声で言っていたし、顔色は死人みたいだけど」
隣の寝室で寝ていた先輩を起こすほどの声を出していたらしい。近所迷惑だし、本当に悪いと思う。
枕元に置いていた携帯を見ると、時間は真夜中の3時だった。前に悪い夢を見た時と同じだ。携帯に夢の内容を記録する、夢の中では恐らく拷問を受けていたのだと思う。
「確証はないですけど、『災厄の王』である『プルート』の過去を夢として見ていたのかなって」
足を切られるような拷問をミレディアは当然に受けたことがないし、世界を憎むほどの痛みにだって覚えがない。夢というのは本来、記憶の整理だ。それこそ酷い夢、夢の中で死んでしまうような夢を見ることはあるかもしれない。
けれど、目が覚めてさえ残る強い憎しみの感情はミレディアの夢にあるはずのない感情だ。夢なんて目が覚めれば忘れているものだ。こんな風に感情だけが残るなんてあり得ない。
誰かを憎んだことがないとはいわない。恨み、憎しみ、嫉妬。そんな感情を持ったことはあるけれど、ここまで強い憎しみとしては染みついていない。
「それはいつから? あと、内容は」
先輩の表情は心配を通り越して、半ば睨みつけるようだった。どういう表情を返せばいいか分からずに、曖昧な笑みを浮かべる。
「前に夢を見たのは4月の終わりで世界を憎むだけのもの。今見たのは足を切られる拷問を受けた夢で、憎むのは同じです」
足を切られるという言葉に鳥肌が立つ。現実を確かめるように膝を抱えて、自分の両足を触る。ミレディアが普段寝巻に使っている服があまりにもボロボロだからと、先輩はパジャマを貸してくれた。似たような身長のお陰で、無地の紺のパジャマはサイズが丁度だった。
質のいい手触りのパジャマの上から自分の膝下を確かめるように撫でる。
「……僕に言わなかったのは確証がないから?」
「ただの夢、かもしれませんからね」
或いはただの悪夢であってほしいという希望的観測かもしれない。今は自分の感情ではないと切り捨てることが出来るし、自分の中にある憎しみとは別だと言い張れる。
けれど、それがいつまで続けられるかは分からない。
「なら、次は確証がなくても言って」
少し背をかがめたグリモワ先輩は迷うように手を伸ばす。
「頭がおかしいって、そう思われるのは嫌です」
「君がおかしいのは今更でしょ。よりにもよってあの頃の僕に関わろうとするなんて、狂人の類いだよ」
自分の足を撫でるミレディアの手に、先輩の手が重なる。冷え切った手に先輩の温度が伝わってくる。これはつまり、先輩の手から熱を奪うということだった。
「起こしたのは悪かったですけど、明日も学校があるんだから寝てください」
「君も目が冴えたっていう顔をしてるけど……友だちっていうのは、助け合うものなんでしょ」
ミレディアの一人だけの友だち、最期まで助けてくれた人は言う。泊まらせてもらっていること自体、一方的に助けられているだけだ。借りを作るのも弱みを見せるのも、性に合わない。
「じゃあ、ホットミルクを作るので一緒に飲んで後腐れなく寝ましょう!」
ソファーから勢いよく立ち上がったミレディアはいつものように笑みを浮かべた。立ち上がった拍子に先輩の手は滑り落ちていく。
「そうやって、誤魔化していた方が楽だって本当に思ってる?」
先輩の黒い瞳が真っ直ぐにミレディアを見る。あからさまな取り繕いは、先輩なら見逃してくれるだろうという甘えだった。
向き合うよりは目を逸らすのが楽だっていえば、先輩はそれならと聞かなかったことにしてくれるのだろう。
「だって、現時点で解決できないものに向き合うのは、情報の整理以上の意味がないし」
自分が自分でなくなっていく、そんなのは怖いに決まっている。けれど、恐怖は更に自我を削る。それなら恐れなければいい。ここまで自分の感情で、ここからは自分のものじゃない。確かな線引きと理性がミレディアを自分として擁立してくれる。
普通に生きていく分にはこれでいい。ずっとこうやって生きて来た。一度目の人生でも、前世でも、今の人生だって。苦しさも辛さもいつだって一過性の感情だとして処理してきた。
「そっか」
ミレディアがグリモワ先輩の髪を切ったせいで、先輩と目が合う。短い一言に反して、その黒い瞳は優しい光を灯していた。
「レンジで牛乳を温めるぐらいなら、僕がやるから」
「本来は鍋で温めた方がいいので、私がやります。起こしちゃったのも、いきなり泊めてもらったのも私の方だし」
「そう。じゃあ、任せるよ」
キッチンへ行って、鍋に牛乳を注いでコンロの火を点ける。グリモワ先輩はミレディアの後ろでそれを眺めながら、いつものように話してくれた。
いつだって、渡した分しか貰えない。今のミレディアは家に帰れない。事情を聞いたグリモワ先輩はいつまでも泊まっていいと言ったし、来客用のベッドなんてないからと言って簡易ベッドと布団を通販で注文してくれた。ミレディアはお金を払っていないのに、多分明日は届いたベッドと布団で眠る。
対価なしに利益を享受する、一方的に頼り切りになる。そんなのは絶対によくない。
「私は泊めてもらっている側ですからね、先輩の手足となって動きますよ!」
「……友だちなら泊まるぐらいは普通なんじゃない。
対価だって、親しい人間と過ごす時間が増える程度のものだろうし」
その言葉がグリモワ先輩なりの気遣いだと分かる。確かに親しい人と過ごす時間は価値があるものだ。けれど、対価と呼ぶには微妙だ。
「そんなこと言ってると、いつでも泊めてくださいって突撃しちゃいますよ」
「別に構わないけど。君がいたら便利だしね」
私は便利家電ですか、そう軽口を返す。嫌な夢の名残はそうやって消え去っていく。
時間は平等に過ぎ去っていく。だから、タイムリミットも徐々に近づいている。
ミレディアだけは自分の形が少しずつ崩れていくだろうと分かっていた。




