婿入りしようと思うのでモテる為に頑張ります。赤ん坊時代編8
ひとしきり歩行練習という名の遊びを満喫したあと、遊び疲れた風は深い眠りに落ちた。
陽菜も少し疲れたのだろうか、虚ろな目でぼーっとしながらその場に座っている。
よし、これなら俺も自分の発音練習に打ち込めるな。
「あっ! 二人ともちょっとこれ見て!」
と、思った時だった。
椛さんが眺めていたスマホの画面を二人に見せる。
「これすぐそこのスーパーに来てるみたい!」
「えっ!? これ前テレビでやってた有名なチュロス屋さんじゃないですか!?」
「今キッチンカーであちこち回ってるんだって! どこで売るか予告なしみたいなんだけど、SNSでアップされてたの!」
「投稿は……一時間前!? まずいよ早く行かなきゃ売り切れちゃう!」
「私、車で来てますから急いで向かいましょう!」
「そうね! 地方にあるからできたてなんて滅多に食べられないもの! 今すぐ行きましょう!」
「は、陽斗君! ママ達すぐ近くのスーパーに行ってくるから、お留守番よろしくね!」
「だ?」
「すぐ戻るから! チュロスも買ってくるから! じゃあちょっと行ってくるねー!」
――バタンッ!
そう言い残して、保護者三名は足早に我が家を去っていった。
……ええ~。
おいおいマジかよ。
いくらご近所に向かうだけだからって、赤ん坊だけ残して出かけるか普通。
しかも理由が有名店のできたてチュロスって。
男子高校生の思考を持つ俺だから留守番は別に何とかなるけど、下手すりゃ育児放棄に見られちゃうよ?
全く、女性というのはそんなに甘い物が好きなのかねぇ陽菜さん。
なんて考えながら陽菜の方を見る。
ぱたりと、陽菜は急に横に倒れた。
「うぁ?」
何だ? 陽菜も眠気に負けて本格的な夢の世界に赴いたのかね。
そう思って陽菜の顔を覗き込んでみる。
「はっ、はっ、はっ」
「あ、あぃあっ!?(あ、あきなっ!?)」
陽菜は苦しそうに過呼吸を繰り返し、顔からは汗が滲み出している。
俺は自分の額を陽菜の額にそっと当ててみた。
まずい! かなり熱を出してやがる!
急いで冷やさないと!
俺はキッチンにあった手拭きタオルを持って風呂場へ向かう。何とか風呂場の引き戸を押し開けた俺は、洗い場の蛇口レバーを上げて冷たい水をタオルに染み込ませた。
できる限り水気を落としたタオルを持って陽菜の額に乗せる。
赤ん坊の力ではそこまで絞ることができず、残された余分な水が陽菜の顔を伝って床に垂れていく。
「はー、はー」
何とか頭は冷やせてはいるが、苦しそうな状態は変わらない。
今思い返してみれば、今日の陽菜は普段より元気がないように見えた。
顔が少し赤くなってたのも、発熱の兆候だったのか。
くそっ、間近で見てたのに何で気付かなかったんだ。
今回は発音以前に、気付きが遅れたせいで伝えられなかった。
俺が気付いてさえいれば、母様達が出掛ける前に教えられたかもしれないのに。
何でこう上手くいかないんだ。
「……マ、マ」
簡単に掻き消されそうな小さい声で、陽菜が椛さんのことを呼んでいる。
……大丈夫だぞ陽菜。
あともう少ししたら椛さん――お母さんが帰ってくる。
そしたら病院に連れてってもらおう。
それまで苦しいだろうけど、頑張れ。
そう伝えるように俺は陽菜の頭を優しく撫でた。
◆ ◆ ◆
帰ってこないぞっ!?
あれからもう一時間近く経ってるってのに足音すら聞こえてこない!
何やってんだあいつら!?
……あっ! さてはキッチンカーの行列に並んでやがるな!
これだから人気店はぁ!
こっちは陽菜大変だってのに!
「ごほっ! げっ! えほっ!」
「あぃあ(あきな)」
陽菜が苦しそうに咳込み始める。
体調が悪化し始めているのか、汗の量が増し、体が小刻みに震えているのが分かる。
風には悪いが、寝ている間に毛布と枕を借りて陽菜に使っている。
これで少しはマシになったかとは思うが、油断はできない。
額に乗せたタオルがぬるくなってきたから、俺はまた風呂場に向かってタオルを濡らし、陽菜の額に乗せる。
この一時間、俺はそれをひたすらに繰り返していた。
それしか、できないからだ。
……歯がゆい。
いくら思考が男子高校生でも、結局俺は赤ん坊ってことか。
可能なら俺が救急車を呼んであげたい。
だが俺の口は役立たずのままだ。この滑舌の悪さじゃまともに陽菜の症状も、住所すらちゃんと言えない。
そもそも、連絡手段がない。
スマホなんか赤ん坊の俺に持たせる訳ないし、現代の世帯らしく固定電話もウチには置いてない。
このまま苦しむ陽菜を看病しながら、大人しく帰りを待つしかないのか。
――プルルルル。プルルルル。
「だっ!?」
突然、どこからか着信音らしい音が聞こえてくる。
聞き間違いでも、隣の家からでもない。
この佐藤家の中からだ。
俺は音の鳴っている方へ向かう。どうやら場所は母様達が雑談をしてた居間からのようだ。
音の出どころは……あの座布団か?
座布団の横を見ると、画面が光り『博之さん』と表示されたスマホを発見した。
しめた! 柚葉さんスマホ忘れていってる!
ロックは――よし、掛かってない!
俺は博之さんからの着信を切り、母様の電話番号を探し出してすぐに発信ボタンを押した。
頼む! 出てくれ!
『も、もしもし?』
出たっ!
『えっと、誰ですか? これ柚葉さんのスマホですよね?』
ま、まずい不審者と疑われてる!?
それはそれで戻って来そうだけど、お巡りさんと一緒に来そうだ。できればそれは避けたい。
何か、俺だと証明できること……そうだ!
「だぁあああああっ!」
『うわぁっ!? って、その叫び声、もしかして陽斗君?』
「だっ!」
『あー、やっぱり!』
よし、俺の野太い叫びが役に立った。
『柚葉さん、陽斗君がスマホ触っちゃってるみたい』
『え? あ、ああホントだ! スマホ忘れてきてました!』
『ロックしてなかったの?』
『す、スライドして開くようにしたまんまでした』
『あ〜、だからいじれたのね』
おいママ友談義してる場合じゃないんだよ!
『陽斗君、柚葉さんのスマホにイタズラしたらダメじゃないの。偶然ママに繋がったから良かったけど』
違うイタズラじゃない! 緊急連絡だ!
「あぃあうおぉでーで!(早く戻ってきて!)」
『おお〜すごいね。電話でお喋りできてえらいね陽斗君』
くそっ、ダメだ伝わってない!
遊んでると思われてる!
『ゴメンね。ママ達まだ時間掛かりそうなんだ。え~っと、あともう少し? したらチュロス買えそうだから、もうちょっといい子でお留守番してて欲しいな〜』
絶対あともうちょっとじゃない!
この感じだと三十分以上は確実に帰ってこないぞ!
いくらなんでもこれ以上待ってられるかっ!
『そういう訳だから、電話切る――』
まずい切られるっ!?
「ぶぁあああああああああああああっでぇええええええええええええええっ!!!」
『うわぁああああっ!?』
『えっ!? な、何!? 今の声!?』
『ななな何事ですか!? じじ事件!?』
腹の底から自分の出せる精一杯の音量で叫んだ。
「ぐっ! げっほ!」
くっ、流石に喉が辛い。
『び、びっくりしたっ。は、陽斗君、一体どうしたの!? 急にそんな叫んで!?』
電話切ろうとするからだよ。
とにかく、今の状況を何とか伝えないと。
大丈夫、手段ならまだある。
俺は陽菜の側にスマホを持って行く。
「げほげほっ! げほっ!」
『ん? 咳? 咳してるの?』
よし、食いついた。
俺の言葉で力不足なら、陽菜の声を借りればいい。
病気だと分かれば、流石の保護者達も大急ぎで帰ってくる筈――
「……う、う、うぇえええええええ」
お、おい嘘だろ!?
待て風! 今泣き出すんじゃない!
余計な音が入るだろ!
『あ、あ~もう。そんな大きい声だすから風君かな? 泣き始めちゃったじゃない』
くそっ、俺のせいか。
なら、もっと聞こえやすくするまでだ。
俺は風の泣き声に掻き消されないように、スマホを陽菜の口元に近付けた。
「げほ! げほっ!」
「うええええええ」
『ほら、陽斗君も声出しすぎるからそんなに咳しちゃうんだよ?』
俺の咳じゃねえよっ! 陽菜の声だろっ!
頼むからそれぐらい判別ついてくれよ!
やっぱ、俺がなんとか喋って伝えるしかないのか。
「あぃ、げっ!? えほっ!」
やばい、さっきの大声のせいで喉がっ!?
『ちょっと陽斗君大丈夫?』
『やっぱさっきの大声で喉痛めちゃったのかも』
その通りみたいだ。これじゃ滑舌どころの問題じゃない。
何で、何で俺の行動はこうも裏目に出るんだよっ!?
どうする?
陽菜はこんな状態じゃ喋れないし、風は論外。
一旦電話を切ってビデオ通話に……いや、次電話に出てくれる保証はない。
今この状況で電話を切らずに状況を伝えられるのは――俺だけだ。
でも、できるか?
こんな滑舌で、こんな喉で。
こんな役立たずの俺に。
「えほっ! げほげほっ! げぅ、え、え、えぇ」
連続する咳のせいで息苦しそうにする陽菜。
そのまぶたから、一滴の涙が零れ落ちた。
……何弱気になってるんだ?
目の前で女の子が苦しんでるんだぞ?
女の子一人助けられないで、何がモテ男だ。
何が婿だ。
何が最高の苗字だっ!
できるできないじゃねぇ! やるんだよっ!!
いい加減言葉の壁をぶっ壊せ――陽斗っ!!!
「……あ」
『え?』
「……あ、……き、……なっ!」
『あ、き、な? 陽菜ちゃんがどうかしたの?』
――伝わった? 伝わったっ!?
「ぜっ! げほえほっ!?」
焦るな。落ち着け俺。
歩行練習と同じだ。
ゆっくりでいい。
ゆっくり、一文字ずつだ。
「……せ、……き」
いいぞ、この感じだ。
「……ね、……つ」
一つ一つの発音を強く意識して、言葉にするんだ。
「……た、……す」
相手が分かるように、簡単な言葉で。
「……げ、……てっ!」
頼む! 伝われぇえええええっ!!!
『陽斗君待っててっ!! すぐ帰るからっ!!』




