第26話 黒い悪夢と波乱の朝
シリアスとエロギャグの差が酷い回。
黒い泥の夢。
いつもの如く、俺は黒い泥に絡みつかれていた。
この夢を見ると、寝起きが憂鬱になるから勘弁して欲しい。
そんな俺の願いとは裏腹に、夢の内容は更に陰鬱としていた。
『人殺し』
どこかで聞いたことがあるような男の声が聴こえてきた。
そして俺の心臓はばくばくと忙しく鼓動し、冷や汗が垂れてくる。
そうだ、周りの喜びように流されていたが俺は遂に人に手を掛けた。
でも仕方なかったんだ。
彼は魔剣で呪われていた。
息の根を止めなければ仲間たちが殺されていた。
『でも殺したことには変わりない』
そうだな。
どう取り繕っても事実は変わらないよな。
俺は勇者だ。
だから今後もこうして人の命を奪うだろう。
その覚悟はアンナと約束したときからついてる。
『いいや違う』
は?
なんで断言できるんだよ。
俺のことは俺が一番分かってるんだぞ。
『お前はもっと前から覚悟していた。失いたくないモノのために奪う覚悟を。そして勇者になった』
どういうことだ?
そもそもお前は誰なんだ。
『俺は――』
目の前の黒い泥から男の顔が浮かび上がってきた。
柄が悪そうで、視線を合わせたくない鋭い目をしたその男の顔は。
『俺はお前だ』
俺そっくりな顔をしていた。
「っ――はぁ――はぁ」
目を覚まし、俺はすぐさま上体を起こす。
動悸は激しいし、寝間着は汗でびっしょりだ。
嫌な夢だった。
いや、あれは夢にしては何か違和感が――
「パパ」
いつの間にか影から出てきたメリーがそっと俺の頭を抱きかかえてくれた。
そのおかげか心が落ち着いてきた。
「大丈夫だよ、パパは一人じゃないよ」
「メリー……」
幼い見た目だが、彼女から出た声色の深さからはまるで母親のような落ち着きを感じる。
見た目は幼女だが、彼女が年齢不詳な精霊だということを改めて認識させられた。
「情けないパパだよなあ俺」
「そんなことないよ、パパは皆を守れるぐらい強いよ」
本来なら決して子供の目の前で吐いてはいけない弱音を吐き、挙句の果てに励まされる。
勇者になったとはいえ、それは与えられた力に過ぎない。
女神の加護の力で敵と相対する勇気と自信が沸いたが、結局俺は人としてまだ弱いところがある。
ああ、でも。
今の俺の周りには仲間たちがいる。
それが勇者という立場のおかげであっても。
魔王討伐もあるけど、まずは仲間を率いて帝国に勝つ。
俺は勇者軍首領になったのだ。
悪夢にビビってる場合じゃない。
「ありがとなメリー」
俺はメリーの頭を撫でると、彼女はゆっくりと離れ隣に潜り込む。
「今日は心配だから朝になっても一緒に寝てるね!」
「そ、それは……」
基本、メリーは俺の影の中にいて何かあれば即座に出てきて戦ってくれる。
だがさすがに四六時中俺の傍にはいない。
男だから色々とあるのだ。
何が?ナニが、だ。
そういう訳で風呂とトイレだったり、寝る前と朝起きる前は違う部屋にいてもらったりする。
例外としてはアンナとサバイバル訓練をしていたとき、夜に天幕の外の見張りをしてもらったぐらいか。
後に浮気は駄目と茶化していた彼女だが、アンナに「メリーはいい子だから主の寝る天幕の外を見張ってくれるわよね?」「うん!」などと騙されていたのだ。
「パパ」
→メリーがうるうるとした上目遣いでこちらを見ている。
くっ、どうする、愛をフルしてしまうか。
あっ、涙が……。
「分かった、いいよメリー」
結局折れました。
メリーがぱあっと笑顔になる。
まあ大丈夫だろう……多分。
起きるときにバースト状態の息子がメリーに見られないよう祈ろう。
目が覚める。
腕にメリー抱きついている。
精霊だからか体温は感じられないが、それでも人肌の感触を得られている。
そのおかげか穏やかに寝なおすことが出来た。
メリーを起こさないよう、ゆっくり起きる。
用意されていたタライの水で顔を洗ってさっぱりとする。
そしてバーストモードを解除するまで心頭滅却する。
決してメリーが隣にいたからではない。
朝のどうしようもないアレだ。
収まるまでに元気になってしまうような煩悩は祓わなくてはならない。
煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散……。
……。
よし。
収まった。
少し早いが折角だからジョギングでもしてくるか。
早起きは三文の得だしな。
着替えて扉を開ける。
だが試練が待ち構えていた。
「おはようございますクロウさん。ちょうどノックしようと思って――」
エリザがいた。
俺の後ろにはベッドで眠るメリー。
「ち、違うから!メリーが布団に潜り込んだだけでやましいことはっ!!」
弁明してからむしろ怪しいんじゃないかと気づく。
ところがエリザから追及は無くむしろ――
目がギラギラ光ってる。
まるで獲物を見つけたような猛獣のようだった。
その視線は俺の首筋に注がれていた。
ものすごい速さで扉を閉め、エリザは俺を押し倒して首筋に牙を立てた。
そして垂れる俺の血を夢中で舐めていく。
「ちょ、ちょっと待ってください。エリザさんマズイですよ!!」
やめてくれと言われた敬語が思わず出る。
いや、それぐらいほんとヤバいんですよ。
彼女の胸が当たって、再びバーストした息子が彼女に当たって。
しかし彼女はそれを意に介さず血を呑み続ける。
凶器である柔らかい彼女の肉体が俺の理性を消し飛ばしかける。
――バゴオン!――
部屋の扉が吹っ飛ぶ。
主の危機を察知し、廊下で警護していた彼女が来てくれた。
「アルヴィナ!」
今やエリザから俺へと警護対象を変えた自動人形がポールウェポンで扉を破ってまで助けに来てくれた。
ああ、俺が本能の獣になってしまう前になんとかなる。
そう思った矢先だ。
「一体何の音!?クロウどうした――」
駆けこんでくるアンナだが言葉が途切れる。
アルヴィナはともかく、ベッドの上のメリーに俺を押し倒すエリザ。
これはどう考えても勘違いする、アンナの立場だったら俺だって勘違いする。
アンナの雷を覚悟する。
だが天気予報は外れる。
アンナの両目から涙の雨がぼろぼろとこぼれ落ちる。
そして、
「うっうわあああああああああああああん」
大きな泣き声が館に響き渡った。
「勘違いなのね」
アンナの目は赤く、泣き腫らしていた。
エリザはばつの悪そうな表情という、スーパーレアぐらいの珍しい顔をしている。
起きて惨状を目にしたメリーは混乱していたが、話の内容が内容なので席を外してもらった。
アルヴィナも新たな誰かが参戦して更なる混沌を生まないよう、廊下で見張ってもらうことに。
メリーと一緒に寝ていたが、手を出していないことは真摯な俺の娘への愛を語って分かってもらえた。
そしてエリザは、
「ごめんなさいクロウさん、どうしても我慢できなくて。
あ、とても美味でした。ご馳走様です」
と、吸血鬼ならではの吸血欲に勝てなかったと謝ってきた。
「で、クロウ。エリザに押し倒されてあなたは嬉しそうね?」
そして俺への尋問ターン。
男の身体は素直なのだ。
股間に二人の視線が集中する。
「見ちゃイヤン」
「ふざけないで」
「……はい」
重い空気を軽くしようとしたら悪手だった。
ピリピリしてて、今度こそ本当に雷が落ちそうだ。
だが雷どころか爆弾が投下された。
「お、男の人ってこういう時、解消しないといけないのですよね……?」
エリザがとんでもないことを口走った。
言った本人とアンナは顔が真っ赤だ。
……二人して経験無しなのか。
俺が言えたことじゃないが。
「ちょっとエリザ、何言ってるのよ!!」
ほんと何言ってるんですか。
しかしこのままではいけない。
平行線で気まずい話が続いてよろしくないことが起こりそうだ。
なら俺が泥を被ろうじゃないか。
「あの、しばらく部屋に一人にしてくれないかな?」
窓を開けて換気する。
洗顔に使ったタライの残り水で手を洗う。
バーストモードが静まり俺は賢者となった。
今の俺は無敵だ。
エリザの全裸が再び目の前に現れようと決して動じないぞ。
食堂に着く。
後から聞いたがこの食堂は俺、エリザ、レリーチェ、アンナ、マックスといった幹部しか使えないらしい。
「ようクロウ。んであの二人、なにかあったのか?」
挨拶してくれたマックスが顎でしゃくった先には何やらピリピリとしたアンナと困惑しているエリザ。
俺を交えてあったと言えばあったが、誤解は解けたはずなのになんでアンナは未だにエリザを警戒しているんだ?
「アンナ、どうしたのー?」
メリーが一番長い付き合いのおかげか、仲の良いアンナに訊ねにいく。
さすがメリー、俺たちにできない(ピリピリ状態のアンナに話しかける)ことを平然とやってのける!
グッジョブ!
「大体クロウが悪いわ」
「そうなのパパ?」
「えっ……あれは仕方ないというか」
キッと睨まれた。
いや、何か違うことを怒ってるって言いたい顔だ。
エリザもチラチラとこちらの顔を見てるし何だろう?
「あっ、あのクロウさん。血を頂けないでしょうか?
あれほど頂いたのでお腹はすいてませんが、皆さんの食事に合わせたくて」
「お、おう」
ああ、血が飲みたかったのね。
よっぽど美味しかったのだろうか。
俺が貧血にならなきゃいいな……。
「ちょっと待て、エリザは寝なくていいのか」
マックスが疑問の声を上げる。
そういえばそうだ。
ヴァンパイアなのだから夜型で、彼女は朝には寝ているはずだ。
「それが…クロウさんの血のおかげか日光が気になりませんし、目が冴えてるのですよ」
なんか意外な勇者チートが発揮されたようだ。
ヴァンパイアにとって日光は弱点、ではなくてただ単に夜行性だから眩しいだけらしい。
しかしそれが気にならなくなったとなると――
「北の地へは昼間に進めるようになると」
「ええ、その通りです」
熊人への救援の予定はこんな感じだった。
メンバーは俺、アンナ、エリザ、ジャック、アルフォンス師匠、アルヴィナ、勇者の従者として当然だがあえて言えばメリーの少数精鋭部隊。
そしてエリザに合わせて少し危ないが夜に旅路を進める。
賊妖精であるアンナやジャックなら、夜襲も得意だし耳もいいからそこまで問題にならない。
それに不死者も夜間の方が得意らしく、首無し騎士であるアルフォンスもいる。
だからといってデメリットよりメリットが大きくなるわけではない。
夜は魔物が活発になって危険だし、野良(?)のアンデッドもうろつき始める。
それに視界が悪いのは俺を始め、ボギーたちも変わらない。
昼動けた方がいいに決まってる。
それに普段の話だって、今まで夜勤だったボギーとしか活動がまるっきり被らないエリザが、俺が行動する昼に起きていられるのは大きい。
「その代わり、クロウさんの血を定期的に頂きたいのですが……」
ふむ、毎日を覚悟していたのだが。
どうやらそうでなくていいらしい。
「そりゃもちろんいい――ええっと吸うのは手首とかで」
アンナに睨まれた気がした。
怖くてそっちの方を見られない、いや見たくない。
「首筋からが一番美味しいので――手首からですね分かりました」
どうやら今度はエリザが睨まれたらしい。
元首領、現副首領に対しても全く容赦ないな。
あ、恐る恐る見たらアンナの目に涙が……。
「エリザ、アンナ泣かした?」
「いえっ、そういうつもりは無かったのですが」
「違うわ、すべてクロウが悪いのよ」
「パパー?」
うっ、遂に俺が全部悪いことになったしメリーの冷たい視線が辛い。
「両手に花とは罪深いねえ、さすが俺らが認めた新首領」
今まで気配を消してまで蚊帳の外にいたマックスが呆れた声で介入してきた。
ん?両手?
そしてマックスの言葉でメリーがハッとした顔をした。
一体何がどうしたんだ?
「気づいてないのね」
「パパ気づいてないー」
「気づいてねえなこりゃ」
三人がそれぞれ同じセリフを言った後にため息をつく。
エリザだけが顔をほのかに赤く染めて戸惑っていた。
……いやまさかな。
一つの可能性に至ったが勘違いだろうと頭の隅に置き、俺はすっかり冷めてしまった朝食を食べ始めることにした。




