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緋色の焔  作者: 萩悠
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分家の少女

 今日も京都は爽やかな風が吹き抜けている。本当に穏やかでいい天気。

遠くに見える嵐山の木々の色も青々としていて見ていて気持ちがいい。

本邸に呼びつけられてはいるけれど、少しくらい寄り道したってどうせあの人は怒らないだろう。

あの人は私じゃなくて、私が持っている祓魔ふつまの才能と血筋が欲しいだけ。

私のことなんてちっとも気遣ってはいないのだから、私だって気遣う必要なんて無いだろう。

だからといって勝手に決められて呼びつけられた約束であっても破るわけにはいかないのが心苦しいところではあるのだけれど。

私個人の勝手で両親に迷惑を掛けるわけにもいかない。彼らは血の滲む様な努力の末、今の地位に立っているわけだから、その努力をたかが小娘がふいにすることは許されない事だろう。

「それにしても、本当にいい天気…。」

五月の心地よい風が私の髪の毛を撫でていく。

少し目を細めながら振り返った先には、楽しそうに京都を満喫している観光客と街行く人たち。

この笑顔を両親が守っているのだと思うとどうしても誇らしくなり、自然と頬も緩んでくる。

本家に比べて分家の両親は身分が低いのだから、指示に従わなければならないのは当然のこと。

すまなさそうに謝る父と、泣き腫らした赤い目で私を抱きしめてきた母。

『仕方ないよ』

そう言って微笑んだのはいつかの自分で。

「さて、そろそろ行かなくちゃ。」

自分に言い聞かせるように呟いてきびすを返す。

キッと睨み付けるは本邸。気合を入れるかのように解いていた髪を結い直し、母からのプレゼントであるかんざしを挿す。

母のセンスが小粋に光るこのかんざしは私のお気に入り。さり気無く添えられた小さな鈴が風に揺られて音を残す。

よどみ無く足を進める少女を見送ったのは、もう日暮れも近い京の町と寂しげに揺れた甘味屋の暖簾のれんだった。


犬神千尋いぬがみちひろ、ただいま参りました。」

「うむ、ご苦労。上がれ。」

「はい。」

ああ、この空気。

『分家の分際で気に入られやがって。』

『犬神?分家の中でもかなり低い身分じゃない。』

『どうせ権力目当てさ。』

直接言われることは無くとも、目は口ほどにものを言う。

敵意に嫌悪の混じった目を向けられつつも、案内される部屋へと大人しく入る。

「やぁ、遅かったな千尋ちひろ。見回りに時間でもかかったのかい?」

「すみません碩人せきと様。」

ああ、何て嫌味なんだ。今日は私が非番であることを知っているだろうに。

そんなことはおくびにも出さず、心底申し訳なさそうな表情を作り、頭を下げる。

名前の由来とは裏腹に、私を道具に兄を越すことばかり考えているいやらしい奴。

内心では散々罵っていても、口に出すことは許されない。

これだから本邸ここには来たくなかったんだ。

「いや、別に気にしてはいない。俺が心底惚れている千尋、君が訪ねてきてくれた。その事実だけでもう嬉しいのだからね。」

「いえ、そんな私の身には余るようなお言葉…。」

軽く微笑みながら紡がれるのは、私にとっては呪詛じゅそと変わりない言葉の数々。

「遠慮することは無いさ、俺はいずれ君と結婚したいと思っているのだからね。今からそんなに遠慮されてしまうとこっちが困っちゃうよ。」

おどけた様な仕草で肩をすくめる目の前の男に酷く嫌悪感を感じつつも私は本心を隠して只管ひたすら時が過ぎ去るのを祈り、微笑むだけ。

嗚呼、私はいつまでもかごの鳥だ。


「おっと、こんな時間か。随分と話し込んでしまったな。」

「あら、碩人せきと様とお話していると随分時が経つのも早いものですね。」

「夜は危ないし、俺が送って行こう。」

「あ、いえ、碩人せきと様のお手をわずわせるわけにはいきませんし、それに碩人せきと様、私はこれでも陰陽師おんみょうじの端くれです。何も心配されることはありませんわ。」

「そうか?ならば玄関まではせめて送らせてもらうよ、いいね?」

「ありがとうございます。」

ようやく開放される。私にはその感想しか浮かんで来ない。

現にこいつは夜の街を送って行かずに済んでほっとした空気を醸し出している。

それでも私は気づかぬ振りでつつましく半歩後ろを歩く女を演じる。

向こうは勝手に私がとても楽しかったのだと思い込んでいてご満悦のようだ。

それもそうだ、私と上手くいっているように見せなければ、次男坊であるこいつには当主の座など回ってくることは有り得ないのだから。

現にしつこく私は長男からもお呼び出しを受けているのだ。長男よりも上手くいっていることを見せ付けて、気に入られる腹積もりなのであろう。私の両親の事を大層気に入っている先代から。

玄関先で簡単に別れを述べ、ようやく開放され大きく息を吐く。

嗚呼、何て狭い世界。

チラリと肩越しに振り返った本邸を一瞥いちべつ

「私は貴方達の道具では無いのよ。」

思わず零れた本音にしかめ面。

こんな台詞を間違っても聞かれるわけにはいかないのだから。

下唇を噛みつつ髪を解くと、まだ少し肌寒い風が髪をさらっていく。

本邸のある伏見稲荷大社からは少し離れた我が家を目指して、すっかり色も人も減った夜の街を歩く。

こんな日だからこそまた寄り道をしたくなってしまうのだけれど、これ以上遅くなってしまうと心配性の母親がまた門の前で落ち着き無く彷徨き回る羽目になるだろう。

母を無闇に心配させるのは私だって本懐じゃない。

只でさえ今日は気が張り詰めているはずなのだから。

父だって滅多に見せない苛つきを酒に換えて煽っているに違いない。

「ふふっ。」

父と母のことを思えば先程までの陰鬱いんうつとした気分だって幾らか紛れるもの。

いつの間にかはやる足に笑みを溢しつつ、いつもであればこの時間帯は使わない裏路地を通る近道を足早に駆け抜けて行く。

その時だった。

「よぉ、お嬢ちゃん。そんなに急いでどうした?」

「っ?!」

突如背後から掛けられた声に素早く反応し、仕込んでいた錫杖しゃくじょうを振り返り様に突きつける。

「おうおう、危ねぇじゃねーか。しかも護身用の武器にしちゃあかなり背丈に合ってないんじゃねぇか?」

振り返った先には朗らかに笑いつつやんわりと錫杖を避ける男が一人。

職業柄人の気配やあやかしの気配には人一倍敏感なはずの私が全く気付かなかったのだから、注意し過ぎてもし過ぎることは無い。

「誰?」

鋭く問い掛けると、男は不敵な笑みを浮かべつつ、このご時世では見掛けることも珍しい煙管きせるたもとから取り出し、煙をくゆらせた。

ザッと見る感じでは、年は大体三十歳から四十歳位。見方によっては父よりも年上に見えるから、もしかしたら若作りな四十代かもしれない。

煙管きせるも大概珍しいのだけれども、何よりも目を引くのはその出で立ち。

髪の毛は緩く結わえられ、着流しを着こなしているにも関わらず、少し覗く胸元には刺青いれずみ

煙管きせるを支える右腕にも複雑な刺青いれずみが入っていて、優しそうに下げられている目元にも刺青いれずみ

顔の造りや着物の似合い具合からして恐らく日本人であるとは思うものの、余りにも奇抜きばつだ。

「誰?」

もう一度私が問い掛けると、流石に答える気になったのか、男は煙管きせるを口から離した。

「んー、俺が何者かって?何というか、ちぃと説明は難しいな。」

へにゃりとした笑みを浮かべた男は何かに悩むように頭を掻いた。

「えーっと、俺が何者か答えなきゃ駄目かい?」

「何者かわからない限り私は貴方に錫杖これを向け続けるわ。それでも良ければ好きにして。もう一度問うわ。貴方は誰?」

人好きのする困ったような笑顔を向けられて、一瞬戸惑いはしたものの、警戒を解かぬまま問い掛ける。

「あらら、困ったなぁ…。あぁ、そうだそうだ。」

余り困ってなさそうな声を上げつつ再度頭を掻いた男は、何を思ったのかおもむろたもとを漁り出す。

「何をする気?」

「まぁ、そんなに気張りなさんな。えーっと確か…あったあった!おらよ!」

「なっ?!」

男から放り投げられた物を慌てて避けようとすると、予想していたかの様に男は苦笑いしつつ投げた物を自分でキャッチ。

「一体何を!」

「いやいやー、避けないで受け取ってくれると嬉しかったんだけどなぁ…。まぁ無理な話か。」

「何の話よ?」

更に警戒を強めつつ男を睨み付けると男はけらけらと笑いながら私に向けて手の中にあるものを見せた。

「これよこれ。昔お嬢ちゃんを昼間に見掛けてなぁ。そん時にお嬢ちゃんに似合うだろうなと思って大分前に買ってな。次に見掛けたら渡そうと思ってたら今日だったって訳だ。こんな怪しいおっちゃんから貰ってくれる訳が無いとは思いつつも見掛けたらやっぱ声掛けちまってなぁ…。」

心なしか下げられた眉を見て、少し覗くのは罪悪感。

大きな身体には不釣り合いな可愛らしいかんざしを見せる男。

少ししか話しては居ないが、別に悪い人では無さそうだと本能に近い部分では感じているものの、やはりそう易々と受け取ることは出来ない。

しかし、折角こうして私に声を掛けている訳だから、無視するのは何となく良心が咎める。

「私は、私はそのかんざしを受け取ることは出来ないわ。だって、私は貴方の事を全く知らないのだから。」

「ん、やっぱそうだよな。ごめんよ、お嬢ちゃん。」

私がそう言ってのけると薄々感じてはいたのか、納得したような表情を男は浮かべ、丁寧にかんざしを仕舞い込む。

「でも、」

私に背を向けて去ろうとする男に向けて、言葉を紡ぐ。

「でも、貴方の事をもっと知った後でなら、知り合いからであるならば私はそのかんざしを受け取らせていただきます。」

凛とした声で告げた私を振り返った男は、やはり人好きのする笑みを浮かべて

「そっか。」

と一言。

それに少し満足した私は、最後まで警戒を解かぬまま男を見送った。

きっとまたいつか会うだろうという確信めいたものを感じつつ。

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