第51話 大海鯨ケトゥス(2)
大海鯨ケトゥスが怒りに燃える瞳でこちらを見てくる。
トドメを刺せず、怒らせてしまった。
俺に魔物や獣との立ち回りを教えてくれたマックスに「手負いの獣ほど手がつけられねえ」と耳にタコができそうなほど聞かされている。
手負いの魔獣とか最悪なんじゃないか、これ。
「全速力で逃げるぞ!!」
俺の一声で各自役割をこなしてソリを急発進。
体の小さいアンナがすっ飛ばされそうになったので腕に抱いてやる。
「ちょ、ちょっとクロウ!!」
「文句は後で聞く! 舌噛むから今は黙っとけ!」
赤い顔で抗議されたが今は本当にそんな暇はない。
後ろを振り向くと凄まじい勢いでケトゥスが迫ってきていた。
「シャーリー!」
「おう!!」
勇ましい声をあげたシャーリーと息を合わせて舵を切る。
ケトゥスが起こした波でエリザの氷の道がそれはもううねり狂う。
ジェットコースターのレールが動くと言えばいいか、間違いなく乗客のクレームが飛んでくるだろう。
何回も落っこちそうになるが、山道のカーブまみれの道を猛スピードで駆け抜けるが如く進んでいく。
「クロウ様!」
グレースが声を上げるがもう振り返る暇すらねえ!!
「マズイわ!! また例の衝撃波を出そうとしてる!!」
「うげえ!?」
「なんとか道を作るのでアンナ、指示を!!」
俺の胸の中のアンナが代わりにケトゥスの様子を見てくれたのだが、事態は最悪といっていい。
ひたすら追いかけてくるだろうと、突進を意識して作った氷の道では避けられないかもしれない。
エリザが軌道の修正を頑張ってくれるようだが――
ばりばりと空気が震える。
死の風がすぐそこを掠めていく。
脳を揺さぶられ、飛びそうになる意識を必死に保つ。
氷の道が吹っ飛ばされ、ソリが宙に浮く。
エリザが氷の道を作る。
メリーが道にうつるソリの影から〈影の拘束〉を生み出し、ソリと道をつないで着地。
アルヴィナがなんとソリから身を投げ出し、ぶらさがりながら着地の衝撃を緩和。
グレースは茨を生やしてケトゥスをけん制。
「グレース! メリーに牽制役交代! シャーリーの代わりに舵!」
「人遣いが荒いわよお、夜の扱いは優しくしてね♪」
なんとか乗り切ったが、アンナとシャーリーが鼓膜に大ダメージを負ってしまった。
グレースはさすがエリザより長く生きてるだけあって、軽口を叩けるぐらいの余裕を保ってる。
エリザもピンチ時に慌てなかったし、冷静に対処を続けてくれている。
「何か手は……」
勇者の剣に魔力を込めても恐らく奴の臓器には届かない。
架空の話で鯨相手の鉄板である口の中に突っ込んで暴れるのは危険だ、絶対胃液とかやばい。
「あ」
波立つ海を見ていて思い出した。
アレは使えるかもしれない。
俺は鳥人を呼び寄せるハンドサインを掲げる。
すぐさまニコトエアが飛んできた。
「勇者殿!」
「ニコトエア! 教えてほしいことがある!」
後ろでケトゥスが吼えるわ、氷が割れる音はするわ、波の音はするわの騒音の中でニコトエアと言葉を交わす。
「無茶だ勇者殿!」
「でもそれぐらいしか思いつかねえ!」
俺の案は思ったとおり止められそうになる。
だがどのみち決行しなくても待っているのは死だ。
やらないよりやって死んだ方がいいじゃないか。
「……目の良い私が見て判断するわ」
耳の痛みから解放されたアンナが呟く。
もう何言っても聞かないから私が死なせない、とでも言いたげな顔だ。
「私の氷魔術の制御なら上手くいくでしょう」
エリザがこちらに振り向きもせずに氷の道を作り、言い放つ。
「直接戦えなくてもアタシに出来ることならやるぞ」
耳のダメージでいつもよりテンションは低いが、シャーリーが強い意志を持っての発言。
「私もクロウ様を支えるわ♪」
グレースが妖艶に微笑みかけてくる。
未だに完全には信用できないが、彼女にもやってもらう事がある。
「メリーも! メリーも!」
「メリー、危ないからソリの上でぴょんぴょんするのは止めなさい」
ぴょんぴょん跳ねてアピールする彼女を嗜める。
アルヴィナは多分どこまでも俺についてくるだろう。
「……さすが勇者殿の婚約者達といったところか。
承知した、ハーピーの長ニコトエアが汝らを勝利へと導こう!!」
ニコトエアの先導に従って氷の道を作り、進んでいく。
ケトゥスは怒りで理性が吹っ飛んでるのか、何の疑いもせずこちらを猛烈に追いかけてくる。
メリーは〈闇の弾丸〉の魔法で挑発し、急激に接近してきた場合はアルヴィナがポールウェポンでホームランを打つかの如く振り抜く。
「アンナ殿!!」
「――今よ!!」
目的地に近づいたというニコトエアの掛け声を受け、アンナの確認後の合図で全員がそれぞれの役割に移る。
「凍てつけ氷河の如く――〈冷たき川〉!」
エリザの作った氷の道は凄まじい急カーブとなる。
だが緩やかだとケトゥスも付いてきてしまう。
「ふんぬうううううううううッ!!」
「おらああああああああああッ!!」
俺とシャーリーで思いっきり舵を切る。
かなり無茶したが、ソリはなんとか氷のカーブを曲がりきった。
「私の出番ね♪」
グレースが茨の壁を生えさせ、ケトゥスが曲がって追いかけてこないようにする。
ケトゥスはそのまま正面の海域に突っ込んでいく。
そんな中、突如としてギザギザの牙を生やした円状の魚が大量に水面から飛び出す。
ピラニアのようなそいつらの名は――
鋸歯魚。
あの大烏賊でさえ近づこうとしない獰猛な魔物。
キレインクロインは縄張りの侵入者とあれば魔獣すら関係ないようで、一斉にケトゥスに襲い掛かった。
もしヒトである俺達がカーブを曲がりきれなかったら、魔物の習性により優先的に食いつかれていただろう。
「グゴオオオオオオオオオオオオ!?」
ケトゥスの悲鳴が上がる。
そら生きながら食われているのだ、その痛みは想像すら出来ない。
ケトゥスも全く無抵抗という訳ではなく、四肢や尾のヒレを使ってキレインクロインを吹っ飛ばしている。
だが大群である奴ら全てを対処はできない。
まるで蟻に集られる象だ。
ケトゥスの肉がどんどん削れ、対照的にキレインクロイン達の腹がどんどん膨れていく。
そして遂に内臓――それも心の臓と思わしき脈動する部位が見えてくる。
伝説の魔獣とだけあって、臓器が剥き出しになっても生きていられるようだ。
「アルヴィナ!」
俺の声に反応したアルヴィナはポールウェポンの球体の部分を背後に構える。
俺は球体の上に乗り、彼女が思いっきり振り上げた。
――投石機ならぬ投人機だ。
俺は空中に思い切り飛ばされ、弧を描きながらケトゥスの元へ向かう。
キレインクロインの殆どが満腹になったことで満足したのか、海中へと姿を消していた。
「うおおおおおおおおッ!!」
落下しながら勇者の剣の刃先を下に向け、闇の魔力を纏わせる。
確実に倒すためだ。
化け鯨の露になった心臓らしき部位に着地、と同時に勇者の剣がぶっ刺さる!
「グゴオオオオオオオゴオオオオオオオオ!!!!」
大海鯨ケトゥスの絶叫が響き渡る中、俺は更に魔力の出力を上げる。
ここで決めなければ。
大暴れして振り落とされそうになるが、奴に刺さった勇者の剣の柄を必死に握って耐える。
大暴れしていたケトゥスが動きを止めた。
黒い巨体が光になって天に昇っていく。
マナの一部は俺の中へと吸収される。
ケトゥスという足場が無くなり、俺は海へ放り出された。
大の字になって海面に浮かぶ。
「ははは……やってやったぞ」
四体目の魔獣も倒すことが出来た。
もらった力とはいえ、勇者として良くやってる方だと自画自賛したい。
戦いの余韻で呆けていると何やら不吉な予感を察知する。
身体を起こし、手足を動かして浮いていると奴らが姿を現した!!
「キレインクロイン!? ……そうか、満腹になっても魔物の性は働くのか!!」
ケトゥスを最後まで食い尽かさないで海中へと姿を消したので、満腹になり無害だと勘違いしていた。
奴らは魔物、例え満腹であろうとヒトを排除しようと襲ってくる!!
「魔法は……ダメだ」
ケトゥスにぶっ刺した勇者の剣に全部注いでしまった。
剣を振るってもこの数には対処できない。
しかも海に浮いているという圧倒的不利な状況。
俺は歯を食いしばる。
折角手に入れた新しい人生だったのに。
ここで終わるのか――
「……歌?」
どこからともなく綺麗な歌声が聞こえてきた。
青い海のように澄みきった声が。
歌を聴いたキレインクロイン達は何故か海中へと姿を消していった。
「人魚がやってくれたのか?」
辺りにハーピー達は見当たらない。
アンナ達が乗ったソリが急速に近づいてるのが見えるくらいだ。
と、ソリの上に乗っていた誰かが飛び込んだ。
魚の下半身が見えなかったら慌てていたところだ。
「……クロウ」
「い、イリュリア?」
青く長い髪をしっとりと濡らせたイリュリアが俺の近くまで泳いできた。
緑色の瞳はもう曇っていなかった。
「さっきのはイリュリアが歌ったのか?」
「……うん。魔物除けの呪歌だけどずっと効いてる訳じゃないからひとまず離れるべき」
彼女はコクンと頷いた後に俺の手を引いて氷の道の方まで泳いでいく。
ソリまで上がると女性陣がわっと寄ってきた。
「馬鹿クロウ! 魚の餌になっちゃうかと思ったわよ!!」
「ケトゥス撃破後も無事戻ってくるのに何か考えがあるのかと思ったら……妙なところで抜けているのでこれからはち・く・い・ち確認させていただきます」
「クロウ流石だ! あんなでけえ魔獣を倒しちまうなんて!」
「イリュリアが来てくれなかったら危なかったわよ、クロウ様」
「パパー! メリー心配したんだからねっ!」
一気にもみくちゃにされる。
「揺らすな揺らすな! 落ちる!」
折角イリュリアが何とかしてくれたのに、ここで落ちたら洒落にならねえ。
さっさと陸に戻るとしよう。
氷の道の上をソリで走っている間に聞いた話をまとめてみると。
ケトゥスとの戦いを見ていたイリュリアが、俺が海に落ちたのを見て周囲の反対を押し切り、一気に泳いでアンナたちの元へ向かってきたそうだ。
そしてソリの上で呪歌をうたってくれた訳である、本当に助かった。
「……クロウ」
イリュリアが何やらもじもじしながら声掛けしてくる。
魔術を使って疲れているエリザや、神経質そうに辺りを警戒するアンナの目が鋭くなったのは気のせいだと思いたい。
「私、クロウに言われてずっと考えてた。
大好きな歌を好きなときには歌えない。でも全く歌えない訳じゃない。
私は――」
イリュリアは目に大粒の涙を溜めながら宣言する。
「歌いたい! 歌のために生きたい!」
さっきまでの抑揚の無い声とは正反対の叫び。
それは彼女の本心に違いない。
「な? どうでもよくなかっただろ」
「……うん、だから――」
涙を流しながら彼女はニッコリと笑い、宣戦布告する。
「私、クロウに嫁ぐ」
後ろから黒いオーラがめらめらと立ち昇っていく。
だけど俺は――
「分かった、呪歌を歌わせてやる機会ちゃんと作ってやるからな」
男に二言は無い。
泣いてる彼女の背中をとんとんしてあげる。
……黒いオーラが強くなって俺の背中はびくびくしているが。
「クロウ、私には何もしてくれない訳?」
「私喉が渇きましたわ、クロウさん」
「誰かアタシと特訓してくれないかなー?」
「……善処します」
婚約の流れは回避できないのは彼女達も納得できないながらも諦めているようで、代わりにイリュリアのように何かして欲しいとねだってきた。
全員いつものおねだりだからそんな難しいことじゃないけど……なんかね、そのうちナイスボートになりそうな予感がしてきましたよ俺。
彼女達から逃げるように視線を逸らした先、イリュリアと目が合う。
先ほどのような笑顔ではなくクールな表情だが、目は輝き尻尾をびたんびたんと振っていた……俺にぶつかって痛い。
――苦しみから解き離れた彼女を見ていると、穏やかな気分になってきた。
海も先ほどまでは大海鯨ケトゥスとの戦いで大荒れだったが、今は俺の気分と同じく穏やかであった。




