第4話(後編)「ここで生きていく」
その後。
ジェンホ夫妻は、年配の営業の案内でマンションの内見をしていた。
「こちら、南向きなので日当たり良いですよ」
リビングへ入った瞬間、奥様が嬉しそうな顔をする。
「明るい……!」
大きな窓から、午後の光が入っていた。
ジェンホは、しばらく黙って部屋を見渡していた。
「どうされました?」
年配の営業が聞く。
ジェンホは少し照れたように笑った。
「日本に来た頃、六畳のアパートだったので」
「窓開けると、隣の壁しか見えなかったです」
奥様が笑う。
「あったね、そんな部屋」
「はい」
ジェンホも笑った。
「夏、すごく暑かったです」
「でも、あの部屋好きだった」
奥様は懐かしそうに言う。
「コンビニのおにぎり食べながら、ずっとゲームしてたよね」
「勉強もしてましたよ?」
「半分くらいね」
年配の営業は、そのやり取りを静かに見ていた。
ジェンホは、窓の外を見る。
遠くに公園が見えた。
「子供、あそこで遊ぶかもしれないですね」
その言葉に、奥様が少しだけ目を細めた。
数日後。
その日の夕方。
秋月は、珍しく帰宅時間が遅くなっていた。
駅のホームは、仕事帰りの人で混み合っている。
電車が到着し、人波に押されるように車内へ入った。
その時だった。
「大丈夫ですか!?」
女性の声が上がる。
振り向くと、中年の男性が座席前で崩れ落ちていた。
周囲がざわつく。
だが、誰もすぐには動けない。
秋月が近づこうとした時、先に駆け寄った人物がいた。
「駅員さん呼んでください!」
聞き覚えのある声だった。
男性を支えながら、落ち着いた声で周囲へ指示している。
秋月もすぐに駆け寄った。
「こちら持ちます」
二人で男性を支え、次の駅で降ろす。
駅員に案内され、救護室へ運び込んだ。
「ありがとうございます。たぶん貧血ですね」
駅員がそう説明し、男性の意識が戻ったのを確認して、ようやく二人は息をついた。
「……あ」
先に気づいたのは、ジェンホだった。
「秋月さん?」
秋月も少し驚く。
「リーさん」
ジェンホは汗を拭きながら笑った。
「びっくりしました」
「こちらこそ」
二人は救護室前のベンチへ座った。
しばらく、駅のアナウンスだけが流れる。
「すぐ動ける人って、すごいですね」
秋月が言うと、ジェンホは少し照れたように笑った。
「日本に来たばかりの頃、駅で倒れたことあるんです」
「その時、知らない人が助けてくれて」
ジェンホは少し遠くを見るような目をした。
「だから、自分も動かなきゃって思っただけです」
秋月は静かにうなずいた。
「日本、好きなんですね」
ジェンホは少し考えてから笑った。
「はい」
「もちろん、嫌な思いしたこともあります」
「外国人だからって、警戒されたこともあるし」
「でも」
ジェンホはホームへ入ってくる電車を見ながら言った。
「困ってる人を、ちゃんと助ける人も多かったです」
「だから、ここで生きていきたいと思いました」
秋月は、その言葉を静かに聞いていた。
数日後。
事前審査は承認となった。
秋月は、承認のメールを送信した。
その翌週。
ジェンホ夫妻は、改めて来店した。
「ありがとうございました!」
ジェンホは、初回とは別人みたいな明るい顔をしていた。
奥様も深く頭を下げる。
「主人、家に帰ってからすごく嬉しそうで」
ジェンホは照れたように笑った。
「日本で、家を買えると思ってなかったので」
秋月は静かにうなずいた。
「これからですね」
「はい」
ジェンホは嬉しそうに答えた。
そして、少し迷ったあと言った。
「実は、友達も住宅ローンを考えてまして」
「もしよければ、相談に乗っていただけませんか?」
相川が小さく目を丸くする。
「ご紹介ですか?」
「はい」
ジェンホは笑った。
「安心できる銀行、紹介したいので」
数か月後。
ジェンホ夫妻から、一枚の写真付きメールが届いた。
新しいリビング。
窓際には、小さなベビーベッド。
その隣で、ジェンホが少し照れた顔で笑っている。
件名には、短くこう書かれていた。
『無事、生まれました』
相川が、画面を覗き込む。
「うわぁ……」
秋月は、小さく笑った。
街には、今日も無数の灯りがともっていた。




