第十五話 『近衛騎士団長は斯く語りき』
貴族達が立ち上がり、臣下の礼をとるなか、国王陛下が裁判長席へ歩いてくる。
純白のトーガのような長衣をその身に纏う、白髪初老の男性こそが、アズワール王国の最高権力者、フィロス・ホーフェンハイム・アズワール国王陛下、其の人である。
司法部の人間が補佐として進行役を務めるべく、裁判長席の横へ立つ。
進行役は貴族達が席につくのを確認し、開廷を告げた。
「これより、アベール家三男。ハルト・アベールの裁判を始める」
俺の後頭部を鷲掴みにし、床へ押さえつけていた手が、今度は髪を引っ張って無理矢理に上体を起こさせる。
顔をしかめる俺を横目に、進行役は手元の書類を読み上げていく。
そこには、此度の事件の概要が記されているようだ。
「先日、王立アズワール学院の寮内部にて、殺人事件が発生しました。事件現場は、ハルト・アベールが当時利用していた寮の一室です。被害者は、マルティス・クライン。クライン伯爵の次男であり、近衛騎士団所属の騎士であります」
事件の概要を読み上げる進行役に待ったをかけるように、フィロス国王が低くしゃがれた声をあげる。
「ふむ。クライン伯爵家に連なる者か。……そのクライン伯爵の姿が見えぬようだが?」
その声に反応したのは、進行役ではなく、貴族席に座っていたシルド・ドレーン近衛騎士団長であった。
ゆったりと席から立ち上がると、再度臣下の礼をとりつつ、説明を始める。
「国王陛下。クライン伯爵は、別室で控えております」
言いながら、こちらを見下ろす。
その眼差しには、予想に反して、一切の感情も浮かんでいなかった。
「当然のことながら、クライン伯爵はご子息を失った怒りに震えております。それ故、感情のまま言葉を発すれば、裁判に支障をきたす可能性があると判断し、僭越ながら別室で控えるよう命じました。国王陛下がお望みであれば、すぐにでも連れて参ります」
クライン伯爵本人は、近衛騎士に所属しているわけではない。
つまり本来であれば、クライン伯爵へ命令する権利など近衛騎士団長にはないのである。
だが実際、近衛騎士団長はクライン伯爵へ別室待機を命じ、伯爵もまたその命に従っている。
これの意味するところは……。
「ほう。近衛騎士団長の采配であったか。その心遣い見事であるが、やはり伯爵本人の意見を聞かずに裁判を進めるわけにもいかぬ。――クライン伯爵をここへ」
国王の呼びかけに従い、一人の騎士が部屋を出ていく。
その声に、王者としての覇気はなかった。
どこか疲れ果てたように椅子に肘をかける国王は、くたびれた印象を周囲に与える。
国王陛下は、これまで特に目立った功績がない。
それ故、平凡な王として、時に軽んじられることもある。
しかし、この国がかつて戦禍を被ったあと、ここまでアズワール王国を立て直したのも、フィロス国王陛下である。
それ故に、実際に国を動かす上層部からの信頼は厚く、国政から遠い者には、凡庸と評されることが多い。
部屋を出た騎士が、壮年の男を連れて戻ってくる。
身長は高く、また肩幅も広いため、非常に大柄な印象を与える。
その顔に浮かぶのは、悔恨か。
肩を丸め、意気消沈とした様子で、入室してくる。
しかし、その男は俺に気付くと、その表情の色を変える。
「きッ! 貴様がッ! 貴様が俺の息子をッ!」
そう言って、俺に掴みかかると、絞め殺さんとばかりに俺の首をその両手で圧迫する。
両腕を縛られ、まともな抵抗もできないまま押し倒される。
俺の横に立つ騎士も、まったく止めようとせず、冷ややかな目で俺を見下ろしている。
「何をしている。王の御前であるぞ! さっさと止めないか!」
貴族席から叫んだ我が父ユジンの声を聞き、しぶしぶと動き出した騎士が、貴族と俺の間に割って入る。
その両手が首から離れた後、俺は大きく息を吸い込もうとして、されどまともに息ができず、ゴホゴホと何度も咳き込んだ。
「殺してやるッ! 必ず殺してやるッ! 息子の仇!」
叫び暴れるクライン伯爵を一人の騎士が後ろから羽交い絞めにする。
別の騎士が伯爵の前方に立ち、落ち着かせようと両腕を抑える。
ご子息が死んだこと、ましてやそれが殺されたとなれば、その胸中は察するに余りある。
それでも被害者たる俺が、伯爵の怒りを受け止めてやる義理はない。
「……さて、クライン伯爵も参席したことだ。改めて続きを聞こうではないか」
疲労を滲ませながら、王は進行役を促す。
「ハッ……。マルティス・クライン近衛騎士の死亡原因は、胸部を強く打たれたことにより、折れた肋骨が肺を傷つけたことだと推測されます。また、脊椎も損傷しており、その衝撃はかなりのものであったと推測されます」
そこまで読み上げると進行役は、顔をこちらに向ける。
「この件に関しては、街の詰所に勤務する兵士が、寮の管理人から連絡を受けて、寮へ出向いております。当然、兵士たちはそこのハルト・アベールに事情聴取を複数回行っております。ハルト・アベールの供述は一貫しております。マルティス・クライン近衛騎士が窓の外よりハルト・アベールに向かって攻撃魔法を使用。襲撃されたため、これに応戦し、結果として殺害に至ったと」
そこまで述べたうえで、進行役は俺に問いかける。
「ハルト・アベール。この場での嘘や隠し事は、そのまま極刑に繋がると知りなさい。そのうえで改めて問います。これまでの供述は、嘘偽りなく事実であるか?」
俺は進行役を見上げ、胸を張り応える。
「誓って一切の嘘偽りは御座いません」
しかし、そんな俺の態度が気にくわないのか。
その目に怒りを滲ませながら、大きな声でクライン伯爵が叫ぶ。
「嘘じゃ! 奴は嘘をついておる!」
「ほう……。クライン伯爵はこのハルトとやらが嘘をついておると申すか。それはなんらか根拠のある話であろうか?」
伯爵の言葉に反応したのは、フィロス国王であった。
しゃがれた声で、伯爵へ問いながら、俺を胡乱げに見やる。
「陛下! 息子がこの男を襲う理由がありましょうか!? 栄えある近衛騎士に所属している息子が理由なくそのような真似をするなど、あり得ませぬ!」
吠える伯爵に対し、国王は鷹揚に頷いて見せる。
「なるほど、伯爵の言い分は理解できる。さて、ハルト・アベールよ。君は自らが襲われたと主張しているが、襲われた理由は分かっているのかね?」
「いえ、分かりません」
憶測で語るより、事実をはっきりと伝えるべきだと判断した。
恐らく、近衛騎士団長に命令され、暗殺者の真似事をしたのだろうというのは、推測の域を出ない。
確固たる証拠があるわけでもない。
フィロス国王に対して、そのような証拠もない話をすることのほうが、心証が悪くなる気がする。
「ふむ……。つまり、襲われた理由は分からぬが襲われて応戦して殺したと」
「陛下。僭越ながらそれもやはり辻褄が合わぬ気がしますな」
貴族席より、近衛騎士団長たるシルド・ドレーンが意見を述べる。
国王はそちらへ目線を向け、続きを促す。
「例えば、なんらかの理由でマルティス・クライン近衛騎士がハルト・アベールを襲撃したとしましょう。さて、それをただの学生が防ぐことができましょうか?」
そのように言いながら、クライン伯爵へと目を向ける。
まるで、慈しむような声と目つきで、近衛騎士団長は伯爵へと話しかける。
「彼は……。マルティス・クラインは素晴らしい騎士であった。近衛騎士として十分以上の実力を兼ね備え、その志もまた非常に高かったことは間違いありません。彼をこのような事件で失ったこと、近衛騎士団としても非常に心苦しい」
あぁ、なるほど。
職場の身内が俺に殺されたと思ってるから、近衛騎士たちは俺に辛辣なわけだ。
「そして、それほどの実力を持つ者が、夜分に急襲をしかけたにも関わらず、それを一学生が退けるなぞ不可能。近衛騎士とは、それほど甘い存在ではない」
こちらを一瞥し、そして唇をにやりと吊り上げる。
呼応するかのように、隣に座る三日月公爵たるカストロ・ドレーンの唇も吊り上がる。
「陛下、それよりもっと簡単に推測できる事件のあらましがあります」
その言葉を受けたフィロス国王は、シルド・ドレーンを見やりながら頷く。
「ほう。是非聞きたいな」
我が意を得たりと、近衛騎士団長が語りだす。
「ハルト・アベールが自ら認めるように、マルティス近衛騎士を殺したことに間違いはないでしょう。しかし、彼の語るように、近衛騎士の急襲を一学生が退けのは不可能です。もっと言えば、近衛騎士が面と向かって戦えば、学生に付け入る隙などあるはずがない」
まるで、自分の意見こそが真実であるかのように。
演劇のように身振り手振りしながら、熱く、歌い上げるかのように語る。
「考えられるのは、彼の意見の真逆。つまり、マルティス近衛騎士の不意をついたのが、ハルト・アベールだということではないでしょうか? なんらかの理由をつけてマルティス近衛騎士を呼び出し、そして不意をついて、もしくは薬や魔法で動けなくして、殺害したのではないですかな?」
その言葉を聞いて、俺は自ら首を差し出すように、頭を床へつける。
俺の様子を見ているのだろう。
喜色に溢れた声で、シルド・ドレーンは俺に問いかける。
「違うかい? 違うのであれば、しっかりと理由をつけて反論したまえ。あぁ! もちろん、嘘はなしだぞ。ハルト・アベールよ」
誰にも表情が見えぬように、地べたに這いつくばった状態で。
俺は、口の端が吊り上がるのを止められなかった。
明日は第十六話投稿予定です。
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