第29話 この世界、選択肢でも出てきそうなくらい露骨です
九十九院霊真は、その日だけで五回ほど「これは少し出来すぎではないでしょうか」と思った。
一回目は朝だった。
いつもより少し早く客室を出たのは、昨夜オルバスから見せられた古い肖像画のことが頭から離れなかったからだ。過去にも“悪役”へ仕立てられた令嬢がいた。しかも今のセレスティア・フォン・ローゼンベルクへどこか似ていた。
あの話を聞かされたあとで、じっと部屋にいる気にはなれなかった。
学園の朝は今日もきれいだった。
石畳は磨かれ、花壇は整い、朝の光は建物の輪郭を過剰なほど美しく見せている。
どこを見ても、いかにも“物語の舞台”らしい。
その中庭へ差しかかったところで、霊真は一人の少女を見つけた。
「お、おはようございます、レイシンさん」
リリアーナ・フェアミントだった。
彼女は両手で本を抱え、少しだけ慌てたように立っていた。まるで偶然を装っているようでいて、たぶん本当に偶然なのだろう。だがその偶然の配置が、今日は妙に整いすぎて見えた。
「おはようございます、リリアーナ殿」
「その“殿”はもう……」
「失礼しました」
「いえ、そこまでじゃないんですけど……」
いつものやりとりだ。
リリアーナは少し笑ってから、霊真の隣へ歩幅を合わせた。
「早いんですね」
「少し、考え事を」
「昨夜のことですか?」
「はい」
リリアーナはすぐに察したらしい。
最近の彼女は、以前より少しだけ霊真の間を読むようになってきた。
「……セレスティア様のこと、ですよね」
「それもあります」
霊真がそう答えると、リリアーナは静かに頷いた。
「私も、ちょっと眠れませんでした」
その声音には、以前よりはっきりした覚悟があった。
ただ巻き込まれているだけの本来ヒロインではなく、自分の足で状況を見ようとする者の声だ。
二人で中庭を歩く。
朝の光の中だと、リリアーナのやわらかな髪色も、明るい表情もよく映える。たぶん、こういう場面だけ見れば、学園恋愛物の王道ヒロインイベントに見えるのだろうと霊真は思った。
思ったところで、すぐに二回目が来た。
「あら」
聞き覚えのある声がして、リリアーナがびくりとした。
振り向けば、セレスティアが立っていた。
タイミングがよすぎる。
あまりに良すぎて、霊真は一瞬、誰かが後ろで鐘でも鳴らして「ここで対面イベントです」と合図したのかと思ったほどだ。
セレスティアは今日も完璧に整っている。
髪も制服も、表情までも。
けれど霊真には分かる。彼女は今、少しだけ呼吸が浅い。
「朝から、ずいぶん仲がよろしいのですね」
声音は平坦だった。
だがリリアーナは明らかに構える。
「い、いえ、その、たまたま……」
「はい。偶然お会いしました」
と霊真。
セレスティアの視線が霊真へ移る。
「あなたは、そういう時だけ妙に率直ですのね」
「そうでしょうか」
「そうですわ」
リリアーナは二人を見比べて、何とも言えない顔になる。
自分がここにいると微妙に修羅場っぽくなる、ということだけは理解しているのだろう。
霊真はその空気を見て、本気で少し考えた。
朝、中庭で本来ヒロインと話していたら悪役令嬢が絶妙なタイミングで現れる。
これは、さすがに出来すぎではないか。
その疑問が口をついて出た。
「この学園は、皆さまが順番に現れすぎではありませんか」
「……は?」
とセレスティア。
「え?」
とリリアーナ。
霊真は真面目だった。
「少し前も、そのようなことが何度か」
リリアーナが小声で、
「それ、私もちょっと思いました……」
と言ってしまう。
セレスティアがぴくりと反応した。
「あなたまで何をおっしゃっていますの」
「い、いえ、だって最近ほんとにタイミングが」
「偶然ですわ」
「でも、あまりに」
「偶然です」
「はい……」
セレスティアは押し切った。
押し切ったが、押し切れてはいない。
結局その場は、三人で妙にぎこちないまま回廊まで歩き、そこでそれぞれ別れた。
朝だけで、すでにイベント感が濃すぎる。
◇
三回目は昼前だった。
霊真が礼拝堂の前を通りかかったとき、ちょうど中からミレーユ・セラフィナが出てきたのである。
「あら、レイシン様」
聖女候補は、今日もやわらかく微笑んでいた。
だがその微笑の奥には、少しだけ別の色が混じり始めている。霊真はまだそこを明確に言葉にできないが、以前の“見極める者”の目ではなくなってきていることだけは分かる。
「こんにちは、ミレーユ殿」
「今、お時間はございますか?」
「少しなら」
「でしたら、礼拝堂で少しだけ」
これもあまりに自然だ。
自然すぎて、逆に不自然だ。
朝にリリアーナ、セレスティアと続き、昼前にはミレーユとの礼拝堂イベント。
誰が見ても主要ヒロイン別個別イベントの連打に見える。
礼拝堂の中は相変わらず静かだった。
ミレーユは霊真を長椅子へ案内し、自分も少し距離を置いて腰を下ろす。
「昨夜の記録のことを、もう少し整理したくて」
「はい」
「それに……あなたが少し疲れて見えましたので」
後半は、声が少し小さくなった。
霊真は素直に答える。
「お気遣いありがとうございます」
「い、いえ」
ミレーユは少しだけ目を伏せた。
礼拝堂の光がその横顔を柔らかく照らす。
彼女は記録の話をした。
数十年前から繰り返される“役割の偏り”。
誰かが悪役にされ、誰かが正しい側へ置かれる流れ。
その流れが、祈りの場へまで違和感として残っていたこと。
霊真もそれに耳を傾ける。
話自体は重要だ。
だが、重要であればあるほど、今日この一日の流れが妙に整いすぎて見える。
礼拝堂を出るころには、霊真の中で違和感がさらに膨らんでいた。
◇
四回目は放課後だった。
ルシアン・エーデル=クロイツが、図書塔前で待ち構えていたのである。
「来ましたか」
「お待ちだったのですか」
「ええ」
「なぜでしょう」
「あなたと話す必要があるからです」
そこに何の照れもためらいもないあたり、この天才魔術師はやはり少し変だ。
だが今日の霊真は、その変さすら“いかにも攻略対象イベント用の待機”みたいだと思ってしまった。
「昨夜の測定結果で、さらに妙な点が出ました」
とルシアン。
「どのような」
「感情の方向性を傾ける補助術式に、どうも副次的な効果がある」
図書塔の一角へ移り、ルシアンは紙を広げた。
彼の説明は今日も長い。
だが途中で要点は見えた。
「恋愛感情、優劣感情、独占欲……そのあたりが増幅されやすい可能性があります」
「……それは」
「ええ。非常に面倒です」
ルシアンは真顔だった。
「人が“この人を特別視したい”とか、“この人を誰かへ渡したくない”とか、そういう方向の感情へ少し傾きやすくなる。もちろん完全な強制ではありません。元からある感情を押しやすくする程度です」
霊真はそこでようやく、今日の違和感が少し言葉になった気がした。
皆が順番に現れる。
しかも、その現れ方がいちいち個別ルートイベントのように整っている。
そのうえ、周囲の人々まで“物語っぽい見方”をしやすくなっている。
もしその空気自体も術式の影響を受けているのだとしたら。
「この世界は、少し厄介ですね」
「少しではありません」
とルシアン。
その返しには、かなり本気の苛立ちが混じっていた。
◇
五回目は夕方だった。
ガイゼル・ヴァン・ドレイクが訓練場で待っていた。
「おう、来たか」
「来ることになっておりましたでしょうか」
「なってねえ。でも来そうな顔してた」
どういう顔なのかはよく分からない。
ガイゼルはいつものように木剣を肩へ担ぎながら、霊真を手招きした。
「ちょっと体動かせ。おまえ、考えすぎると余計な顔になる」
「余計な顔」
「見てて分かるんだよ」
結局、軽い打ち合い未満のような時間になった。
ガイゼルはそれを“護衛側の確認”と言い張ったが、半分はたぶん霊真を心配しているのだろう。
汗を軽く流す程度で終わったあと、ガイゼルが唐突に言う。
「今日、おまえいろんなやつと順番に会ってねえか」
やはり彼も感じていたらしい。
「はい。私も少し、出来すぎではないかと」
「だろ」
ガイゼルは木剣を肩へ戻す。
「何つーかな。偶然にしちゃ、イベント臭ぇんだよな」
「イベント」
「いや、こっちの話だ」
ガイゼルはそう言ったが、その表情は思ったより真剣だった。
「おまえ、気ぃつけろよ。イベントっぽい時ほど、裏で誰か動いてる気がする」
それは雑に聞こえるが、実際かなり本質を突いている気がした。
◇
六回目は夜だった。
ここまで来ると、さすがに霊真も
「本当に順番に来るのですね」
と思わざるを得ない。
夜の回廊で、今度はアルフレッドから呼び止められた。
「レイシン、少しいいか」
「はい」
王子は昼間より少しだけ疲れて見えた。
だがそのぶん、人の顔に近い。
「学園教師の一部に、不自然な動きがある」
と彼は低く言った。
「教師、でしょうか」
「断定はまだしない。だが、内部事情と貴族側の空気、両方へ触れられる位置にいる者がいるはずだ」
それは重要な情報だった。
アルフレッドは王子として、表の側から動ける。
その強みがようやく明確に機能し始めている。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い」
王子はそう言ってから、少しだけ躊躇い、続けた。
「……それと、今日はずいぶん多くの者と話していたそうだな」
「はい」
「皆、君を頼っている」
「そのようです」
「自覚は?」
「少しは」
アルフレッドは苦笑した。
「君は平然としているが、周囲の様子はあまり平然としていないぞ」
その言い方に、霊真は昼から感じていた違和感を思い出した。
やはり、皆どこかおかしい。
いや、正確にはおかしくなりやすいように押されている。
「やはり、少し出来すぎている気がします」
霊真がそう言うと、アルフレッドも静かに頷いた。
「私もだ」
王子がそう言うなら、もうただの気のせいではないのだろう。
◇
その夜、ルシアンとアルフレッド、ミレーユ、ガイゼル、リリアーナ、セレスティア、そして霊真が再び集まった。
今日一日の“イベントラッシュ”めいた流れを話すと、皆それぞれ微妙な顔をした。
「言われてみれば……」
とリリアーナ。
「たしかに、今日はやけに全員が順番に現れましたわね」
とセレスティア。
「私は呼びましたけれど」
とミレーユ。
「俺は待ってた」
とガイゼル。
「私は元から予定していました」
とルシアン。
「私も、必要があった」
とアルフレッド。
そこで一瞬、妙な沈黙が落ちる。
皆、自発的に動いたつもりではある。
だがその動きが、結果としてあまりに“順番どおり”に見えてしまうのだ。
ルシアンが机へ肘をつき、真顔で言った。
「“イベントが発生しやすい流れ”自体も、歪みの一部かもしれません」
部屋の空気が静まる。
「どういうことですの」
セレスティアが問う。
「人の感情を傾ける補助術式が、ただ悪感情や優劣感情だけを押しているとは限らない、ということです」
ルシアンは紙へ簡単な図を書き始めた。
「特定人物に意識が向きやすくなる。
接触の偶然が“意味ある出来事”に見えやすくなる。
周囲もそれを“物語的なイベント”として受け取りやすくなる」
「まるで……」
ミレーユが小さく言う。
「誰かが、皆をそういう筋書きへ寄せているみたいですわね」
「その可能性が高い」
ルシアンは頷いた。
「この学園は、ただ噂が広がるだけではない。人間関係そのものが“攻略しやすい配置”へ寄せられているのかもしれません」
その表現は妙にしっくりきた。
王子は王子らしく。
悪役令嬢は悪役令嬢らしく。
本来ヒロインは本来ヒロインらしく。
騎士は騎士らしく。
聖女候補は聖女候補らしく。
天才魔術師は天才魔術師らしく。
そして、そういう記号の集積として“物語”が進みやすくなる。
霊真はその説明を聞きながら、ようやくはっきりと思った。
この世界、やはり少し、エロゲじみているのではないか。
もちろん彼は“エロゲ”というものへ詳しいわけではない。
だが学園の皆が時折口にする“ルート”だの“イベント”だの“本命感”だのという言葉を思い返すと、それに近い何かがある気がしてならない。
「つまり」
とガイゼルが腕を組む。
「世界ごと押してきてる可能性があるってことか」
「かなり乱暴な言い方ですが」
ルシアンがため息をつく。
「そうです」
セレスティアが静かに目を細めた。
「面白くありませんわね」
「はい」
と霊真。
「何が」
とセレスティア。
「皆さまが苦しそうですので」
その返答に、セレスティアは一瞬だけ言葉を失った。
結局そこへ戻るのか、この男は。
そういう顔だった。
けれど、怒ってはいない。
リリアーナが小さく言う。
「でも……もし本当にそうなら、私たちが今まで“そういう役”だと思ってたことも、少し怪しくなってきますね」
「最初から怪しかったんだよ」
ガイゼルが言う。
「ただ、今までそれっぽすぎて皆そのまま乗ってただけで」
「その“皆”に自分も含まれていたのが腹立たしいところです」
とルシアン。
「おまえ、自分で言うのか」
「言います。悔しいので」
そんなやりとりの中でも、歪みの輪郭は確かになっていく。
そしてその夜、霊真は一つだけはっきりしたことを理解した。
黒幕は近い。
学園内部にいる。
そして、その黒幕が利用しているのは、単なる噂でも悪意でもなく、この世界そのものが持つ“イベントの起こりやすさ”に近い何かだ。
それは、次の舞台がもっと露骨になる予感でもあった。




