第31話 残灰
「アイミー……教えてくれ。人間は俺達を何に加工する……?」
人間の世界を進むと決意してから数日。
まだ包帯の取れていないシヴァは、赤茶髪の若い娘の前で椅子に座っている。
砦主の部屋で机に向かい、束ねられた羊皮紙にペンを入れるアイミーは目の前のワーウルフを見ようとしない。
「今は安静にするべきだろう? 心も体も」
「いいから、頼むよ。悪い方に想像が膨らむんだ」
彼は自身の腕を握ると、更に言葉を続けた。
「この牙と爪を隠せておける自身がない……。心の準備をさせて欲しいんだ」
アイミーはペンを置くと、机の上に置かれたティーカップに手を伸ばす。薄い湯気を吹いて揺らし、一口飲んで息を吐く。
「わかった。でも、少し誤解があるように思う」
彼女はカップをそっと置くと、ワーウルフに視線を向けた。
「ワーウルフが狩られるのは、希少だからだよ」
そう言って彼女は立ち上がると、背後にあったコートツリーからローブを取ってシヴァに投げる。
「それは主に羊毛で作ってある。他にも色々と服の素材はあるが、動物由来だとそれが一番広く普及してるな」
「こんなに軽いのに、暖かい……」
「それに動物の爪や牙の加工物も、この砦の中では見ていないんじゃないか?」
その言葉にシヴァは周囲を見渡した。鉄・木・石に金。紙や布が目に止まる。
いつのまにか、呼吸が少し荒くなる。
「希少だから……。人目に触れないからこそ、俺達は狩られるんだな……」
揺れる瞳を前にしても、彼女の声色は変わらない。
「いいや、頻出するなら私達と生活圏が被ってくる。どのみち殺されはすると思うよ」
アイミーはまたゆっくりと、椅子に座った。
「話を戻そうか」
彼女はティーカップに角砂糖を一つ落としてスプーンを摘む。
「つまり、ワーウルフは機能性よりも希少性を重視する者に好まれている。それがどんな人間かわかるか?」
彼女はカップの中をゆっくりと混ぜる。
シヴァはそれを見ながら考えている。
そんな彼の脳裏に過ったのは、天狼山だ。
「儀式や信仰……? 俺の集落ならそれ以外にないな……」
ワーウルフの答えに彼女は微笑む。
「鋭いな……それが私達の——」
そんな言葉の途中で、口が止まる。
アイミーはスプーンを置いたかと思えば。視線を一瞬シヴァに向けた。
「話が脱線するところだった……。たぶん私の国では、見栄を張るための飾りくらいの価値だろうね」
シヴァの揺れた瞳がピタッと止まる。
その代わり、心の奥が酷く焼ける。
「飾り……」
「よく聞くのは衣服かアクセサリーだろうな。あるいは部屋の装飾か。どれも機能面で言えば非合理だが、それが豊かさのアピールになる」
シヴァの眉がピクリと動く。口を開けて、出す言葉を探している。
その間に、アイミーは更に言葉を続けた。
「まぁ、物が少ない上に権力者と会う機会も少ないんだ。あまり、そこに囚われるのはお勧めしないよ」
そうしてやっと、ワーウルフは言葉を探し終える。
「アイミー。貴女の一族は持っているのか?」
その声は震えていない。どこか重くて力強い。
「持ってない。幸いにも見栄を軽視する一族なんだ」
彼女は静かに笑う。
大きく口角を上げてはいるが、その目の奥は笑っていない。
そんな瞳がシヴァに向いた。
「これで質問を締め切らせてもらうぞ。仕事が手に付かない」
冷たい瞳が、ゆっくりと熱を取り戻していく。
「暇なら本を多く読め。人間のことが簡単に知れる」
彼女は壁に取り付けられた書棚を指で示した。
「知識の量だけなら、君は赤ん坊さ」
そう言いながら、彼女は湯気の消えたティーカップを持ち上げて、それを一気に飲み干した。
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ぶどうの香りに朝露が混じる。
夜が明けたばかりで、鋭角に差す日光は一台の荷馬車を照らしている。
「また来ます。ありがとうございました」
ネルがそう言うと、中年の男は健やかに笑った。
「その時までに、最高のワインを作っておきます」
その脇を抜けて、ビリスがカルランを肩に担いで荷馬車に入る。それにエルフは冷たい視線を向けながら言った。
「次は、節度のある人間を連れてきますので」
そうして、ネルも荷馬車に足をかける。
それとすれ違うようにシヴァは、中年の男に歩み寄る。
「お返しします」
そう言って、ワーウルフは半透明な瓶を差し出した。
「これは……」
「思い出です」
その瓶の底には灰が数cm積もっていた。
シヴァは更に言葉を続ける。
「煙に変えて、持ち主に返しました。だから、ここに残るのは別のものです」
男は涙を堪えて、その灰を受け取った。
シヴァは背中を向けて、荷馬車に乗り込む。
別れの言葉が馬を押す。
ぶどう園が段々と遠くなっていく。
山の全体が見えてくる。
それを眺めるシヴァにネルが声をかけた。
「遺灰は土に埋めるんじゃなかった?」
「そうだよ」
彼はそう答えて振り返る。
「でも、あれはワーウルフの毛皮じゃない。毛並みからして狼だよ」
「……それなら良かった」
馬車の速度が増していく。それに連れて、風が強く通り過ぎる。
前方からビリスの声が響く。
「ネルちゃ〜ん、進行方向はどちら〜?」
「とりあえず西へ!!」
エルフは床に地形図を広げ始めた。
「二日酔いのバカが目覚めたら、話し合いましょう」
そう言って、紙上の現在地に指を立てる。かと思えば、それを左方向にそわせていく。
彼女の長い指が早々に床板に触れた。
「別の地図が必要ですね」
ネルはポツリと呟いた。




