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第一話:最強のインナー提案【前編】

 最後に見えていたのは、真っ白なワンピースの裾。最後に聞こえたのは、みしり、という頭上からの不穏なきしみ音。大型アパレル店舗のバックヤード。バーゲンセールの準備で天井近くまで積まれた段ボールの山と、鉄製の重厚な棚。奥のストックから限定カラーのパーカーを探し出そうと、脚立に手をかけた瞬間のことだった。


(え、ちょっと待って――)


 見上げた視界の端で、巨大な棚がゆっくりと前傾姿勢をとるのが見えた。逃げる暇すらなかった。段ボールが雪崩のように崩れ落ち、硬い金属の衝撃が全身を襲う。視界にはパーカーでなく隣の棚にあったワンピース。思考がプツリと途絶えた。――そして。


「えっ……う、嘘でしょ……!?」


 冷たい石畳の感触に、跳ね起きるように身体を起こした。真っ先に頭や体を確かめる。血は出ていないし、骨も折れていないらしい。着慣れた私服、オーバーサイズのスウェットにストレッチデニム、スニーカーもそのままだ。腰には接客用のメジャーとハサミを入れたウエストポーチが巻きついている。だが、倒れた棚も、店のバックヤードも、どこにもなかった。


「え、何……? 救急車は……? 私、頭打ってヘンな幻覚見てる……!?」


 パニックになりながらポケットを探るが、スマホがない。ロッカールームに入れっぱなしだったか。見上げると、眩しいほどの青空。周りを見渡せば、見たこともない重厚な石造りの建物が立ち並び、すれ違う人々は皆、革のチェストプレートやら鉄の甲冑やらを身につけている。


 腰に巨大な斧をぶら下げた大男が、私のすぐ脇をドカドカと通り抜けていった。店の看板の文字は読めた。聞こえてくる言葉も分かる。それがかえって、知らない場所にいるという実感を強くした。


「ドッキリ……? いや、撮影セットにしてはリアルすぎるでしょ……! あの、すみません!」


 通りすがりの人に声をかけようと手を伸ばしたが、私を警戒したのか、露骨に距離を取って避けていかれてしまった。通行人の視線が痛い。どうやら私の服装はここでは完全に浮いているようだ。その時だった。


「はい、毎度あり! 火精の加護つき短剣、一丁あがりだ!」


 すぐ脇の露店から、威勢の良い掛け声が聞こえた。何気なく視線を向けた瞬間、私は自分の目を疑った。露店の店主が短剣の刃を指先でなぞると、何もない空間からぼっ! と赤い炎が立ち上り、そのまま刀身全体を激しく包み込んだのだ。


「ひやっ!?」


 思わず短い悲鳴が漏れた。仕掛けやCGなんかじゃない。数メートル離れた私の頬にまで、ブワッと本物の熱風が押し寄せてきたのだ。驚く私をよそに、客の男は満足そうに笑い、指先をパチンと鳴らした。すると、男の手のひらの上に小さな水球がふわりと浮かび上がり、そのまま短剣の炎にかかってシューッと白い蒸気を上げた。


「……は? え……火? 水……? 宙に浮いて……?」


 口を半開きにしたまま固まる私を置いて、二人は何事もなかったかのように笑い合い、買い物を終えている。周りの通行人たちも、誰も驚いていない。それがこの街の「当たり前の日常」なのだ。


(嘘……でしょ……。肌に伝わってきたあの熱は、間違いなく本物だった……)


 冷や汗が背中を伝う。見たこともない衣装の人々。そして、目の前で当たり前のように使われた魔法。


(頭を打った夢じゃない……。本当に、漫画やアニメみたいな魔法の異世界に来ちゃったんだ……!)


 人混みの真ん中で、膝がガクガクと震えた。魔法の世界。響きはワクワクするかもしれない。けれど、身一つで投げ出された現実の重みが、一気に私に押し寄せてきた。通り沿いの武具屋の軒先に吊るされているのは、ゴツゴツした鉄の鎧や無骨な革装備ばかり。


 ……縫い目が荒い。肩のパターンも適当だし、あんなの長時間着てたら絶対脇の下が擦れて激痛のはずだ。気を紛らわそうとアパレル店員の習性で観察してしまうが、すぐに現実が押し寄せて胃がキュッと縮んだ。


 お金もない。身寄りもない。警察もなさそうだし、家族に連絡すらできない。母には今朝、帰りが遅くなると送ったばかりだ。二十七歳にもなって、夜のうちに返信がなければまた心配されるだろう。このまま野宿? それとも怪しい奴として捕まるの……?途方に暮れ、通り沿いの石壁にペタリと座り込んでしまった時だった。


「うわっ、とっとっと……! あ、危ないよっ!」


 甲高い悲鳴とともに、目の前で大きな荷物の山が傾いた。見れば、自分の背丈ほどもある布の束や革のロールを抱えた小柄な人物が、足元をフラフラさせて倒れかかってくるところだった。


「きゃっ!?」


 反射的に立ち上がり、崩れ落ちそうになった荷物の底をガシッと両手で受け止めた。


「ふ、ふぅ……! 助かったわ……! ありがとう、見知らぬ親切な人!」


 荷物の隙間から顔を出したのは、透き通るような銀髪と、先端がツンと尖った長い耳を持つ女性だった。人形のように整った顔立ちに、碧眼の瞳。絵本の中でしか見たことがない、本物の「エルフ」だ。


「大丈夫ですか? すごい量ですね、これ」

「うん、仕入れの帰りなんだけど、途中で紐がほどけちゃってさ……。あたしはエルウィン。この近くで服屋を営んでいるの」


 エルウィンと名乗ったエルフは、困ったように眉を下げて笑った。


「服屋……ですか?」

「そうだよ。……まあ、服屋と言っても、この街じゃ防具屋通りの端っこで細々とやってるような小さな店だけどね」


 エルウィンは身なりこそ綺麗だが、どこか疲れ切った雰囲気を漂わせていた。一人で運ぶには明らかに重すぎる荷物だ。


「私、柊茜っていいます。よければ店まで荷物、半分持ちますよ。……実は、行き場がなくて困っていたところで」

「えっ、本当? 助かるよ! お礼に温かいスープくらいならご馳走できるからね」


 私はエルウィンから布地のロールをいくつか受け取った。ずっしりと重い。だが、その滑らかな感触が手のひらに触れた、まさにその瞬間だった。


(――え?)


 頭の奥で、カチリと何かのスイッチが入るような感覚がした。脳裏に、触れた生地の情報が直接浮かんできたのだ。


『角羊(カプリコーン)の極細梳毛糸。適度な油分を含み、空気の層を抱え込んで湿度を一定に保つ。魔法銀糸入り。軽量で微小な魔耐性あり』

「なに……これ……?」


 思わず声が出た。まるで、服のタグに書かれた品質表示と、熟練職人のメモが脳内に直接投影されたみたいだ。目に入った繊維のより目や織り方まで、触れているだけで手のひらから情報が流れ込んでくる。


「どうしたの、茜さん? 重かったかしら?」

「あ、いえ……! あの、エルウィンさん。この生地、山羊の毛に魔法の金属糸が織り込んでありますよね?」


 私は混乱を隠しつつ、頭に浮かんだ言葉を口にしてみた。


「えっ……? う、うん。角羊の毛織物だよ。よく分かったわね」

「やっぱり。あの、これ横の引っ張りにちょっと弱そうだから、服にする時は縦のラインを活かした縫い方にしないと、肘や膝のところがすぐ抜けちゃいそうです」

「……は?」


 エルウィンが足を止め、目を大きく見開いて私を凝視した。


「君……何者なの……!? この生地の特性なんて、実際に針を通して使い込んでみないと分からないはずなのに……!」

「自分でもよく分からないんです。触ったら、そういうことが頭に浮かんできて……」


 自分でもサッパリ分からない。ただ、布を離すと情報は途切れ、触れ直すとまた浮かぶ。分かるのは素材と加工の性質らしい。誰に似合うか、何に使うかまでは教えてくれない。それでも、六年間売り場で触ってきた服の感触と、頭に流れ込む情報はしっくり噛み合っていた。エルウィンは驚いていたが、すぐに悲しそうな苦笑いを浮かべた。


「すごいね、茜さん。……実はね、あたしの店、もうずっと赤字続きでね。服の知識以前に、どうやってお客さんに服を売ればいいのかサッパリ分からないの。この街の人はみんな『防具』しか買わないから……」

「売る方法、ですか……」

「うん。もし君が服に詳しくて、お店の売り方に何かアイデアを出してくれるなら……ううん、厚かましいわよね。初対面なのに」


 エルウィンは困り顔で頭を下げかけた。私はハッとした。身元も分からない、お金もない、住む場所もない今の私にとって、これは千載一遇のチャンスなんじゃないか?


「エルウィンさん! 私、故郷で服の販売員をやっていたんです! この街の服の流行とか魔法のことは全然知りませんけど、服の提案なら力になれます!」

「本当!?」

「はい! だから、あの……もしよければ、お店を手伝わせてください! ご飯と寝る場所さえいただければ十分ですから!」


 エルウィンは一瞬呆気にとられた顔をしたが、やがて救われたような表情でパッと顔を輝かせた。


「本当!? あたしの方こそお願いしたいくらいよ! さあ、立ち話もなんだし、店に行きましょ!」


 案内された「エルウィン洋品店」は、石畳の路地を一本入った静かな通りにひっそりと佇んでいた。木製の扉を押すと、カウベルがからんと乾いた音を立てる。店内はお世辞にも繁盛しているとは言えなかった。うっすらと埃の匂いが漂い、棚には古びた服や指輪などの装飾品が雑多に並べられている。せっかくの仕入れ品も、分類されずに積まれていて陳列がもったいない。


「散らかっていてごめんね。奥が作業場兼居住スペースなんだ。空いている部屋があるから、今日からそこを使ってくれていいよ」

「ありがとうございます……! 助かります!」


 ふと、視線を足元に落とすと、日当たりのいい古い木箱の上に、何か丸いものが乗っていた。


「ふにゃ……」


 ちょっと太った三毛猫だった。鏡餅のように丸々としていて、お尻の後ろから伸びる尻尾が、途中で二本に分かれている。


「あ、この子はモモだよ。いつの間にか店に住み着いちゃってさ」

「モモ……可愛いですね」


 私が手を伸ばすと、モモはふてぶてしい顔で「にゃーん」と短く鳴き、私の足元に身体をすり寄せてきた。


「モモ。よろしくね」

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