第1話 「座席争奪戦で出会った君」
高校生活というものは、入学式の日から始まる。
普通なら、新しい制服に袖を通し、友達ができるか不安になり、桜を見上げながら期待に胸を膨らませるものなのだろう。
だけど、俺――ユウキにとって、入学式の日に最も重要なのは別のことだった。
それは――
「今日も座って学校まで行けるか」
たったそれだけだ。
けれど、この勝負は甘くない。
朝七時二十五分発。
この快速電車は、社会人と学生が入り乱れる激戦区。
何も考えずに乗れば四十分立ちっぱなしになる。
だから俺は、中学三年間をかけて一つの特殊技術を完成させていた。
名付けて――
『座席読破術』。
ホームのどこに並べばいいのか。
どの車両に空席が生まれやすいか。
誰が次の駅で降りるか。
荷物の持ち方。
立ち位置。
視線。
乗客の癖。
ほんの数秒で全てを読む。
一般人には理解されないだろう。
だが俺にとっては、受験勉強より真剣に磨いてきた技術だった。
「……今日も勝つ」
電車がホームへ滑り込む。
俺は流れるように乗車し、ドア横へ移動する。
前方を見る。
スーツ姿の男性。
眠そうな女子高生。
新聞を折り畳み始めた老人。
(次で降りる)
直感ではない。
経験だ。
電車が次の駅へ着く。
老人が立ち上がる。
その瞬間。
俺は一歩だけ横へ。
誰にもぶつからない最短距離。
そして――
「よし。」
座れた。
今日も完璧。
そう思った、その時だった。
「……!」
俺の隣へ、一人の女子が滑り込むように座った。
タイミングが完璧すぎる。
(うまい……!)
思わず横を見る。
肩まで伸びた黒髪。
朝日を受けて艶やかに揺れている。
整った横顔。
まだ眠そうに細められた瞳。
どこか落ち着いた雰囲気。
そして――
(この子も……)
座席を取るタイミングが、あまりにも洗練されていた。
偶然ではない。
俺と同じ。
技術で勝ち取った席だ。
(まさか……)
その時、彼女もこちらを見た。
制服。
ネクタイ。
校章。
二人とも同時に気付く。
「あっ。」
「……同じ高校?」
彼女が少し驚いたように笑う。
「新入生、ですよね?」
「ああ。」
「私もです。」
一瞬だけ沈黙。
初対面特有のぎこちなさが流れる。
「えっと……。」
「俺はユウキ。」
「私はマミ。」
小さく頭を下げ合う。
「よろしく。」
「よろしくお願いします。」
そこで再び静かになる。
でも、不思議と気まずくない。
電車が揺れる。
隣同士の肩が少しだけ近付く。
それだけで、お互い少し照れてしまう。
「……。」
「……。」
数秒後。
マミが小さく笑った。
「さっき。」
「?」
「席、取るの上手でしたね。」
俺は吹き出しそうになった。
「見てた?」
「はい。」
「そっちも。」
「えへへ。」
その笑顔は、春の日差しみたいだった。
「実は私……」
マミは少し得意げに胸を張る。
「毎日どうやったら座れるか研究してるんです。」
「……。」
俺は思わず固まる。
(いた。)
(俺と同じ変な高校生。)
思わず笑ってしまう。
「俺も。」
「え?」
「研究してる。」
「本当ですか!?」
マミの目がキラキラ輝く。
「初めて会いました!」
「俺も。」
「なんか嬉しい!」
朝の電車で、こんな会話をする高校生は世界中探しても俺たちくらいだろう。
だけど。
不思議と楽しかった。
◇◇◇
入学式。
校長先生の長い話。
歓迎の拍手。
新しい教室。
ようやく一年二組へ案内される。
教室へ入る。
黒板を見る。
座席表。
「え?」
俺は自分の席を確認する。
一番後ろから二列目。
そして前を見る。
「……。」
「……。」
マミと目が合った。
「また!」
「前後だ。」
マミはくすっと笑う。
「すごい偶然ですね。」
「だな。」
クラスメイトたちが次々と席へ着く。
ホームルームが始まる。
先生が自己紹介を始めた、その時。
ツンツン。
前から指で机をつつかれる。
「?」
マミだった。
小さく振り返る。
「ね。」
「ん?」
「放課後、一緒の電車で帰りません?」
「……。」
「今日だけ。」
先生が黒板に何かを書いている隙。
「座席勝負。」
そう囁く。
俺は思わず笑った。
「受けて立つ。」
マミも笑う。
「負けませんから。」
◇◇◇
休み時間。
「ユウキくん!」
前の席からすぐ振り返る。
「さっき先生の話聞いてました?」
「半分くらい。」
「私もです。」
「おい。」
二人で笑う。
昼休み。
「ユウキくん、お弁当一緒に食べません?」
「いいよ。」
気付けば自然に話せるようになっていた。
趣味。
好きな音楽。
ゲーム。
好きなお菓子。
そして。
「帰りの電車って。」
「うん。」
「座れる?」
「勝負だ。」
「負けません!」
マミが楽しそうに笑う。
その笑顔を見ていると、不思議とこちらまで楽しくなる。
高校生活への不安なんて、いつの間にか消えていた。
◇◇◇
放課後。
駅のホーム。
「今日はライバルですね。」
マミがニヤッと笑う。
「本気で行く。」
「私もです。」
電車がホームへ入る。
ドアが開く。
二人は同時に動き出した。
目線。
歩幅。
乗客の流れ。
空気を読む。
(右。)
(いや、左。)
そして次の駅。
二人は同時に動く。
「!」
「!」
空いた一つの二人掛け。
二人はほぼ同時に滑り込み――
「……。」
「……。」
また隣同士だった。
一瞬静まり返る。
そして。
「ふふっ。」
「はは。」
二人同時に笑ってしまう。
「また隣ですね。」
「運がいいのか悪いのか。」
「私は……」
マミは窓の外を見ながら、小さく笑う。
「運が良かったと思います。」
その言葉に、胸が少しだけ高鳴る。
今日初めて出会った女の子。
だけど、一日中一緒に笑っていた。
ただ席を取ることだけが得意だった俺の高校生活は、この日を境に大きく動き始める。
それが、恋になるなんて。
この時の俺は、まだ知らなかった。




