第25話 夕焼けオムライス②
「温かいうちに、どうぞ」
椅子に腰かけた僕の前に手を差し出して、テーブルになにかを置くような動作をした。動作だけだ。実際にはなにも置かれていない。僕は「ありがとうございます」と伝えて、テーブルに置かれたであろうコップを掴む動作をして見せる。
「『ゴースト』は生前の言動を繰り返すんです。サブリナは、こうやって客人をもてなしていたんでしょうね」
サブリナさんはディミトラさんにも見えないコップを差し出していた。僕はディミトラさんのほうに顔を寄せた。
「死んだら、みんなこうなるんですか?」
「まさか。ゴーストになるなんてほんの一握りですよ。発生条件もよくわかっていないんです」
ディミトラさんは机に肘をついて、テーブルの横でにこやかに立つサブリナさんを観察していた。
「複雑な会話はできませんが、生前の言動に合った言葉を投げかければ、ちゃんと返してくれますよ」
「例えば」と前置きしてから、パンと手を合わせた。
「ありがとうございます。サブリナさんもどうぞ座ってください」
サブリナさんの姿が一瞬消えて、僕の向かい側に座った状態で再び出現した。ディミトラさんに向かって、苦笑いを作る。
「大変だったでしょう? 夕日が綺麗だからって、主人がこんな場所に小屋を建てるもんだから」
こういった世間話を、招いた客人とよくしていたのだろう。
サブリナさんの姿をじっと見る。小屋に入る前の恐怖は完全に消えていた。ただ、それでも心は落ち着かない。
記憶の生き写し。幽霊と言うより、これは生前の映像をホログラム化しているように思える。ゴーストとはなんなのだろう。ディミトラさんの魔法やピラちゃんを見ていても同じ疑問がわき上がった。この世界の超常の力は、魔術というよりもむしろ——。
「——どうします? いてほしい場所に誘導することもできると思いますけど」
ディミトラさんの言葉に我に返る。僕は立ち上がって、部屋を歩き回った。窓を覆う幕を開けて光を調整し、背後にある壊れた小物を画角に入らないように床に移動させる。
「サブリナさん」
僕が呼びかけると、サブリナさんはテーブル脇に立ち上がった状態で出現した。
「なあに?」
立ち上がったのは予想外だったが、別にいいか。僕はカメラを縦に構えて、雑に一枚ぱしゃりと試し撮りした。色味や光加減を確かめるために画面をのぞいて——。
「……どうしました?」
テーブルに突っ伏したディミトラさんは、画面を見たまま立ち尽くした僕を見て、不思議そうに問いかけてきた。
僕は唇を舌で舐めてから、答える。
「……狙って写せるものじゃないですね」
「……は?」
ディミトラさんにカメラを差し出す。渋い顔をするディミトラさんとは対照的に、サブリナさんは先ほどから寸分変わらず微笑んだままだ。
「専門外なんですよ、幽霊の撮影は」
撮影された写真に写るサブリナさんの姿は青い波線が波打っていて、表情すら判別つかないほどぼやけていた。
*
「どうするんです」
眠たげにベッドに腰かけるサブリナさんを伺いながら、小声で作戦会議をする。
「ゴースト撮るのなんて余裕ですよ、みたいな雰囲気出しちゃってましたけど」
「出しちゃってたのはディミトラさんですよ! 俺じゃないです」
「なんかこう……なんでしたっけ、あのくるくる回す奴でどうにかならないんですか?」
「ピントの問題じゃないんですよ。あの霊体の光が特殊な屈折なんですかね? レンズを覗いたときは問題ないんですけど……」
僕は腕を組んで天を仰いだ。雨漏りの跡が見える梁を見つめながら、蜘蛛の糸にすがる気持ちでディミトラさんを頼ってみた。
「……ディミトラさん、変身魔法とか使えないんですか?」
「『変化のブーチェ』って魔法使いが昔いましたねぇ。悪さがたたって処刑されたとか」
「絵を描くのがめちゃくちゃうまいとか」
「それはミタカの専売特許でしょう」
「精巧人形生成魔術——」
「ミタカ、現実逃避はやめなさい」
眉間に皺を寄せる僕を慰めるように、ディミトラさんは杖をとんとんと床についている。
「いいではないですか。ぼやけているとはいえ、姿は写っているんだし。受け入れてくれますよ」
ううん、と唸り声で返事をする。
「それか嘘をつきますか。『奥さんのゴーストはもう天界に行ったようです』って」
「……ゴーストっていつかは消えるんですか?」
「ええ。消滅原因はわかっていませんが」
後ろ髪をかいてから、ふんと息を吐いた。
「……いえ、嘘はつきたくないので、この姿で撮ります。想い出としてできるだけ部屋の様子をくまなく撮っておいて、それで許してもらいましょう」
「いいえ、許しません」
いつの間にかサブリナさんが横に立ち、腰に手を当てて舌を見下ろしていた。誰かを叱りつけているところだろうか。蹴って遊ぶような藁の玉も部屋の隅に転がっていたので、子どもがいたのかもしれない。
僕はふと思いついたことを口にしてみた。
「サブリナさんっていつもどこに座ってます?」
サブリナさんは、先ほどまで座っていた場所に移動した。
「ここは私の特等席なんだから」
ふむ。
僕はカメラを構えて、写真を撮った。画面に写し出されたのは、青い人型の光と、ただの廃墟の写真。うら寂しすぎる光景だ。
カメラでごんごんと額を叩いてから、次の質問を投げかけた。
「得意料理ってなんですか?」
サブリナさんの姿が、調理場のほうに移動した。
「うちは、お祝い事はオムライスでするんです」
おそらくフライパンを振っているのだろう。右手が火元の上で揺れていた。
「オムライスって、この世界にもあるんですね」
「得意料理なんて聞いてどうするんです?」
僕は調理場の棚を漁りながら、問いかける。
「ディミトラさん、卵持ってませんか?」
「鶏じゃないんですから、そんなポンポン出てきませんよ」
棚の置くから、錆びついたフライパンを引っ張り出してきた。
「なにしてるんです?」
「いやあ、テーブルの上が寂しすぎるから手前になにか置きたいんですけど……」
「まさか、写真のためにオムライスを作るんですか?」
「それぐらい写真撮影では当たり前ですよ。……ただなあ」
フライパンで肩をとんとんと叩く。
今撮りたいのは想い出だ。サブリナさんたちの記憶のアルバムを撮りたいのだ。それなのに適当なオムライスが写っていては、かえって邪魔になるかもしれない。焼き加減や添え物、皿の色など、その差異を最も感じ取れるのはほかでもないカリームさんだ。
花瓶に好きな花を添えるのはどうだろう。サブリナさんに好きな花を聞いてみた。
サブリナさんの姿が目の前から消え、ベッドのほうから声が届いた。
「あなたがくれたバッケシの花、私が死んだら一緒に埋めてちょうだいね」
サブリナさんは、ベッドに寝転がったまま儚げに微笑んでいた。そばに、カリームさんが座っていたであろう丸椅子が静かに転がっていた。
ディミトラさんのほうを向くと、ディミトラさんは下唇をぬっと突き出していた。
「……バッケシはこの辺には咲いていませんよ。イデ山麓に咲く、冠婚の儀式用の花です。まだ交易が盛んだったころに商人から買い取ったものでしょう」
「そのイデ山脈ってところは遠いんですか?」
「私とミタカが出会った場所が、イデ山脈の麓です」
ううんとうなり声を上げる。仕方がないか。
つんと潮の香りが鼻をくすぐる。開け放たれた窓から、浜風が部屋の中を通り抜けていく。さらさらと揺れる灰色のカーテンの向こうに見える太陽は、だんだんと赤みを帯びてきていた。海へと沈み切るまであまり時間がない。さすがにこの仕事のためにさらに一日費やすわけにもいかないし、妥協点を見つけるしかないか——。
待てよ。
窓枠の奥に沈みゆく橙色の太陽をぼうっと眺めていると、ひとつのアイディアが浮かんだ。
「ディミトラさん」
「なんです?」
「ちょっと窓の横に立ってもらいませんか?」
ディミトラさんはとてとてと歩いて、窓の横に立った。カメラを縦に構えて、画角を調整する。
続いて、サブリナさんに呼びかけた。
「サブリナさん、いい天気ですね」
サブリナさんの姿がディミトラさんに重なった。ディミトラさんは「うお」と声を上げて脇にずれた。
「本当に。胸の奥まで、洗われるようだわ」
窓枠に手をかけて、目を閉じるサブリナさんに向けて、再びカメラを構えた。そのまま考えこむ。
「——ミタカ?」
ディミトラさんの呼び掛けに、意を決して顔を上げた。
「ディミトラさん、ちょっとお願いがあるんですけど——」




