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第17話 ヘイトの民②

 

 翌日。


 ディミトラさんが交易の手続きをしている間、僕は街の広場をぶらついて適当にカメラを構えていた。白石で整えられた街路、天使を象った噴水、大通りに植えられた青色の葉をつけた針葉樹の列……。ヘッドフォンをつけてモーツァルトを聞きながら歩けたら、どれほど心癒されたことだろう。


 残念なことに交響曲の代わりに聞こえてくるのは住民たちの囀りで、やれ「平たい顔がいる」だの、やれ「坊や、悪いことをするとあんなみすぼらしい格好になってしまいますよ」だの、人をなじる言葉はこれほどまでに多いのかと感心してしまうほど、バリエーション豊かな言葉の数々を浴びせられた。


 そのくせ絶対に手は出してこない。熱心な差別教育の甲斐あってか、坊やが僕に向けて小石を手に「これでも喰らえ」と振りかぶった際は、即座に母親が頭を叩いてしかりつけていた。「そんな野蛮なことをしてはいけません!」と怒鳴り声をあげていたが、その良心をほんの少しでも我々に恵んでいただけませんかね、と皮肉のひとつでも言いたくなった。


 気は滅入っていても空腹は避けられないもので、裏路地にコッソリと開店していた食事処に入った。カウンターの上部に書かれたメニューを見る。


 読めない。旅の合間合間に商会文字は勉強しているつもりなのだが、まだ日常レベルでの読み書きすらできない。


 仕方ないので、店員さんにいちばん上のメニューを指差して、あれを食べさせてくれと頼んだ。メニューの文字の横に小さく描かれている絵から察するに、おそらく肉料理だ。肉が食べられればなんでもいい。


 若い女性店員は入店時に顔をしかめることを隠そうともしなかった。じろじろとこちらを観察している。ただ、この国にしては珍しく、文句や難癖をつけてくることはなかった。少し昼時には遅いからだろうか、店内は客がおらず、居心地がいい。


 根菜たっぷりの肉料理が運ばれてきたとき、ギィと扉が開く音がした。僕は少し顔をしかめてから、振り返った。


 髭もじゃの男が立っていた。


 立つ、と表現するのは曲がりすぎた腰でふらふらと横に揺れながら、部屋の隅の席に腰かけた。髭もじゃの上に、眉が長く伸びていて目元が見えないので、表情がわかりづらい。つぎはぎだらけの汚れた服を身に纏っている。指先まで皺くちゃで、全身が微かに震えていた。この国では小綺麗な格好の人ばかり見てきたので、少し驚いた。


 店員は僕が入店してきたときよりもさらに顔をしかめて、それから僕には見せなかった笑顔を作り出して、男性の元へ歩み寄った。


「いらっしゃいませ、ベンダマさん」


 店員さんが男性に呼びかけた。ベンダマと呼ばれた男は、しわがれた声で「おう」とだけ返事をして、フルフルと手を振った。いつものアレ、的なジェスチャーだろう。店員はすぐに奥に引っ込んだ。


 入れ替わるように、坊主頭の中年の男性が現れた。男は前掛けで手元をぬぐいながら、ベンダマへと近寄っていく。「キャメロンがすまないね」と言いながら、ベンダマの前の席に腰かけた。


 あまりじろじろと眺めていても仕方がないので、目の前の料理に集中する。悪くはない味だが、もう少し酸味がほしい。醤油が恋しいな。


 食べ終わって店から出るとき、部屋の隅の二人の会話が少しだけ聞こえてきた。「いつまでそんな生活を——」と店の男が肩に手を置くのを、ベンダマはふるふると顔を横に振るだけだった。


 

 *



 人通りの少ないほうへ、少ないほうへと歩いていくと、いつしか川辺へとたどり着いた。晴れ続きのせいか、流水域とみられるだたっ広い底部には、あみだくじのように水がわかれては合流を繰り返していて、どうにか流れを止めまいと、その水面を陽光に輝かせていた。川辺にはこの国にしては珍しい、年季の入った木造小屋が二、三立っている。小屋の前には廃材が積み重なっている。もう誰も住んでいないのだろう。


 川原の石を拾い上げる。綺麗な水色の小石がいくつも転がっていた。旅人がつけている青い石と似ているが、輝いてはいない。


 ちょろちょろと流れる川を眺めていると瞼が重くなってきた。ディミトラさんが戻ってくるまで、ここで日向ぼっこでもしていようか。土手の草花に寝転がって目をつぶったときだった。


「こんなところで寝てると風邪ひくぞ」


 しゃがれた声が上から振ってきた。目を開けると、太陽にかぶさるようにして、髭もじゃの男が立っていた。髭もじゃな上に、眉もじゃだ。灰色で長く垂れ下がった眉が吊り上がり、小さな黒い瞳が見えた。柔和なチャウチャウを彷彿とさせる。


 先ほど、食事処でベンダマと呼ばれていた男だった。


「見ない顔だな。外から来たのか?」


 僕が店にいたことは気づいていないようだ。「見ない顔」というのも、差別表現だろうか? それともこれから罵倒を浴びせる助走なだけか? 僕が半身を起こして次の言葉に備えていると、男は曲がった背骨にしたがってふらふらと歩き始めた。


「来いよ、旅人さんには優しくしてやるのが俺の流儀だ」


 歩幅より大きく横に揺れる上体は、えっちらほっちらと前に進んでいく。座ったまま見守っていると、どうやらボロ小屋のほうへと向かっているようだ。


 僕は少しだけ思案してから、重い腰を上げた。



 *



 小屋の中は、外観から想像している通りの、お世辞にも綺麗とはいいがたい様相だった。隙間風が入り込み、四隅には蜘蛛の巣が張っている。地面には申し訳程度に木の板が敷いてあるが、踏みしめるたびに腐った鈍い感触が伝わってきた。


「ちょっと待ってな」と部屋の布の仕切りの奥に姿を消してから、かれこれ十分以上経っている。ガンと鉄製の音が聞こえたり、さあと粉類が流れる音がしているので、飲み物でも作ってくれているのだろう。


 僕は歪んだ丸太椅子に座りながら、何度目かわからない部屋の観察をしていると、壁にかけられたネックレスが目に入った。立ち上がって、その壁のほうへと歩み寄った。


 よれよれの紐の先についているのは、黒い石だった。荒野で見たことがある。あれは、かつて青い光を放っていたものだ。すぐ下に目を移すと、壁に備え付けられた小棚に一枚の絵が飾ってあった。大きな荷物を背負った人物が、山の上に立つ絵。


「俺が描いたんだ」


 振り返ると、ベンダマさんが薄汚れたカップを震えながら丸太机の上に置くところだった。


「今じゃ震えて真っすぐな線すら引けないがな、昔はそれで小銭を稼いでいたんだ」


「……この絵に出てきているのは?」


「俺の友人さ。旅人だった」


 ベンダマさんは椅子に座って腰をさすっている


「旅の途中で立ち寄るたびに俺を訪ねてきてな、『今話したことを、次のときまでに絵を描いておいてくれ』って言うんだ。気のいい奴だった」


 ベンダマさんは昔を懐かしむように絵を眺めてから、僕に向き直った。


「お前さん、この国は美しいと思うか?」


「思いません」


 即答する僕に、ベンダマさんはふがふがと笑った。


「そうだろう。昔はこうじゃなかった。旅人の憩いの場所として、受け入れる体制があった。だが、青い石が輝きを失うにつれて、みなに余裕がなくなってきた。いい国だったからな、旅の終着点としてこの国を選ぶやつも多かったのさ。だが、受け入れにも限界が近づいていた」


 僕はカップを手に取って、椅子に腰かけた。ベンダマさんは俯きながらぼそぼそと言葉を続ける。


「だから、国の政策として、旅人たちに唾を吐くようになったのさ。『こんな国、二度と来てやるか』という考えを持ってもらえるぐらい、旅人たちにはひどいことをするようになった。旅人に不快感を持たせたものには報酬まで出るんだ。あんたも出国時の書類でどんなひどい扱いを受けたか、書かされるはずだ。国民が事前に申告していた旅人への言動と、その旅人の証言が合致した場合、その民は冬を越すのに困らなくて済む。最初はみな戸惑っていたがな、どうせもう二度と会わない相手だ。一年もすればみな慣れちまったよ」


「そこまでするなら、入国禁止にしてしまえばいいのに」


「この国は資源が少ないからな。最低限の交易は必要なのさ」


 カップのなかには紅茶のような薄茶色の飲み物が入っていた。ほのかに甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「……あなたは、どうして僕を招いたんですか?」


「古い友人への——旅人への、せめてもの恩返しさ。もう何年も会っていないから、どこかで野たれ死んだんだろうが……、むしろよかった。今のこの国の有様を見せたくはねぇ……今の俺自身のこの姿もな」


 僕は唇を固く結んだまま、カップに口をつけ、飲んだ振りをしてみせた。「おいしいです」とほほ笑んでみせた。


「そりゃよかった。前に穀茶を人に出したのは一年以上前だったからな」


 ベンダマさんは皺だらけの目元をさらに細めて、家の中を見渡した。


「旅人からの流入組や、旅人と関係の深かった者は、どうしたって今の街には馴染めないんでな。隣のおんぼろに住んでるのは、その昔著名な旅商人だったらしい」


「……そんな話をされても、俺はこの国に同情なんてできませんし、まして好きになんてなれませんよ」


「俺だってそうさ。致し方ないことだとすら思えん。国ももっとやりようだってあったはずだ。この国を出てやろうかとすら思ったこともある。だが、生まれ育った場所からは逃げるには、年を食いすぎた。俺は毎朝青い光に恨み言をいって、日が暮れるまで死ぬまでの時間をやり過ごしてるんだ」


 ベンダマさんは僕に視線を向けて、身を乗り出した。


「なあ、旅人さんよ。外の世界は美しいか?」


 どう、なのだろうか。


 見えている範囲内では、この世界は美しいと思う。でも、ディミトラさんは、穏やかな国を選んで旅をしていると言っていた。ひょっとすると、僕がまだ知らないだけで、本当の世界はもっと残酷で、冷たいものなのかもしれない。なんとなく、そんな予感だけはしている。


 僕は質問には答えずに、カップを机の上に置いて、頭を下げた。


「ごめんなさい、この飲み物は飲めません。先ほども飲んだ振りをしていました」


 ベンダマさんは驚いた様子もなく、じっとこちらを見つめている。


「でも、それはこの街からひどい扱いを受けたからではありません。関係を構築できていない国の飲食物は、同行者の許可なく口に入れてはいけない決まりになっているんです。だから、ごめんなさい」


 ベンダマさんはぐいと自分のカップを口元に傾けてから、ふっと息を漏らした。


「懐かしいな。あいつも似たようなことを言っていた。だからこそ、『俺にもその茶を入れてくれよ』と言ってくれたときはうれしかったもんだ……」


 ベンダマさんは空になった己のカップを見つめながら、独り言ちにつぶやいた。


「ただ、暖かなかがり火でありたかっただけなんだ。俺の小さな工房を訪れて楽しそうに旅の話をする、あいつが立ち寄れるかがり火が——」


 壁にかけられた絵を見つめた後、僕は見切り発車で語り始めた。


「……荒野で死神を見たんです」


「……死神?」


「ここから一つの山脈と三つの川を越えたあたりに広大な荒野があるんですけど、そこでとある噂が立っていたんです。『この場所には死神が出て、旅人たちを襲うんだ』と——」


 ベンダマさんは居直って、聞き漏らすまいと僕を真剣な眼差しで見つめ続ける。


 ベンダマさん、僕にとっては、確かにここはかがり火でしたよ。あなたにとっても、僕がかがり火でありますように。


 そう願いながら、あの日の出来事を、面白おかしく話してみせた。


 


 

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