第16話「盗賊襲来」
新月の深い闇に沈む土間。
アキルの視線の先で、重い木の扉の取っ手がゆっくりと捻られた。
カチャッ……カチャカチャッ。
もちろん開かない。
「……チッ。鍵が掛かってやがる」
外から舌打ちとくぐもった男の声が聞こえた。
「窓はどうだ?」
「だめです、こっちも木の鎧戸がしっかり下りてます」
「ふん。貧乏人のくせに用心深いこった。だが、たかが木切れ一枚だろうが。斧でぶち破れ」
その物騒な殺意に満ちた声を聞き、アキルは暗闇の中で息を潜める家族を振り返った。
「来るぞ。みんな、配置へ!」
その小声の合図で家族が音もなく動いた。
「敵の攻撃を受け続ければ、木枠の札が限界を迎えて燃え尽きるかもしれない。燃え尽きたらすぐに予備の札に差し込むんだ。父さんは玄関と裏口、母さんとミナは窓を頼む!トールは部屋の奥の隅に隠れていて!」
すでに木枠には『界』や『守』の札がセットされ、家全体を包む防壁は夜通し起動している。家族はそれぞれアキルから渡された予備の札を固く握りしめ、担当の場所へと素早く散った。アキルは部屋の中心に陣取り、床の四隅に置かれた『結』の札へ意識を集中させる。
(外からの衝撃に合わせて魔力を補い、防壁を維持するんだ……!)
ドガァァァンッ!!
息を呑んだ直後、小屋全体を激しく揺るがす轟音が鳴り響いた。
取っ手に巻かれた『護』の符が彼らの声を弾き、鍵が開かないと悟った盗賊の重い金属の斧が、扉のど真ん中に力任せに叩きつけられたのだ。
奥で震えるトールが「ひっ!」と悲鳴を上げる。
「大丈夫だ、扉は破られていない!」
ゴルドが手斧を構えながら前に出た。
その言葉通り扉は一ミリたりとも歪んでおらず、木屑一つ落ちていない。
木枠に収まり、すでに起動していた『守』の文字が不可視の鋼の壁となり、外からの暴力を完全に相殺していた。
「おい!なんだこの扉は!?斧が弾き返されたぞ!」
「馬鹿野郎、立て付けが悪いだけだ!裏口も叩き割れ!」
ガツンッ!ガンッ!バンッ!
玄関、裏口、そして窓。
家の四方八方から、同時に激しい打撃音が響き始めた。
盗賊団が家を取り囲み、総攻撃を仕掛けてきたのだ。
静寂は吹き飛び、小屋の中は四方八方から容赦なく打ち据えられる絶え間ない破壊音と、床から這い上がるような不気味な振動に満たされた。
「アキル、すごいぞ。お前の魔法が完全に奴らの攻撃を防いでいる!」
ゴルドが叫ぶが、アキルの表情は青ざめていた。
「だめだ……!このままじゃもたない!」
アキルの目は、扉の裏の木枠に差し込まれた『守』の羊皮紙に釘付けになっていた。
魔力の流れ自体は完璧だ。
しかし、連続する巨大な衝撃を受けた札は異様な高熱を帯び、チリチリと端から焦げ始めている。
四隅の『結』から伸びる光の糸も激しく明滅し、今にも途切れそうだった。
「父さん!奴らの攻撃で札が燃え尽きそうだ!」
「どうすればいい!?俺が外に出て奴らを斬るか!?」
「だめだ!外に出た瞬間に囲まれる!家の中から壁を維持し続けるんだ!」
アキルは叫びながら、激しく明滅する光の糸を必死に繋ぎ止めた。
「さっき渡した予備の札に差し替えてくれ!差し替えたらすぐに『繋げ』と叫んで合図を出すんだ!俺が魔力を通してもう一度結び直す!」
「裏口は俺がやる!」
ゴルドが裏口の木戸に走り寄る。
外からは斧が乱れ打たれ、扉の『守』の札が今にも焦げ落ちそうになっていた。
ゴルドは魔法の糸で強固に固定された古い『守』を力任せに引き千切るように抜き取ると、即座に新しい『守』を同じ枠へと叩き込むように差し込んだ。
「アキル、繋げ!」
「結がれっ!」
アキルが魔力を放ち、四隅の『結』から伸びた光の糸が、真新しい『守』を瞬時に縫い留める。
焦げ臭い匂いが消え、裏口の防壁が再び強固な反発力を取り戻した。
「母さんとミナは窓を頼む!枠の『界』が外れないように気をつけて!」
「わかったわ!ミナ、こっちの窓よ!」
リーナとミナが暗闇の土間を走り、窓辺にへばりつく。
「お兄ちゃん、こっちの窓の『界』が破れそう!」
ミナが鋭く叫んだ。外から槍で突かれているのか、窓の受け口に差し込まれた『界』の札が少し破れていた。
「先に『界』だ!それが破れたら全部抜かれる!」
「わかってる!ママ、『界』の札を頂戴!」
ミナは自らの判断で破れた『界』を素早く引き抜き、リーナから受け取った新しい札を窓の木枠に滑り込ませ、続けて『守』の札も同じように差し込み直した。
「繋がれ!」
アキルの魔力が光の糸となって走り、窓の防衛ラインがギリギリのところで再構築される。
「ミナ、えらいわ!その調子で反対側の窓もお願い!私はトールを!」
リーナはミナの的確な動きに安堵し、部屋の隅で両耳を塞いで震えているトールを庇うため、土間へと駆け戻った。
「くそっ!なんだこの家は!まるで鉄の要塞じゃねえか!」
「斧の刃が欠けちまったぞ!中に強力な魔術師でもいるのか!?」
外から、盗賊たちの狼狽と焦りの声が聞こえてきた。
何度斧を叩きつけても、家は不気味な軋み音を立てるだけで一向に崩れない。
家の中では、アキルが汗だくになりながら魔力を絞り出し修復の糸を張り巡らせていた。
(差し替えさえ間に合えば、持ちこたえられる……!)
だが飢えた悪意は容易には引き下がらない。
「……どけ、お前ら」
ひときわ低く、ドス黒い殺意に満ちた声が外に響いた。
盗賊の頭目らしき男の声だった。
「たかが貧乏人の小屋に、いつまで手こずってやがる。……丸太を持て」
その声にアキルの背筋が総毛立った。
「四、五人で抱えて、勢いをつけて扉にぶち当てろ。家ごとぶち倒してやる」
ちょうどその時、裏口の修復を終えたゴルドが、最も危険な玄関の様子を見るために土間中央へと駆け戻ってきた。
「アキル、裏口は持ちこたえたぞ。正面の扉はどうだ!」
リーナも震えるトールをしっかりと抱き上げ、そのまま玄関の様子を見ようとゴルドの背後まで下がってきていた。
正面の扉の向こうで、複数の足音が一つに揃った。
「……っ!父さん、母さんも、扉から離れて!」
アキルが絶叫すると同時。
ズズンッ……!ズズンッ……!と、大地を深く揺らすような重い足音が迫ってきた。
複数の大人が巨大な丸太を抱え、凍てついた雪を激しく蹴立てながら、全力で玄関へと突進してくる音だ。
(まずい……!)
丸太の質量が一点に集中する。限界を迎えた今の札じゃ、受けきれない。
「いっせーの、でっ!!」
野太い怒号とともに、凄まじい質量を持った丸太の先端が、玄関の扉に激突した。
メキメキメキィィィッ!!
今まで斧を完全に弾き返していた扉が、初めて悲鳴のような音を立てて内側へ大きく湾曲した。
「きゃあああっ!」
「うおぉっ!?」
木が砕けるすさまじい轟音と、内側へ散弾のように弾け飛んだ鋭い木片、そして強烈な衝撃波。
正面寄りにいたゴルドとトールを庇っていたリーナが、たまらず土間の奥へと吹き飛ばされる。
扉の裏側の木枠に差し込まれていた真新しい『守』の札が、限界を超えた負荷に耐えきれず、ボワッと一瞬で発火し、灰となって散った。
(突破される……!)
アキルは目を見開き、四隅の『結』の光がプツリと音を立てて途切れるのを見た。
絶対の防壁に、ついに致命的な綻びが生じた瞬間だった。
「第二撃、いくぞぉっ!!」
外から死を告げる悪魔のような掛け声が再び響く。
扉の蝶番が完全にひしゃげ、夜の冷たい風と血生臭い匂いが小屋の中に吹き込んできた。
舞い上がる粉塵、倒れ伏す両親の呻き声、そして暗闇の隅で震えるミナの悲鳴が、雪を蹴立てて迫る第二撃の重い足音に飲み込まれていった。




