第32話「炎・制・拡」
ボウゥゥゥゥッ!!
アキルが投げ与えた『炎』の板札により、レオン・ヴァルクの放つ無軌道な暗赤色の濁流は、確かな輪郭を持つ純真紅の火柱へと姿を変えた。
致命的な横への自重崩壊は止まった。
だがそれはあくまで「形を保った」というだけの救命の第一段階に過ぎない。
「ぐ、おおおおおっ……!」
最前衛で土台を支える巨大なガルドが、血の混じった咆哮を上げる。
彼の分厚い革の胸当てに仕込まれた『結』の板札が限界を超えて赤熱し、留め具を押し当てている太い腕の皮膚がジリジリと嫌な音を立てて焦げ始めている。
火柱となったことでレオンの魔力はさらに純度と密度を増していた。
空を焦がすほどの圧倒的な熱量が逃げ場を失い、猛獣のように内側から激しく周囲の防御壁を叩き続けているのだ。
中衛で魔力回路を維持するクロエの木製パネルは、這わせた銀色の金属線がドロドロに溶け落ちる寸前だった。
後衛のセレナの杖は、内側を通る魔力に耐えきれずにパキパキと悲鳴のような軋み音を立てている。
「アキル!もう限界だ!これ以上の圧力は……壁ごと吹き飛ぶ!」
顔面を汗でずぶ濡れにしたテオが、焦げ煙を上げる特製革手袋の指先を激しく震わせながら叫んだ。
「わかっている!」
肌を焼くような強烈な熱風が吹き荒れる只中でアキルは泥だらけのブーツを踏みしめ、懐の『赤い袋』から手つかずのオークの板札を二枚引き抜いた。
狂気じみた速度で小刀が走る。
シュッ、シュッ、シュッ!
硬い木屑が熱波に巻き上げられて一瞬で炭化し、黒い灰となって宙に舞う。
息をするだけで肺が焼けるような過酷な環境下で、アキルは決して手元を狂わせることなく、正確な溝を木片に穿っていく。
一枚目に深く刻み込んだのは、『制』の文字。
「テオ!」
アキルは削り上がったばかりの板札を、中衛のテオへ向かって真っ直ぐに投げ放った。
テオは飛んできた木片を左手で掴み取ると、躊躇なく右手首の革手袋の空きスロットへとカチリと叩き込んだ。
「『制』だ!炎の表面で暴れ狂うノイズを極限まで削り落とせ!オーク材の耐熱限界まであと十秒もない、焼き切れる前に処理しろ!」
間髪入れずアキルは二枚目の板札に小刀を突き立てる。オークの木肌がすでに周囲の熱で限界に達し、小刀を入れる端から炭化し始めている。
削り出したのは、『拡』の文字。
「クロエ!受け取れ!」
アキルが前方のクロエへ向けて板札を投擲する。
「『拡』!天井の壁を開き、空への経路を構築しろ!」
クロエは血の滲む指先で飛来した板札を掴み、自らの胸に抱えるパネルの中央へ強引に押し込んだ。
ドロドロに溶けかかった金属線を素手で掴み、『拡』の文字の溝へと直接ねじ込む。
ジュッと皮膚の焼ける音が鳴ったが彼女は痛みの一瞥すら見せず、ただ一点を見据えていた。
「削る……!」
テオが冷徹な目で虚空の魔力盤面を睨み、両手の指先を激しくすり合わせる。
手首に装填された『制』の板札が、目を開けていられないほどの白い閃光を放つ。
テオはレオンの放つ純真紅の火柱の表面をなぞるように、無駄に膨張しようとする熱のノイズをミリ単位で削り落としにかかった。
だが、次の瞬間。
「がっ……ぁ……!」
テオの顔が苦痛に大きく歪み、膝がガクンと崩れかけた。手袋の指先からパチパチと青白い火花が弾け飛び、厚い革が黒く炭化し始める。
「くそっ……!一人で受け止めきれる出力じゃない……!」
テオの目が絶望に見開かれ、魔力の過負荷によってシステムの崩壊が誰の目にも明らかになった、まさにその時だった。
「……俺が、合わせる」
鼓膜を破るような轟音の渦中で、低く掠れた声が響いた。
声の主は火柱の中心で膝をついていた天才、レオンだった。
彼は血走った目を細め、猛烈な熱波の向こう側で必死に指先を動かし、自らのために皮膚を焦がしているテオの手元を凝視した。
テオの手首で明滅する『制』の白い光。
レオンは短く鋭い呼気を吐き、奥歯を強く噛み締めた。
そして自らの内から無限に湧き出す暴力的な魔力の奔流を、ただ直感のまま外へ向けて垂れ流すのではなく、テオの放つ『制』の波長にピタリと重なるように、自らの意志の力で強引に絞り込み始めたのだ。
熱が一点に凝縮され、炎の輪郭が鋭く収束していく。
「な……!?」
テオが驚愕に息を呑む。
手袋を焼き焦がしていた絶望的な負荷が、ふっと消え去ったのだ。
それだけではない。
暴れ馬のように荒れ狂っていたレオンの炎の表面から、余分な熱のノイズが嘘のように消え失せ、まるで鋭利な刃物で切り落とされたような、極めて滑らかで美しい輪郭が現れ始めた。
「……信じられない。あいつ、自分の力を、僕たちのシステムに内側から最適化させてきやがった……!」
「今だ!解き放て!!」
アキルの裂帛の号令が、演習場に轟く。
「いっけえええええっ!!」
ガルドが野獣のような雄叫びとともに、土台ごと前傾姿勢から一気に天へ向けて跳ね上がる。
セレナが涙を拭い、『育』の循環を爆発的に加速させる。
テオが『制』によって極限まで純化された炎のラインを、一切のブレなく真っ直ぐに束ね上げる。
「開くわよ!」
クロエがパネルに組み込んだ『拡』の回路を全開にする。
上空を覆い尽くしていた魔力の壁が、物理的な錠前を外されたようにガシャンと左右へ開き、夜空へ向けて完璧な円形の射出筒を形成した。
直後。
ズドォォォォォォォォンッ!!!
レオンの放つ純真紅の炎が周囲への熱の漏れを一切なくし、極太のレーザーのような圧倒的な光の柱となって、開かれた天井から一直線に撃ち出された。
防護結界が吹き飛んで剥き出しになった夜空に向かって、赤く輝く熱線が突き進む。
空を厚く覆っていた雲が巨大な円形にぽっかりとくり抜かれ、大気が震えるような高周波の共鳴音だけを残して炎は遙か宇宙の彼方へと静かに吸い込まれて消滅した。
圧倒的な静寂。
空を焦がしていた赤い光が消え、演習場にひんやりとした冷たい夜風が吹き込んでくる。
「はぁっ……!はぁっ……!」
カラン、とクロエのパネルから真っ黒に焼け焦げた金属線が剥がれ落ちた。
ガルドが両膝をついてドスッと仰向けに倒れ込み、テオは炭化した手袋を力なく下ろし、セレナは杖を抱きしめたまま静かに泣き崩れた。
五人の落ちこぼれたちは、誰一人として立っていることすらできないほどに、魔力と体力を完全に搾り尽くしていた。
演習場の中心。
レオン・ヴァルクは黒焦げになった砂の上に一人、静かに立ち尽くしていた。
彼はゆっくりと自分の両手を見た。
そして周囲を見渡した。
彼の周囲には、もはや一欠片の熱も残っていない。
暴走の凄まじい余波でガラス化した地面はあるが、Fクラスの五人の誰の皮膚も炭化していない。
誰一人として彼から恐怖で後ずさっていない。
彼が生まれて初めて全力を放ち、それでもなお、誰も壊れなかったのだ。
「……」
レオンの喉が微かに動いたが言葉にはならなかった。
逃げ遅れて観客席の端で腰を抜かしていた試験官が、レオンを置き去りにして闘いを放棄したAクラスの惨状を見て、震える声でマイクを握りしめた。
「Aクラス、戦闘放棄……!よって、勝者、Fクラス……!」
マイクの声が、静まり返った演習場に空しく響き渡る。
だが、歓声を上げる者は誰もいなかった。
限界まで力を絞り尽くしたFクラスの五人も、暴走から生還したレオンも、ただ荒い息を吐き、無言のまま互いの姿を見つめている。
泥だらけのブーツを引きずりながら、アキルがゆっくりとレオンのそばへ歩み寄る。
アキルは何も言わずレオンの足元に落ちていた『炎』の板札を拾い上げ、その黒く焦げた表面を親指でそっとなぞった。
レオンもまた何も言わなかった。
ただひんやりとした静かな夜風だけが、彼らの間を心地よく吹き抜けていった。
第四部、ここまで読んでくださってありがとうございます。
ここまで積み上げてきた仲間たちの役割と信頼が、一つの形になった章でした。
学院編を楽しんでいただけたなら、とても嬉しいです。次章ではこの勝利の先にある、より大きな圧力が待っています。




