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氷の騎士団長そっくりの推しぬいを作った結果、正体を探されることになりました  作者: あずきまんま


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第46話

 朝の光がまだ淡い時間、工房の窓には薄い靄がかかっていた。カウンターの上に広げた端切れの束を色ごとに分けながら、私は昨日から気もそぞろになっている自分に気づいていた。


 薄手のリネンと、光沢のある繻子の切れ端。指先で撫でるたびに、本当なら今日届く注文の下準備を進めなければならないのに、頭の中はどうしても別のことでいっぱいになってしまう。


(今日よね。エドガー様とマリーが街を歩く、あの約束の日……!)


 心の中で拳を握りしめながらも、表向きはいつも通りの顔を保つ。伯爵令嬢としての習い性が、こういうときばかりは役に立った。奥の暖炉では、火にかけた鍋がことこと小さな音を立てている。


「リゼット様、また手が止まっていらっしゃいますよ」


 布地の束を抱えて出てきたアンナが、呆れたような、それでいて楽しそうな声をかけてくる。私は慌てて端切れを畳み直した。


「あら、そんなつもりは……」


「マリー様のことを考えていらしたのでしょう。分かりますとも、この顔は」


 図星を指されて、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。アンナは端切れを棚に収めながら、くすくすと笑い声を漏らしている。


「今日は、朝から工房に人が来る約束はございませんし、少しくらい心をよそに向けても構いませんよ」


「そうは言っても、注文の品はきちんと仕上げないと」


 言いながらも、私の視線は自然と窓の外、通りの方角へ向いてしまう。マリーが今頃、屋敷でどんな装いを選んでいるのか――想像するだけで、胸の奥がむずむずと落ち着かなくなった。


 扉の鈴が控えめな音を立てたのは、そんな矢先だった。顔を上げると、外套を纏ったカイル様が、いつもの巡回の途中らしい様子で立っていた。肩に薄く朝露が乗っている。


「おはようございます、カイル様。今朝は随分と早い巡回ですのね」


「この時間の方が、通りに人が少なくて都合がいい」


 そう答えながらも、カイル様の視線はちらりと、通りの向こうへ流れた。私はその仕草に、思わず口元を緩めてしまう。


「もしかして、エドガー様の様子を見に行く途中ですの?」


「……レイフに付き合わされている」


「それとなく、というより、はっきり頼まれていますわね、それは」


 からかうように言うと、カイル様はわずかに眉を寄せた。けれど否定はしない。そういうところが、この人らしいと思う。


「お前も、気になって仕方ないだろう」


「ええ、それはもちろん。マリーのことですもの」


 素直に頷くと、カイル様は小さく息を吐いた。呆れたような、けれど拒む響きのないその溜め息に、私はますます頬が緩むのを止められなかった。


「今日のところは、大人しく報告を待つことにいたしますわ。当人たちの邪魔をしては、元も子もございませんもの」


「賢明だな」


「カイル様の方こそ、あまり露骨に見張らないでくださいましね。エドガー様が萎縮なさっては、元も子もございませんわ」


「気配くらい消せる。心配するな」


 真顔でそう言い切るものだから、私は思わず噴き出してしまった。カイル様は答える代わりに、口の端をわずかに上げただけだった。外套の裾を翻して工房を出ていくその背中を見送りながら、私は今日という日の行方を、静かに祈るような気持ちで見守ることにした。


◇


 昼を過ぎた頃、約束どおりオルコット邸を訪れた私は、姿見の前に立つマリーの最後の仕上げを手伝っていた。薄い榛色のワンピースに、私が急ぎで仕立てた小さな刺繍飾りを胸元に添える。前回の若草色とはまた違う、落ち着いた色合いだった。


「今日は、街を歩くだけのお約束だもの。あまり気負いすぎない方がいいと思うの」


「そう言われても、なかなか……」


 マリーは鏡の中の自分を見つめながら、指先で裾を何度も整え直している。私はその手をそっと押さえた。


「大丈夫。エドガー様は、あなたが思うよりずっと不器用な方よ。取り繕った言葉より、飾らないあなたの方が、きっと伝わるわ」


「リゼットさんが言うと、説得力があるわね」


 マリーは小さく笑い、強張っていた表情をわずかに和らげた。窓辺に置かれた鏡台には、私が持ち込んだ数本の香油瓶が並んでいる。控えめな白花の香りを選んで、彼女の手首にほんの少しだけ落とした。


「香りは、強すぎない方がいいと思うの。並んで歩く時に、ふとした瞬間に香るくらいが」


「そんなところまで、考えてくださったの」


「開業する前、香油の扱いだけは散々失敗したから。詳しくなっただけよ」


 軽く笑い飛ばしながら、私は彼女の髪に、工房の端切れで作った小さなリボンを結んでやる。控えめな大きさだけれど、胸元の刺繍飾りと同じ糸を使ったので、装いにもよく馴染んでいた。


「これは……」


「お守り代わりよ。緊張したら、私たちがついていると思って」


 マリーは髪飾りにそっと触れ、鏡の中の自分と目を合わせた。それから深く息を吸い、まっすぐに私を振り返る。


「不思議ね。開業したばかりの頃、初めてのお客様を迎える朝も、こんな風に緊張していたのを思い出すわ」


「今のリゼットさんからは、想像もつかないわ」


「私だって、最初から平気だったわけではないのよ」


 少しむきになって返すと、マリーはくすりと笑い、ようやく肩の力が抜けたような顔になった。


「行ってくるわ」


「ええ、いってらっしゃい」


 馬車に乗り込むマリーを見送りながら、私はふと、これから先の展開を見届けたい気持ちと、当人たちの時間を邪魔したくない気持ちの間で、しばらく揺れていた。結局、今日は大人しく工房で待つことに決めた。


◇


 街の目抜き通りから少し外れた並木道を、俺はレイフと共に、目立たない距離を保ちながら歩いていた。前を行くエドガーとオルコット嬢の背中を見失わない程度に離れ、市場帰りの荷を装って、時折足を止めては品物を眺める振りをする。


「団長、その果物籠、いくら何でも大きすぎませんか」


「文句があるなら、お前が持て」


 押しつけると、レイフは渋々受け取りながら、前方の二人へ視線を戻した。エドガーは、いつもの団服ではない簡素な上着姿で、時折オルコット嬢の歩調に合わせるように、半歩だけ後ろへ下がっている。


「見てくださいよ、あの歩き方。剣を構える時よりよっぽど緊張してますね」


「静かにしろ、聞こえる」


 声を潜めながらも、俺自身、前を行く二人の様子から目を離せずにいた。露店の並ぶ通りに差し掛かると、香草を焼く匂いと、果物売りの威勢のいい声が入り混じって流れてくる。エドガーが足を止め、棚に並んだ小さな硝子細工を指差した。


「これは……オルコット嬢の瞳の色に似ていますね」


「え……?」


 オルコット嬢が目を瞬かせると、エドガーは棚の硝子細工と彼女の顔を交互に見比べてから、店主に何事か声をかけた。少しして、小さな包みを受け取った彼は、それを差し出すでもなく、上着の内側にそっとしまい込む。


「今のは、何を」


「さあ。俺にも分かりません」


「そういえば、お前の妹は今日のことを知っているのか」


「妹は妹で、オルコット嬢のご友人から話を聞いているみたいですよ。学園の令嬢たちの間じゃ、もう半分公然の秘密です。団長が思っているより、話は広まるのが早いんですよ」


「面倒な話だ」


「面倒だと言いながら、団長だって聞き耳を立てているじゃないですか」


 言い返せず、俺は口をつぐんだ。レイフはそれ見たことかとばかりに、肩を揺らして笑っている。


 レイフが首を傾げる横で、俺は柱の陰に体を寄せた。前を歩く二人との距離が近づきすぎ、一瞬、エドガーがこちらへ視線を向けかけたのが分かる。慌てて果物籠に顔を埋めるようにしたレイフの頭を、俺は軽く押さえて棚の陰へ引っ込ませた。


「危なかったですね、今の」


「お前の気配が大きすぎるだけだ」


 文句を言い合ううちに、二人はまた歩き出していた。並木の影が石畳の上に長く伸び、風が吹くたびに落ち葉が二人の足元を渡っていく。


 しばらく歩いた先、噴水のある小さな広場で、二人は足を止めた。水音が響く中、エドガーが何度か口を開きかけては、また閉じるのを繰り返している。俺とレイフは、噴水を囲む生垣の陰に身を潜め、様子を窺った。


「オルコット嬢」


「はい」


「先日は、言葉が足りず、申し訳ありませんでした。あなたは皆と同じではないと、それだけは伝えたかったんです」


 オルコット嬢は噴水を見つめたまま、静かに耳を傾けていた。エドガーは上着の内側から、先ほどの包みを取り出す。開かれた紙の中には、小さな琥珀色の石をあしらった髪留めが収まっていた。


「先ほど見つけた時、あなたの瞳の色に似ていると思ったんです。よろしければ、受け取ってください」


「エドガー様……」


「あなたを、お慕いしています。もし同じ気持ちでいてくださるなら、これからもこうして、お会いする時間をいただけませんか。ご家族には、きちんとご挨拶に伺います」


 噴水の水音だけが、しばらく途切れた二人の間に響いていた。オルコット嬢は俯いたまま、両手できつく髪留めを包み込み、それから、震える声で答えた。


「わたしも……ずっと、エドガー様をお慕いしていました」


 顔を上げた彼女の目元には、光るものが滲んでいた。エドガーは慌てて懐から布を取り出そうとしたが、うまく取り出せずに二度も落としかけている。それでもどうにか布を差し出すと、オルコット嬢は涙を拭い、泣き笑いのような表情で受け取った。


 二人はしばらく何も言わず、ただ互いの顔を見つめていた。噴水からこぼれた水滴が陽を受け、きらきらと光っている。やがてエドガーが照れたように目を伏せると、オルコット嬢もつられるように笑った。


 その様子に、隠れて見ていたレイフが安堵したような息を漏らしてから、小さく噴き出した。


「団長、あれ、絶対に緊張しすぎですよ」


「お前もそうだっただろう、妹の学園の発表会に付き添った時は」


「その話は、しないでいただけますか。あの日は団長にも大概笑われましたが」


 軽口を叩き合いながらも、俺は広場の中央で向き合う二人から目を離さなかった。エドガーが、震える手でオルコット嬢の耳の上に、先ほどの髪留めをそっと差し込む。後ろ髪に結ばれたリボンと並んでも邪魔をしない位置だった。少しばかり不格好な手つきだったが、彼女はそれを咎めもせず、はにかむように笑った。


「不格好で、申し訳ありません」


「いいえ。とても、嬉しいです」


 広場に立つ二人の姿を見届けながら、俺は自然と口元が緩むのを感じていた。不格好でも、伝えたいことがちゃんと伝わる――それだけで十分なのだと、あらためて思う。


「団長、珍しく機嫌がよさそうですね」


「そうか」


「隠さなくてもいいんですよ。まあ、団長だって似たようなものだったんでしょうけど」


 からかうレイフを無視して、俺は踵を返した。二人の時間をこれ以上邪魔する理由はない。夕刻に近づいた空の下、広場に残った二人の影が、橙色に染まった石畳の上で少しずつ近づいていくのが見えた。


◇


 夕方近く、工房の扉が弾かれるように開いた。顔を上げると、興奮を隠しきれない様子のマリーが、息を切らして立っていた。髪には、見覚えのない硝子細工の髪留めが揺れている。


「リゼットさん……!」


「マリー、その髪飾り……」


「エドガー様が。街の露店で、選んでくださったの」


 カウンターの椅子に崩れるように座り込んだマリーは、両手で顔を覆い、しばらく声にならない声を漏らしていた。奥から様子を見に来たアンナも、湯を沸かす手を止めて駆け寄る。


「『あなたをお慕いしています』と、仰ってくださったの。これからも会う時間をいただきたい、ご家族にもきちんとご挨拶に伺うと」


 声を震わせながら告げるマリーに、私は思わずカウンター越しに手を伸ばし、彼女の手を握った。


「本当に、よかったわね……!」


「まだ、実感が湧かなくて。夢を見ているみたいで」


 マリーは目元を拭いながら、それでも隠しきれない笑みを浮かべている。控えめだった彼女が、こんなにも晴れやかな顔を見せるのは初めてだった。


「どんな一日だったの? 良かったら、聞かせてちょうだい」


「最初は、当たり障りのない話ばかりだったの。噴水の近くまで来て、露店を覗いていたら、急にエドガー様が黙り込んでしまって」


「アンナ、お祝いに一番いい茶葉を出してちょうだい」


「かしこまりました。とっておきの蜂蜜も添えて」


 湯気の立つ紅茶を挟んで、私たちはしばらく、マリーの話に耳を傾け続けた。噴水の広場でのやり取りを、彼女は何度も同じ場面を繰り返しながら語る。よほど嬉しかったのだろう、その度に頬を赤らめては、髪留めにそっと触れていた。


「エドガー様ったら、布を取り出そうとして二度も落としていたのよ。あんなに真剣な顔をして」


「それは、見てみたかったわね」


「今度、剣術のお稽古を見に行った時にでも、からかって差し上げようかしら」


「フィオナ様にも、早く知らせてあげないと」


「明日、こちらに来ると言っていたわ。二人揃って報告できるわね」


 マリーは頷きながら、窓の外に目をやった。夕暮れの光が、通りをゆっくりと橙色に染めている。友人の恋がまた一つ、確かな形を結んだことに、私は胸の奥が温かくなるのを感じていた。


◇


 マリーを見送った後、私は屋敷へ帰るため、御者の手を借りて馬車に乗り込んだ。ようやく肩の力が抜けて、車窓に頬杖をつきながら、今日一日の出来事を思い返す。窓の外を流れる街並みは、もうすっかり夕闇に沈み始めていた。


 屋敷に着くと、書斎の前で父が難しい顔をして立っていた。手には、招待客の候補らしい名前が並んだ紙が何枚か握られている。私の姿に気づくと、父は慌てたように紙を重ね直した。


「お父様? 何か、お困りごとでも」


 声をかけると、父は紙を重ね直し、いつもの調子を取り繕った。


「いや、何でもない。お前は、今日も工房の仕事か」


「ええ、それが今日は少し、嬉しい報告もございましたの」


 私は明るい声で答えながらも、父の目の端に残る硬さが気にかかっていた。母の姿はまだ見当たらず、使用人たちも心なしか、いつもより口数が少ないように思える。


「その紙は、何ですの?」


「まだ決定した話ではない。だが、カイル殿ともう一度、今後について話す場を設けたいと思っている」


 そこへ、廊下の奥から母が姿を見せた。いつもは朗らかな母の表情も、今は幾分か硬いように見える。


「お帰りなさい、リゼット。今日は工房の方は、うまくいったの?」


「ええ、マリーのことで、とても嬉しい知らせがございましたの。お母様、お父様が先ほどから難しいお顔で――」


「ジェラルド様、その言い方では、またリゼットを心配させてしまいますわ」


 母がそう言うと、父は書斎の扉に手をかけたまま、しばらく黙り込んでいた。ランプの灯りが、廊下の壁に父の影を長く伸ばしている。


「……分かった。先日の話し合いで、私は二人の交際を認めた。だが、内々に認めるだけでは足りないと思い始めたのだ」


「それは、どういう……」


「心配はいらない。むしろ逆だ。ヴァランタイン家として、お前たちの関係をきちんと周囲へ示すべきだと考えている」


 思いがけない言葉に、私はすぐには返事ができなかった。父は招待客の候補らしい紙を手にしたまま書斎へ入り、静かに扉を閉めてしまう。母は私の肩にそっと手を置き、楽しそうに微笑んだ。


「お父様なりに、あなたたちを祝う方法を考えているのよ。あの人は、こういう時まで言葉が足りないのだから」


「私たちを、祝う方法……?」


「それも、追い追いね」


 母はそれ以上を語らず、私を促して居間の方へと歩き出した。閉じた書斎の扉を振り返りながら、私はしばらくその場を動けずにいた。友人たちの恋がこうして少しずつ実を結んでいく、この穏やかな季節の中で――私とカイル様の関係もまた、二人だけのものではなくなろうとしている。胸の内に広がったのは、不安よりも、くすぐったいような期待だった。


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