第九話 『宰相ベルガル・ソラーシュ』
アズワール王国宰相ベルガル・ソラーシュが口火を切り、始まった俺の就職活動。
とはいえ、俺や同席する保護者――ユジン・アベールには口を挟む権利などない。
ただ、決まったことに粛々と従うのみである。
この会議の場において、実際に議論を行う権利があるのは三名。
近衛騎士団長たるドレーン公爵の弟、シルド・ドレーン。
宰相であり現ソラーシュ公爵家の当主、ベルガル・ソラーシュ。
軍総司令官であり、本日は司会進行役として参席したミーファ家次期当主の弟、トマス・ミーファ。
まさに錚々たる顔ぶれである。
「でっ……! ではっ! ハルト・アベール! まっ! ま……まずはこの場の説明を行う!」
震えた声で始まった軍司令官の話は、先ほど馬車の中でシルド・ドレーンから聞いた話とほぼ同じであった。
軍は既に辞退したこと。
アベール家からの人数を考えた場合、行政府に入るべきだという宰相の意見。
優れた武力を活かすために、行政府でなく近衛騎士団こそ相応しいという近衛騎士団長の意見。
――違ったのは、近衛騎士団に入らないと家族がどうなっても知らないぞという脅しの有無だけだ。
「そっ……! そこでっ! ハルト・アベール君っ! きっ……! 君のっ! 君の意見が聞こうという! はっ……! 話にっ! 話になったのだ!」
本来であれば、軍司令官たるトマス・ミーファがどちらかの意見に賛同すれば、多数決で決まる話である。
なるほど。
緊張で声が震えている若き軍司令官殿はつまりこう言いたいわけだ。
この二人に敵対する立場を取りたくないので、泥は自分で被ってください……と。
「……閣下。二点ほど質問をお許し頂けますか?」
こんな場に長居したくないのだろう。
しきりに貧乏揺すりをしながら俺の返答を待っていた軍司令官殿は、自らの臨む返答ではなかったからか、不満げな様子で頷く。
「ありがとうございます。一点目ですが、私がどちらかに入る意思を示した場合、この場で就職先が決定すると考えてよろしいのでしょうか?」
ここで勇気を出して意見を言っても、後からちゃぶ台を返されたらたまったもんじゃないからね。
一生を針のむしろで生活する勇気は俺にはないぞ。
「もっ……! もっ……もちろん! そっ……! その点はっ……! こっ…この場に集ったお歴々にも。 しょ……承諾を得ているから」
言いながらも、伺うように両側の席に座る二人に目を向ける。
その怯えた目線に応えるように、双方とも無言で首肯する。
「かしこまりました。では、二点目。私は現在学生の身分であり、私の進退については、父たるユジン・アベールに決定権があります。なぜ私の意見を確認されるのでしょうか?」
こんな何の後ろ盾もない哀れな子羊に意見を求められても正直困るんすよね。
二つ目の質問に対し、軍総司令官トマス・ミーファは返答せず、自らの背後に立つ俺の保護者へ目線を向けた。
「――ハルトをどこへ入れるか、私に問い合わせがあったので、ハルトの意見を聞いてやってほしいとお願いしたんだ」
まさかの展開である。
正直、王宮内部の力関係とか分からないから、決めてもらえた方が助かるんだけどなぁ。
そんな思いが表情に出ていたらしい。
「心配しなくて良いよ。何があっても、私はハルトの味方だから」
貧乏ゆすりをしながら困惑した顔であちらこちらへ目を向ける軍総司令官。
なんら感情を読み取ることのできぬ茫洋とした表情で座る宰相。
ニヤ二ヤと口の端を吊り上げる近衛騎士団。
圧倒的高位の爵位、立場の人間がそれぞれの思惑を抱えて集まるこの席で、それでも我が父親は俺を見て微笑んでくれていた。
「……分かりました」
その言葉、表情に込められた想いに応えないわけにはいかない。
家族が、自分の立場を顧みず、家族というだけでここまで言わせてしまったんだから。
次は――俺が根性見せる場面だ。
「――可能であるならば、行政府で働きたく思います」
その余裕綽々な面構えに叩き込むように、胸と声を張って答える。
俺の態度に、ニヤケ顔を引っ込め、剣呑な気配を漂わせる近衛騎士団長。
「ほう……。近衛騎士団に入れば、実の兄と一緒に働くことができる。お互いにお互いの安全を守りあうこともできるだろうに、行政府に入ると申すか」
その気配にヒッと声をあげたのは、軍総司令官たるトマス・ミーファだった。
馬車の中で立ち込めた気配より、さらに濃密な殺気が会議室を包む。
「近衛騎士団に所属する兄が私を守るようなことはありません。兄は、国と王族の方々を優先できる人材ですから」
だが、怯むことはない。
父親がいるからじゃあない。
父親の言葉がこの胸にあるからだ。
「なるほど。麗しきは兄弟愛、といったところか。とはいっても一緒に働けるかもしれないと期待していた兄のことをもう少し思いやってもいいのではないか?」
射殺さんばかりにこちらを睨みつける。
だが、それがどうした。
たとえ軍総司令官が怯もうが、俺は前世から筋金入りの怖いもの知らずなんだよ。
口を開こうとしたとき、シルド・ドレーンの向かいの席から声がした。
「おやおや。それは、兄君の気持ちを思いやればいいのかのう?」
宰相ベルガル・ソラーシュ。
建前だと全員が認識している部分に、敢えて言及する。
国の中枢を握り、魑魅魍魎が跋扈する王宮において長年その席を保持する老人の意図が掴めない。
「……それ以外に何かありますか?」
それは近衛騎士団長たるシルド・ドレーンも同じだったらしく。
幾ばくか鼻白んだ顔を宰相へ向けて答える。
「そうじゃな。例えば兄君の命を思いやれと受け取るやもしれんですぞ」
近衛騎士団長の建前ではなく、本音の部分に言及する宰相ベルガル。
こんなもの、否定されれば追い込むこともできないだろうに。
敢えて、触れる理由はなんだ?
「そのようなことあるわけが……。」
案の定、否定する近衛騎士団長。
理論武装は完璧であるとばかりに否定しようとする言葉を遮り。
「――ないと言い切れるか?」
老人とは思えぬ気迫を放つ。
まるでそれは、軍人の、騎士のそれと同じかそれ以上の密度で周囲を圧する。
「世の中には会議が始まる前に、馬車の中で脅迫紛いの行為に及ぶ者もおるみたいじゃからな。へたに勘繰られぬよう気を付けるべきじゃな」
なぜそれを……。
まさか、御者か?
「そのような輩と誤解されるのは業腹だな」
しかし、馬車の中でも決定的な言葉は口に出していない。
追い込むには弱い材料だ。
だがまぁ、逃げ道が残されていれば近衛騎士団長も引きやすいか……。
そんな俺の考えを嘲笑うかのようにして、宰相が見せるのは煽り。
「ならば身を慎むべきじゃ。そもそも、ハルト・アベールの意見を聞く段階で、近衛騎士団に入るわけがなかろう」
食いつきたくなるような釣り針を垂らす煽り上手の宰相。
垂らされた釣り針はノータイムでシルド・ドレーンが齧りつく。
「貴様! たとえ宰相と言えど、近衛騎士団を愚弄するなら許さん!」
椅子を跳ね飛ばし、立ち上がって唾を撒き散らしながら吼える。
そんな近衛騎士団長の目を見ながら、ニヤニヤと今度は宰相が笑う。
「儂が愚弄してるのは、近衛騎士団ではない。貴様の甥じゃ」
こんな場でも名前が出てくるとか三日月公爵有名人なんだな。
「甥……、カストロがなんだと言うのだ!」
身内を出されて、一瞬躊躇いを見せるも、引かずに叫ぶシルド・ドレーン。
その様を見ながら、宰相ベルガル・ソラーシュは、まるで覚えの悪い学生に諭すかのようにかみ砕いた説明を始める。
「そのカストロが、王立学院でハルト・アベールに難癖をつけては暴れておるのを知らんのか? あまつさえ今日は首に剣を突き付けたようじゃな」
馬車に乗る前のことまで、なんでこんなタイムリーに知ってるのこの爺さん。
御者は馬車に近衛騎士団長がいたなら、勝手に離れることはできなかったはず。
御者以外に、学院にも耳目となる者がいるのか。
「な…ッ! そんな話聞いたことなぞ…ッ!」
慄く近衛騎士団長に対し。
「なら本人に確認すると良い。就職先の決まらぬ役立たずだと吹聴しておるのだから、本人以外に学院で確認しても分かるだろうがね」
宰相は表情から感情を消し、冷たく言い放った。
明日は第十話を投稿予定です。
いつもブックマークや評価を頂き、本当にありがとうございます。