第一章 三話目「勇者の終わり」
突如魔王に向かって放たれた攻撃。
そして、先に魔術が飛んで来た方向を向いていた魔王に続いてメビウスもその方向を見る。
あの魔術を使った人を確認し、確認する前からわかっていたその人を奇跡でも見るように――いや、目の前で今起こっている奇跡をメビウスは見つめた。
「メランコリー……!」
メビウスが声にしたのは、死んでしまったと思っていた仲間の名前だ。
あの時、魔王の「天喰らう滅亡の虚無」の後の激痛に叫んでいたのはメビウスだけだった。
だからもう死んで叫ぶことすらできなかったと思っていた仲間の魔術に、なぜかもう二度も消えた筈のメビウスの声がもう一度漏れる。
それだけではない、魔王の攻撃でもう動きすらしなかった手も伸ばされる。失ってしまった大切な仲間を、取り戻すように。
だがーー、
「虫けらは死んどけって戦う前に言ったと思うがな」
無情な魔王は見逃すはずもなく、魔王は球体を細い槍状に変化させてメランコリーの体を貫いた。
「ああ……あああああああああああぁ!!」
仲間を何もできないまま失われたという事実はメビウスから再び言葉を失わせるまでに深く傷つける。
子供が駄々をこねるように泣いて床が涙と血で濡れ、メビウスの叫ぶ声が魔王の城にこだまして消えていく。
そして、その様変わりしてしまったメビウスを魔王は腹を抱えて笑っていた。
「そうだよ。その顔が見たかったんだよ! そうだもっと泣けよ! 泣きわめけよ! 弱者の分際で俺に挑んだ意味を理解して、噛み締めて、懺悔して! もっともっとそのクソみたいな姿を晒して俺を喜ばせろ!」
そう、あの日妹を奪った時のように。
もうメビウスには、魔王の言っている通りになるかと抗う意思もない。ただひたすら泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いてーー、
「メビウス……」
そんな状態になっても、メビウスは仲間の声は聞き逃さなかった。
瀕死の重傷を負って一度は死んだと信じたのに、それだけでなくその体に残る力を振り絞って魔術を使ったのに、それでもメビウスに届いたメランコリーの声は魔術のようにメビウスの涙を止めた。
もう一度、今にも死んでしまいそうなこの状態に必死で抗ってメランコリーに目を向ける。するとその目に涙を浮かべて、
「あの、魔王を……倒、し、て……」
それだけ言うと、夢のように儚く消えた声と共に静かに目を閉じた。
そんな可能性があるはずなかった。仲間全員がなすすべなく魔王に倒されているというのに、今のメビウスたちが魔王に逆転勝利ができるはずなかった。
それなのに、メランコリーの顔と声には絶大な信頼があった。
まるで、あり得ないはずの奇跡をメビウスなら本当に起こしてくれると信じているように。
そう。だから、だからこそやっと思い出せたのだ。
「お前、そんな顔して何したいんだ?」
なぜ自分がここにいて魔王に立ち向かっているのかを。
最初はただ憎いだけだった。自分の全てを奪った相手がどうしても許せなかった。それだけの理由で魔王を殺そうとした。
でも、沢山の人と出会って、様々な人たちの気持ちを聞いて、沢山の過去を聞いて。
誰かの死を見続ける羽目になった人、愛する人を失った人、故郷を失った人、幸せな未来を壊された人、全てを奪われた人。
様々な人たちの思いを背負ってメビウスは今ここで魔王を倒そうとしているのだ。
なら、今メビウスが諦めることを誰が認めるのだろうか。
「やっとお前も俺のしょうもない生活の暇つぶし程度にはなったのにさ、なんでまたそんな馬鹿みたいな顔してんだよ? 泣いてやらないと今殺した奴が可哀想じゃねえか。それくらい、たとえどんなに弱い奴でもそれは俺も許してやるからさ。だからさっさとついさっきみたいに泣けよ」
確かにメビウスは弱い。魔術も普通の五歳児よりも下手だし、一番得意にしている剣も今まで数々の偉業を成し遂げた勇者たちともしその人たちが生きていた時代に行き戦う事が出来たら直ぐに倒されてしまうだろう。
だが、メビウスにはそんな弱さをも補う力、唯一無二の今まで何度もメビウスたちを救ってきた力があるのだ。
それは「勇者の力」、時間を巻き戻して世界をやり直す力だった。
メビウスにその力が与えられたのは、丁度妹を魔王に殺されて復讐を誓った時だった。
突如視界がぼやけて目の前に、様々な色が混ざり合ったような目が特徴的だった女性が現れ、自分はエカチェリーナという女神だと名乗りメビウスにこの力を与えた。
もちろん初めは何を言ってるのだと思い信じなかったし、全く信じないメビウスに信じて貰おうと女神様も頑張っていた。
その後、結局実際にその力を使うーーつまり勇者の力でレイン村が襲われる直前まで戻り、村は救えなかったとしても妹は救うということでその力を証明することになった。
結果として何度かの繰り返しの末にどうにか妹を救い出し、勇者の力が本物であることを証明しかつ妹の命を救った。
その後もう一度女神様が現れて、勇者の力を信じなかったメビウスに散々文句を言うとその力を有効活用してくれと頼み、それ以降は一度もメビウスの前には現れていない。
そしてその力と共に魔王を倒すと決めたメビウスは、何度もぶつかった巨大な壁を勇者の力を使ったやり直しで何度も挑み、そして超えていった。
その日々の積み重ね、やり直しの繰り返しの果てに弱いメビウスをここまで導いたのはその力の恩恵だった。
一分、一秒が惜しい。たとえ今回何も出来なくてもまだこの回で手に入れられるこちらに有利な情報が、例えば魔王の第二形態が使える魔法の種類が一つでも多くわかるかもしれない。
だから、メビウスはたとえどんな些細な情報も逃さないように魔王の全てに注意を傾けた。
「なあ、俺の話聞いてたか? どうせもうすぐにお前は何もしなくても死ぬんだよ、なのにそんな無駄なことしてさ。お前本当に何がしたいんだ? まさかだけど本当にお前俺に勝てるとかまだ信じてるのか? はっ、夢を見るのもほどほどにしろよ」
それで言いたいことが尽きたのか、魔王は再びメビウスを蹴り始めた。
魔王にボロボロにされた体は先程と同じように魔王の蹴りすら耐えられない。少し体が遠くに飛ばされて、そして血に限っては何倍もの量が口から吐き出された。
ただ、それでも声は上げずに痛みや涙を必死で堪える。この行動が何か魔王との戦いを変えるわけではない。でも、絶対に弱音の類は言いたくなかった。
もし、今弱音を吐いてしまえばこれ以降のやり直しで心が挫けてしまうと思ったからだ。
そんなメビウスの決意など知らずに魔王はもう一度メビウスを蹴る。だがもうメビウスの決意は絶対に変わらない、そして決して魔王の何かに挫けたりはしない。
蹴られてまた同じような反応のメビウスに、魔王はメビウスを蹴らずに傷や血だらけの顔を見つめた。
「なあ、お前ここまでそんな顔をし続けるって本物の夢を信じる馬鹿か……いや、違うな」
突然、ヴァニタスの雰囲気が変わった。弱者を嘲笑するそれではなく、魔王の威圧のようなもので、
「お前は本当に何かがあるからそんな顔をしてるんだな。流石にお前の仲間を殺した時にはそうは思わなかったが、今この瞬間にその顔が出来たんだ……なら言ってみたらどうだ? その謎に満ち溢れている自信の根拠を。俺もそれくらいちゃんと聞いて、その自信を粉々に砕いてやるからよ」
魔王の挑発には応じる意味がないと無言を貫いた。魔王がメビウスの勇者の力を知ったところで何があるというのだ、どうせこの力を使えば忘れてしまうのに。
そんなメビウスの態度に魔王は痺れを切らしたのか、そして右手をメビウスに向けそしてメビウスを耐えがたい眠気が襲った。
「……!」
本来、眠気というものは人にとって痛みを感じるような辛いものではない。
もし仮に眠気がそんな辛いものであるのなら人々は毎日苦痛などに苛まれ、ほとんどの人が睡眠不足に陥ってしまう。
だから、眠気は人に睡眠を促すように心地よく感じるようになっているのだ。
しかし、今メビウスが感じている眠気はそんなものではない。
例えるなら、寝ようとしない子供をなんとかして寝させようとした眠気がついに強硬手段に出て、眠気に抗おうという意思を事前に摘み取っていかれるような感じだ。
一瞬、メビウスは襲ってくる眠気に本気で抗おうと閉じていく瞼をやっとの事で持ち上げようとした。
だが、そうした瞬間に激痛が体を走り、抗おうとする意思が瞬きをする間もなく奪われる。
しかし、激痛はメビウスの意思を奪うと同時に眠気も奪う。そして激痛で失われた分は再び襲ってきた眠気が穴埋めをして再び瞼が重くなっていき、メビウスは抗おうとするのは無駄だと、何かをする体力のなくなった体で悟った。
鮮明に映っていたはずの視界がどんどん狭まっていく。
メビウスはこの瞼が閉じることが今回の死をもたらすのだと理解しながらも、まだ最後に魔王が次の役に立つ情報を漏らさないかと注意を傾けていた。
そして今回の全てが終わりへと向かう最中、最後に、本当に最後の瞬間にメビウスは聞いた。
「さてと、お前のその自信の根拠を教えてもらおうか」
魔王の魔法は、メビウスにその言葉の意味を理解する時間を与えなかった。