第2章 冷却技術開発部署の現実
◆ 早朝の駐車場 ― 部長の“送迎”
加藤は、毎朝少し早めに会社へ向かうようにしていた。
渋滞を見越した行動だったが、
まだ通勤時間の感覚が掴めず、
この日はずいぶん早く駐車場へ着いてしまった。
車を停めた瞬間、視界の端に一台の車が入った。
倉田部長だった。
助手席側のドアが開き、男性が降りてくる。
運転席側には女性がいる 奥様だろうか。
当然のように、何の気負いもなく車を離れる。
(……朝、送ってもらっているのか)
その光景は妙に胸に引っかかった。
そして加藤は、
この“送迎の朝”を、その後も何度も目撃することになる。
◆ CADエリアの現状 ― 最初の衝撃
冷却技術開発部のCADエリアで説明を受けた加藤は、
開始数分で強烈な違和感を覚えた。
CADデータの保存先はバラバラ。
保存名のルールすら存在しない。
(保存名が分からないと、後で検索できないだろう……)
あまりの無秩序さに、ため息が漏れた。
そして何より驚いたのは
20年以上前に多くの企業が使用する事をやめた
旧式CAD「IDEA X」を、いまだに現役で使っていることだった。
グラフィックは弱く、互換性も乏しい。
固定支持を出してもモデルは動き、
平行支持を出しても角度が付く。
これでは設計どころではない。
CADとは名ばかりのガラクタなのに、
ライセンス料金だけは一人前に高い。
さらに追い打ちをかけるように、
使用しているPCは Pentium4。
世間では i5 や i7 が当たり前の時代だというのに、
この部署だけ時間が止まっている。
加藤は呆れを通り越し、言葉を失った。
◆ 図枠づくり ― 設計の基礎を整える
手紙を書くには紙が必要だ。
電子書類にはフォーマットが必要だ。
そして図面を書くには、当然ながら“図枠”が欠かせない。
図枠とは、
JIS規格を基準にした線の太さ、線種、文字の高さ、矢印の大きさ
そうした細かな要素をすべて折り込んだ、
SolidWorks専用のフォーマットだ。
一つ作るだけでも骨が折れる。
だが加藤にとっては苦ではなかった。
(前職の自動車部品メーカーでの経験が、こんなところで役に立つとはな)
当時は、へたれた職員に振り回され、苦労ばかりしていた。
だが、その時間は無駄ではなかった。
むしろ今の自分を支える“武器”になっている。
加藤は黙々と図枠を作り上げ、
テストを兼ねて実務に取りかかれる状態にした。
ちょうどその頃、
冷却技術開発部の新プロジェクトが立ち上がった。
既存のエアコン室外機にレシーバータンクを追加し、
冷凍能力を底上げする
安価に新商品を作れるうえ、
SolidWorksのセットアップ確認にも最適だ。
担当は入先災人と加藤に決まった。
(これはいい流れだな)
胸の奥で、わずかな期待が灯った。
◆ 鷲世さちよ ― 最初の“壁”
その期待は、翌日あっさりと打ち砕かれる。
入社五年目の鷲世さちよが、
加藤の作った図枠を見た瞬間、声を荒げた。
「こんなの誰も絶対使わないから!」
ベテラン気取りの口調。
その立ち振る舞いを見た瞬間、
加藤は彼女の人物像をほぼ理解した。
(入社して五年目……この人、今までほとんど仕事してないな)
加藤は心の中で静かにため息をついた。
◆ 助言 ― しかし届かない言葉
「今まで通りのやり方じゃ、もう設計は進められませんよ」
加藤は静かに、しかしはっきりと助言した。
紙図面と差し金、鉛筆―― そんな昭和の道具では、
これからの開発には到底ついていけない。
だが、鷲世は鼻で笑った。
「私は今までこれでやってきたの。
SolidWorksなんて知らないし、覚える気もないから」
その言葉に、加藤は確信した。
(ああ……この職場の“闇”は、ここから始まっているんだ)
冷却技術開発部での戦いは、まだ始まったばかりだった。




