活動報告より
というワケで、今回は「感情の送受信にズレが生じる原因」について、前回よりも独学過多な状態で突っ走りつつ細かく書いていきます。
本当は図解した方が分かりやすいのですが、学問的に「コミュニケーション行為」を超簡単に図解すると、以下のようになります。
送信者 ⇒(媒体)⇒ 受信者
送信者は、自分の持つ「情報(この場合は感情)」を何らかの「媒体(音声言語・映像・音楽・書面)」に変換させてから送信し、受信者は「媒体」を受信してから「情報」に変換し直します。
この一文でお気付きになった方は相当頭の回転が速い(と思います)ので、以降の私の解釈は読まなくていいです、多分(笑)
上記プロセスの中には、2度の「変換」が起きています。この「変換」が行われるため、「ズレ」が生まれるのです。何故なら、「変換」作業の際に、送信者・受信者それぞれの「感覚(主観・客観)」が作用するからです。
具体例を挙げてみましょう。主婦A、主婦B共に中学生の母(同級生)と仮定します。
主婦A「聞いてよー、昨日パートから帰ったら子供たちが夕飯できてるよ~って」
主婦B「えっ! 娘さん中学生じゃなかった?」
主婦A「そうよ。たまに任せるんだけど昨日は特にメールしてなくて、おかしいなって。そしたらね、私が誕生日だからって、サプライズだったみたい」
主婦B「すごいわー! うちの子は家事全然! 何かくれればサプライズよ」
個人の感覚が作用したことによる「ズレ」を発見できたでしょうか。もし、世の中の全家庭の中学生が「親が忙しい日には自分で食事を作る」という習慣を持っていれば、主婦Bの返答は異なったはずです。
例としては、「どしたの? 失敗しちゃってたとか?」「そんなすごいメニューだったの?」のように、『夕飯の内容』に方向性が定まります。
しかし実際、主婦Bにとっては「中学生の娘が母親の代わりに夕飯を作る」というシチュエーションそのものが驚きの内容であり、よって「(主婦Aの娘は)中学生じゃなかった?」という確認をしているのです。
これが、「感覚の作用」による「ズレ」です。個人の経験や育ってきた環境や好き嫌いの感性によって、事象や言葉の「捉え方」に差が生じるのです。
それでは、「変換」に「感覚」が影響し「ズレ」を生む、というプロセスをより細かく見ていきます。ここからが独自見解のオンパレードですので、ご容赦ください。
送信者C ⇒ (媒体) ⇒ 受信者D
という流れの中で、まず第1の「⇒」では以下のような作業が為されています。
送信者C「Dさんに一目惚れした! 付き合いたい! でも公衆の面前でド直球は緊張するし向こうも困るはずだ……呼び出すにもタイミング悪いと迷惑かけちゃうな……手紙を書くのがいいかな」
作業というよりは、送信者Cが「受信者Dに対する好意」の発信に「手紙」という媒体を選んだ経緯として、多様な感覚が作用していると言えます。
1「付き合いたい!」というメッセージの確定
2「公衆の面前でド直球は緊張する」…主観的本能
3「向こうも困るはずだ」…主観的理性
4「呼び出すタイミング悪いと迷惑」…客観的本能
5「手紙を書くのがいい」…客観的理性
「主観・客観」および「本能・理性」の線引きを明確にしないとここから先に進めないので、少し逸れますがやってみます。心理系の学問ではよく出てくるのでしょうが、高校の頃からずーっと悩んでいました。人間の精神状態をどのように定義づけすべきか。そして私はどのように自己分析をしていくべきなのか。導かれた独自の指針として、上記の分類を示します。
まず、人間の精神には「主観」と「客観」が存在します。さくっと言うならば、「自分を中心とした(自分ありきの)考え方」と、「自分を集団の一部として見る(共同体ありきの)考え方」です。そして、「主観」と「客観」それぞれの中に「本能」と「理性」が存在します。「本能」と「理性」は言葉のとおり「ストレートな感情・欲求」と「一歩引いてかけるブレーキ」です。
よって人間の精神は「主観的本能」「主観的理性」「客観的本能」「客観的理性」の4つから形成されます。
上の送信者Cの例では順番に作用していましたが、実際はこの4つの要素が同時多発的に作用します。そして最も強く作用した要素が、「行動」として表れるのです。もし送信者Cが悩んだ末に「やっぱり直球勝負だ!」となれば、彼の行動には「主観的本能」が最も強く表れたと言えます。
ここでは送信者Cが「手紙」という媒体を選択したとして、次の流れも見てみます。ベタですが下駄箱に入れてあった設定でいきます(笑)
(媒体) ⇒ 受信者D
受信者D「Cくんからラブレターもらうなんて思ってなかった。あんまり話したことないな……直接言ってくれたら、Cくんがどういう人か、どのくらい本気なのか、見れるはずなのに……」
送信者と違って受信者は媒体からメッセージと意図を推理します。また、媒体だけでなくシチュエーション含めた「事象」全てが推理のために用いられます。受信者は送信者の「変換」を正確に「復元」できないため、「推理」という「変換」をするしかないのです。受信者Dが集められる推理要素を挙げてみます。
1「付き合ってください」というメッセージ……Cは自分に好意を持っている
2「手紙」という媒体……正面から告白する勇気がなかった?
3「下駄箱」という場所……直接渡せないくらい奥手?
4「一目惚れしました」というメッセージ……顔が気に入られた?
5「あまり話したことない」現状……私のことあまり知らないまま交際希望?
送信者Cの客観的理性が随分と裏目に出てる感じがします。受信者Dが「推理」という名の「変換」を試みる際には、受信者Dの精神にある4つの要素が働きます。
(「下駄箱」だから「奥手」という推理には、受信者Dの客観的本能が作用している……など。)
ここまで非常に長くなってしまいましたが、「媒体」を通した2度の「変換」が「ズレ」を生む様子は、以上になります。「感情の送受信」に「ズレ」が生まれる理由が少しでも伝われば幸いです。くどいかも知れませんが、一応まとめます。
・「送信者 ⇒ (媒体) ⇒ 受信者」の流れの中で2度の「変換(⇒)」が行われる
・「変換」をする際に、送受信者それぞれの「感覚(≒精神)」が作用する
・精神は「主観的本能」「主観的理性」「客観的本能」「客観的理性」の4要素から成り、個人の経験・環境・好き嫌いが基盤になっている。
・よって、送信者の「変換」と受信者の「変換」が一致しない
いかがでしたか。人間の精神構造については独自の論理なので、納得してもらう必要はないです。(こんな真面目に語っておいて/笑)
ただ、個人と個人の「完全な共感」はあり得ないということ、しかしそれゆえに人は誰かに恋焦がれるということ、そんな切なさと奥深さを感じてもらえれば……と思います。
詩を書くときはここまで小難しいことは考えてないです。もっとシンプルに「ああ、哀しいなぁ」で書いてるので。どういう時に思いつくかなど、紹介してみようかなと思いますが……それはまたいつか。
※最後まで読んでくださった方、本当に本当にありがとうございました!