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【BL】彼の攻略方法  作者: ありま氷炎
告白は予期せぬ場所で
10/10

ハッピーエンドはすぐそこだ。

最終話はものすごく長いです。すみません。

「忠史」


 甘えた声を出して、凪は俺に腕を絡ませた。

 熱を帯びた眼差し。頬はピンク色に染まり、可愛らしい。

 金色に染めた髪は奴の白い肌に似合っていた。大きいな瞳にはカラーコンタクトを入れていて、誰かが天使のようだと凪を例えていた。


 久々にゲイ御用達のバーに顔を出した。顔見知りも何人かいて、それと無く誘いを掛けられた。

 そんなつもりではなくて、純粋に呑むつもりだった。いや、この店を選んだってことは、俺はきっと、求めていたんだ。

 俺好みの可愛い凪が隣に座り、膝に手を乗せられた。吐息がかかる距離で「ね。どう?」と、囁かれた。

 ときめきなど感じない。だけどあそこが疼いた。


「ああ」


 俺は凪の唇に噛みつき、誘いに乗った。

 

 随分、セックスをしていなかった。

 凪は俺好みだ。

 

 もう俺は十分我慢した。

 あの人は、もう俺なんかと会いたくないんだから。


 家に連れて帰りたくなくて、俺はその辺のホテルを物色する。

 そうして足早に歩いていると、前方に見知った姿が見えた。ふらふらと足取りが危なっかしい。


「忠史?」


 立ち止まった俺に凪は訝しげに声をかけた。


「悪い。また今度」


 するりと絡ませた腕から逃れ、俺は歩き出す。


「え?嘘?僕、もう感じちゃって歩けないくらいなのに。なんで?」

「ごめん」


 縋り付く凪を避けて、俺はあの頼りない人を追う。


「馬鹿忠史!もう絶対相手してあげないんだからね」

 

構わない。

 俺はやっぱりあの人を放っておけないから。


 建物を影から抜けると、灘さんがベンチに座ってるのが見えた。背もたれに体を預けて、空を見上げてる。

 その表情はは切なげで、俺の胸が痛む。

 なんで、そんな表情してるんだよ。


「!」


 不意に灘さんの肩が大きく揺れる。

 俺は嫌な予感がして彼の元へ駆ける。

 案の定、灘さんは吐いていた。口を押えた別の手で一所懸命ハンカチか何かを探そうとズボンのポケットを探っている。


 本当、灘さんは……


 見なかったふりをすればいい。

 自分に背を向けて、いなくなった人だ。

 期待しても無駄だ。


 理性が俺をそう諭す。

 だけど、俺は彼の傍に立った。


「はい」


 俺はポケットからテッシュを取り出し、彼に数枚渡した。


「……忠史」


 くぐもった声で彼は俺を呼び、その瞳は見開かれていた。


「使ってください」

「ありがとう」


 驚きながらも彼はお礼を言って、テッシュを受け取った。

 吐瀉物で汚れた手を拭き、口を拭う。

 袋のテッシュはすべてなくなった。


 汚れたテッシュをゴミ箱に入れようとして、灘さんがふらついた。

 

「車まで送ります」


 どうにかテッシュをゴミ箱に入れ、再びベンチに座り込んだ灘さんに俺はそう言っていた。

 一人で帰れるわけない。 

 こんなにふらふらしてるのに。


「……必要ないから」


 でも彼は俯いたまま、ぼそっとつぶやいた。

 視線を俺と合わせようともせず、俺から距離をとっている。


「怖いんですか?」


 前とは全然違う彼の様子に俺はそう尋ねてしまう。

 俺に近づくのが怖いのか、そんなに嫌いなのかと、俺は絶望にも似た気持ちに駆られていた。

 彼が顔を上げる。

 食い入るように見られた。が、すぐにまた俯いてしまった。


「灘さん?」 


 もう一度、その顔を見たい。見せてくれ、と俺は腰を落として彼の顔を覗き見る。

 彼の瞼が瞬き、硬直したのがわかった。


「大丈夫だから。テッシュありがとうな」


 明らかに俺から逃げるように立ち上がり、彼は背を向けた。

 

 小さな背中。

 抱きしめて俺のものにしたい。

 俺のほうが力が強いにきまってる。

 無理やり犯したら、俺のものになってくれるのか。


 手が自然と動く。

 その背中に届きそうになる。

 

 でも俺はその衝動をこらえた。

 悲しませたくない。

 無理やりなんてできるわけがない。


 俺は拳を握ると、踵を返した。

 少し歩いて、後ろ髪をひかれ、振り向く。

 彼の背中はもうほとんど見ない距離にあった。


 馬鹿だな。俺は。


 拳で自分を殴りたい気持ちのまま、俺は駅へ向かって足を速めた。



 そんな俺の気持ちを置いて、日常は静かに流れる。

 入社以来実田先輩と組んで仕事していたけど、徐々に一人で営業することが多くなってきて、自分だけが担当する企業も増えてきた。


 実田先輩が中国から戻ってきた秀雄(シュウシュン)と付き合うようになって、灘さんとよく飲むようになった。

 頑張って仕事を終わらせて、彼と飲むんだ。そう言い聞かせて仕事をしていた。

 でも今はその張り合いがなくなり、だらだらと業務をこなす。


「ふわあ」


 大きな欠伸が出て、俺を慌てて欠伸を噛み下した。

 

 毎日良く眠れなかった。

 毎朝自分の酷い顔を見て、苦笑する。


「紀原くん」


 ぽんと机の上にファイルを置かれた。

 見上げると辰巳係長が笑顔で傍に立っていた。

 柔和でモテ男の辰巳係長は、補佐の松元さんを好きらしい。だけど、松元さんはかなり距離を置いて彼に接している。

 男女の恋愛など興味はないけど、実田先輩が二人の様子を気にしているみたいで、係長の邪魔をよくしてる。

 どうしてですかと聞いたことがあったけど、先輩は笑ってだけで答えてくれなかった。


「疲れてるみたいだね。休憩でもしたら?休憩てがら、僕の分の珈琲を後でもらえたらうれしんだけど?頭をしゃきっとして、この書類もう一回確認してもらいたいんだ。結構ミスがあったから」

「……申し訳ありません」

「まあ。部下のミスを見つけるのも僕の仕事だから。さあ、ちょっと頭を休めてきて。ついでに僕の珈琲忘れないでくれよ」

「はい」


 そこまで言われてしまい、俺は休憩室に行くしかなかった。


 いつもは誰かがいるはずの休憩室は珍しく静まり返っていた。

 最近入れたばかりのコーヒーメーカーの前に立ち、紙コップを置いてからホットラテのボタンを押す。

 シュワシュワと音を立てて、ミルクとコーヒーが同時に注がれる。

 計算された機械はコップの八分目まできて、液体注入を止めた。


 有名なメーカーのそれは香ばしく、鼻孔を刺激した。

 

 明るい窓際の席に座って俺はコーヒーに息を吹き掛けながら、飲む。

 

 頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 いつもあの人のことばかり。

 

 忘れられない。


 ちっともカッコよくないし、可愛くも、綺麗でもない。


 丸い鼻、硬い黒髪、イケメンの要素が何もない顔。

 

 愛嬌がある顔、そう。

 彼の顔にはそういう表現がぴたりとくる。

 バリエーションが幅広い表情、一緒にいてて飽きない。


 楽しかった。


「……紀原くんだわ。珍しい」


 黄色い声が耳に届き、俺は現実に戻される。

 紙コップに残ったコーヒーを飲み干して席を立った。

 女は嫌いだ。

 うるさいし。

 席を立ち、遠巻きに見る女達の前を通り過ぎ、俺は部署に戻った。



「紀原くん。珈琲。忘れちゃったかな?」

「あ!すみません。今作ってきます!」

「いいよ。どうせ口実だったからね。それよりも書類の見直し頼むね」

「はい」


  やる気がないからって、ミスが多いのは最悪だ。

 俺は机に座ると丁寧に赤で直されてる書類を見始めた。


「お疲れ様」


 そんな声が聞こえ始めて、もう5時を過ぎてることに気がつく。


「あれ?」


 隣の席は綺麗なままだ。使った形跡がなかった。


「もしかして実田くん、探してる?」


 俺が目を瞬かせていると、後ろから声を掛けられた。

 実田先輩と違って近寄り難い雰囲気を持つ高木先輩だ。

 彼は、眼鏡の中心をくいっと人差し指で押し上げ、艶やかに笑う。

 その様子に妙な色気があり、俺は首を捻る。同時に予感も覚えた。


「今日は、彼ずっと外回りだったでしょ」


 言葉使いはソフト。

 俺は確信した。

 髙木先輩はゲイだ。


「紀原くんは実田くんがいないと寂しいのかな」

「そんなことないです」


 勘違いされると困る。

 確かに前は実田先輩が好きだった。でも今は違う。


「そう?」


 髙木先輩は目を細めて笑う。


「……紀原くん。慰めてあげようか?」


 高木先輩は回転椅子を俺に近づけ、触れそうな距離にいた。眼鏡を外して、微笑みを浮かべている様子はいつもの彼とは別人だった。

 色気、そんなものが彼から放たれている。


「た、高木先輩!」


 吸い込まれそうになるくらいの色気から、はっと我に返り俺は周りを見渡した。

 ゲイっていうは一応社内では秘密だ。

 こんな会話聞かれたらアウトだ。


「大丈夫。みんな帰った後だよ」


 そんな俺に高木先輩は囁く。


「失恋したの?僕でよければ慰めてあげるよ」

「私も混ぜてほしいな!」

「!」


 ふいに部屋に低い声が響いた。

 誰もいないはずじゃ、俺は高木先輩から慌てて離れると立ち上がる。


 現れたのは背が俺よりも高い男――生産係長補佐の錫元さんだった。



「君は私と付き合ってるっていう自覚がなさすぎだ」

「そう?」


 俺の目の前で、先輩と生産係の係長補佐がいちゃついてる。

 どういうわけか、突然現れた錫元さんはお怒りムードだったにもかかわらず、俺を飲みに誘った。

 立場もあり、断れるわけがなく俺は誘いに乗るしかなかった。

 錫元さんは俺より背が高くて、顔もハンサムなので、女にもてる。

 そういえば、女の噂も聞いたことがあったよ。

 それが、まさか高木先輩と付き合ってるなんて。


 高木先輩も、おたくっぽいと部署では距離を置かれているけど、実際仮面をかぶっていたんだなと気が付いた。

 眼鏡を外して、錫元さんと話している様子は昼間と彼とはまったく別人だ。


 しっかし、なんで、俺まで連れてくるんだ?


 俺はいちゃつくカップルを横目に目の前の料理を平らげていく。

 おなかすいてるとかじゃないけど、なんかしてないと落ち着かない。

 

「紀原くん。紀原くんが失恋した相手って、誰なの?」

「失恋したのか?ゲイだったら私達が知ってる男かもしれないな」


 二人から突然話を振られて、俺は驚く。

 俺のことなんて忘れてると思ってた。


「……お二人が知らない人ですよ。ノンケです」


 正確にいうと高木先輩は知ってるはずだ。

 でも、この人達に灘さんのこと知られたくない。


「ノンケか。それはご愁傷様。ノンケをその気にするのはなかなか難しいからね」

「あ、でも実田くんは王さんと付き合うようになったじゃないか」

「!」


 ふいに直属の先輩とその恋人の名が出てきて、俺は口に含んだビールを吹き出しそうになった。


「?あれ、紀原くんはしらなかったっけ?そんなことないよね。それとも別の要因?」

「そうだな。知らないわけないな。王さん、かなりの美人だったから。実田くんもかわいかったし。性格が純情なところがよかった。あの反応はいま思い出してもぞくぞくする」

「辰郎!」


 高木先輩が珍しく声をあらげ、ごほっと錫元さんが咳き込む。

 どうやら、お腹を肘でつつかれたようだ。


 ぞくぞくする?あの反応??


 ってことは錫元さんも実田先輩に何かしたってこと?


「悪い」

「許さない。やっぱり付き合うとかなし」

「勘弁してくれよ。ちょっと言い過ぎた」

「ダメ。やっぱりだめ」

「高木」


 すねた先輩を引き寄せ、錫元さんが濃厚なキスをする。


 ゲイが集まる店、だから注目されることはない。

 でも俺の存在をすっかり忘れてるこの人たちは……。


 結局、お熱い二人に付き合い解放されたのは、それから1時間後だった。


「あ、ここは私が持つから」


 そうですよね。

 だって俺にとっては、とっても辛い夕食でしたから。


「ありがとうございます」 


 しかし正直なことが言えるはずがない。

 俺はぺこりと頭を下げた。


「さあ、高木。行こうか」


 俺のことはやはりどうでもいいらしい。

 錫元さんは勘定を済ませると、高木先輩の腰を引き寄せ、店を出た。


 なんなんだよ。


「お疲れ様でした」


 かなり疲れた俺は少し嫌な顔をしてたと思う。

 が、先輩と部署は違うが係長補佐だ。

 俺は頭を再び下げる。


「紀原くん。今日はごめんね。慰めるどころじゃなかったね。でも、君は本当に失恋したの?実田くんや王さんみたいにすれ違ってるだけじゃないの?恋の終わりは自分で決めるものだよ。だから、もう一度相手の気持ち、ちゃんと聞いてみたら?」


 高木先輩の不意打ちのような言葉に俺は驚き、顔を上げる。

 しかし、二人の姿はネオンが輝く街の中に溶け込み、見えなくなっていた。


「そんなこと……」


 高木先輩は何も知らない。

 だからそんなこと言えるんだ。

 もう、俺は失恋してる。

 俺の恋はもう終わった。


 ……本当に?


 コートのポケットに手を突っ込み、駅に向かって歩きながら俺は自分に問いかける。


『恋の終わりは自分で決めるものだよ。だから、もう一度相手の気持ち、ちゃんと聞いてみたら?』


 そう、そうなんだ。

 俺はまだ確かめていない。

 あの日が来る前、灘さんは確かに俺に好意をもっていたはずだ。


 昨日だって、驚いていたけど、嫌そうな顔をしてなかった。

 だったら……。


 そんな思いに駆られて、気が付けば俺は昨日、灘さんと会った場所に足を向けていた。

 あの人のことだから、寂しがって毎日飲んでるはずだ。

 しかもタクシーや電車より、代行を好む。


 だから、駐車場近くのここにいたら会えるはず。


 そう思ってベンチに腰を下ろし、灘さんが現れるのを待った。


「さむっつ」


 寒空の下で、一人で待つ俺。

 そんな状態で俺は30分ほどベンチに座っていた。


「くしゅん!」


 馬鹿だよな、俺。

 灘さんがくる確率なんてゼロに近いのに……。

 もう家に戻ってるかもしれないのに。


 空を仰いだ後、建物の間の小さな路地に目を向けた。

 すると二つの影が見えた。

 それはこちらに近付いてきていて、俺はその二つの影の正体を知る。

 

 一人は待ちに待った灘さんだった。

 そして、もう一人は……実田先輩!


 なんで、二人一緒?!

 いや、多分実田先輩が灘さんを心配して駐車場まで送りにきたんだ。


 会えるわけがない。

 今、実田先輩に俺がここにいる理由なんて説明できない。


 俺は慌てて立ち上がると、彼らに背を向けた。


 俺って気が付いてなければいいんだけど。

 そんな淡い期待をして俺は帰路につく。


 しかし、何時も一緒に仕事をしている間柄、ばれないわけがなかった。


 翌日俺は、実田先輩に昨日のことを聞かれ、同時に灘さんがに彼女ができたことを伝えられた。


 ショックなことを聞かされる前に昨日のことを問われてよかった。

 酔い覚ましてあそこにいたと、答えることできた。

 逃げたことは、適当に誤魔化した。


 灘さんに彼女ができた。

 ……完全に終わりだ。


 よかったじゃないか。

 完全に失恋だ。

 そもそも好きになったのが間違いだったんだ。


 俺には俺に相応しい奴がいる。

 

 灘さんはノンケの上に、俺の好みじゃなかった。

 そう、好きになったのは気の迷い。


 そうに違いない。


 俺は自分に暗示をかけるように必死にそう言って毎日を過ごした。

 好みの奴を誘い、抱こうともした。


 でも灘さんの顔をちらつき、そんな気分になれなくて、ホテルで別れることを繰り返した。


 そうして2週間が過ぎた。

 実田先輩が秀雄の実家で春節を祝うとかで、中国に出かけた。

 俺と高木先輩で実田先輩の仕事をカバーすることになる。


 たかが1週間、楽勝だと思っていたら、俺にとって最悪の仕事が回ってきた。


「この件は紀原くん頼むね。実田くんと最初から担当していた案件だろ?」


 辰巳係長がにこりと笑う。

 できないなんて言えるわけがなかった。

 断わる理由もない。


「……わかりました。午後から行ってきます」


 すずた製作所、灘さんの勤める会社。

 俺はそこに実田先輩の代わりに行かなければならなくなった。


「ケイラの紀原です。灘さんと3時に約束をしています」


 受付でそう言うと、カタカタをキーボードをたたく音がした後、3階にあがるように伝えらえる。

 すずた製作所は3階のフロアーを全て使っていた。

 ケイラは自社ビルを建てて、そこに事務所を構えている。

 規模的にはうちの方が上だった。

 

 3階に上がり、ガラスドアの脇に設置してるインタフォーンから灘さんに直通電話を掛ける。

 心臓が早鐘を打ち、俺は深呼吸して相手が出るのを待つ。

 灘さんと会うのは2週間ぶりだった。


「もしもし。すずた製作所の灘です」

 彼の少し高めの声が聞こえた。

「……ケイラの紀原です」

 俺がこう答えると、向こうが一瞬息を飲んだ気がした。

「ドアを開けたから、入ってきて」

 ピーっと音がした。

 俺は恐る恐るガラスドアを押す。

 ドアは簡単に開き、俺は体を滑り込ませた。


「……忠史。奥に応接室がある。そこで話をしよう。ついてきて」


 誰もいないがらんとした受付、そこに現れた灘さんはそう言うと、歩き出した。

 

 パテションで区切られたテーブルを数台通り過ぎ、応接室に辿りついた。


「どうぞ」


 ドアを開け、灘さんは中に入るように促す。

 俺は頷くと中に入った。

 窓がないその部屋は閉鎖的に見えた。テーブルと椅子以外何もない部屋だ。

 しかし、使っている人が俺達二人だけのためか、狭くは感じなかった。

 俺はノート型パソコンをテーブルに置き、開ける。

 灘さんの視線を感じたが、俺は彼を見ることができなかった。

 彼女が出来た灘さん。

 俺のことなんて、やっぱりどうでもいいんだ。

 顔を見ると何かを言ってしまいそう。もしかしたら何かしてしまうかもしれない、と俺は必死に彼を避ける。


「……お茶とコーヒーどっちがいい?」


 そんな俺に灘さんがぽつりと問い掛けた。


「すみません。コーヒーいただけますか?」


 頼まないと間がもたない。気持ちを落ちつけたいと、俺は珈琲を頼む。


「ちょっと入れてくる」


 彼も幾分ほっとした感じでそう言い、席を立った。

 ぱたんとドアが閉まり、俺は息を吐く。

 中国に行った実田先輩を少し恨む。

 

 どんな顔をしていいか、わからない。

 製品のことを話しあったら直ぐに帰ろう。


 俺はそう決めると、話を簡潔に進めるため、必要な書類を開け、準備を進めた。


「……なんで帰ってこないんだよ」


 時間としては多分10分も過ぎていないはずだ。

 俺は何時彼がもどってくるか、どきどきしながら待った。

 しかし、彼はなかなか戻ってこなかった。


 トントンをドアを軽く叩く音がして、灘さんが戻って来た。

 丸いお盆にマグカップが二つ乗ってる。  


「はい。コーヒー」

「ありがとうございます」


 腰を落として、カップをパソコンの横に置かれ、彼の顔が近付く。が、俺は必死にパソコンの画面に視線を固定する。

 入れてくれた温かいコーヒーを口にしてから、俺は製品の説明、問題点を説明し始めた。

 時々灘さんが質問するので、視線を合わせないようにして答えた。

 用件は多分30分程度で済んだと思う。


「他に何か質問がありますか?」


 もうないだろうと思いつつ、俺は問う。


「……忠史」


 すると震える声で名を呼ばれた。


「!」


 腕を掴まれ、俺は飛び上がりそうになる。


「触らないでください!」


 俺は彼の手を振り切る。


「……前みたいに友達に戻れないのか?」


 そんな俺に彼は悲しそうな顔でそう聞いてきた。

 友達?

 彼女がいるのに、まだ彼は必要なのか。

 俺はそんな器用な人間じゃない。

 彼女ができた灘さんと前みたいに付き合うなんて無理だ。


「もう、彼女ができたんですよね。俺なんかと会わなくて寂しくないですよね?」


 彼女が全てを癒してくれるだろう。

 毎日彼女と一緒にいればいい。

 

 俺の言葉は冷たかったと思う。

 彼は傷ついた顔をしていた。


 ……すみません。 

 でも、俺は……


「彼女とお幸せに」


 俺はパソコンを閉じ、広げた書類をまとめると鞄に仕舞い込んだ。


「もう、会うことはないと思います。何かを問題があればメールでお聞きします。失礼致します」


 そう、もう会うことはない。

 もう会わない。

 終わったんだ。

 俺を席を立つと、頭を下げ、彼に背を向けた。


「行かないでくれ」


 掠れた、小さな声がした。

 胸が刺されるような痛みがして、俺は反射的に振り返る。


「な、灘さん」


 立ちあがって、こちらを見ている灘さんの瞳から涙がこぼれていた。

 途方にくれた子どもみたいな顔をしている。


「な、泣かないでください」

「え、俺っ」


 彼は泣いていることに気が付いていなかったらしい。頬を触り、水滴の存在に気が付き、顔を赤らめた。そして、顔を片手で覆い、もう一つの手でポケットを弄る。


 ……ハンカチ。

 ハンカチを探しているんだ。

 本当、灘さんは……。


「どうぞ」


 俺は自分のポケットからハンカチを出して、彼に差し出した。


「使って下さい」

「……ありがとう」


 羞恥のためか、ますます顔を赤くして、彼はハンカチを受け取る。


 なんで、なんで。

 灘さんはこうやって俺を引き留めるんだ。


「そんな風に呼びとめられて、しかも泣かれるとすごい困ります。彼女もいるのに、なんで」


 俺がそう言うと彼が顔を上げる。

 その丸い瞳が俺を見つめる。


「彼女は、いない」

 

 ……え?

 でも確かに実田先輩が、灘さんに彼女ができたって……。

 

 戸惑っている俺に彼は言葉を続ける。


「勇には嘘をついたんだ。なんかお前ともめてるのが、ばれたくなくて……」


 ……そうなんだ。

 嘘……。


「そうなんですか」


 俺はあからさまにほっとした様子を見せてしまった。

 それは期待していいのかと、彼に問いかけたくなる。


「……俺はゲイじゃない。でも、お前と……」

 

 そんな俺に、灘さんはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「前みたいに一緒に過ごしたんいんだ。我儘か?」


 ……できるわけがない。

 俺は彼を食い入るように見つめながら口を開く。


「……我儘ですね。俺がどれだけ我慢してると思ってるんですか」

「が、我慢?!」

「俺はあなたが好きだから。キスしたり、抱きしめたりしたんです」

「!」

 

 もう全てばれてるんだから嘘をついても、誤魔化してもしょうがない。

 俺は正直に自分の気持ちを伝える。


 すると彼の頬が一気に林檎のように真っ赤になった。

 

 なんでこの人はこんなに可愛いんだ。

 でも、この反応。

 嫌がられてはいない。

 期待してもいいのか?


 可愛いという単語が似合わないはずの灘さん。

 でも両手を頬に当てて、目を白黒させている姿は本当に可愛かった。


 やっぱり好きだ。

 諦めきれない。


 好かれてる、それは確実だ。

 ただ、恋人としてというのは、まだ早い。


 ここはゆっくり長期戦で行こう。

 

「……でも我慢します。泣かれると困るし」

「な、泣かれると困る?!なんだよ、それ!」


 俺の言葉に今度は眉を八の字にして灘さんが抗議する。


「泣いてましたよね。さっき」

「……」


 俺がそう指摘すると、彼は俯いて黙ってしまった。


 失ってしまった、もう会えないと思った。 

 でも彼は俺を引き止めてくれた。


 だから、俺は彼を思い続ける。

 この気持ちが彼に伝わり、両想いになるその時まで。


「灘さん、これからも宜しくお願いします」


 俺がそう言って手を出すと、彼はおずおずと顔を上げた。

 目はまだ潤んだままで、顔はまだほんのり赤い。

 灘さんにはその気がなくても、俺には誘っているようにしか見えなかった。


「ああ、よろしく」


 少しくらい、悪戯してもいいよな。

 だって、彼女がいたって聞かされて、俺は本当に辛かったんだから。

 悪戯心が芽生え、俺は握り返された手を引く。

 

「?!」


 油断した灘さんはすっぽりと俺の腕の中に入る。


「忠史!」

「仲直りの印です」


 動揺する灘さんを俺はぎゅっと抱きしめた。

大丈夫だよな。

これくらい。


「離せよ!俺は、普通の友達のつもりなんだからな」


 そう言いながらも、彼は抵抗する様子を見せなかった。


「はいはい。そうですね」


 友達以上はとっくにクリアしているみたいだ。

 腕の中の灘さんは身じろぎするが、俺のされるがままだった。

 

 十分だ。

 今はこれだけで。


 そのうち彼はきっと俺を受け入れてくれる。


 俺は、彼の温もりをたっぷり堪能した後、解放した。



「じゃ、灘さん。また電話します」


 気分は爽快だった。

 あの合コンから、ずっと気持ちがふさぎこんでいた。

 でも今はこんなに晴れている。


 俺は茫然としている彼を残し、応接室を出て行く。


 

 建物を出ると、凍てつく風が俺を靡く。

 でも俺は寒さを感じなかった。

 

 ハッピーエンドはすぐそこだ。


 体に残った灘さんの温もりを感じながら、俺は冬空の下、街に足を踏み出した。


(完)

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