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第四十四回 鎖国か開国か

シーボルト「私は、あくまで日本と交友関係を築きたいと考えています。我々の目的は、医学を通して若者の育成をすることです。そのためには、まずは国を開かなければならない。」(英語)

     「我々は、この国と戦争をするつもりはない。あくまで、我が国の素晴らしさを伝えることが私に託された真の目的です。」(〃)

昌高「父上は、幼き頃からわたくしに異国の学問を学ばせてくれました。もし、父上がいなければ、わたくしはこれ程までに異国を愛しておらなかったでしょう。」

斉宣「はい。打払令は、間違った選択だったと思います。もっと他に、道はあったと思います。」

茂姫「他の道・・・。」

斉宣「異国船を無闇に打ち払うより、異国と渡り合えるよう、技術などを取り入れるなどすれば、よかったのではないかと・・・。そうでもしない限り、この国はずっと立ち止まったままにございます。」

茂姫「斉宣殿も、きっとわかっておいでなのであろう。」

浄岸院(弟との再会を経て、茂姫の心は前へ動き出そうとしておりました。)



第四十四回 鎖国か開国か


一八二六(文政九)年四月。

浄岸院(シーボルトとの対面から、一月余りが過ぎておりました。)

薩摩藩邸に、また昌高が来ていた。斉宣が、

「隠居を?」

と聞くと、昌高が言った。

「はい。次男の昌暢まさのぶに、家督を継がせようと思います。」

「しかし、何故また急に。」

斉宣が聞くと、昌高はこう答えた。

「シーボルトと、会いやすくするためです。」

「シーボルトに?」

「はい。藩主のままだと、何かと面倒なことになり兼ねないので、これからは、他藩の目を気にすることなく、いつでも会えると思います。」

それを聞いた斉宣は、

「今度は、わたくしも会ってみたいものじゃ。」

そう言うので昌高が、

「勿論にございます、兄上。二人で、会いましょう。」

と言うと、二人は笑い合っていた。

江戸城では、茂姫は家慶の所に行っていた。

「どうですか?たきは。」

茂姫が聞くと、家慶はこう答えた。

「はい。母上のお心遣い、嬉しく思います。」

すると茂姫も、

「男ばかりだと、何かと不便でございましょう。これからは、自由にお使い下さい。」

と言うと家慶も笑顔で、

「はい!」

と答えた。茂姫は、

「時に、喬子様の御様子は?」

そう聞くと家慶は、

「別に、変わりありませぬが。」

と言った。それを聞いて茂姫は、

「そうですか・・・。」

と言うので家慶が、

「どうか、されましたか?」

そう聞いた。すると茂姫は首を横に振り、

「いえ。何でもありませぬ。」

と、答えた。それを、家慶も不思議そうに見ていた。すると茂姫は、

「時に、お父上とは何か話されましたか?」

そう聞くと、家慶は言った。

「いくら話しても、無駄だと思いまして。」

それを聞いた茂姫は、

「それは・・・。」

と言っていると、家慶はこう言うのだった。

「父上は、身勝手なのではないでしょうか。」

「身勝手?」

茂姫が聞くと、家慶は言った。

「人には厳しくし、自分の弱みは隠そうとする。父上は、そのような方です。わたくしは、父上ような身勝手な者にはなりたくありません。」

それを聞いていた茂姫は、

「それが・・・、今のあなたのお気持ちなのですね。」

と言うと家慶が、

「はい。」

そう答えた。茂姫も、それをずっと見つめていたのであった。

その後、茂姫は家斉の所にも行った。

「このままでは、若様はずっと上様に心を閉ざしたままにございます。」

茂姫が言うと、家斉はこう言った。

「わしの気持ちは変わらぬ。あやつがまだ子供故、譲る気はない。」

それを聞いて茂姫は少しばかり呆れたように、

「されど、いつまでもそのようなことを言っておられませぬ。若様は、もう十分なお年にございます故。」

と言うので家斉が、

「年のぉ・・・。」

そう呟いていると、茂姫はこう言った。

「そうでございます。またお父上様に、ご相談してみては?」

それを聞いた家斉は、

「父上は、そのような話には無関心じゃ。」

と言うので、茂姫は少々落胆したような表情をした。

「あやつが自ら心を開いてくれるまで、待つしかない。」

家斉が言うので茂姫は、

「しかしそれでは上様、死ぬまで将軍の座に居座ることになるのでは?」

と言うと、家斉は茂姫の方を見た。気付いた茂姫は、

「あ、いや・・・。」

そう言っていると、家斉はこう言った。

「そうであれば、それでよい。」

そしてまた、庭を見つめていた。茂姫も、その様子を見つめ続けていたのだった。

浄岸院(その後、シーボルトが再び江戸に随行。道中には、日本の自然の研究に明け暮れたのでございます。)

シーボルトは、洋間ではまた日本人二人と対面していた。それは、幕府の普請役・最上もがみ徳内とくないと天文学者・高橋たかはし作左衛門さくざえもんであった。三人は、仲良く談笑していた。

浄岸院(そして、更に・・・。)

家斉の所に、老中・松平まつだいら乗寛のりひろが来ていた。

「シーボルトやらが、公方様にも、会見を求めてきております!」

それを聞いた家斉が、

「何じゃと?」

と聞いた。大久保も、不安そうに乗寛を見つめた。乗寛は続けて、

「初めは追い返そうとも考えましたが、あちらも頑固に是非会わせろと言って聞かぬのです!」

そう言うので、家斉はこう呟いた。

「御台の言うた通りになってきたな・・・。」

それを聞いて乗寛が、

「あの、何か?」

と聞くと、家斉は言った。

「その、シーボルトという男に返答は必ずする、暫し待てと伝えよ。」

それを聞いた二人は手をつき、

「ははぁっ!」

と言い、頭を下げていた。家斉はその後、薄く笑っていた。

それは、茂姫の耳にも入っていた。茂姫が、

「上様に、会見じゃと?」

と聞くと、花園はこう答えた。

「親交を深めるために、公方様に会いたいと言ってきているようにございます。」

それを聞いた茂姫は嬉しそうに、

「そうか。上様であれば、きっと会うと仰せになるであろうな。」

そう言うのを、ひさも笑顔で聞いていた。

その夜、茂姫は家斉と会った。

「どうするのですか、会見は。」

茂姫はそう聞くと家斉が、

「そうじゃのぉ・・・。」

と言っているのを聞いて茂姫は、

「まさか、迷っておられるのですか?」

そう聞いた。すると家斉は、

「あぁ。よく考えてみれば、相手は見たこともない、異人であるぞ?」

と言うので茂姫が、

「だからよいのではありませぬか。見たこともないものだからこそ、会う価値があるのです。」

そう言った。それを聞いて家斉は、

「そういうものかのぉ。」

と言っていると茂姫は、言った。

「上様。」

「何じゃ。」

家斉が聞くと、茂姫はこう言った。

「これは、またとない機会とお心得下さい。これを逃せば、もうこのような機会は二度とないかもしれませぬ。それ故、お会いになるべきだと、わたくしは思います。」

それを聞いて家斉は笑い、

「そうじゃな。やはり、そなたは弟と似ておる。」

と言うのを聞き、茂姫も笑った。それから、二人は月を眺めていたのであった。

その話は、薩摩藩邸にも及んでいた。

「公方様に・・・?」

斉宣が怪訝そうに聞いた。すると知らせた広郷が、

「会見は、間もなく執り行われるとのこと。」

と答えるので斉宣は、

「幕府は、認めておるのか?」

そう聞くと、広郷は言った。

「はぁ。されどこれで異国との関係がよくなるとも思えませぬ。とりあえずは打払令をなくさねば、溝は深まる一方にございます。」

それを聞いた斉宣は、

「そうか・・・。」

と呟き、あとは黙っていた。

浄岸院(そして、会見当日。)

茂姫は、仏壇の前で祈っていた。すると部屋に家慶が入ってきて、

「母上・・・。」

と声をかけた。すると茂姫は振り返り、穏やかな表情で聞いた。

「あなたは・・・、異人と会ってみたいと思うたことはありますか?」

それを聞いて家慶は、

「いや、それは・・・。」

と言うので、茂姫はこう言った。

「わたくしの父は、昔から他国の文化に興味を持ち、その文化に触れることが夢にございました。それが最近になって、ようやく叶ったのでございます。長年の夢が叶うというのは、例えようもなく嬉しいものだと思います。」

家慶はそれを聞き、

「はぁ・・・。」

と言って見ていると、茂姫は続けた。

「わたくしも、誰かの役に立ちたい。そして、人の喜ぶ顔が見たい。それが、わたくしの今の夢にございます。」

「母上・・・。」

茂姫は家慶の方を見ると、

「あなたも、夢があるのなら、それが叶うように祈って下さいませ。そうすれば、見える世界も広がっていくと思います。」

と言うのを聞いて家慶は、

「はい。」

そう笑顔で答えた。茂姫は、その後も仏壇に手を合わせていたのだった。それを、家慶も立って見ていた。

その頃、扉が開くと、そこにシーボルトが立っていた。部屋の中の上座には、畳が何枚も積まれていて、その上に置かれた椅子に家斉は座っていた。シーボルトは部屋の中央まで歩いていき、英語で話し始めたのだった。

茂姫はその夜、家斉に話を聞いた。

「どうでございましたか、シーボルトは。」

茂姫がそう聞くと家斉は、

「そうじゃのぉ。わしは、生まれて初めて異人を見た。」

と言った。それを聞くと茂姫は呆れ顔で、

「左様なことは存じております。」

そう言うと、家斉は言った。

「わしは一つだけ、考えたことがある。」

それを聞いた茂姫は、

「何ですか?」

と聞くと、家斉はこう答えるのだった。

「異国なしでは、この国の発展は望めぬということじゃ。」

「えっ?」

「国を閉じたままで大きくなろうとしても、無理じゃ。異国の力を借りぬ限りは、ずっとこのような時代が続くであろう。」

家斉の話を聞いて茂姫は、

「まことに、そう思うのですか?」

と聞くと、家斉が言った。

「あぁ。考えてみれば、誰も一人では生きていけぬであろう。他の者に助けられて、人は生きてゆけるのじゃ。それと同じで、異国から多くの文化を取り入れることで、新しい国へと生まれ変わることができるのじゃ。」

それを聞いた茂姫は少し嬉しそうに、

「上様が、そのようにお考えであられたとは・・・。」

と言うと家斉が足を組み替え、

「これは、わしの考えじゃ。老中達がどう出るかは、わからぬ故の。」

そう言うので茂姫は、

「しかし、上様の考えとあらば、この国の行く末を左右できるかもしれませぬ。」

と言った。すると家斉は、

「無理であろう。」

そう言うので、茂姫は黙った。家斉は続けて、

「老中や幕府の役人たちは、皆異国を嫌っておる。将軍であるわしが何を言おうと、あの者達の威圧には敵わぬ。あの、例の打ち払いの時もそうであった。」

と言うので茂姫は、

「上様・・・。」

と、家斉を見つめながら呟いていた。

翌日、茂姫は縁側に座っていた。元気がない茂姫を見てひさが、

「御台様?」

と、声をかけた。すると茂姫は、

「この国が生まれ変わる日は、そう遠くないのかもしれぬ。」

そう言った。それを聞き、ひさは茂姫を見つめた。茂姫続けて、

「そう思いたいのは、わたくしだけでないはず。されど、多数の意見には逆らえぬ。わたくしは、どうすることもできぬ自分が情けなくてならぬのじゃ。人は周りの勢いに流されやすいというが、それ故、わかっているのに間違った道へと歩き出してしまう。わたくしは、それが何よりも悔しい。」

そう言うのを、ひさも黙って聞いていた。茂姫はその後も、黙って庭を見つめていたのだった。

その頃、美代の部屋に清茂が来ていた。清茂が、

「溶の婚礼の日が来年に決まった。」

と言うと美代は、

「まことですか?」

そう聞くと、清茂は言った。

「それ故、それまでは二人の子の面倒を見ねばならぬが、今まで通り、やっておればよい。」

それを聞いていた美代は、浮かない表情をしていた。それを見て清茂が、

「何にせよ、公方様が認めて下さったのじゃ。それに、誰にも言わぬと仰せ下さったのであろう。」

と言うと美代は、

「わたくしは、もう嫌にございます。父上様達と、幕府との板挟みになるのは。」

そう言った。それを聞いた清茂は、

「お美代・・・。」

と呟くと、美代は頭を下げて部屋を出て行った。その様子を、偶然通りかかったお万が見た。部屋に残された清茂は、心配そうな顔をしていたのだった。

浄岸院(その年の暮れに差し掛かった頃・・・。)

一橋邸に、重豪が足を運んでいた。重豪と治済は、昼間から酒を飲み交わしていた。治済が、

「家斉が将軍職を継いでから、はや四十年になりますかなぁ。」

と言うと重豪も、

「シーボルトとも、お会いになられたと聞きました。」

そう言うと治済が、こう言った。

「あやつは昔から、異国に憧れておりました故。」

すると重豪は驚いたように、

「それは・・・。」

と言っていた。治済は、

「どこからか蘭学書を探してきては、隠れて読んでおりました。」

そう言うので重豪は笑い、

「そうでございましたか。」

と言うと治済も笑い、

「でもまぁ、いつも母上に取り上げられておりましたが。武家の跡取りが、異国などに染まるでないと。」

そう言った。重豪は、

「公方様も、本当は異国がお好きだったのでございますな。」

と言うと治済が、

「島津殿も、お子達に蘭学書を読ませていたのは、今となってはわかる気が致します。」

そう言うと酒を飲み干し、立ち上がった。治済は部屋の縁側の前に立つと、

「わしは近頃になり、あの者が幼かった頃の夢ばかり見ます。懐かしさに目を細めていたら、あやつが笑ってくれるのです。それが、どれ程愛おしいか・・・。」

と言うので重豪は、

「そうでございましたか・・・。」

そう言っていると、治済が振り返ってこう言った。

「もう年故、そのような夢を見るのかもしれませぬ。」

それを聞いて重豪も、

「わたくしも、この年になって、また姫に会いたいと思うようになりましてな。」

と言うと治済はまた座り、

「姫様は、強きお方でございましたからなー。」

そう言った直後、治済は脇腹に痛みを感じたのか、痛そうに抑え始めた。それを見た重豪が、

「如何されましたか?」

と聞くと治済は、

「いえ・・・。」

と答えると、その場に倒れこんだ。それを見た重豪は駆け寄ると、

「一橋様!誰ぞ、誰ぞおらぬか!」

そう叫ぶと、家臣が数人駆け込んできたのだった。

そのことを聞いた茂姫は驚いたように、

「父上様が、ご病気?」

と聞くと、家斉は言った。

「思えば、いつ倒れてもおかしくない年まできておったからな。」

それを聞くと茂姫は、

「何か・・・、して差し上げられないものでしょうか。」

と言うと家斉は、

「あって当たり前だと思っていたものが、突然なくなる。それ故、目をそらすのかもしれぬ。」

そう言うのだった。茂姫は、

「わたくしも母を亡くした時に、思いました。いつか父も逝ってしまうのだと。それ故、怖くなりました。されど、現実からは逃げられぬ、そう思って今まで生きて参りました。上様も、そのお覚悟はおありだと存じます。」

と言うと家斉も、

「覚悟・・・。」

そう呟いていたのだった。

薩摩藩邸では斉宣も文を読みながら、

「一橋様が・・・?」

と呟いていた。

斉宣は急いで一橋邸に行き、部屋に入るとそこには病床に伏している治済と重豪がいた。治済がそれを見て嬉しそうに、

「おぉ・・・、重豪殿だけではなく、息子の斉宣殿まで来られたか。」

そう言った。斉宣は、重豪の隣に座った。重豪が治済に、

「お加減は?」

と聞くと、治済はこう言った。

「今は大丈夫です。何分、年を取っては体が弱るばかり故。」

すると家臣が一人部屋の前に来て、こう言った。

「申し上げます。江戸城から、見舞いの品々が届いております。」

「何?」

重豪は言うと、家臣はこう言った。

「公方様より、直々のお届け物だそうにございます。」

それを聞いた治済は、

「ほぉ・・・、あやつがのぉ・・・。」

と、天井を見ながら呟いた。治済は続け、

「あやつは、わしの自慢の息子じゃ。」

そう言った。重豪もそれを聞いて微笑し、

「ほんに、そうでございますな。」

と言うのを、横で斉宣も見ていた。治済は、その後もずっと天井を眺めていた。

その後、重豪と斉宣は別室に戻っていた。重豪は、

「何ゆえ来たのじゃ?」

と聞くと、斉宣はこう言った。

「一橋様は、島津家にとって最も関わりのあるお方にございます。それに、姉上の義理のお父上様でもあります・・・。」

それを聞いて重豪は、

「うむ・・・。」

と言って俯くと、斉宣はこう言った。

「一つ、心配なのは公方様のことです。心の内では、とても怯えておいででしょう。もしも、このまま二度と会えなくなってしまうのではないかと・・・。」

それを聞いた重豪も、こう言った。

「人というのは、突然いなくなる生き物なのかもしれぬ。親も同様。いることが当たり前だと思っていても、ある日突然いなくなるものじゃ。斉興の子、斉彬も、二年程前に母親を亡くしておる。」

すると斉宣は、

「人は、皆そうだと思います。父上も・・・、わたくしも。」

そう言うのを、重豪も見つめていたのだった。

浄岸院(そして間もなく、年が明けて・・・。)

雷が鳴り響く城内で、茂姫は花園を呼び出した。

「花園・・・、上さまのご様子は。」

茂姫が聞くと花園が、

「はい。毎日、手を合わせておられます。」

と、答えた。それを聞いて茂姫も、

「そうか・・・。わたくしも、祈らねばな。」

そう言うと、花園も頷いた。

その後、茂姫は仏間で一人、手を合わせていたのだった。

そして一橋邸でも、斉宣が縁側に座って祈っていた。すると、辺りに雷が落ちたのか、雷鳴が轟いた。斉宣は目を開けると、一人の家来が来てこう言った。

「大変にございます、一橋様が。」

斉宣はそれを聞き、驚いて振り向いた。

斉宣が部屋に駆け込むと、治済の横に重豪が付いていた。

「一橋様・・・。」

斉宣はそう呟くと、重豪の隣に座った。治済は、ゆっくりと目を開けて二人を見た。

「おぉ・・・、お二方、申し訳ない・・・。」

治済は、そう言った。治済が起き上がろうとするので重豪は、

「どうか、無理をなさらずに。」

と言うので、治済は再び横になった。

「すまぬな・・・。まさかこのような形で、逝くことになるなど、思うてもおらぬかった・・・。」

それを聞いた斉宣が、

「一橋様・・・!」

と言うと、治済が斉宣の方を見て言った。

「斉宣殿・・・。そなたの父は、そなたを許したいと思うておられる。」

それを聞いて斉宣が少し驚いたような表情をすると、重豪も斉宣の方を見た。意識が朦朧としてきている治済は続け、

「だから、そなたも父上を許してやってくれ・・・。互いに心の底を見せ合って、解り合うのじゃ・・・。わしは、そのことだけを願うておる。」

そう言うので斉宣は、

「・・・、はい・・・。」

と言った。治済は重豪の方を見ると、

「人は、いつまでも生きてはおられぬ。許し合えぬまま、死に別れることもあり得る・・・。それ故、どうか頼む・・・。これは、わしから最後のお願いじゃ・・・。」

そう言うのを聞いた重豪も涙ぐみながら、

「わかっております。どうか、ご心配なく。」

と言うのを聞いた治済は嬉しそうに笑い、

「それはよかった・・・。姫君に、もう一度会えるとよろしゅうございますな・・・。その時には家斉にも・・・、よろしくお願い致す・・・。お富に、会うのが楽しみじゃ・・・。」

そう言い終えると、治済は力尽き、目を閉じた。すると重豪は、治済の手を強く握った。斉宣も、涙を堪えながらその様子を見つめていたのだった。一八二七(文政一〇)年二月二〇日のことであった。

浄岸院(文政一〇年二月二〇日、一一代将軍・徳川家斉公の父、一橋徳川家二代当主・治済様死去。その知らせは、瞬く間に江戸を越えて全国に広まったのでございます。)

知らせを聞いた茂姫は驚いたように、

「父上様が?」

と聞くと花園も、

「はい。先程、一橋家より知らせが。」

そう答えるので、茂姫は立ち上がった。そして、部屋を出て行った。ひさや他の女中も、後に続いた。

茂姫はある部屋に入ると、家斉が縁側に立って夕日を眺めている。

「上様・・・。」

茂姫はそう言って、家斉の後ろに座った。家斉は、ゆっくり振り向いた。そして、とても穏やかな表情を見せた。そして家斉は、

「覚悟はしておったが、まさかここまで応えるとはな。」

と言うと、茂姫はこう言った。

「大切なお方が亡くなるということほど、悲しいことはございません。」

そして、家斉はその場に座った。

「でも、父上を最後に看取ったのが、そなたの父と弟でよかった。」

「えっ?」

家斉の発言に、茂姫は驚いた。家斉は茂姫の方を向き、

「これもまた、定められし天命なのかもしれぬな。」

そう言うのを聞いた茂姫も微笑み、

「はい。」

と答えた。家斉は、

「父上はここ暫く、誰も使わさずにわしに様子を知らせてくれなんだ。されど今思えば、それも父上の生き方であったのかもしれぬ。」

そう言うので茂姫は、

「それはきっと、上様に心配するなとの父上様自らのお気持ちだったのでしょう。父上様は、上様を信頼しておられました故に。」

と言うので家斉は笑い、

「そうかもしれぬな。」

そう言い、ただ夕焼けを見上げていた。それを、茂姫も愛おしそうに見ていたのだった。

そして薩摩藩邸でも、重豪が部屋の縁側に座っていた。すると斉宣が来て、

「父上・・・。」

と声をかけると、重豪はゆっくり振り向き、斉宣を見た。斉宣は父の隣に座ると、重豪が言った。

「また、そちと話がしたいと思っておっての。」

「はい。」

「怒っておるのか?」

「えっ?」

重豪がそう言うので、斉宣は聞き返した。重豪は続けて、

「わしはそなたの話も聞かず、藩主の座から下ろし、斉興に後を継がせた。」

そう言うので、斉宣は言った。

「いえ。ただ父上があの時、わたくしを許していたら、わたくしはまた、同じ道を進んでいたかもしれません。父上は、わたくしに自分を見つめ直す機会を下さいました。それに、それからも父上はわたくしのために色々として下さいました。謝らねばならないのは、わたくしの方にございます。あの時、何故あの者達の言うことを聞いてしまったのだろうと、何度も己を恥じました。父上を藩政から引きずり降ろそうとしたこと、まことに軽忽な考えでした。申し訳ございません。」

すると重豪も、

「わしも、あの時考えてな。」

と言うと斉宣は顔を上げ、重豪を見た。重豪は、

「わしは、そなたを幼き頃から育ててきた。にも関わらず、そなたを一人にしてしもうたのじゃ。すまなかったな。」

そう言うので斉宣が、

「父上・・・。」

と、呟いた。重豪も斉宣の方を見て、微笑んだ。重豪は、

「許してくれとは言わぬ。されどこれが、わしの今の気持ちじゃ。」

そう言うので斉宣が、

「とんでもないことです。寧ろ、嬉しゅうございます。父上から、そのようなお言葉を聞けるなど・・・。」

と、涙ながらに言った。重豪も、斉宣の方に手を置いた。斉宣はそれで感極まったのか、伏せて泣き始めたのだった。それを、重豪はその体勢のまま、見つめていた。

浄岸院(そして、その年の一一月。)

家斉の前には、美代と溶姫が来ていた。家斉が、

「そなたはこれから、加賀藩の前田斉泰に嫁ぐことになる。そなたの役目はただ一つ、夫を支え、跡継ぎを儲ける。夫の手足となって、藩の繁栄に力を尽くすのじゃ。」

そう言うと溶姫も、

「はい。」

と、答えた。その様子を、家斉の隣で茂姫も見ていた。

その後、部屋に帰ると茂姫は家斉に聞いた。

「宜しいのですか?溶は、お美代の産んだ子。また、上様の側近と繋がって新たな子を徳川家のお世継ぎに仕立て上げようとしてきたら・・・。」

それを聞いた家斉は、

「今は問題ない。そろそろ、嫁に出そうと考えておったのじゃ。」

と言って座ると茂姫も、

「しかし・・・!」

そう言いながら座った。すると家斉は、

「あやつも、反省しておろう。あと注意せねばならぬが、あやつの父じゃ。」

と言うのを、茂姫は心配そうに見ていた。

その頃、清茂と日啓が話していた。日啓は、

「いよいよ、婚礼にございますか・・・。」

そう言うと、清茂も言った。

「何とか、ここまでこぎつくことができました。あとは、二人の間に男子が授かることを祈るのみ。」

「はぁ・・・。」

日啓もそう言っていると清茂は、

「それに、今後のことはお美代の働きにもかかっております。」

そう言うので、日啓は嫌な予感を感じていたのだった。

城では、家慶が喬子を呼んでいた。

「母上からじゃ。」

家慶は、喬子にあるものを渡した。

「御台さんから?」

喬子はそう言い、それを見た。それは、手作りされた御守であった。家慶は、

「母上は、これが最後の気遣いだと仰せであった。母上も、それで今まで、どんなことがあっても乗り越えてきたそうじゃ。そなたにも、強き心を、持っていて欲しいと。」

そう言った。喬子はそれを見つめ、

「わたくしに・・・、これを・・・。」

と、呟いていたのだった。

その後、喬子は縁側に座り、御守を見つめながら暫く考えていたのだった。

茂姫は縁側で、母からもらった御守を握りしめていた。

『これを、私と思いなされ。』

お登勢は、そう言ってあの時、茂姫に渡してくれた。茂姫がそのような遠い記憶を思い起こしていると、足音が聞こえてきた。茂姫はふと横を見ると、喬子が立っていた。

「喬子様・・・?」

茂姫はそう言うと、喬子は茂姫の前に座った。喬子は、

「お礼と、お詫びに参りました。」

そう言うので茂姫は、

「お詫び?」

と聞くと、喬子はこう言った。

「わたくしは、自分の子を亡くした無念さから、人を避けるようになっておりました。家慶さんは、そないなわたくしを、暗やみから連れ出してくれはったんです。」

それを聞いた茂姫は、

「そうでございましたね。」

と言うと、喬子は続けてこう言った。

「されど、わたくしは、間違えておりました。」

それを聞きながら、茂姫はただ喬子を見つめていた。喬子は穏やかな表情をし、

「それだけではあらしゃいませんでした。母上様も、わたくしのことを心の底から思って下さっていたということ、今やっと分かった気が致します。」

そう続けた。

「あの・・・。」

茂姫が言おうとすると喬子は、

「それやのにわたくしは、勝手なことばかり申しました。母上様の話を聞こうともせず、突き放してしまっていたのです。まことに、申し訳ございませんでした。」

そう言って頭を下げると、茂姫は言った。

「喬子様・・・、今、何と仰いましたか?」

「え・・・。」

喬子が顔を上げ、戸惑った表情をすると茂姫は、

「今、わたくしのことを母上と。」

そう言うので喬子は気がついたように笑い、

「わたくしも、これからはそうお呼びしても宜しゅうございますやろか。」

と言うので茂姫は、

「勿論ですとも。」

そう言い、笑っていた。茂姫は、

「わたくしは、子の時が来るのを心待ちにしておりました。喬子様が、わたくしに心を開いてくれたのは、わたくしの母のお陰かもしれませんね。」

と言うと喬子も、

「はい。」

そう言った。二人はその後も、嬉しそうに見つめ合っていたのであった。

浄岸院(そして更に時は流れ、文政一一年九月。帰国を許されたシーボルトの船が難破し、積荷の一部が日本の浜に流れ着き、その中に外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、問題になったのでございます。世に言う、『シーボルト事件』発端にございました。シーボルトはその後、出国停止処分の後、国外追放の処分を受けることになるのです。)

幕府では、三人の老中が話し合っていた。乗寛が、

「幕府禁制の地図を持ち出すなど、不埒千万!これは、重い処分を下すべじゃ!」

そう言っていると隣にいた老中・植村うえむら家長いえながが、

「しかし、あちらに悪意があったとも言い切れませぬが・・・。」

と言うと乗寛が、

「そのようなことは言っておられませぬ。悪意だろうが、持ち出されたのは事実。幕府としては、許すまじ行いです!」

そう言った。大久保も、

「いよいよ、鎖国しか選ぶ道はなくなりましたか・・・。」

と言うので乗寛も、

「鎖国か、開国か・・・。」

そう言い、考えていたのだった。

そしてここでも、その一件を聞いた茂姫は、

「日本地図を?」

と聞くと、家斉が言った。

「あぁ。シーボルトが、隠し持っておったそうじゃ。」

それを聞いた茂姫は、

「この国は、この先どうなっていくのでございましょう。」

と言うと、家斉はこう言った。

「暫くは、鎖国が続くであろうな。」

「やはり、国は開けぬと・・・。」

「今は、どうやっても無理じゃ。これで一気に、浪士達の攘夷運動も発展していくであろう。」

家斉の言葉を聞いて茂姫は不安が募ったように、

「戦・・・、異国と戦になるようなことがあれば・・・。」

と聞くと家斉は、

「今は、何とも申せまい。」

そう答えた。それを聞いた茂姫は、

「戦は・・・、なりませぬ・・・。」

と、呟いていたのであった。



次回予告

茂姫「異国と戦になれば、思い知るであろう。」

家斉「相当な覚悟があったのかもしれぬ。」

茂姫「いっその事、打払令を廃止なさっては?」

乗寛「無理にございます!」

定信「わしは、あの方との約束を守れたのであろうか・・・。」

茂姫「約束・・・。」

定永「父の敵は、自分にございますから。」

家斉「わしの父と正反対の男であった。」

清茂「そなたの気持ちを・・・。」

美代「母として・・・。」

定信「わたくしに出来る事は、全てやった。」

茂姫「これは、戦じゃ。」




次回 第四十五回「さらば定信」 どうぞ、ご期待下さい!

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