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冷凍された真夢  作者: 棺之夜幟
五章
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殺意という純情

 蝉の声に耳を傾けられる程、精神的余裕は無かった。僕がそうなのだから、匡香に至っては、負荷の度合いも異なるだろう。足音だけでもそれがわかった。彼女の言葉はない。七竈匡香は、僕の"沙汰"とは殆ど無関係だ。何故先生が彼女まで葬儀屋に連れ出したのか。考えれば、一つの解があった。


「先生、匡香をこのまま預ける宛はありますか」


 関係が無いのなら、これ以上共にいても、精神及び肉体に対する傷が増えるだけだろう。もっと言えば、常識的に見て、彼女は然るべきところで大人しくしてもらった方が、こちらにも都合がいい。多分、家族で過ごすのも良くはない。


「お嬢さんが同意するなら、私の知人を紹介させてもらいたい。お兄さんへの同意は立花が取り付けるだろう」


 先生は宥めるようにそう言った。優しさはぬるくも滲み出ている。心地良いかは別として、先生の言葉は正しかった。


「お母さんは別だが」


 匡香と義兄の母、僕の義母は、恐らくは既におかしくなっている。具体的に言えば、恐らく、父から離れられなくなっている。そして、その父は、僕の沙汰の根幹を成す一人なのだろう。父は正しく狂っていることに間違いはない。


「何処に向かっているの、これは」


 彼女は返答ではなく、問いを口にした。目線は真っ直ぐ、僕ではなく先生を捉えていた。


「さあ、何処だろうな。私にもさっぱりだ」


 先生はそうして肩を落とした。いつの間にか、彼の口には煙草が一本あった。


「ただ、君は巻き込まれたに過ぎない。中心は"七竈ハラヤ"だ。君と同い年の義兄。それを巡って行われているのは、人間の理から外れた獣と怪奇の業だ」

「本人を前にして、言いますね」

「求められた解答をしただけだ。他意はない」


 すまない、と先生は珍しく僕に謝った。


「とはいえ、七竈に手を出している輩は複数いる。そいつら一人一人が目的を達するか、死ぬか。それが終着点だろうな」


 先生曰く、それは命を懸ける程のものであるらしい。どうも、理解も興味も至らなかった。実感も、責任も、果ては現実感すら、目の前にはなく、未だ夢の海に浮いている感覚があった。


「常人に理解が出来ないからこそ、狂気、なのだろうな」


 ふと、先生は突然ポロリとそう言った。


「何ですか、急に」

「二人とも不思議そうな表情をしているもんだから、そう、だと思ったんだよ」


 答えのようで、解答ではない。最近はそういった会話ばかり強いられている気がしてならない。


「それで、先生、匡香の預け先って何処ですか」

「霧子のところだ。私から連絡をもしやすいし、身元もはっきりしている。何より、彼女は比較的安定していて心強い」


 霧子から先生に対する信頼を耳にしたことはあったが、どうやら逆も然りということらしい。先生は匡香の顔を見ると、作ったような優しい微笑みを向けた。


「無理をする必要はない。だが、君がこのまま七竈家にいては、危険があるのは確かだ」


 既に、事は止められない所まで来ている。

 言葉の続きはわかっていた。先生にとっては、無関係の人間が業に巻き込まれるというのが気に食わないのだろう。先生はそう言う人だ。


「霧子……和泉霧子という女性は、まあ、口は悪いが素晴らしく善良だ。大学病院で看護師として働いている。夜勤で酷く疲れて帰ることも多い。家事は手伝ってやると喜ぶだろう」


 どうだろうか、と、先生は匡香に手を差し伸べた。一瞬、匡香の手には迷いが見えた。二秒、宙で指先が静止する。だが、最後、彼女は先生の掌に触れた。


「近くの喫茶店に待たせている。今すぐ行こう。お母さんへの説明を考えておいてくれ」


 黙って頷く匡香の横顔には、不安しか見られなかった。


「日用品の買い足し代金、先生なら貸してくれると思うけど」


 僕は何処かに電話をしている先生の背を見て言った。その途端、彼女は僕を侮蔑の眼で睨んだ。


「そんなことでこんな顔になってるわけじゃないわよ」


 一転して、感情表現が元に戻った。そうだった、コイツはこういう奴だった。天邪鬼という、面倒な女なのだ、匡香は。


「なら言葉にしろよ。お前はいつも察することばかりこちらに強要する。だから小清水には好意の一つも伝わらなかったんだ。アイツはお前が思う以上に愚鈍なんだぞ」


 その名を口にした瞬間、彼女は目を反らした。零してしまった言葉を取り戻す様に、僕は口を閉じた。


「ねえ、アンタさ」


 再び口を開いたのは匡香の方だった。


「さっき、殺す殺すって物騒なこと言ってたけど、小清水君のことも殺す気?」


 真っ直ぐに、彼女は僕の眼を見ていた。今度は正しく言葉を選んでいる。


「わからない、というのが正しいと思う」


 彼女がただしく言うのなら、僕も正直に言葉を並べなければならないだろう。とすれば、こう答えるしかなかった。


「別に殺人は目的ではない。言ってしまえば、手段だ」

「本当、人殺しに何も感じないのね」

「罪悪感でも持っていて欲しかったか」

「違う。それは無い方がきっと生きやすいわ」


 少し、ずれていた。彼女は僕に嫌悪も侮蔑も向けない。今あるのは、どちらかと言えば、憐れみ、だろうか。


「ただ、殺す殺されるって、夫婦よりも特別で不変の関係だから」


 下げた目線には、長い睫毛が良く映えた。青灰混じりの彼女の瞳は、妙に落ち着いている。


「私より特別になって欲しくない、アンタなんかに――――そう思っただけ」


 何だ、コイツも日比野などとそう変わりないじゃないか。


 僕は過った感触を喉に通して、先生の車に乗り込んだ。

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