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ウィザード・プロンプト ~落ちこぼれ少年は、漢字で魔法の常識を覆す~  作者: 早野 茂
第三部《町から学院へ・最初の死闘編》

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第19話「大魔物来襲」

盗賊団の襲撃を退け、ひしゃげた玄関の木の扉を新しい板で修繕してから数日が経った。

アキル家の土間には、再び穏やかな時間が戻っていた。

父のゴルドが削り出した新しい木枠は、以前よりも深く頑丈に扉の裏側に固定されている。

ミナの首には手垢で少し黒ずんだ『赤い袋』が大切に下げられたままだ。

あの暗闇と極限の恐怖の中で、家族の命を繋いだのは、触ればわかる欠けた角の手触りだった。

決して間違えようのないその仕組みがもたらした絶対的な安心感が、今のあばら家を温かく包み込んでいた。

だがアキル自身の意識はすでに、家の防衛のその先へと向かっていた。

土間の隅で彼は小刀を握りしめ、父の仕事場から貰い受けた硬いオークの木片に新しい文字の形を深く刻み込んでいた。

昨夜の盗賊団との戦いで、連続する強い衝撃を受けた羊皮紙の符は限界を超えて燃え尽きてしまった。

(紙では強い負荷に耐えきれない。生活用の低出力には安価な『羊皮紙(紙符)』、戦闘時の高負荷処理には強固な『板札』と、用途によって媒体ハードウェアを完全に使い分ける必要がある)

そう考えたアキルは、高負荷用媒体として試験的に『板札』の制作に取り掛かっていたのだ。

さらに彫り込んでいる文字も防衛用のものだけではない。

『守』は受ける字だ。

『結』は繋ぐ字だ。

けれどただ受けて耐えるだけでは足りない。

もし防ぎきれないほどの悪意が迫ってきたらどうするか。

(受け止めるだけじゃない。魔力の少ない僕たちでも、力を一点に極限まで収束させて、現象そのものを打ち破る文字……)

アキルが木片に文字を彫り終え木屑を息で吹き飛ばした、その時だった。

ズンッ……。

傍らに置かれた木の器の水面が小刻みに震え、足元から突き上げるような重い振動が土間を揺らした。

地震ではない。

一定の間隔を置いて、ズン、ズンと近づいてくる、巨大な質量の歩みだ。

「おい、アキル!外へ出ろ!」

外で薪割りをしていたゴルドの切羽詰まった声が響く。

アキルは板札の束を懐に押し込み、雪解けの泥が残る庭へと飛び出した。

ゴルドが青ざめた顔で指さす先。

村の中心部、家々が密集する広場とそれに続く街道の方角から黒い土煙が天を突くように立ち上っていた。

村の生活圏を完全に飲み込む距離だ。

その煙を引き裂いて現れたのは、小山と見紛うほどの巨大な魔物だった。

全身を黒光りする分厚い甲殻に覆われ、四本の太い足で大地を踏み砕く。

猪のように低く構えて突進し、虫のような硬い殻を持つ異形。

その体長は十メートルを優に超え、歩くたびに周囲の木々や石垣がへし折れていく。


グオォォォォォォッ!!


大魔物が咆哮を上げるとビリビリと空気が震え、遠く離れたアキルたちの顔にまで生温かく血生臭い風が吹きつけた。

「大魔物だ……!なんであんなものが、こんな人里に!」

ゴルドが斧を握る手を震わせながら絶句する。

街道を逃げ惑う人々の悲鳴がここまで微かに聞こえてくる。

村を守るはずのささやかな木の柵など大魔物の突進の前にまるで枯れ枝のようになぎ倒されていた。

あの圧倒的な質量と暴力の前に人間の作った壁など何の役にも立たない。

その時だった。

「下がれ、愚民ども!私が灰にしてくれる!」

上空から傲慢なまでに響き渡る声が落ちてきた。

見上げると、豪奢な青いローブを翻し風を巻いて宙に浮遊する一人の男の姿があった。

王国屈指の大魔術師、エドワード・グランフェルだ。

「見ろ、アキル!学院の賢者様だ!あの方なら、魔物を一撃で倒してくれる!」

ゴルドがすがるような声で叫んだ。

エドワードは空中で両手を天に掲げ、全身から目も眩むような赤い魔力のオーラを爆発させた。

その魔力の総量はアキルが持つ微小な魔力とは比較にならないほど膨大で、周囲の空間が熱で陽炎のように激しく歪み始めている。

「消え失せろ!」

エドワードの手から放たれたのは、太陽がそのまま落ちてきたかのような超高熱の巨大な火球だった。


ゴォォォォォッ!!


凄まじい熱線が空気を焼き焦がし、大魔物の背中へ真っ直ぐに激突する。


ドガァァァァァァンッ!!


天地をひっくり返したような轟音が響き、目を開けていられないほどの閃光が弾けた。

(やったか……!?)

だが光が収まり、舞い上がった土埃が晴れた後の光景に、アキルは息を呑んだ。

大魔物は倒れていなかった。

背中の分厚い甲殻の一部が黒く焼け焦げひび割れてはいるものの、致命傷には至っていない。

むしろその痛みに激昂し、さらに狂暴に暴れ回っている。

それどころか最も致命的な問題は、エドワードの放った魔法の「余波」だった。

大魔物の甲殻に弾かれた巨大な火炎の奔流は行き場を失って四方八方へと散弾のように飛び散り、周囲の村の家々に容赦なく降り注いでいたのだ。

燃え盛る火の粉が民家の藁屋根を吹き飛ばし、石積みの壁が爆風でクレーターのようにえぐり取られている。

「ああっ……家が!俺たちの村が!」

「やめてくれ!魔法のせいで火が回る!」

大魔物からの避難よりも、頭上から降り注ぐ「味方の魔法」から逃げ惑う人々の絶望的な叫びが、遠く離れたアキルたちの耳にもはっきりと届いていた。

広場のシンボルだった古い時計台が炎に包まれ、轟音を立てて崩れ落ちるのが見える。

エドワードは眼下の惨状に一瞥もくれず、空中で再び両手に魔力を集め始めた。

彼の目には倒すべき標的しか映っていない。

守るべき人々の暮らしはその傲慢な視界から完全に抜け落ちていた。

「チッ、忌々しい甲殻だ。ならば、さらに出力を上げるまで!」

先ほどよりもさらに巨大な火球が、彼の頭上で凄まじい熱波と音を立てて圧縮されていく。

エドワードの魔力量は凄まじい。

アキルの何万倍ものエネルギーを内包している。

しかしアキルの目はその魔法の致命的な欠陥をはっきりと捉えていた。

(……違う。あれは強いんじゃない。ただ、無駄に散らしているだけだ)

ただ膨大な魔力を集め、ただ力任せにぶつけるだけ。

ぶつける先も、通す先も、止める先も何も決まっていない。

(あんな面でぶつかるだけのエネルギーじゃ、あの分厚い装甲は抜けない。出力だけで押し切ろうとすれば、魔物を倒す前に、弾かれた余波で村全体が完全に吹き飛んで灰になる!)

アキルは無意識に懐に入れた真新しい板札の束を強く握りしめていた。

先ほどまで土間で彫り込んでいた一つの文字。

魔力の少ない自分たちでも、意味を与え、方向を極限まで絞り込むことで微小な力でも一点を突き通し威力を上げるための設計だ。

「……父さん」

アキルは、燃え上がる村の中心を見つめたまま静かに口を開いた。

「出力が大きければ勝てるわけじゃない。力がただ大きすぎるから、関係ないものまで壊してるんだ」

「アキル……?お前、何を言ってるんだ?相手は伝説の大魔術師だぞ。お前に何ができるって言うんだ!」

ゴルドが驚きと止めようとする必死さで振り返る。

アキルは握りしめた板札に深く刻まれた文字の溝を指でなぞった。

荒い呼吸が次第に深く静かなものへと変わっていく。

微かに震えていた指先がピタリと止まり、その溝の中心へと指の腹を真っ直ぐに押し付けた。

(僕の魔力は小さい。エドワードの足元にも及ばない。……でも、文字の意味で力を極限まで一点に集中させる形を作れば、あの分厚い甲殻の『ただ一点』だけを、針のように通すことができるかもしれない)

アキルは立ち上がり、握りしめた五枚の板札から手を離す。

視線は燃え盛る村の中心だけを鋭く射抜いている。

「父さん、母さんたちとここにいて!僕は行く!」

「アキル!?どこへ行く!待て!」

ゴルドの悲痛な制止の声を背中に受けながらも、アキルは巨大な理不尽が暴れ狂う戦場へ向かって雪解けの泥道を真っ直ぐに駆け下りていった。


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